今日は火曜日、Lデパートの七階で、『唄の村』をやっている日だと思いついて、足をむけた。ちょうど、頭脳警察の二人組が、ロックをがんがん響かせている最中だった。/ 結婚式に出たんだ / あのおそろしい儀式に / ジロジロ見られて / ワサワサヘアーで(作詞 Pantax World)/ パンタ(パンダじゃないよ)がワサワサヘアを振りたてて、声をしぼり出す。/ フロアの片すみ。とり巻いているのは十四、五人。ほとんどがGパンやミニで、制服姿は令ひとりだ。休暇中といえども、保護者の同伴なしで盛り場を歩くときは、なるべく制服着用のこと、と、学校から通達が出ている。/ 何てぼくは世渡りが / うまいんだろう / 全身でリズムをとり、手拍子を合わせる。/ 結婚式に出たんだ / いとこの結婚式に / スリーピースの / スーツを着こんで / そのあと、ラジオやレコードでは歌詞が不穏当だというので、放送禁止、発売禁止になり、耳にする機会の少ない歌を二、三曲聞いて、とてもとくした気分にな ったけれど、ひょっと時計を見たら、三十分の自由時間を十五分もオーバーしていた。
皆川 博子 「アルカディアの夏」
□ 風配図 WIND ROSE(河出書房新社 2023)皆川 博子最後の長編小説は「ハンザ同盟」をテーマにした歴史ロマン。1160年5月、バルト海に浮かぶゴットランド島ヴィスビューの教会で行われた婚礼の儀式。結婚した少女ヘルガ(15歳)と義妹アグネ(12歳)は機織り小屋から手を取り合って丘の中腹へ走り出す。嵐の夜、難破した帆船から流出した積荷の所有権を争って、唯一の生存者ヨハン(リューベックの商人)と島民との間で決闘裁判が行われることになる。ゴットランドの有力な農民ソルゲル(アグネの父)の代理にギースリ(アグネの母方の従兄)、足を負傷したヨハンの代わりにヘルガが戦う。ハンデのある決闘に勝利したヘルガは悪魔に憑かれた野獣フェンリル(狼女)だと噂される。ヘルガを見守るユーリィ(ノヴゴロド・リュジン区の若い商人)と完全奴隷(ホロープ)のマトヴェイ(俺)。バルト海から北海に渡るヴィスビュー、リューベック、ノヴゴロドを巡る交易に身を投じる女商人ヘルガとアグネの物語だが、ゴットランドの女性たちの機織りのように、小説、戯曲、詩歌(引用)を縦横に織り込んだ実験的な構成に驚かされる。齢92歳にして、緻密で強靭な物語を紡ぎ続ける著者には心からのリスペクトしかない。
□ 少年十字軍(ポプラ社 2013)皆川 博子1212年フランス。ノワイエ伯領の森で暮らす少年ルー(狼小僧)は兎の密猟を門番に見つかり、樫の巨木に縛りつけられた。頭上には門番が投げた刃物が突き刺さっている。稲妻が光り、雷鳴が轟く落雷による処罰を謀ったのだ。樫の木に雷が落ちる寸前に救出されたルーが根倉にしている焼け落ちた教会へ戻って休んでいると、いつの間にか見知らぬ子供たちが入り込んでいた。鉄鍋で煮出した毒人参(ヘムロック)を少女アンヌ(13歳)が負傷した少年の肩に湿布する。落雷からルーを救ったのは少年エティエンヌ(12歳)だった。彼らに同行する遍歴の説教師と争ったルーは少年トマとアントン(11歳)に羽谷じめにされ、杖で腹を殴られて失神してしまう。正気に返った少年は仕返しするために、鏃、弩、太矢、短剣、燧石、細引き、乾し肉、湧水などを携えて、彼らの後を追う。深い森を抜け、橋の落ちた渓流の前で立ち往生する子供たちに追いついたルーは川を渡って、向こう岸に泳ぎ着き、矢を放って山毛欅の木に深々と突き刺す。ルーが矢羽根の端に結んだ細引きとエティエンヌの結んだ綱を伝って川を渡る。巡礼者が目指す先は丘の中腹に建つサン・レミ修道院だった。
エティエンヌたち巡礼者の一行を助修士ジャコブ(おれ)が出迎える。説教師フルクが聖地エルサレムに参るために一夜の宿を願い出る。助修士シモンに納税額の不足を叱責された農夫の小さな子供の手に助修士ドミニクがチーズの欠片を握らせる。貧しい巡礼用の粗末な宿舎に案内したジャコブは土間の炉に火を焚き、巡礼者たちの足を洗う。回廊の南に突き出た共同食事室に修道士の姿はない。30数人の助修士たちが食事室を占拠して黙食の戒律を破ってワインを飲みながら歓談していた。僧院長を含め12人の修道士は領主ノワイエ伯の兵に襲われて拉致された。身代金を要求されたが、断ったので恐らく殺されたとシモンが言うけれど、本当は地下の懲戒房に幽閉されているとドミニクがジャコブに教える。シモンが酒蔵からワインの壺を2つ運んで来いとジャコブとドミニクに命じる。細長い窓から一筋の光が射し込み、その光の中に牧杖を持った少年が立っていた。少年が右手を伸ばして牧杖を助修士たちに向けると、先端から光の矢が放射されて食卓に突っ伏す。解放されたサン・レミ僧院長が神の遣わし給うた人、エティエンヌに深い感謝を捧げ、死した助修士たちを破門する。
