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モローの発明 [a r t]

  • 薫香の邪悪な匂い、この教会の暑すぎる空気のなかで、左腕を命令の身ぶりで長くのばし、大きな白蓮の花をもった右腕を顔の高さに折り曲げたサロメは、うずくまった女が爪弾くギターの調べに合わせて、しずしずと、爪先だって前に進む。/ 瞑想的な、荘重な、ほとんど厳粛な顔をして、彼女はみだらな舞踊をはじめ、老いたるヘロデの眠れる官能を呼びさます。乳房は波打ち、渦巻く首飾りと擦れ合って乳首が勃起する。汗ばむ肌の上に留めたダイヤモンドはキラキラ輝き、腕輪も、腰帯も、指輪も、それぞれに火花を散らす。真珠を縫いつけ、金銀の薄片で飾った、豪奢な衣裳の上に羽織った黄金細工の鎖帷子は、それぞれの編目が1個の宝石で出来ており、燃えあがって火蛇のように交錯し、艶消しの肌、庚申薔薇の膚の上に、あたかも洋紅色の紋と曙色の斑点をおび、鋼色の唐草模様と孔雀色の虎斑をおびた、眩い鞘翅類の昆虫の群のごとくうようよと蝟集する。
  • おびえた者の身ぶりで、サロメは恐怖の幻影を押しやり、爪先だったまま、その場に動けなくなっている。彼女の瞳は大きく見ひらかれ、彼女の片手は痙攣的に喉を掻きむしっている。/ 彼女はほとんど裸体に近い。踊りのほとぼりに、ヴェールは乱れ。錦繍の衣ははだけてしまった。すでに金銀細工の装飾と宝石しか身につけてはいない。胸当てが胸甲のように胴体をぴったり包み、見事な留金のような華麗な1個の宝石が、2つの乳房のあいだの溝に光を投げている。腰のあたりの下半身には帯が捲きつき、腿の上部をかくしている。また腿には巨大な瓔珞がまといつき、石榴石やエメラルドを川のように引きずっている。最後に、胸当てと帯のあいだに見える素肌の腹は、臍のくぼみを刻んで大きく張り出している。臍の孔は、乳色と薔薇色の縞瑪瑙を彫り刻んだ小さな印章のようだ。
    J・K・ユイスマンス『さかしま』

  • Bunkamura1階のロビーに白煙が立ち籠めて、大勢の観客が溢れている。驚破、火災か(それとも自爆テロ?)と驚いたら何のことはない、上演中の芝居(シアターコクーン)の演出だった(人騒がせだぞ、蜷川幸雄!)。ザ・ミュージアム(B1)で開催されていた〈ギュスターヴ・モロー展〉(2005/8/9〜10/23)は前・後期で100点以上(前期119、後期110点)の展示品の入れ替えがあった。会場スペースというより光による褪色防止のための処置だと思われるが、1回の入場では総出品数の半分以上が観られないことになる。そう言えば〈レオナルド・ダ・ヴィンチ展〉(西武美術館 1985)は映画館並に薄暗かったなぁ。インスタレーション作品がデカ過ぎて一館では収納出来ず、2会場で分散展示された〈アンゼルム・キーファー〉(セゾン美術館 1993)の時のように、1枚で前・後期2回観られる「通し券」を販売する配慮が主催者側にあっても良かったのではないでしょうか(以下の記述は後期出品作に準拠しています)。

    〈ギュスターヴ・モロー展〉は全体を8つのセクション──〔1〕プロローグ 〔2〕神々の世界〔3〕英雄たちの世界 〔4〕詩人たちの世界 〔5〕魅惑の女たち、キマイラ〔6〕 サロメ〔7〕 聖書の世界 〔8〕エピローグ──に分け、それぞれメインの油彩画48点と、その下絵や習作を併置する構成になっている。ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau 1826ー1898)はパリ生まれ。父ルイは建築技官、母ポリーヌは音楽家という芸術に理解ある中産階級の家庭で育つ。妹カミーユの夭折(13歳)を契機に寄宿学生だったモロー少年は両親の許へ呼び戻され、母や叔母らとイタリア旅行(1841)に出かける。黒と茶を基調としたレンブラント風の〈24歳の自画像〉(1950)、左横向きの〈ポリーヌ・モローの肖像〉、2度目のイタリア滞在中(1987ー59)にスケッチした水彩やセピア画が並ぶ。

