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秋の夜長のトロンプ・ルイユ [a r t]



  • ルネッサンス以来の近代絵画において、画家たちの関心の何よりの対象となったリアリズムという観念は厳密にいうならば、現実世界を客観的に模写しようという欲求とはやや違っていた。カントの「物自体」説を持ち出すまでもなく、現象(外部世界)とは、感覚(視覚)にあたえられた素材を主観の直観形式(空間)によって秩序づけたものであり、私たちが目の前に見る外界とは、あたえられた感覚内容(形や色)を主観によって再構成したものにすぎないのだ。つまり、客観的現実(物自体)などというものは私たちの感覚にとって補足不可能なので、絵画におけるリアリズムとは、じつは、3次元の広がりをもった私たちの視覚上の錯覚を、2次元の平面上にいかにして組み立てるか、という問題にすぎなかったのである。リアリズムの探究とは、錯覚にほかならない私たちの視覚の法則を、いかに発見し、いかにして深化するか、ということでしかなかったのである。
    澁澤 龍彦 「遠近法・静物画・鏡、トロンプ・ルイユについて」


  • 「奇想の王国・だまし絵展」(2009)から早5年、〈夏の終わりのトロンプ・ルイユ〉が渋谷に帰って来た。「だまし絵 II 進化するだまし絵」(Bunkamura 2014)は「だまし絵」の歴史をクロノロジカルに構成した前回とは趣きを異にする。16世紀のアルチンボルドに代表される古典作品は「プロローグ」で止め、「トロンプルイユ」「シャドウ、シルエット&ミラー・イメージ」「オプ・イリュージョン」「アナモルフォーズ・メタモルフォーズ」という4つのカテゴリーに分けて20世紀以降の「だまし絵」を展示している。写真やヴィデオ、コンピュータを使ったデジタル・アートなど、文字通り「進化するだまし絵」が出品されているが、何事も最初は驚いても2度目となると衝撃は薄れる。手品のトリックや奇術の仕掛けを見抜いた観客が2度と騙されないように、二番煎じの感は否めない。ヴィクトル・ヴァザルリ、M・C・エッシャー、デイヴィッド・ホックニーなど、過去に個展を日本で開催したことのある芸術家の作品についても言うに及ばずである。

  • ⃞ 司書(The Librarian ca.1566)ジュゼッペ・アルチンボルド
  • 見た目の通り、本の集積で作られた人物像である。各部位を仔細に見つめれば本以外の何ものでもないが、全体を眺めれば1人の肖像画に見える「ダブル・イメージ」。頭部の髪は広げられた本、両目は黒い鍵の輪、左耳は本を閉じる紐、顎髭は塵はたき、右腕の指は本に挿んだ付箋で出来ている。左肩に羽織ったマントは背後のカーテンである。絵のモデルは皇帝マクシミリアン2世から宮廷の歴史を記録する修史官に任命された司書ウォルフガング・ラツィウスだという。〈司書〉は植物や花々、野菜や果物などで構成された一連の肖像画よりも抽象的で立体的に見える。「本の虫」と化した肖像画には珍奇でコミカルな印象もあるけれど、宮廷内のラツィウスは陰で嘲笑されていた批判精神に欠ける人物だったらしい。左隣に並べて出品されている樽、壷、硝子ビンなどで出来た〈ソムリエ(ウェイター)〉(The Sommelier (Waiter) 1574)は大阪美術館建設準備室の所蔵なので余り有り難みはない。

  • ⃞ 風景 / 顔(Landscape / Face ca. Early 17th century)作者不詳(北方派の画家)
  • 一見何の変哲もない船着き場のある風景画に見えるが、暫く見つめていると仰向けになった男の横顔に変貌する(反時計回りに90度回転させると分かりやすい)。黒い岩山が男の髪の毛、丘の上の城が鼻、船着き場が耳、樹木が顎髭になっている。スイス生まれの版画家マテウス・メーリアンの〈擬人化された風景〉(Anthropomorphic Landscape 1630-50)に良く似ているので、どちらか一方がオリジナルで他方が模写なのかもしれない。「ルビンの壺」「娘と老婆」「家鴨と兎」などの有名な多義画を挙げるまでもなく、「ダブル・イメージ」は同時に2つの画像を認識出来ない。白い壷と向き合った2人の横顔(シルエット)、黒いショールを纏った女性と醜い老婆、アヒルの嘴とウサギの耳が共存しないように「風景と顔」も同時に存在しない。

