折々のねことば 11 [c a t 's c r a d l e]
「宝石?‥‥ああ、黒猫の目に使われていた、赤いやつかな」
今村 昌弘
廃墟テーマパークの「兇人邸」に潜入した成島社長と秘書の裏井、傭兵6人、剣崎比留子と葉山譲、フリーライターの剛力京たちに首斬り巨人が襲いかかる。拘束された研究者・不木玄助が別館に幽閉していた兇悪な殺人鬼を解き放ったのだ。成島たちは巨人を外に出さないために、否応なく迷路のような邸内に閉じ籠る。傭兵3人が頭陀袋を被った隻腕の巨人の餌食となり、不木玄助と使用人の雑賀務も首を斬られて殺害された。巨人の棲む別館の一室に隠れて身動き出来ない剣崎比留子が安楽椅子探偵として、陰惨な殺戮事件の真相を解き明かす。不木の私室の出窓にある黒猫の置物。光源によって緑から赤に変わるアレキサンドライトの猫の目が犯人を言い当てる『兇人邸の殺人』から。
2022・6・1
──猫は巷間にいう、最も冷酷で、執念深いけものです──それは邪悪に充ちた魂を暗示しています。
J・S・レ・ファニュ
ダブリンのトリニティ・カレッジ特待生だった作者(私)はアイルランド語を教わっていた夢想家ダン・ドノヴァンの語ってくれた話を紹介する。子供の頃ドラムガニオルに住んでいたドノヴァン(私)が湖畔で読書をしていると、果樹園からロング・ドレスを着た女が斜面を下って来た。裸足の女は水面上を渡って行った。その1年後の夜、キラロウの家畜市から泥酔した父親が戻って来た。蒼白で深刻な顔をした父ミックは白い猫を見たと家族に話す。ボヘリーンの小径を馬を曳いて歩いていた時、白い猫が近寄って来た。光る眼で私を睨んで唸り、家の戸口まで着いて来た。家族を脅かした凶兆とは? 1週間も経たぬ間に父は流行の熱病に罹り、1カ月後に息を引き取る。「白い猫」 から。
2022・3・19
複数ジェンダーの猫が男女の二項対立の袋から飛び出して世界中を歩き回っている。
ヴィヴィエン・ゴールドマン
英ロンドン生まれのヴィヴィエン・ゴールドマン(Vivien Goldman)はフライング・リザーズのメンバーでもあったドキュメンタリー作家。『女パンクの逆襲』(2021)の原題は 「Revenge of the She-Punks」(2019)で、サブ・タイトルにもあるように、ポリー・スタイリン(X-Ray Spex)からプッシー・ライオットまで、フェミニストの音楽史を丹念に綴っている。「ガーリー・アイデンティティ」 「マネー」 「ラヴ / アンラヴ」 「プロテスト」 の各4章にプレイ・リスト(全43曲)、巻末には索引が付く。女パンクだけではなく、ニュー・ウェイヴ、ライオット・ガルー、ポスト・パンクなど、米英だけでなく、中南米、アジア、中東、東欧、アフリカなど、音楽ジャンルも地域も幅広い。
2022・5・11
「猫かしましょう、おとなしい猫‥‥。猫かしましょう、おとなしい猫‥‥」
別役 実
古い小さな街。石造りの家並みが続く細い通りに、猫貸し屋のお爺さんが声が聞こえて来る。好天気の昼下がりなのに、街は静かで誰もいない。背負ったドンゴロスの袋を開けて、猫たちにビスケットの欠片を上げて一服する。裏通りの狭い階段を登っている時、小さな窓から顔を出したお婆さんに三毛猫を貸す。1週間後、役人が街外れの小屋に貸した猫を連れて来た。お婆さんが昨夜亡くなった、「あのお婆さんがなくなって、この街には、誰も居なくなったんだよ」 と言う。NHKの幼児番組「おはなしこんにちは」に書き下ろした不条理童話を若き田島令子が朗読していた。「空中ブランコ乗りのキキ」 の最後で、お姉さんが泣いた時はショックだった。別役実童話集「猫貸し屋」から。
2009・3・21
低い門柱の上に、ちょこんと小さな物がのっていた。──掌でにぎれるくらいの、白と黒のふわふわした毛で覆われた、かわいらしい仔猫の首だった。
小松 左京
朝刊と牛乳を取りに出た妻が悲鳴を上げた。茶の間から玄関へ飛び出した彼は門の内側に倒れて気を失っている妻を発見する。妻は「あのね、ママ──わんわんが一匹いなかったわ」と訴える幼い娘・智子を幼稚園に行かせ、夫は庭の隅に深い穴を掘って仔猫の死骸を埋める。隣家の詮索好きの主婦が見咎め、中年の警官が訪問する。一人娘の部屋の本棚から「不思議の国アリス」とシャルル・ペロオの童話集を探し出した夫は二階の納戸の奥の物置に匿っている母子猫たちを逃す手筈を整えるために、愛玩動物店と骨董店へ急ぐ。巨大化し、知能を得て「万物の霊長」の地位を脅かす存在となった種族の「聖なる血の復讐」から、猫の命を護るために‥‥近未来ディストピアSF「猫の首」から。