    白い牡牛に変身したユピテル(ゼウス)がフェニキア王テュロスの娘を連れ去る〈エウロペ〉あるいは〈エウロペの誘惑〉(1868)。白鳥に変身したユピテルがレダと戯れ見つめ合う〈レダ〉。右手に松明を掲げ腰の左に大鷲がいる〈プロメテウス〉(神々から火を盗んだプロメテウスは鎖でコーカサス山の岩に縛られ、大鷲に肝臓を啄まれる)。大鷲に変身したユピテルが美少年ガニュメデスを誘拐して湖上を飛ぶ〈ガニュメデス〉(1886頃)。レダとユピテルの娘ヘレネが花を手に、眼下の屍体の山を見下ろす〈トロイアの城壁に立つヘレネ〉。ユピテルに誘惑されて愛人になったものの、嫉妬した妻ユノに嗾されて、彼に本性(雷神)を現わして欲しいと願い、逆に稲妻に打たれて焼死してしまうセメレ。玉座に坐るユピテル、その膝の上で驚愕するセメレ、彼女に抱きつくプット、黒い大鷲‥‥晩年の大作のヴァリアント〈ユピテルとセメレ〉(1889)。

    金羊毛を帆柱に掲げてギリシャ港に凱旋するイアソンと〈アルゴ船の乗組員〉‥‥下部を拡張した同名油彩画(1897)の下絵。左に黒い船舶、右手前に3匹のセイレーンを配した〈オデュッセウスとセイレーン〉(1875ー80頃)。抽象化した岸辺に佇む〈セイレーンたち〉(1882頃)。留守中に妻のペネロペに言い寄った求婚者たちを帰還したオデッセウスが殺戮する〈求婚者たち〉(準備習作 1860頃)。レルネ沼に棲息する九頭の水蛇を退治するヘラクレスを描く〈ヘラクレスとレルネのヒュドラ〉。まるで飼主に戯れつく雌猫のようにオイディプスの胸元にしがみつく女スフィンクスの水彩画〈オイディプスとスフィンクス〉(1961)‥‥同名の油彩画(1864)はメトリポリタン美術館所蔵。妻ディアネイラをレイプしたネッソス(ケンタウロス)と、対岸から弓を射るヘラクレスを遠近対比する〈ディアネイラ〉(1872頃)。

    9人の女神(ミューズ)たちの中の1人が牧童のヘシオドスに詩想を授けている、薄朱色に染まったソフトフォーカス〜デルヴォ風の〈ヘシオドスとムーサたち〉(1890頃)。東洋ペルシャ風の縁飾りのある、馬上の吟遊詩人を描いた〈インドの詩人〉(1885ー90頃)。山頂で物思いに耽るメランコリックな詩人(♀?)、彼女を見守る白いペガサス、背中のインド風弦楽器、足許の帽子、赤いソックス‥‥青・白・茶の色調の中で白く発光する〈旅する詩人〉(1891頃)。恋人ファオンに失恋してレウカディア岬の崖から身投げする女流詩人〈サッフォーの死〉(1890頃)。東洋風の3人天女が一輪のチューリップの花のように水辺に浮游する幻想的な〈夕べの声〉。〈ケンタウロスに運ばれる死せる詩人〉(1890頃)が前期のみの出品なのは実に口惜しい。

    漁師の少年をベッドに誘惑する妖婦〈メッサリーナ〉(1874)。インドの楽器を抱えてグルフォンに乗る〈妖精ペリ〉(扇面 1882頃)。赤マントのヌード女性(左)と、つぶらな青い睛のユニコーン(右)が仲睦まじい2ショットの〈一角獣〉(1885)。幻想的な水辺、樫の樹の許でアラベスク模様や透かし彫り風の衣裳を纏った4人の宮廷女性が3頭のユニコーンと戯れる〈一角獣たち〉‥‥今展のポスターやチラシ、チケット等の絵柄に使われている。キマイラは頭がライオン、胴がヤギ、尾が蛇から成るハイブリッド幻獣だが、美男子(上半身)+天馬(下半身)に若い全裸女性が抱きついている〈キマイラ〉(1884頃)。リュディアの女王オンファレの許で奴隷の身となった従順なヘラクレスを可憐なキューピッドが見守る〈ヘラクレスとオンファレ〉(1856ー57)。

