折々のねことば 8 [c a t 's c r a d l e]
「んみゃぁ」と鳴いてクロスケが、ぼくの足にすりよってきた。かがみこんで背中を撫でてやると、その場でひっくりかえってぼくの顔を見上げた。── どうしたの、何が起こったの、とでも問いたげに。
綾辻 行人
赤沢本家(父方の実家)の飼い猫クロスケは比良塚想(ぼく)が引き取られる前から家にいた。近所に住む赤沢泉美(従姉妹)とは仔猫の頃からの長い付き合いで良く懐いていた。祖父の通夜に出席するために実家に戻った「ぼく」はクロスケの落ち着かない動作や不安げな鳴き声を見聞きして、泉美と祖父を見舞いに行った時のことを思い出す。クロスケが泉美の手を引っ掻いて血が滲むほどの傷を負わせてしまったことを。クロスケは密かに感じ取っていたのではないか、以前とは何か違うことに混乱したのではないか、ネコには人間にはない特別な感覚があるのではないか、「現象」 による "記憶の改変" は動物には及ばないのではないかと。学園ホラー・ミステリ『Another 2001』から。
2021・4・10
「彼女は、ほんとうに、ネコに殺されたのだろうか?」
仁木 悦子
箱崎医院に間借り下宿することになった仁木兄妹、仁木雄太郎と悦子(私)は引っ越し先の病院で起こった連続殺人事件に遭遇する。敷地内にある防空壕で殺害された看護婦が今際の際、雄太郎に遺した謎の言葉「ネコ‥‥ネコが‥‥」。悦子は兄の「ネコ犯人説」に反論する。「ネコが人間を刺すなんてことがあって?」 と。看護婦1人を除けばアリバイのないのは黒猫チミだけ。被害者が最期の力を振り絞って壕の入口を指差したこと。壕内の窪みにネコの毛が残っていた事実など‥‥状況証拠を並べ立てる兄に対して、妹はネコという動物は空箱や押入れに潜り込みたがる習性がある。チミは壕の壁の窪みに入り込んで昼寝をしていただけと譲らない。仁木兄妹の事件簿『猫は知っていた』から。
2021・5・1
黒猫が、紫子を見上げていた。額の白い三角。デルタだった。
森 博嗣
没落した資産家の令嬢・瀬在丸紅子、阿漕荘に下宿する大学生・小鳥遊練無と香具山紫子、同じく私立探偵・保呂草潤平の4人が事件に遭遇する昭和ミステリ〈Vシリーズ〉の第1作『黒猫の三角』から。1年に一度決まったルールで起こる 「ゾロ目殺人事件」 ‥‥桜鳴六角邸の女主人で、阿漕荘の大家・小田原静江が誕生パーティ中に密室で殺されてしまう。保呂草と紫子は六角邸の正門で見かけた塾教師・小田原政哉を尾行する。彼が神社の境内にある倉庫へ入ると照明が灯って爆音が鳴った。2人が倉庫の中に踏み込むと男が倒れていた。保呂草が警察に通報するために電話ボックスへ行く。扉の外で何かが動いた。室内の照明が消えて、黄緑色の目と額の白い三角が暗闇に浮かび上がる。
2006・2・21
わたしはときどき、よくとおる明るい声でやさしく、上がり調子のイントネーションでPrrrrrriuttttとふるえ音を真似してみる。そうすると猫の多くは近づいてきて、わたしがゆっくり差しだした手のにおいをクンクン嗅ぎはじめる。
スザンヌ・シェッツ
朝起きた時や夜帰宅した時にネコと交わす特別な「挨拶の儀式」がある。ネコとの関係を保つためや離れていた間の寂しさを示すための儀式。ネコと初めて会う時や見知らぬネコと出合った時はネコが挨拶に使う一般的な動作を真似ると良好な関係を築ける。あなたが小さく見えるように屈んで腰を下ろす。ネコと向かい合わず、ネコの隣に座る方が良い。正面から直視しないようにする。そして小さく穏やかな声で話しかけてみる。周波数コードによると《高音のよくとおる明るい音は友好的に、低く暗い感じの声は攻撃的に感じられる》という。ネコの声色は男性よりも女性の方が有利かもしれない。スウェーデン生まれの音声学者が独語で綴るネコの音声学入門書『猫語のひみつ』から。
2020・5・6
2匹の目が合って敵意がない状況でネコはよく、ごく穏やかに目を閉じてまた開くという、ゆっくりとした瞬きをする。
サラ・ブラウン
ネコは自分の要求を人間に様々な手段で上手く伝えられるように進化して来たが、分かり難いサインを発することもある。何年もの観察研究からネコの行動に関する興味深い識見が得られていて、ネコとの交流に役立てることが出来る。「ゆっくり瞬きする」 ‥‥《これは微妙な動作だが、飼いネコとのコミュニケーションで大きな満足を感じられる方法だ》。ネコ同士が出会った時、相手を見つめるのは攻撃的で脅迫的な行動なので、2匹の目が合って敵意がない状況でネコは穏やかに目を閉じて再び開く。これは友好的行動で平和的な意図を表わす。この瞬きを挨拶の方法としてネコに使っている飼主も多い。ネコが落ち着いている時が絶好のタイミングだという。『ネコの博物図鑑』から。
