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COMを読む(1 9 6 9) [c o m i c]



  • マンガを読むことは子供心に一種の悪であった。わたしの子供の頃、学習マンガとか世界名作をマンガに直したものなどが流行ったことがあったが、これは子供たちにマンガを与える側(大手児童図書の版元と直属のマンガ屋)がP・T・Aのババアどもの野蛮な発言(すなわち、マンガをその俗悪さ故に排斥するという俗悪な意見)に気兼ねした結果の、手前の首をしめるような定見のないいつものヤリ口で、これではマンガがつまらなくなるのは必定。もともとマンガから俗悪さを除いたら、何も残らないとさえ言えるのだ。坂口安吾の名文句〈ユニックな俗悪〉(『日本文化私論』)という言葉が、正確にあてはまる分野こそマンガなのである。まちがってもマンガを芸術だなどと思わないことが重要なのであり、今や、芸術という言葉に固執したがることは反革命よりも始末の悪いとんだ疝気筋だという御時勢、マンガは俗悪のほうに傾いても、芸術なんぞはマンガの心意気に於いて歯牙にもかけるべきではないだろう。
    金井 美恵子「ユニックな俗悪」(COM 1969.1)


  • 『人類戦記』(1968.7~69.3)は未完のSF長編作である。ダビデ星に住み着いた3つの種族‥‥昆虫の一種から進化したジャバンバ族、「地球人」とも呼ばれる外訪者の人類、人類と同じく哺乳類から進化したスビーム族。スビーム族は気質が荒く好戦的なジャバンバ族に奴隷として支配されていた時代がある。ダビデ暦X00X年、アビベリン・マウマウ地方で勃発したジャバンバ族と人類の戦争は3年後に停戦を迎える。「だが、このたんなる局地戦にすぎなかったアビベリン戦争が──それ以後このダビデ星に人々がみた数々の悪夢のための序曲だとはだれも予測しえなかったのである」。6年振りにムー国際空港に降り立った東郷(トーゴー・マサヤ)はスビーム人に拉致される。彼の名前はアルモ・ネラ‥‥25年前の独立戦争で名を馳せたゲリラ部隊の隊長だった。アルモ・ネラは仲間に加わるように誘うが、トーゴーは拒絶する。

    ある日、屋根裏部屋で古びた日記帳を発見した父親は長男のマサヤがスビーム人との混血児だと知り、逆上して母子を殺そうとする。父親殺しの罪で懲役30年の重労働刑に処せられたトーゴーはサドー第3惑星へ流刑させる。トーゴーら6人の囚人は護送ロケットの中で叛乱を起こす。軌道を反れたロケットは幸運にも地球に良く似た惑星に不時着した。砂漠とピラミッドの星。文明発達の第1段階で、猛烈な疫病に襲われて滅亡した惑星。そこは人類が移住した3つの「地球候補星」の1つだった(地球という惑星は既に存在しない)。2つ目がダビデ星。3つ目の「地球」へ光子ロケットで飛び立つトーゴー‥‥山上たつひこが「人類戦記不始末記」(1969.3)の冒頭で、「ぼくの躰がスッポリ入るくらいの穴がないかとキョロキョロしながら捜している」と書いているように、『人類戦記』(第1部)は不本意な形で終了する。1990年にマンガ家を廃業して作家へ転身した後、カムバックした作者に続編を書く意志はあるのかしら。

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    「火の鳥・ヤマト編」(1968.9~69.2)の舞台は日本古代で、黎明編の約80年後という時代設定。ヤマト王朝の大君は巨大な古墳を建設しようとしている。第5王子のヤマト・オグナは父王に命じられて、火の国のクマソ征伐に向かう。刺客と知りつつヤマトの勇士として迎えたクマソの王、川上タケルは正しい「日本の歴史」を執筆している。タケルの妹、カジカは湖の小島に舞い降りて遊んでいる火の鳥を美しい笛の音色(音楽)で手懐けるオグナに惹かれて行く。カジカへの愛とタケル暗殺の使命、クマソとヤマトの狭間で苦悩するオグナは「私の生き血が望みなの?」と話かける火の鳥に自分の進むべき道を問う。クマソの歴史(全25巻)の完成。タケル老人(溶岩の壁を昇って外の世界へ脱出した、ヒナクとクズリの息子)の死去‥‥オグナは女装して墓へ向かう葬儀の列に紛れ込み、タケルを刺殺する。