                        *

  • でもあたしはそなたを見てそなたを愛した。ああ、どんなに愛したことか。いまでも愛しているよ、ヨカナーン。そなただけを愛している‥‥そなたの美しさに渇えている。そなたの体に飢えている。酒も果物もあたしの欲情を満たしてくれない。いまはどうすればよいの、ヨカナーン? 川も湖もあたしの情熱を消してはくれない。あたしは王女だったのにそなたはあたしをさげすんだ。あたしは処女だったのにそなたは純潔を奪ってしまった。あたしは清浄だったのにそなたはあたしの血を燃えあがらせてしまった‥‥ああ! どうしてあたしを見てくれなかったの、ヨカナーン? もし見てくれたら、あたしを愛してくれただろうに。きっとあたしを愛してくれただろうに、そして愛の神秘は死の神秘よりも大きい。ひとは愛だけを見るべきなのよ。
    オスカー・ワイルド『サロメ』

  • 左腕を前へ伸ばし、右手を顔の高さに上げ、伏し目で呪文を唱えるような右横向きの〈サロメ〉(1875頃)。中空に浮かぶ聖ヨハネの首(滴る赤い血、発光する光輪)を左手で指差し、右手に睡蓮の花を掲げ持つサロメを描いた〈出現〉(1876頃)‥‥建築部分の白い装飾模様は晩年に加筆されたものである。ヤコブの肉体と精神の闘い──右腕を掴んでいる傍らの天使の姿が彼には見えない!〈ヤコブと天使〉。3本の柱に磔けにされた3人の犠牲者、入り日、抽象化された死体の山の処刑場〈ゴルゴタの丘〉(1870ー80)。川辺の兵士たちと、大樹の下で十字架を掲げる女性的な〈聖セバスティアヌス〉(1875頃)。前掛けに包んだパンがピンクの薔薇に変わる〈ハンガリーの聖女エリザベト〉。左手に十字架を持ち巨大なユリの花に坐る聖母マリアと、山頂の殉教者たちを対峙する〈神秘の光〉。最上部にある半円形のキリスト図、9枚(3×3)の正方形のパネルを縦──アダムとエヴァ(金の時代)/ ヘシオドスとオルフェウス(銀の時代)/ カインとアベル(鉄の時代)、横──朝 / 昼 / 夕で寓意的に表わした多翼祭壇画〈人類の生〉(1886)の別ヴァージョン。抽象的な未完の〈死せる竪琴〉のための習作(1897頃)。

    ジュヌヴィエーヴ・ラカンブルの『ギュスターヴ・モロー』(創元社 1998)はコンパクトな判型ながらモローの生涯と作品を豊富な図版で編んだ入門書である。流石に「モロー美術館」の館長らしく、世紀末象徴画家の創作の秘密をも垣間見させてくれるのだ。例えば、今展には出品されていない〈オルフェウス〉(オルセー美術館所蔵 1865)の創作秘話──愛妻エウリュディケを連れ戻しに冥界へ下りたものの、約束を破って後ろを振り向いたために《ディオニソスの巫女たちに惨殺され、八つ裂きにされてヘブロス川に投げ込まれた》オルフェウス。岸辺に流れ着いたオルフェウスの首と竪琴をトラキアの娘が拾い上げる‥‥。「オルフェウスの首」はミケランジェロの石膏マスク(模型)、「トラキアの娘」は裸体モデルにポーズをつけた習作を元に造形‥‥という風にモローは異なった2人の「人物」を同一画面上に組み合わせて描いている。

    「ギュスターヴ・モロー美術館」にランプを持って夜中に忍び込むことを夢見ていたというアンドレ・ブルトンは『魔術的芸術』(1957)の中で、モローの「その人生における最大の悲しみの1つは、母の遅すぎた死であった」と、まるで母親が早く死んでくれれば良かったと言わんばかりの口調で書いている。妹カミーユの夭折、聾の母との長い同居、独身者としてのモロー、愛人アレクサンドリーヌ・デュルの存在‥‥。ファム・ファタル(宿命の女)としての〈サロメ〉、無力な男と挑発的な女という性倒錯、「処女ゆえに淫蕩」という女性観、〈旅する詩人〉や〈イアソンとメディア〉(1865)などに顕著なアンドロギュヌス性──が、19世紀末の画家や詩人、作家、20世紀のシュルレアリストたち‥‥そして日本の少女マンガ家(木原敏江)を惹きつけて止まないモローの放つ妖しい魔力なのだ。