■ 蝶(文藝春秋 2005)皆川 博子ポオル・フォル、ロオド・ダンセイニ、ハインリッヒ・ハイネ、横瀬夜雨、薄田泣菫、伊良子清白など、エピグラフや本文に引用した詩句や俳句に誘発された幻想短篇集。産婆をしていた祖母が「わたし」に口ずさみ、祖母の家の二階に住む結核病みの叔父(幽霊)がマンドリンを弾きながら陽気に歌う 「空の色さえ」。インパール戦線から復員した後に妻と情夫を撃ち、出所後に特攻帰りの玄吉を下男として雇い、北海近くの「司祭館」に住む男が映画のロケ現場に出食わす 「蝶」 。桟橋に腰かけて足を水面に浸している少女しのぶが青年(横瀬夜雨) から自作の詩集を手渡される 「艀」。郊外の建売住宅に引っ越して、小学2年生の春に転校した「わたし」と谷祥子、級友の宮子、冬美たち4人の物語で、隣家の土建屋・谷の増築した祥子の「従姉」エダの離れ通って本を読み浸る 「想ひ出すなよ」。開業医の父の息子・少年(彼)が眼帯をした叔父・努(トムさん)と嫁いで来た叔母・綾子の棲む渡り廊下で母屋と繋がる離れに入り浸る 「妙に清らの」。
一夏を海辺の家で弟とねえやと過ごすことになった「わたし」が隣家の二階で、ヴァイオリン、マンドリン、タンバリン、巻貝の形の笛、バグパイツを奏でる5人の楽士と共に歌い、地主で漁師の勝男と仲良くなって弟、ねえやと共に小舟に乗る 「龍騎兵(ドラゴネール)は近づけり」。15歳で東京のお屋敷に奉公に出された少女(わたし)が妾宅に入り浸る旦那の代わりに奥様と添い寝する 「幻燈」(戦後の「わたし」の莫連ぶりが度肝を抜く!)。県立中学に通うため近くの伯父の家に住み込んだ涼太と18歳で銀行員と結婚して上海支店に転勤するが、華人の押し入り強盗に夫を殺され、内地に送還された伯父の恩人の孫・秋穂との思慕を描く 「遺し文」。家屋の 「二階」 と 「離れ」 は皆川夢幻世界への仄暗い入り口である。単行本の巻末に「使用した詩、句などの出典」。文庫版(2008)の解説は俳人・齋藤愼爾。「どこか黴臭い空気の中に背筋の寒くなるような幻想が立ち上がる。戦前戦後の日本を舞台にしているが、戦争は皆がともどもに引き込まれる」(川野芽生)。
■ ペガサスの挽歌(烏有書林 2012)皆川 博子夜警のバイトをしている学生・吉田くんがビルの壁の中に棲む昆虫と会話する 「コンクリ虫」(1970)。ジンジャー・レコードのプロデューサである和久(私)がSSWのカズ、男女フ ォーク・デュオ 「ムギとヒマワリ」(カズの妹くみ子)を所属音楽事務所から引き抜く 「地獄のオルフェ」(1978)。再婚した亜里子(私)が医者の夫・村上利之の次男・裕司と浮気する「ペガサスの挽歌」。銀座の小さな画廊で油絵の個展を開いた河野早穂子と沖本律子が交際する「試罪の冠」(1974)。関谷香子の若き愛人・弓雄が夫の会社に自ら切り落とした小指を届ける「朱妖」など。児童文学同人誌「アララテ」に掲載された初期児童文学作品(花のないお墓、コンクリ虫、こだま、ギターと若者)と70年代に発表された単行本未収録作品(地獄のオルフェ、天使、ペガサスの挽歌、試罪の冠、黄泉の女、声、家族の死、朱妖)で構成されたシリーズ「日本語の醍醐味 4」。作者の意向で割愛された同人誌時代の 「戦場の水たまり」(1970)は
『皆川博子コレクション 5 海と十字架』(出版芸術社 2013)に収録。
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● 皆川博子随筆精華 lll 書物の森の思い出(河出書房新社 2022)皆川 博子未刊行エッセイ集成の第三弾は自伝エッセイ・回想 「季のかよい路」 、演劇・映画 「舞台つ記」、小説・絵画 「アリスのお茶会」、身辺雑記 「ビールが飲みたい」 の4部構成。目次では68篇になっているが、新聞各紙の連載コラム 「時のかたち」(朝日新聞 2000)、「舞台つ記」(毎日新聞 1991~92)、「週間日記」 「読むサラダ」(読売新聞 1999)、「プロムナード」(日経新聞 2000)を個別に加算すると、全144篇を収録していることになる。ドジ、対人恐怖症、旅行嫌い、運動・方向オンチ、メカ駄目人間、馬車馬、下戸の著者が書く自分の死亡記事「露とこたへて」が出色!‥‥《古歌の下の句「露とこたへて消なましものを」は皆川博子刀自が、積年切望してきた死のありようである。儚い露の一雫と化し朝の光とともに消えうせるのは、自称耽美派唯美派にして年甲斐もなく少女趣味濃厚、やおい傾向も垣間見える刀自としては、当然の願望であった》。「エッセイは苦手なのよ~」 と常々仰る著者に、編者の日下三蔵は「またまた、お戯を‥‥」と返している。