2021・4・11
子供や猫の罪のない無邪気な遊びほど楽しいものはない。思う存分遊んだ後の彼らの寝顔はいつでも天使のようであった。
芥川 耿子
「私」の子供たちも少し大きくなるまでは猫と同じようだった。おもちゃ箱の中の物で遊び、木に登り、わざわざ通り難い道を選んで洋服のあちこちに泥や草の実をつけて来た。成長した彼らの遊びは観て来た映画の再現するという形になって、「私」 を暫く悩ませ呆れさせた。《「メアリー・ポピンズ」 のように傘を開いてパーゴラの上から飛び下りようとしたり、「ポセイドン・アドベンチャー」 の船室だとばかりに家の中にホースを引き込み水浸しにしたりで、映画を観る度に又なにかをやらかすのではないかとハラハラしていた。まるでいたずら猫を追いかけるようだった。それでも私は半分喜んでいた》芥川龍之介の孫娘が実家に棲み着いた猫たちを愛情深く描く『芥川家の猫たち』から。
2021・4・21
「猫語」で表現するなら、プリティシングはまさに 「お膝もと猫」(ラップキャット)なのです。
ニキ・アンダーソン
プリティシングは著者の兄マイケルが可愛がっている上品な灰色ネコである。彼の姿は次の3つの場所で発見されるという。1. マイケルの膝の上(起きているとき)。2. マイケルの膝の上(睡眠中)。3. マイケルの膝の上(ごろごろと喉をならしながら)。ロッキングチ ェアで寛いでいるマイケルを見つけると、プリティシングは足音も立てず、真 っ直ぐマイケルの膝を目指して進む。そして身軽な動作で膝に跳び上り、ゆっくりと体勢を整え、頭を楽な方向にくるりと曲げて気持ち良さそうに寛ぐ。彼女の飼いネコや友人のネコ、本の中のネコなどに「取材」して纏めた「猫が人生について教えてくれたこと」。彼らの性格や行動、生態から学ぶ人生哲学書『猫はなんでも知っている』から。
2017・4・21
ネズミが床に落ちたとたん、デューイはそれに飛びついた。彼はおもちゃを追いかけ、宙に放りあげ、前足ではたいた。女の子は喜んでクスクス笑った。
ヴィッキー・マイロン
1988年1月18日、米アイオワ州スペンサー公共図書館の返却ボックスに捨てられていた仔猫。図書館長ヴィッキー・マイロン(わたし)はボックス内から赤茶色の仔猫を救い出す。「図書館ねこ」 として18年間生きることになるデューイ・リードモア・ブックスとの運命的な出会いだった。人気者のデューイに会うために全米から多くの人たちが小さな図書館を訪れる。著者が本当に心を動かされた訪問者はテキサスから来た若い両親と6歳の娘だった。デューイに会いたいという娘の願いを叶えるための特別な旅だった。少女はプレゼントを持参していた。彼女は 「おもちゃのネズミ」 を眠そうなデューイの目の前にぶら下げて気を惹いて、数メートル先に放った。『図書館ねこデューイ』から。
2010・5・01
誰かの声がして全室まばゆく点灯し、妻が顔をあげるのがわかった。その足元近くの床で細身の若い白猫が立ち上がり、遠くからまともにわたしを見た。
山尾 悠子
良く知りもしない若い女トマジと結婚した「わたし」は婚礼の宴の後、着替えに立ったはずの新妻の居どころを捜し回り、夜の真っ暗な図書室で漸く見つける。古い実家にある書庫の遠い突き当りにいた若い妻は《昼間の婚礼衣装とは打って変わった気楽な身なりで、移動式階段の中途に登って本を選んでいた》。消灯した夜の図書館は重苦しい闇の堆積となっていたが、遠い書棚に囲まれた小さな妻の姿だけが明るかった。親しみのある暖かい色調は夜の洞窟に仄めく焚火のように見えた。限られた周囲の背表紙のみを照らす光量で、若い妻の存在自体が闇に向けて発光していた。「驚くべき新婚旅行」 の前日譚。夢の中のように図書室が図書館に変容して行く。『山の人魚と虚ろの王』から。
2021・4・17
あたしをじっとみて、「どうよ?」 っていうみたいにミャーオって鳴いたんだから。
この子ってば、超ミステリアス。
ロブ・リーガー