    モローの主眼はオリンポスの神々や歴史上の英雄や詩人たちを描くことではなかった。彼らの内面に潜む目に見えないものを象徴→抽象化することだった。神々は象徴化し、英雄は女性化し、詩人たちは匿名化する。現代社会や現代人を描かずに独りで内面世界へ降りて行くことで、100年後の今日から顧みて、逆説的に19世紀末世界を逆照射することになった。美しく輝く宝石のモザイクや螺鈿、象眼細工のような細密画の喚起する詩的文学性やシュルレアリスム絵画に与えた影響は言うに及ばず、晩年の未完成のまま残された夥しいエボーシュ(下絵・粗略画)が後進の若い画家たちに与えた衝撃──《完成しない作品が、すでに完成していたのだ》と鹿島茂は『ギュスターヴ・モロー』(六耀社 2001)の中で昂奮気味に指摘している──や、後のフォーヴィスムや表現主義ヘの影響について考えてみるのも一興かもしれない。モロー自身は19世紀人だったが、彼の描いた「絵画」は時空を超えて「聖ヨハネの首」のように燦然と輝く。

    〈ギュスターヴ・モロー展〉(1964)を観た澁澤龍彦氏が《さすがのモロー美術館もこれらの貴重品は出し渋ったものと見える》と悔しがった3点の大作──〈アルゴ船の乗組員〉(1897)〈求婚者たち〉(1882)〈ユピテルとセメレ〉(1895)は今展でも出品されていない(前2作の下絵や習作、後者のヴァリアントは出品されていたが)。金羊毛を帆柱に掲げてギリシャ港に凱旋するイアソンとアルゴ船の乗組員一行、留守中に妻のペネロペに言い寄った求婚者たちを殺戮するオデュッセウス、ユピテルに誘惑されて愛人になったものの嫉妬した妻ユノの奸計にハマって──嗾されて、ユピテルに本性(雷神)を現わして欲しいと願う──稲妻に打たれて焼死するセメレ‥‥もし、この3点が観たければ自宅を改装〜一般公開しているパリ9区の「国立ギュスターヴ・モロー美術館」へ来いというメッセージなのだろう。

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  • サロメ、それは、永遠に女性なるものの象徴である。軽やかに飛ぶ鳥。だが多くの場合、それは不幸を告げ知らせる鳥だ。彼女は花を掲げ持ち、漠然とながら、たいていは不吉な理想を求めている。天才も聖人さえも足下に踏みつけにしつつ、彼女は歩む。彼女は舞う。その神秘的な歩みは、死を目前に成し遂げられる。死は、振り下ろされる剣を手にした死刑執行人の前で、恍惚としつつも用心深いサロメの姿を絶えず窺っている。この女は、いかがわしい好奇心から名もなき理想と官能を追い求める者たちに残された、その恐るべき未来像の象徴だ。/ 首を切り落された聖人は、まさに花々を敷き詰められた彼の輝かしい人生の終着点にいる。すべては神秘的な至聖所の中で行われる。そこは精神が厳粛なるものに、崇高なるものの観念に捧げられる場所なのだ。
    ギュスターヴ・モロー『夢を集める人』

  • ギュスターヴ・モローは耳の不自由な母親との会話に筆談を用いていた。自分の作品を母親に説明するために書き残されたメモ‥‥それが今ではモローの絵画を読み解く貴重な資料となっているのだから、何が幸いするか分からないものである。母親が健常者ならメモは書かれていなかったかもしれないのだ。『ギュスターヴ・モロー ── 夢を集める人』(八坂書房 2007)は、彼の遺した「筆談メモ」と、その作品を併載した画文集(A5判・142頁)。オールカラー図版でないのは残念だが、主要作品は網羅されている。副題の「夢を集める人」は〈キマイラたち〉(1884)のメモの中の「夢を集める労働者は、魔法の島を想う」という表現から採られた。先に引用した〈ヘロデ王の前で踊るサロメ〉(1876)のメモを読めば分かるように「筆談メモ」という雑多なイメージを超えた詩的メタファの溢れる自作解説になっている。