    兄の仇を討つためにヤマト国に忍び込んだカジカはオグナを殺せない。古墳の代わりに公園と遊園地を造ったオグナは大君の怒りを買って死罪となり、ヤマト王の墓に副葬される殉教者(生贄)80名の1人として、カジカと共に埋められる。「ヤマト編」は悲劇的な物語の結末にも拘わらず、ギャグ・マンガの色彩が濃い。冒頭のデフォルメされた王の肖像画からして、古代と現代(60年代後半)の事物が混在するパロディカルな描写(ヒトラーの似顔絵やピカソの画)だし、突然タケルとカジカの兄妹が少女マンガ風のキラキラ・デカ目になったり、いきなりインディアンと騎兵隊が戦う西部劇が挿入されたり、オグナ少年の悩みが「16歳の人生相談」として載ったり(「電車を爆破してもいいし、近所の子供をさらって殺すのもまた一興でしょう」という過激なアドヴァイスは後の単行本から削除されている)、ヒゲおやじやタワシ警部などの手塚キャラがオグナを殺人犯として指名手配したり‥‥。

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    2577年(宇宙暦296年55日)、ベテルギウス第3惑星ザルツから太陽系地球へ帰路途中、輸送船は宇宙塵と衝突して航行不能となる。激突のショックで冷凍睡眠から目覚めた4人の乗組員はブリッジの操縦席に縛りつけられた状態で死んでいる牧村飛行士を発見する。城之内隊長、猿田、奇崎、一宮ナナの4名は1人乗りの小型ボートで脱出する(その直後に宇宙船は爆発!)。脱出前に隊長が見つけた、牧村の手の下の肘掛けに記されていた「ぼくはころされる」というダイイング・メッセージ。牧村は殺された! 犯人は4人の中にいる?‥‥4艇の脱出カプセルの後方から、5つ目のカプセル(牧村艇?)が追って来る。乗っているのは牧村の幽霊?‥‥「火の鳥・宇宙編」(1969.3~7)はミステリ&サスペンス仕立てのSFで、マイク越しの4人の会話を4つのコマを平行連結させて描いたり、回想シーンに丸い雲型の枠を数珠状に繋ぐなど、実験的なコマ割りが際立つ。

    宇宙暦297月41日、奇崎のカプセルがコースを外れて離脱する。650光年離れた太陽系第3惑星へ資料を運び届ける任務で一生を終える5名の宇宙飛行士。地球を知っているのは7年前に地球から赴任した牧村飛行士(282歳!)だけだった。ミイラ状態になって死んでいた牧村の秘密‥‥ナナが目撃した彼の頭部には機械が組み込まれていた。ロボット、それともサイボーグ?‥‥城之内が聞いた彼の話では火の鳥の血を舐めて不老不死になったという。宇宙暦298月7日、彗星に遭遇するが、スイングバイで切り抜ける。失敗した城之内のカプセルだけが引力の虜となって未来永劫、核(太陽)を周回する衛星となってしまう。301月1日、食糧が尽きた猿田とナナ、そして牧村艇は、ある恒星系の惑星に引き寄せられて不時着する。そこは植物が自由に動き回り、動物が定住して動かない、嵐で崩れた岩が重力に逆らって元に戻る奇妙な星だった。ナナはカプセルの中に産まれたばかりの乳児を発見する。猿田の前に現われたラトマス星系第11惑星フレミルの鳥人間がマキムラの罪と罰を暴く。

    調査のためにフレミル星へ着任したマキムラがアルコールを飲んで暴れるのは地球人の女との「恋の痛手」だと知ったフレミル人は、彼の許へラダという若い娘を仕えさせる。献身的なラダに惹かれたマキムラは、フレミル人の反対を押し切って彼女と結婚する。しかし、その結末は余りにも惨いものだった。望郷の憶いからラダの兄に造らせた宇宙集像機に映し出された地球の女(マキムラの潜在意識の投影)がラダを殺して調理するように嗾すようになるのだから。狂ったようにフレミル人を虐殺したマキムラに最後の1人が、私の血を舐めれば不老不死になると誘う。大人になると若返って乳児に戻り再び成長する‥‥子供に返ったマキムラは頭の部分だけが金属製の自分そっくりの皮膚ケースを着ていたのだ(ミイラ化した死体はケースの抜け殻だった)。3人が不時着した惑星は囚人たちの流刑星だった。「植物」に変身してマキムラと永遠に生きることを選んだナナ。嫉妬に駆られ、乳児のマキムラを殺した罰で醜い顔となった猿田は地球へ送還される。