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  • ⃞ ジョージア / フィンガーペインティング(Georgia / Fingerpainting 1984)チャック・クロース
  • 少女ジョージアの肖像画はタイトルに「フィンガーペインティング」とあるように、絵筆を使わず、指紋をカンヴァスに押しつけて描いた油彩画である。印象派の点描画を想わせる技法で、肖像画にしては少し大きすぎるサイズが違和感を鑑賞者に齎す。恐らく指の大きさが作品のサイズを決めているのだろう。これ以上大きくても小さくても「トロンプ・ルイユ」として成り立たないのかもしれない。タブローから離れて見ている時は普通の肖像画だが、近づいて見ると指紋が印鑑や版画のように捺印されていることが分かる。同じ作者による右隣の〈マルタ / フィンガープリント〉(Marta / Fingerprint 1984)はカーボン転写エッチング。カラーとモノクロ、油彩とエッチングの違いで2人のモデル(ジョージアとマルタ)の印象は年齢の差以上に大きく異なって見える。

  • ⃞ 無題(Untitled 2001)トム・フリードマン
  • 人体を型取りした〈カーペットを掃除する女〉(Woman Cleaning Carpet 1971)、ゴッホの代表作〈星月夜〉(1889)の裏面カンヴァス、ボール紙で作って写真に撮った〈浴室〉(Bathroom 1997)、木枠にカンヴァスを張ったハリボテの〈フェンダー・デラックス・リヴァーブ・アンプ2〉(Fender Deluxe Reverb Amp 2 2009)など、「トロンプ・ルイユ」のセクションには人間の目を欺く擬いものが陳列されている。美術館の壁に1匹の昆虫が留まっていた。こんなところにミツバチが!‥‥と不審に思ったら、粘土、針金、綿毛、毛、プラスチック、塗料を素材にした精巧な模造品だった。実物大のハチが「だまし虫」とは気づかずに通り過ぎた鑑賞者も少なくなかったかもしれません。木に彩色した須田悦弘の〈雑草〉(Weeds 2014)や〈葉〉(Leaf 2012)も注意深く目配りしてないと見過ごしてしまう同趣向の小品である。

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  • ⃞ 蚊 II(Mosquito II 2007)ラリー・ケイガン
  • 奇妙に捩じ曲がり、複雑に絡み合った黒い針金(ワイヤー)が壁に架かっている。アブストラクトな針金細工に一定の方向からライトで照らすと、蚊やトカゲのシルエットが現われる(会場では自動的に照明の当たる角度が変わるようになっていた)。〈蚊 II〉には蚊の影まで付いている。ラリー・ケイガンは鉄の彫刻家だったが、完成した作品の影に注目することで逆にシャドー・アート(影絵)の面白さに目醒めたという。空間のある立体的な針金細工が真っ黒に塗り潰された影になることだけでも不思議なのに、小動物や人物や家具や乗り物や記号などの具象像に変貌するとは!‥‥。ラリー・ケイガンの「公式サイト」「ギャラリー」では照明スイッチをオン・オフすることで、その効果を実際に確かめられる。本展には出品されていなかった〈キャット〉(Black Cat 2005)も素敵にゃん。

  • ⃞ 木の鏡(Wooden Mirror 2014)ダニエル・ローズィン
  • 碁盤の目状に敷き詰められた787枚の木片(7×7cm)のパネルの前に立つと、その人物の姿がモザイク状に映し出される。躰を動かすとカタカタという小気味良い音がして、パネルのシルエットも同じ動作を追随する。木肌の濃淡で表現された姿形はモザイク処理されたTVの匿名人物画像のようにも、レゴ・ブロックの壁画のようにも見える。小型カメラで撮った被写体の画像をコンピュータ(マイクロプロセッサ)で制御して、モーターで木片を自動的に動かす仕組み。照明の当たる木片の角度によって影の濃淡が変化するわけだが、デジタルとアナログ、ハイテクとローテクの融合が見た目の優しさを演出している。初期のTVゲームのようなコミカルな形状と動き。子供が遊ぶ積み木(無垢材)のような手触りと温もり。街頭や屋内に設置された陰険で嫌らしい「監視カメラ」に対するアイロニーのようなものさえ感じられる。