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    ギュスターヴ・モロー展

    ギュスターヴ・モロー展

    • アーティスト: ギュスターヴ・モロー (Gustave Moreau)
    • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
    • 会期:2005/08/09 ー 10/23
    • メディア:絵画

    ギュスターヴ・モロー──夢を編む画家

    ギュスターヴ・モロー ── 夢を編む画家

    • 著者:ジュヌヴィエーヴ・ラカンブル (Genevieve Lacambre) / 南条 郁子(訳)
    • 出版社:創元社
    • 発売日:1998/06/20
    • メディア:単行本(ソフトカヴァ)


    ギュスターヴ・モロー ── 絵の具で描かれたデカダン文学

    ギュスターヴ・モロー ── 絵の具で描かれたデカダン文学

    • 著者:鹿島 茂
    • 出版社:六耀社
    • 発売日:2001/05/30
    • メディア: 単行本


    ギュスターヴ・モロー ──【自作を語る画文集】夢を集める人

    ギュスターヴ・モロー ──【自作を語る画文集】夢を集める人

    • 著者:ギュスターヴ・モロー (Gustave Moreau) / 藤田 尊潮(訳編)
    • 出版社:八坂書房
    • 発売日:2007/02/28
    • メディア:単行本
    • 目次:1850-1863 独自のスタイルを求めて / 1865-1875 サロンでの成功 / 1876-1883 サロメの画家 / 1884-1898 最愛の母と恋人の死

    タグ:art Moreau decadent
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    コメント 5

    スゥ。

    哀しい事に絵画についての知識がまるでなくコメントはできませんので
    気づいたちっちゃな要校正箇所をお知らせ致します。

    1段4行目の“2006”は“2005”ですね?
    4段5行目、“レルメ沼”は“レルネ”のミスタイプ。

             ぐあ。お昼のパンもなんも食べてもた
             あたしたちにできるのはこうして軒下に連れてくる事だけ
             グッドラック仔猫ちゃん

    じきトキオの代わりにlapisサンがやってきましょう。

    上記のケアレスミスの修正と共に、このコメントの削除もお忘れなき様。
    「なおこのテープは自動的に消滅」しないものでヨロシク消去なさってね。
    by スゥ。 (2006-03-21 01:57) 

    sknys

    ・スゥ。さん、速効チェックありがとう。
    ご指摘の2ヵ所を訂正しました。
    自分で書いた文章の誤植(誤字・脱字)は意外と分からないものです。
    「引用文」には細心の注意を払っているのに‥‥ね。

    コメントは削除しない方が面白いと思います。
    スゥ。さんが、絶対に消してくれなきゃイヤ!‥‥と
    仰るのなら消去しますが(笑)。
    by sknys (2006-03-21 15:29) 

    スゥ。

    浅学非才の身ゆえ内容について語れずリライトで御協力いたしました。
    そう、ご協力、なんですがsknysサンの読者の皆様方に
    “障子の桟に滑らせた指の埃を突き付けている姑”みたく思われたらヤなんで
    手動的に消滅させて貰いたかったのですよ、フェルプスくん。

                       でもブログ主が面白いってンならいいや(笑)
    by スゥ。 (2006-03-22 13:49) 

    モバサム41

    モロー展って、途中で入れ替えがあったんですか…今頃知りました。
    カタログには全作品出てるのかな(実は、まだ読んでない)
    これも、TBよろしくお願いします。
    by モバサム41 (2006-04-29 20:53) 

    sknys

    モバサム41さん、コメント&nice! ありがとう。
    水彩画や習作・デッサンとはいえ、100点以上の会期中の入れ替えは、
    「前・後期2回観に来い!」と暗に言っているようなもの。
    ちょっと酷いと思いませんか?

    買って来なかったけれど、カタログには全展示作品が網羅されているはず。
    ギュスターヴ・モローの記事を書いていらっしゃったんですね。
    M侍さんとは結構趣味が被っているかも(笑)‥‥後で覗きに行きます。
    by sknys (2006-04-29 23:52) 

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