折々のねことば 10 [c a t 's c r a d l e]
「猫だって? 香港からつれてきたという、あの歯医者という猫かい?」
大江 健三郎
「ぼく」 は二歳年下の友人・斎木犀吉から、バスケットに入っている肥ったオレンジ色の縞の猫を預かる。横浜から東支那海へ海賊の宝を探しに行く船に乗り込んだ。突然何者かに銃撃されて沈没。漂流していたところを英国の巡視船に救助された。中国からの避難民と看做され、九竜のキャンプに収容されたが、ドイツ人の旧アナーキストに救出されてホテルで療養していた。同性愛の関係を仄めかされると、自ら娼婦を買って性病に感染。ヨット《バクーニン支持者号》に乗って日本に帰還する際、香港で貰った猫(牙医)を柳の籠に入れて一緒に連れて来たと嘯く。若き小説家が北アフリカの架空都市ブ ージーのホテルで首吊り自殺したモラリスト斎木犀吉を語る『日常生活の冒険』から。
2022・3・11
我が家には特定の人以外の前には決して姿を見せない、イリオモテヤマネコのような "幻のネコ" がいます。
ヤマザキマリ
ヤマザキマリの飼っている "幻のネコ" とはベレン君(ベンガル種)のこと。「NyAERA 2021」(アエラ増刊)にもインタヴューが掲載されている。彼女が虫を愛でるのは意思の疎通が出来ないから。お互いに分かり合えなくても、同じ地球で共生していることが素晴しいという。《私もそんなネコを手なずけようとは思わず、「人間に媚びなくていい」 「人間の顔色なんて読まないネコになれ」 という姿勢を保っているので、ネコのほうも私にじゃれたりせず、「いるな」 という感じで、漫画を描いたり家の掃除をしたりしている私を見つめているだけ。寡黙な人間観察者です》。互いに全く違うことをしながら同じ家の中で生きているのが心地良いと「さるとびエッちゃん」の中で語っている。
2021・10・1
人間の男性は一般に、猫のことを女性の情欲と結びつけて考える。自らの欲望を棚に上げておいて、それを女性の中に投影するのが男性の常で、猫はそのために都合よく利用されてきた。
キャサリン・M・ロジャース
ネコの歴史を 「ヤマネコからイエネコへ」 「災いをもたらす猫、幸運を呼ぶ猫」 「ペットとしての猫」 「女性は猫、あるいは猫は女性」 「猫には、猫なりの権利がある」 「矛盾こそ魅力」 の6章で総括する。古今東西の歴史学者や哲学者、聖職者、学者、作家、詩人、画家などの文献や小説、絵画などを引用して縦横無尽に論じる著者の筆致は博覧強記で容赦ない。「男性は比喩を用いて、女性を劣った性として、猫を劣った家畜として貶めてきた」 と手厳しい。ルイス・ウェイン、バルテュス、メイ・サートン、ドリス・レッシング、ポール・ギャリコ 、ロバート・A・ハインライン、ジョイス・キャロル・オーツ、アンジェラ・カーターなど、猫好きな有名作家たちも俎上に載る『猫の世界史』から。
2018・8・21
猫になったことないよね?
猫の気持ち、猫にしか
その子にしかわからないよね?