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  • ⃞ 広重とヒューズ(Hiroshige and Hughes 2013)パトリック・ヒューズ
  • 「だまし絵展」で一番驚いたのが最後のセクションあった〈水の都〉(Vanishing Venice 2008)だった。観賞者の視点移動によって絵が動き出すパトリック・ヒューズのリヴァースペクティヴ(Reverspectiveは「反転(reverse)」と「遠近法(perspective)」の造語)は「トロンプ・ルイユは遠近法の逆説である」という澁澤龍彦の言葉を文字通りに実証した3Dアートである。遠近法に慣らされた目の錯覚で、凹凸のある立体絵画が真逆に見えてしまうのだ。しかし、真横から見れば仕掛けは一目瞭然。手品の種明かしのような軽い安堵と失望感に襲われる。本展の開催に合わせて制作されたという新作も「逆遠近法」シリーズの同工異曲で、日本の屏風画のように歌川広重の名所絵が描かれている。2次元のカンヴァスに描かれた自画像ではなく、石膏の凹面レリーフに描いたヒューズの〈生き写し〉(Likeness 2013)にも驚かされた。

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  • ⃞ 赤いモデル(The Red Model 1953)ルネ・マグリット
  • 現実には決して存在しえないシュールな世界を描き続けたマグリットの絵画は殆ど「トロンプ・ルイユ」と看做しても良い。その超現実世界は平易に描かれた青い空と白い雲のように明快で難解さとは程遠い。しかし、多くの鑑賞者は作品名を目にした途端、首を傾げるかもしれない。人間の足と革靴が怪物的に癒合したタブローのタイトルが「赤いモデル」とは一体どういうことなのかと当惑して(「赤いモデル」は透明人間なのだろうか?)。《靴の問題は、最も粗野な物がいかにして慣習の力によってまったく適切なものと見なされるようになるかを立証している。〈赤いモデル〉によって感じ取られるのは、人間の足と革靴との結び付きが実際には怪物的な習慣に属するものだということである》(マグリット)。ジョルジュ・ロックは靴メーカーやカナダ税関のポスターに転用された〈赤いモデル〉のイメージがマグリットの意図とは真逆になったことを立証する。「権力を告発するために使われたイメージの力が、権力のイメージに逆転されている」「〈赤いモデル〉は隠喩によってコミュニストの経験を指し示すことが立派にできるのである」と。

  • ⃞ 海辺に出現した顔と果物鉢の幻影(Apparition of Face and Fruit Dish on a Beach 1938)サルヴァドール・ダリ
  • 「ダブル・イメージ」はダリが最も得意とする技法の1つ。2重、3重の異なるイメージを重ねて鑑賞者の目を欺き、翻弄させる手腕は熟練の職人技である。「だまし絵展」には聖堂内が17世紀スペインの巨匠スルバランの髑髏に見える〈スルバランの頭蓋骨〉(Skull of Zurbaran 1956)、「ダリ展」(上野の森美術館 2006)では2人の修道女の顔が哲学者ヴォルテールの目の部分に重なる〈ヴォルテールの見えない胸像〉(Slave Market with the Disappearing Bust of Voltaire 1941)などが展示されていた。画面中央のガルシア・ロルカの顔と洋梨を載せた果物鉢の「ダブル・イメージ」は「ルビンの壷」の応用だが、右上に巨大なグレイハウンド犬の横顔、左にアヒル(犬の臀部)、左下に小さなウサギが見え隠れしている。ダリは〈3つのイチジクを載せた果物鉢の姿で海辺に出現したガルシア・ロルカの顔のある見えないアフガニスタン人〉(Invisible Afghan with the Apparition on the Beach of the Face of Garcia Lorca in the Form of a Fruit Dish with Three Figs 1938)という同趣向の作品も描いている。