● 天涯図書館(講談社 2023)皆川 博子「最期の日まで本に溺れ、生まれ変わっても本に埋もれていたい」という皆川館長が蒐集した名作・稀覯本を紹介する
「辺境図書館」(2017)。
「彗星図書館」(2019)に続く第三館。マルグリット・デュラス、カレル・チャペック、ピエール・ガスカールなど、著名な作家たち、二世代下の川野芽生の『無垢なる花たちのためのレクイエム』やシャーリイ・ジャクスンの短篇「ある訪問」も書見台に載るけれど、書架の殆どは未知・未読の作家・作品で占められる。読書に耽溺した館長の追憶だけでなく、現在進行形のコロナ禍やウクライナ戦争も「図書館」に暗い影を落とす。ヴァシレ・エルヌやウラジーミル・ソローキン、アダム・ミツキェーヴィチ、オルガ・トカルチュクなどのロシア〜東欧作家も登場する。巻末にブラッドベリの「華氏451度」を想わせるSF短篇 「焚書類聚」(「ふんしょるいじゅ」 と読む)、サンルームの籐椅子に凭れている「わたし」が過去を追想する 「針」 を併録。「辺境 ・彗星図書館」 の索引・蔵書目録付き。文芸誌 「群像」 の連載は最終回(2023年5月号)を迎えて休館中ですが、読者の中に一時場所を移した後に、新たな場所で開館して欲しい。
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風配図 WIND ROSE
- 著者:皆川 博子
- 出版社:河出書房新社
- 発売日:2023/05/09
- メディア:単行本
- 内容:1160年5月、バルト海交易の要衝ゴットランド島。
流れ着いた難破船の積荷をめぐり、生存者であるドイツ商人と島民の間で決闘裁判が行われることとなった。重傷を負った商人の代闘に立ったのは、15歳の少女ヘルガ。義妹アグネが見守る中、裁判の幕が開き、運命が動き出す
少年十字軍
- 著者:皆川 博子
- 出版社:ポプラ社
- 発売日:2013/03/06
- メディア:単行本
- 内容:13世紀、フランス。“天啓”を受けた羊飼いの少年・エティエンヌの下へ集った数多の少年少女。彼らの目的は聖地エルサレムの奪還。だが国家、宗教、大人たちの野心が行く手を次々と阻む―。直木賞作家・皆川博子が作家生活40年余りを経て、ついに辿りついた最高傑作
ペガサスの挽歌
- 著者:皆川 博子
- 出版社:烏有書林
- 発売日:2012/10/10
- メディア:単行本(シリーズ 日本語の醍醐味 4)
- 目次:花のないお墓 / コンクリ虫 / こだま / ギターと若者 / 地獄のオルフェ / 天使 / ペガサスの挽歌 / 試罪の冠 / 黄泉の女 / 声 / 家族の死 / 朱妖 / 解説・七北 数人
冬の旅人
- 著者:皆川 博子
- 出版社:講談社
- 発売日:2023/07/27
- メディア:単行本
- 目次:
蝶
- 著者:皆川 博子
- 出版社:文藝春秋
- 発売日:2017/12/08
- メディア:文庫(文春文庫)
- 目次:空の色さえ / 蝶 / 艀 / 想ひ出すなよ / 妙に清らの / 龍騎兵(ドラゴネール)は近づけり / 幻燈 / 遺し文 / 解説・齋藤 愼爾
皆川博子随筆精華 lll 書物の森の思い出
- 著者:皆川博子 / 日下 三蔵(編)
- 出版社:河出書房新社
- 発売日:2022/10/25
- メディア:単行本
- 目次:季のかよい路 / 舞台つ記 / アリスのお茶会 / ビールが飲みたい / あとがき / 編者解説・日下 三蔵
天涯図書館
- 著者:皆川 博子
- 出版社:講談社
- 発売日:2023/07/27
- メディア:単行本
- 目次:『方形の円 偽説・都市生成論』ギョルゲ・ササルマン『穴の町』ショーン・プレスコ ット /『ソロ』ラーナー・ダスグプタ /『人の世は夢』ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ /『パヴァーヌ』キース・ロバーツ /『孤児』フアン・ホセ・サエール /『圧力とダイヤモンド』ビルヒリオ・ピニェーラ /『襲撃』レイナルド・アレナス /「工事現場」マルグリット...
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