石田 ゆり子
ネコが一人称視点で語る小説やエッセイは珍しくない。茶トラ牡猫のハニオ(ぼく)が写真と短文で綴る日記だが、ページ右上の年月日にハ、ユ、タ、はち、みつ‥‥と記されているように、主人公のハニオ(ハ)、おかーさん(ユ)、ゴールデンレトリバーの雪(ユ)、白足袋のたび(タ)、立ち耳スコティッシュ・フォールドのはちみつ兄弟(はち/みつ)、マンチカンのばびぶー(バンビ)と、視点もネコの目のように自在に変化する。著者は彼らの鳴き声や表情や行動などを注意深く観察し、彼らの思いを想像して言語化する。ネコは寂しくないとか、すぐ忘れるとか、自分勝手とか書かれている 「猫本」 に疑義を唱える。2016年10月10日からインスタに投稿している『ハニオ日記』から。
2022・2・1
フランスの列車の切符、玩具の拳銃、幾枚かの生地、そして猫と薔薇を描いたヴィクトリア調の切り抜きが、エッフェル塔と若いパリジェンヌとカフェの看板の揃ったパリの街路の光景へと変貌した。
ピーター・ウェブ
1938年1月と2月、ハンス・ベルメールは結核で入院していた妻マルガレーテを慰めるために小さなコラージュを制作した。〈あなたの幸運と私の幸運は同じものである。あなたと私〉 は 「パリへの脱出と自由と完全な快復を願って、愛する妻を勇気づけようとしているかのよう」 に、「紙ナプキン、何本かの飾りひもと色鮮やかな薔薇がシュルレアリスム風の「優雅な死体」を髣髴とさせる少女の肖像を誕生させた」。しかし、数日後に逝ってしまう。《切り抜きから呼びだされたイメージは決してとるにたらないものではなかった。そこでは、激しいエロティシズムの雰囲気を喚起するために、シュルレアリスムの真正な様式で偶然が想像力を煽りたてている》。評伝『死、欲望、人形』から。
2021・12・11
猫にとって人間から学ぶものは何ひとつないが、人間は、人間であることにともなう重荷を軽くするにはどうしたらよいかを、猫から学ぶことができる。
ジョン・グレイ
ショーペンハウワー、モンテーニュ、エピクロス、パスカル、アリストテレス、トマス ・ホッブズ、スピノザ、ニーチェの哲学、フロイトやアーネスト・ベッカーの精神分析 、米新聞記者ジョン・ローレンスのメイオー、サミュエル・ジョンソンのホッジ、コレ ットのサア、パトリシア・ハイスミスのミング、谷崎潤一郎のリリー、メアリー・ゲイツキルのガッティーノ、ニコライ・ベルジャーエフのムリ、ドリス・レッシングの名なし黒猫、トマス ・ハーディのテスなど、人間と猫の関係を考察。「猫は自分の本性に従 って生きるが、人間はそれを抑圧して生きる」 「猫のように生きるということは、自分が生きている人生以上に何も求めないということだ」 英政治哲学者の『猫に学ぶ』から。
2022・3・1
生態学者、鳥類学者、数百万人にのぼる愛鳥家の大多数は、飼い主の有無にかかわらず、野外のネコを殺戮マシンと見ている。
ピーター・P・マラ+クリス・サンテラ
鳥類学者とサイエンスライターによる 「ネコ戦争」(Cat Wars 2016)はイエネコを外来捕食者という視点で科学的に検証する。人間に虐げられた被害者ではなく、希少野鳥類などを絶滅させた「殺し屋」としてのネコの実態解明は愛猫家にとっては耳の痛い話である。1894年、ニュージーランド・スティーブンス島に灯台守の1人として移住したデビ ッド・ライアルの雌猫ティブルスと、その子孫がスチーフンイワサザイなど「あらゆる野鳥に大惨事をもたらした」イエネコによる絶滅の記録はショッキングである。ネコによる野鳥類の絶滅、人間や動物に媒介する感染症。野放しネコ(free-ranging cats)の駆除を主張する愛鳥家と猫愛護派の対立は根深い。『ネコ・かわいい殺し屋』から。
2022・2・1
チェシャーという名は古人が「不思議な国のアリス」に出てくる同名のヘンなネコからとってつけたものだ。
石森 章太郎
デズモンド・モリスによると、「チェシャチーズ」 には歯を剥き出して笑っているネコの顔が描かれていた。「ネコの残りの部分は省かれていたので、笑い以外はすっかり消えてしまったという印象を受ける」。「チェシャネコのように笑う」 という表現は「チェシャ ・キャターリングのように笑う」 の省略形。リチャード3世時代の必殺剣士キャターリングは不気味な笑いで知られた王室御料林の保護官だった。キャターリングが 「キャット」 となり、意地の悪い笑いを浮かべる人を「チェシャキャットのように笑う」と呼ぶようになった。鈴型のタイム・マシンで未来から来た女盗賊タイガー・ベルと考古学専攻学生・新井古人、チェシャー(ニヤニヤ猫)が時空を翔るSF『タイム虎ベル』から。
2022・2・21
私はこの国で猫が従来受けていた軽蔑を一掃し、猫の地位を、老嬢の愛玩物という如何わしい地位から、家庭に於ける現実の、恒久的な地位に引き上げようと努めて来た。
ルイス・ウェイン