2016・5・1
猫の内蔵が、漿液と一しょに、乾いた地面の上に大きく広がっていた。それが猫であることは、濡れた広がりの横に、猫の顔が転がっていたことで分かった。その顔は、坂道の上の内臓の面積にくらべて、ひどく小さくみえた。
吉行 淳之介
真夏の日曜日の午後、三上宗一は玄関前の砂利を敷いた庭に停めてある車に乗った。ギアをバックに入れて、ゆっくりと後退させた。後輪が歩道の端を車道へ降りる、いつも馴染んでいる感じに別の感じが微かに絡む。後部窓ガラスの外に不意に現われた人影が大きく揺れて視界から消えた。ハンド・ブレーキを引いて車から飛び降りると、自転車が横倒しになって若い男が倒れていた。走り寄って男を抱き起こしながら、罵声が浴びせられるのを待ったが、彼の車が自転車を押し倒したのではなかった。異様な気配を男の視線の端に感じて目を坂道の上に移す。「男の体が倒れていたすぐ傍の地面を、湿った 、ぬるぬるした、粘液質のうねうねしたものが覆っていた」。「猫踏んじゃった」 から。
2022・7・1
猫は大胆に夢の国、月、覚醒する世界──さらにはそのほかの道の場所も──を行き来するものだが、この猫は愚かではなかった。ヴェリットの近くにとどまり、夜が更けてくると彼女の膝にあがってそこから動こうとしなかった。
キジ・ジョンスン
ウルタール大学女子カレッジの学生で、大学理事の娘クラリー・ジュラットが「覚醒する世界」から来た「夢見る人」スティーヴン・ヘラーと駆け落ちしてしまう。数学教授ヴェリット・ボー(55歳)が彼女を連れ戻すため、黒猫と長い旅に出る。ボーは若い頃に広大な 「夢の国」(六王国)を冒険した遠の旅人だった。ズーグ、グール、ガースト族など、異形の獣たちが跋扈する夢の国はH・P・ラヴクラフトの〈クトゥール神話〉を下敷きにしている。焔の神殿の神官ナシュトや元恋人ランドルフ・カーター(イレク=ヴァド王)の援助、命を救ったガグ族(地底の穴に落ちて竹杭に貫かれていた幼子)の警護を得て現実世界へ辿り着き、クラリーと邂逅する。『猫の街から世界を夢見る』から。
2022・7・11
この娘! 猫の娘(コノコネコノコ)
フジモトマサル
「イラストレーター兼マンガ家。ときになぞなぞ作家、そして回文作家」による回文絵物語。見開き右頁に回文、左頁にモノクロ・イラストというレイアウトで全76篇を収録している。「医者らしい」 から「歌唄う」までの短い回文集だが、長編ストーリ仕立てになっていて面白い。青年医師と黒猫美女の危ないアヴァンチュール、妻との離婚、猫人の蜂起、叛乱、革命、亡命?‥‥ダークでスリリングなフィルム・ノワール風の物語を愉しめる。不穏でシュールなモノクロ回文世界の中で、ファム・ファタルな黒猫の睛が妖しく光る。猫と回文は相性が良く、親和性も高い。回文 「猫は留守。デートに遠出する箱根(ネコハルスデートニトーデスルハコネ)」 のように。『ダンスがすんだ』から。
2017・4・21
多くの学者たちは、レオナルドの絵の深遠な光の表現や柔らかい流れるような闇の描写に注目してきたが、レオナルドがいかにしてこのような効果を生みだしたかを論証したのは私がはじめてである。レオナルドは、絵画が乾かないうちに、猫をキャンバスの近くまで持ちあげ、やさしく体を撫でながら、静かに動く尻尾で表面を「仕上げた」。
スーザン・ハーバート
レオナルド・ダ・ヴィンチの〈モナ・リザ〉、ボッティチェリの〈春(ラ・プリマヴェ ーラ)〉、フェルメールの〈画室の中の画家〉など、世界的に有名な絵のモデルは人ではなく猫だった?‥‥ 猫(キャッツ)アリナ島大学准教授ジュヌヴィエーヴ・マックカーンの「編者の序文」によると、多くの画家が「最高傑作のいくつかを描くにあたって、その習作のモデルに猫を使っていた」という。英オックスフォード大学で美術を学んだスーザン・ハーバートは名画(絵画や映画)の中に登場する人物を猫に置き換えた 「猫名画」 で有名な画家。彼女の描く猫たちは写実的なので、対象は古代エジプトからルネサンス、ラファエル前派、印象派までの具象画に限られる。「白貂を抱く貴婦人」 から。
2017・4・21
仔猫、猫、麻袋、女房──セント・アイヴィスへ行く数は?