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    少女とすれ違ったジュンが振り向く。舗道に映った女性の影。木立の中から現われた女性と恋をするジュン。原爆投下によって樹の幹に焼き付けられた恋人の姿。3度目にすれ違ったジュンに少女が振り向く「少女」(1969.1)。シンナーを吸っている女性を咎めようとして、逆にハイヒールの踵で頭を殴られて意識を失ったジュンが見る幻覚を逆回転(エンド・マークから始まる)で巻き戻す「氷の星」(1969.2)。『ジュン』は3月号から休載されたまま、「想い出のジュン」(1971.10)を例外として、2度とCOM誌上で再開されることはなかった。この突然の休載の背景には手塚治虫の逝去後に発表された「風のように‥‥背を走り過ぎた虫」(1989)に描かれている事件が関与しているらしい。『ジュン』の連載中、一通のファンレターが石森章太郎の許へ届く。手塚先生が手紙(返信)の中で『ジュン』を批判しているというファンからの怒りの告発で、「嘘じゃない証拠に」手塚からの手紙が同封されていた。

    大きなショックを受けた石森は公衆電話からCOM編集部へ連載の中止を申し出る‥‥「あんなふうに思われていたんじゃ──これ以上は描けない‥‥!」。手塚の厳しい「ジュン」批判にはファンも石森も驚いただろうが、一番ビックリしたのは手塚自身ではなかったか。オフレコ発言の「悪口」を回り回って石森当人が読むことになろうとは夢にも思わなかったはずだ。嫉妬から出た黒手塚?‥‥誰にでも魔が差すという瞬間はある。しかし、人間の本性は不正が暴露された後の行動や発言で決まるのではないだろうか。ある深夜、手塚が石森のアパートを訪れる。「‥‥申し訳のないことをした‥‥ / なぜなのか自分でもわからない ‥‥ / ── 自分でもイヤになる」。大友克洋にさえライヴァル心を燃やしたという手塚らしいエピソードだが、高校1年生の時に電報で東京へ呼び出してアシスタントを頼んだ(鉄腕アトムの「電光人間の巻」は石森が描いたという)「マンガの神サマ」が謝ったのだ。10月号から「ジュン」化したサイボーグ009「神々との闘い」の連載が始まる。

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    第2回COM新人賞作品「いきぬき」(69.4)は月例入選作(67.9)の再録である。COM発表の一連の作品に対して青柳裕介が、もとやま礼子の「白い影」(68.9)と同時受賞した。浪人生の南條は喫茶店で時間を潰した後で、高校時代の同級生・三島悦子と偶然出逢う。彼女の誘われてクラブで踊り、バーで酒を飲み、アパートへ寄る。「ラグビー部で活躍していた時とは別人、まるで幽霊みたいな」南條が雨に濡れてアパートへ着くと、少女が母親の帰りを待っていた。彼の部屋で待つように勧めると、勉強の邪魔になるから遊びに行っちゃいけないとママに言われていると答える。今日は「いきぬき」の日、「つまり日曜日とおんなじことなんだ」と少女ハルエに説明する‥‥「いきぬき」よりも、見合い結婚した妻とセックス出来ず、ヌード写真集でオナニーをする吃音者を描いた「かたつむり」(69.2)や、妻の過去の男が忘れられず、夜な夜な彼女を全裸にして手首を縛り、革ベルトで鞭打つサディスティックな「挑戦」(69.8)の方が鮮烈だった。