英ロンドン生まれのルイス・ウェインは「猫画家」として数奇な人生を送った。写実的な猫、コミカルな猫、擬人化した猫、意地悪そうな猫。絵本や年鑑、絵葉書などで絶大な人気を博したが、母親と5人の妹を養わなければならなかったウェインの生活は逼迫して行く。渡米(1907年10月)と第一次世界大戦。三女マリー、長女キャロラインの相次ぐ死。ウェインも急停車したバスのデッキから落ちて脳震盪を起こす。奇行癖が目立つようになったウェインは貧民病棟に入院させられて、分裂症(統合失調症)と診断された。ウェインは英国の猫の地位を向上させただけでなく、漱石の『吾輩は猫である』の中で「第二の絵端書」として登場している。南條竹則『吾輩は猫画家である』から。
2016・5・1
町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。
萩原 朔太郎
北越地方のK温泉に滞留していた「私」は軽便鉄道を途中下車して、U町の方へ歩いて行った。見晴しの良い峠の山道を散策しながら、この地方に伝わる古い口碑のことを考える。思惟に耽っていた「私」は目的地への道標であった汽車の軌道を見失う。数時間後、麓へ到着した「私」は意外な人間世界、繁華な美しい町を発見して驚く。「街は人出で賑やかに雑鬧していた」 「閑雅にひっそりと静まり返って、深い眠りのような影を曳いていた」 「町全体のアトモスフィアが非常に繊細な注意によって、人為的に構成されている」 「町全体が一つの薄い玻璃で構成されてる、危険な毀れ易い建物みたいであった」 不安から恐怖に陥って叫ぶと 「世にも怪奇な、恐ろしい異事変が現象した」。「猫町」 から。
2022・4・1
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朝日新聞の朝刊コラム 「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第10集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変えました。具体的には拙ブログ記事の冒頭に引用したネコに纏わる文章の中からキーになる「ねことば」を抜き出して、8行の短文(312字以内)を添えるだけなのに、これが意外に愉しかったりして‥‥小説やエッセイの中から気に入った文章(400字前後)を単に引用するよりも、新聞記事の見出しやTV番組のCM前のワンフレーズみたいな短い言葉の方がキャッチーで耳目を惹くし、紹介文で「ねことば」の意図や真意を深く読み解ける。日付は「ねことば」やネコ本などを引用・紹介した記事の投稿日としたので、「折々のことば」 のような時系列順になっていません。「折々のねことば」 に興味を持った読者が引用文や引用元の「ネコ本」を読んでくれると嬉しい。
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- 「折々のねことば 091~100」 は引用・紹介文、出典名はアマゾンにリンクしました
- 「CATWORDEX」(折々のねことば 2005 - 2022)を更新しました
- 「ねことば 100」 達成! 「私」 が迷い込んでしまった萩原朔太郎の 「猫町」(1935)は猫画家ルイス・ウェインの描いた「キャットランド」だったのかもしれません^^;
catwords 100 / 200 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / sknynx 1048
- 著者:大江 健三郎
- 出版社:新潮社
- 発売日:1971/08/27
- メディア:文庫(新潮文庫)
- 内容:たぐい稀なモラリストにして性の修験者斎木犀吉──彼は十八歳でナセル義勇軍に志願したのを手始めに、このおよそ冒険の可能性なき現代をあくまで冒険的に生き、最後は火星の共和国かと思われるほど遠い見知らぬ場所で、不意の自殺を遂げた。二十世紀後半を生きる青年にとって冒険的であるとは、どういうことなのであろうか? 友人の若い小説家が...
- 編者:東 雅夫
- 出版社:東京創元社
- 発売日:2018/08/10
- メディア:文庫(創元推理文庫)
- 目次:猫 / 猫町をさがして(猫町 / 古い魔術 / 萩原朔太郎と稲垣足穂 / 喫茶店「ミモザ」の猫 / 猫町紀行)/ 虚実のあわいにニャーオ(ウォーソン夫人の黒猫 / 支柱上の猫 /「ああしんど」/ 駒の話 / 猫騒動 / 化け猫 / 遊女猫分食) / 怪猫、海をわたる(鍋島猫騒動 / 佐賀の夜桜怪猫伝とその渡英 / ナベシマの吸血鬼 / 忠猫の話 / 白い猫 / 笑い猫 / 猫の親...
2022-03-11 00:12
コメント(2)
あいかわらず、ここら辺には猫がいません。
鳥さんにはパラダイスだとおもうけど、それほど多くはないです。。
by ぶーけ (2022-03-13 11:09)
ネコもコロナ籠りなのか、TNR (Trap-Neuter-Return)効果なのか、
都内の外ネコも少なくなっているような気がします。
近所にいる顔馴染みのネコしか撮れなかったり‥‥ 。>﹏<。
by sknys (2022-03-13 12:37)