リチャード・パワーズ
『舞踏会へ向かう三人の農夫』(1985)は3つの物語が交互に語られて行く。ドイツ人写真家アウグスト・ザンダーの撮った 「三人の農夫の写真」(1914)に出会ったアメリカ人技師(私)の物語。第二次大戦下のヨーロッパを舞台にした三人の農夫アドルフ、ペーター、フーベルトの物語。パレードで見た赤毛女優キンバリー・グリーンに一目惚れした米編集者ピーター ・メイズの物語。「第一章 セント・アイヴィスへの旅支度」 のエピグラフは《セント・アイヴィスへ行く途中、七人の女房を連れた男に私は会った、それぞれの女房が七つの麻袋を持って、それぞれの麻袋に七匹の猫が入って、それぞれの猫が七匹の仔猫を連れていた》というマザーグースの有名なナゾナゾ唄からの引用。
2008・4・21
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朝日新聞の朝刊コラム 「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第11集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変更しました。猫アンソロジー『ネコ・ロマンチスム』(2022)から3篇を引用しましたが、「猫の首」 は〈猫のプリン〉の中で紹介した『猫は神さまの贈り物《小説編》』(2014)、「猫貸し屋」 は〈空中ブランコ乗りのレイ〉の中で紹介した別役実童話集『淋しいおさかな』に収録されています(『黒い郵便船』は『空中ブランコのりのキキ』(2014)というタイトルで復刊しました)。「白貂を抱く貴婦人」 は〈猫のワガハイ〉で紹介した『猫の名画物語』(1996)からの引用ですが、ザ・ガーディアンの 「最も狂った猫クイズ」(The Craziest Cat Quiz Ever)のネタ本が『名画の中のネコ』(2018)というタイトルで翻訳出版されていたことが分かって、〈空中ブランコ乗りのレイ〉と同じく、〈クレイジー・キャッツ・クイズ〉のリンクを修整しました。
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- 「折々のねことば 101~110」 は引用・紹介文、出典名はアマゾンにリンクしました
- 「CATWORDEX」(折々のねことば 2005 - 2022)を更新しました
- マザーグースのナゾナゾ唄の《答え──「私」を数えなければゼロ。数えれば1》
- 『名画の中のネコ』(河出書房新社 2018)の著者名が「スーザン・ハーバード」になっています。なぜ4年間も誤植のまま、訂正されずに放置されているのかしら?
catwords 100 / 200 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / sknynx 1072
- 著者:キジ・ジョンスン(Kij Johnson) / 三角 和代(訳)
- 出版社:東京創元社
- 発売日:2021/06/30
- メディア:文庫(創元SF文庫)
- 内容:猫の街ウルタールの女子カレッジに大問題が起こった。学生のクラリーが“覚醒する世界"の男と駆け落ちしてしまったのだ。彼女の祖父である神が目覚めたら、街を灰燼に帰してしまう──かつて“遠の旅人"だったカレッジの教授ヴェリットは、クラリーを連れ戻すための長い旅に出る。ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作「霧に橋を架ける」の著者がラ...
2022-07-11 00:07
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