    60年代後半の洋楽(ロックやフォーク)をマンガに描いたのは、宮谷一彦が嚆矢ではなかったか。「ライク ア ローリング ストーン」(69.4~9)というタイトルはBob Dylanの曲から採られているし、作中にS & Gの〈Sound Of Silence〉や〈I Am A Rock〉が引用される。青年マンガ家の画村一彦には渕上恵子という元恋人がいたが、今は7歳年下の直子(女子高生!)と恋愛関係にある。別れた後も友人として会っている恵子と画村と直子の、過去と現在の三角関係。しかも直子の父親は右翼の大物で、画村の左翼的革命思想とは真っ向から対立する。仕事が一段落した画村とアシスタント3人は休暇を取って京都〜奈良へ旅行する。阿修羅像(興福寺)、大仏殿、広目天像、持国天(東大寺)、伐折羅大将、珊底羅大将(新薬師寺)、新薬師寺金堂、石庭(竜安寺)‥‥。〆切りに追われる画村一彦は言うまでもなく作者の分身である。「私マンガ」でもイラスト・エッセイでも絵日記でもない1969年のドキュメント。作品には描かれていないが、後に一彦は「直子」と結婚することになる。

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    1969年、岡田史子はCOM誌上に6篇の新作を描いている。「夢の中の宮殿」(69.1)は輪廻転生の寓話だろうか。村の有力者ゴンベイは家族の反対に逆らって夢の中に現われる「お城」を探しに旅立つ。夢の中で母親が話してくれたように「魔もの」が立ちはだかってゴンベイを苦しめる。瀕死の状態で城に辿り着いた彼は子供の姿になって父母の許へ還る。少年は「お城」の夢を見る。綺麗な女の子が少年を呼んでいる夢を‥‥。聾唖者のアランはチェロ奏者。「風よ しずかにしておくれ! お前、アランよ、呼吸をするな! 灰色の肺臓はつぶしてもいい‥‥」という詩を書き留める。アランが自作曲を弾くと、ラウラという幻の少女が現われるのだ。彼がチェロを預け入れた質屋の娘マリアは肺病で、部屋の中に閉じ籠っている。リサイタルの途中でチェロを破壊したアランは質屋に駆け込んで愛用のチェロを出そうとするが、女店主に捕まってマリアの部屋に幽閉される。ベッドの上で本を読むマリア。アランがチェロを弾くとラウラが現われる‥‥「ピグマリオン」(69.4)。

    「死んでしまった手首」(69.5~6)は阿修羅像に纏わる王朝物語。当主の突然の死によって弟の文市王君が嫡子となり、兄の智努君は毒殺の嫌疑で失脚する。しかし、父親を殺害したのは母・広力自の計略で、文市王君の恋人・真野(奴婢)まで殺してしまう。母親が差し向けた許婚を刺殺して火を放った文市王君は自ら手首を切り落として断崖から川へ身投げする。仏師が光明皇后の命で造仏中の天童八部衆の一体、阿修羅像の合掌する手に文市王君の「手首」を塗り込める。「ぼく」は子供の頃、初めて手にした絵本『ジュウビイ』を探している。しかし、姉が持って来た大型本は絵が描かれていない活字本だった。絵は「ぼく」の空想で、文字が読めない子供に誰かが読んでくれたのだろうか。雪の降る夜、妹のマルタが外で鳴いているネコを探しに行ったけれど見つからなかった。翌朝、凍死体で発見されたママ(ネコの名前)。「2度もママを殺したわね」と批難する姉。ママの死は「ぼく」の火遊びが原因だった。本を読んでくれたママの記憶が失われている「私の絵本」(69.7)。

    「邪悪のジャック」(69.8)が手で触れた相手は泡を吹いて気絶死する。何故か恋人のプティだけは死ななかった。街娼、刑事、あやつり人形師、サーカス団のピエロ‥‥女の殺し屋に雇われたジャックは殺人を重ねる。子供を抱くプティを射殺しようとした女に抱き着いたジャックは警察に捕まって収監される。指1本触れない警官。手錠が嵌められた手には脱獄用の鑢が握られている‥‥「この手に触れることは誰にも出来ない。ぼくは自分の手の中に何を持とうと自由なのである」。「ほんのすこしの水」(69.10~11)は乞食のルカとタリーの悲恋物語。物乞いの人々に施しをする金満家の長女タリーはルカに「自分の家が金持ちだということのほか、どんな権利があって、あなたは人に施しをするのだろうか」と問われてショックを受ける。傷ついて行き倒れていたルカを看病するタリーは彼を愛するようになるのだが‥‥。岡田史子は「ネコの好きな私にとって動物のいない東京は、あまりにさびしく感じます。だから、せめて自分の描く作品の中にネコをたくさんいれてみたいと思います」(69.1)と、新年の希望を語っている。ゴロニャン。