記憶喪失に陥った少女ハサミムシ(エミリー)はブラックロックという奇妙な町のカフ ェ〈エル・ダンジョン〉で働くことになる。「あたし」 の住処は冷蔵庫のダンボールハウス。雇われ女主人カラス、超能力少年ジェイキー、〈危ない人形劇〉のアッティコル、サ ーカス団長ウムラウト、私立探偵シュナイダー、エミリーに良く似た少女モリー・メリーウェザーなど奇妙奇天烈な登場人物。4匹の黒猫(サバス、ニーチェー、マイルズ 、ミステリー)も活躍する。少女の日記帳が『エミリーの記憶喪失ワンダーランド』になっている叙述トリック仕立てのゴシックSF。冒頭の12枚と 「記憶喪失19日目」(8頁)は破かれている。黒猫がカーペットの下に隠してある祖母の手紙を見つける場面から。
2011・11・1
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朝日新聞の朝刊コラム 「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第8集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変えました。具体的には拙ブログ記事の冒頭に引用したネコに纏わる文章の中からキーになる「ねことば」を抜き出して、8行の短文(312字以内)を添えるだけなのに、これが意外に愉しかったりして‥‥小説やエッセイの中から気に入った文章(400字前後)を単に引用するよりも、新聞記事の見出しやTV番組のCM前のワンフレーズみたいな短い言葉の方がキャッチーで耳目を惹くし、紹介文で「ねことば」の意図や真意を深く読み解ける。日付は「ねことば」やネコ本などを引用・紹介した記事の投稿日としたので、「折々のことば」 のような時系列順になっていません。「折々のねことば」 に興味を持った読者が引用文や引用元の「ネコ本」を読んでくれると嬉しい。
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- 「折々のねことば 071~080」 は引用・紹介文、出典名はアマゾンにリンクしました
- 「CATWORDEX」(折々のねことば 2005 - 2022)を更新しました
- 『エミリーの記憶喪失ワンダーランド』(理論社 2010)を再読しました。「ねことば」 の原文は 「Look directry at me and meow like "Are you happy?" / She is very mysterious feline!」‥‥ミステリーちゃんは老婦人(old lady)なのだ^^;
catwords 100 / 200 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / sknynx / 988
- 著者:ロブ・リーガー(Rob Reger)/ ジェシカ・グルーナー(Jessica Gruner)/ バズ・パーカー(Buzz Parker)/ 西田 佳子(訳)
- 出版社:理論社
- 発売日: 2010/02
- メディア:単行本
- 『エミリーの記憶喪失‥‥』を読み解くための13の鍵:謎 / イケてるゴーレム / 高性能パチンコ / 4匹の黒猫 / 記憶喪失 / 不幸のポーカー / 歯をむくポニー / 怪しい補導員 / リストはいつも13項目 / 砂嵐発生機 / 他人の空似か生霊か / 極秘のミッション / ハサミムシ
Emily the Strange: The Lost Days
- Author: Rob Reger / Jessica Gruner / Buzz Parker
- Publisher: HarperCollins
- Date: 2009/06/02
- Hardcover: 264 pages
- 13 Elements you will find in the first Emily the Strange novel: Mystery / A beautiful golem / Souped-up slingshots / Four black cats / Amnesia / Calamity Poker / Angry ponies / A shady truant officer / Top-13 lists / A sandstorm generator / DoppelgÄngers / A secret mission / Earwigs
2021-05-11 00:14
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