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    「青春・実験まんがコース」佳作第1位に選出された「ひだり手の‥‥」(69.5)は妹サチコの視点で姉のりこの恋愛を描く。初めての彼氏と別れるまでの苦悩、そして新しい恋人と結婚するまでの4年間を見守るサチコ。タイトルは右手の指の爪が左手で切れない少女時代のもどかしさを象徴している。第14回月例新人入選作「鳳仙花」(69.7)は鳳仙花の種子のようには弾けない少女よしことの触れ合いが描かれる。彼女の家庭環境を問題視して保護者たちは自分の子供たちが少女と遊ぶことを忌避する。だから少女みちよは隠れて遊ぶ。酔っ払った父親に茶碗を投げられて額に怪我を負った少女を心配して、家に連れて行く。1度は拒否した祖母も涙ぐむ孫娘の姿を見て少女を手当てする。鳳仙花を胸一杯に摘んだ2人の少女。みちよは祖母へ、よしこは「みっちゃんにあげる !!」と言ってブーケを手渡す。

    「あれはわたしの」(69.10)にはオカルティックなユーモア感覚もある。2つ折りした座布団に服を着せて、紐で背中に括り着ける。赤ちゃんを背負った少女のママゴト遊び。遊びに行った家の少女2人は人形を背負い抱いている。不憫に思った女友達の母親が「お古の人形」を修繕して少女にプレゼントするが、「その人形死んでる」と呟いて拒む。人形を買って欲しいと母親に言えないチヨ。2歳の時から4年間離れて暮らしていた母親は、娘が懐かないのは嫌われているのではないかと疑っている。母親が買って来てくれたセルロイド製のキューピーさんを寝床で誤って潰してしまったチエ。お湯に浸ければ元通りに膨らむから大丈夫だと言う祖母。母と祖母と娘の修羅場が始まる‥‥。作者のやまだ紫さんが今月急逝された(2009/5/5)。岡田史子に続く「COM出身マンガ家」の早すぎる死には心が痛む。子供の頃には分からなかった繊細な描写が沁み入ります。requiescant in pace.

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    COM(こむ)1969年 2月号

    COM(こむ)1969年 2月号

    • 著者:手塚 治虫 / 石森 章太郎 / 矢代 まさこ / 山上 たつひこ
    • 出版社:虫プロ商事
    • 発行日:1969/02/01
    • メディア:雑誌
    • 掲載作品:火の鳥 / ジュン / シャボン玉 / 人類戦記


    火の鳥 4 ── 手塚治虫漫画全集(204)

    火の鳥 4 ── 手塚治虫漫画全集(204)

    • 著者: 手塚 治虫
    • 出版社:講談社
    • 発売日: 1980/08/20
    • メディア:単行本
    • 収録作品:ヤマト編 / 宇宙編


    青いマン華鏡 ── 石ノ森章太郎萬画大全集(9-36)

    青いマン華鏡 ── 石ノ森章太郎萬画大全集(9-36)

    • 著者:石森 章太郎
    • 出版社:角川書店
    • 発売日:2008/02/29
    • メディア:コミック
    • 収録作品:青いマン華鏡 / ぼくの部屋にはベートーベンのデス・マスクがあった / トキワ荘のチャルメラ / トキワ荘物語 / 小川のメダカ / 手塚治虫氏の逝った日 / 風のように‥‥


    ODESSEY 1966~2003 岡田史子作品集 episode 2 ピグマリオン

    ODESSEY 1966~2003 岡田史子作品集 episode 2 ピグマリオン

    • 著者:岡田 史子
    • 出版社:飛鳥新社
    • 発売日:2004/03/30
    • メディア:単行本
    • 収録作品:墓地へゆく道 / 太陽と骸骨のような少年 / 夏 / ピグマリオン / 死んでしまった手首 ── 阿修羅王 / 耳なしホッホ / 火陷 ひがもえる / 火焔 / Kaen / 海の底の日よう日 / 邪悪のジャック / 胸をだき 首をかしげるヘルマプロディトス / 赤い蔓草

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    コメント 4

    蛇尾

    蛇尾です。

    「まちがってもマンガを芸術だなどと思わないことが重要」(金井美恵子)
    なるほど。しかしこの時代のCOM愛読者の少年や青年はマンガの芸術性への志向を重要視していましたねぇ。

    蛇尾少年も宮谷一彦「ライク ア ローリング ストーン」を読んで、その表現方法に衝撃を覚えました。(若き森本レオもラジオの深夜放送で絶賛していたのを思い出しました)

    だけど、こういった一連の作品はボクにとっては余り面白くなかったのも事実。今でも「火の鳥」は高尚な作品であり続けていて、手が出しにくいのです。

    この後、九鬼周造の「いきの構造」を読んで、その世界に逃避したり、芸術性の高いマンガが大衆運動に本当になるのかを思い、秋山清の「ニヒルとテロル」に感銘を受けたものです。(そういえば、秋山を読んで和田久太郎の獄中俳句知りました)

    どちらにしても、なつかしき1969です!

    by 蛇尾 (2009-05-22 10:55) 

    sknys

    蛇尾さん、コメントありがとう。
    石森章太郎も「青いマン華鏡」の中で「マンガは芸術なんだ!」、
    「風のように‥‥」の中でも「マンガは今やアートです」と言っています。
    「芸術」と「アート」ではニュアンスが多少違いますが^^;

    金井美恵子のエッセイは子供の頃、夢中になったマンガとして杉浦茂、
    「今年(1968?)読んだ様々な文学作品もひっくるめたうえで、
    最大のショックの1つ」として「ねじ式」を挙げていた。

    『綿の国星』以降、少女マンガや劇画を全く読まなくなった金井美恵子は
    愛猫のトラーの死後、『グーグーだって猫である』を読んで、
    「その頃から精神的な老化が、すでに、
    おもむろに緩やかにはじまっていた」と理解する(『目白雑録3』)。

    岡田史子、青柳裕介、もとやま礼子、宮谷一彦、やまだ紫‥‥
    当時のCOMは「青春・実験マンガ」の登竜門で、
    少女マンガや児童マンガ、竹宮恵子や安達みつるは主流になれなかった。
    1969年に岡田史子と宮谷一彦が「阿修羅像」を描いているのは興味深い。
    彼らは40年先を走っていたのではないでしょうか^^
    by sknys (2009-05-22 21:19) 

    トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人)

     こちらでははじめまして。拙ブログへお越しいただきありがとうございました。ご指摘の方は直しておきました。

     1969年といえば私は15~16歳、COMに影響受けまくりの頃でした。未だに大切に取ってありますからね~。おかげで今古いまんが記事を書けるのですが。

     COMに描かれていた作家の方々、石ノ森氏・永島慎二氏・ あすな ひろし氏・赤塚氏・岡田史子氏・やまだ紫氏・青柳裕介氏ももう亡くなられているし、何と物故者の多いことよ。みなさん早すぎますよ ! もっとたくさん彼らの作品を見たかったです。
    by トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人) (2009-06-05 10:57) 

    sknys

    トミー。さん、コメントありがとう。
    「1969」と銘打っていますが、10月号以降は次回へ繰り越し‥‥
    読んで書いて、読んで書いて、読んで書いても‥‥終わらない^^;
    COM1年分を纏めて記事にするのは無謀な営為だったかもしれません。

    いずみやしげる(泉谷しげる!)の投稿作品「トツゼン児」や
    樹村みのり「おとうと —弟—」に触れられなかったのは口惜しいけれど、
    トミー。さんが記事に書いてくれたので、まぁ良いかなと^^

    手塚治虫、石ノ森章太郎両氏は「過労死」だと思いますが、
    COM出身の新人たちがバタバタ倒れて行くのは
    無念としか言いようがありません。

    『青いマン華鏡』(石ノ森章太郎萬画大全集)はK区の新中央図書館で
    借りました^^
    by sknys (2009-06-06 02:11) 

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