  • ⃞ ピンク(Pink 2003)トニー・アウスラー
  • ファイバーグラス製のカエルの頭部にプロジェクターで女性の目と口の画像を投影したインスタレーション。目と口を忙しなく動かして、「霧、緊張、驚き、火傷、欲望‥‥」と脈絡のない言葉を英語で喋るカエル女はグロテスクで下品で気味悪い(キモ可愛い?)が、「妖怪ウォッチ」が流行っている日本の子供たちは面白がるかもしれない。エヴァン・ペニーの〈引き伸ばされた女 #2〉(Famale Stretch, Variation #2 2011)は細長く引き伸ばされた3m以上に及ぶ巨大女性の胸像。チョコレート工場のマイク・ティーヴィ君みたいに引き伸ばされた女の目も縦長になって、ビックリしているように見える。ヴィック・ムニーズの〈自画像 悲しすぎて話せない バス・ヤン・アデルによる〉(Self-Portrait, I'm Too Sad to Tell You, After Bas Jan Ader 2003)は小さな玩具の集積が作家の自画像を形作る。カラフルで楽しげな玩具と左手を額に当てて悲嘆に暮れる表情の対比がアンビヴァレントな感情を引き起こす(ちなみにムニーズは縫い糸や砂糖、チョコレート・シロップ、土、ゴミなどを素材に使った作品も制作している)。
                                
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    • 司書からのお願い「1. 作品にはさわらない 2. 柵や壁によりかからない 3. アメやガムを含む飲食は× 4. カメラや携帯電話は× 5. メモをとるときはえんぴつで 6. 傘は傘立てに入れてね」

    • 〈夏の終わりのトロンプ・ルイユ〉と併せて読んでね

    • 某タワレコ・クリアランスで「だまし絵・ネコード」を1枚捕獲しました^^
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    だまし絵 II ── 進化するだまし絵

    だまし絵 II ── 進化するだまし絵

    • アーティスト:ジュゼッペ・アルチンボルド / パトリック・ヒューズ / ルネ・マグリット / エヴァン・ペニー / 福田 繁雄 / ヴィック・ムニーズ / サルヴァドール・ダリ / ...
    • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
    • 会期:2014/08/09 - 10/05
    • メディア:絵画・写真・版画・オブジェ
    • 展示作品:司書 / 風景/顔 / 鷹狩道具のある壁龕 / フェンダー・デラックス・リヴァーブ・アンプ 2 /「裏面」シリーズ、星月夜 / アンダーグランド・ピアノ / 生き写し / 広重とヒューズ / 引き伸ばされた女 #2 / 赤いモデル / 物見の塔 / 海辺に出現した顔と果物鉢の幻影 / 自画像 悲しすぎて話せない バス・ヤン・アデルによる / ...


    幻想の彼方へ

    幻想の彼方へ

    • 著者:澁澤 龍彦
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:1988/10/04
    • メディア:文庫
    • 目次:レオノール・フィニー、魔女から女祭司まで / マックス・ワルター・スワンベルク、女に憑かれて / ゾンネンシュターン、色鉛筆の預言者 / ポール・デルヴォー、夢のなかの裸体 / ハンス・ベルメール、肉体の迷宮 / バルテュス、危険な伝統主義者 / ルネ・マグリットの世界 / キリコ、反近代主義の亡霊 / マックス・エルンスト論 / ベルメールの人形哲学


    錯視芸術の巨匠たち ── 世界のだまし絵作家20人の傑作集

    錯視芸術の巨匠たち ── 世界のだまし絵作家20人の傑作集

    • 著者:アル・セッケル(Al Seckel)/ 坂根 厳夫(訳)
    • 出版社:創元社
    • 発売日:2008/04/20
    • メディア: 大型本
    • 目次:ジュゼッペ・アルチンボルド 合成的手法による肖像画 / サルバドール・ダリ 視覚の驚異 / サンドロ・デル=プレーテ 知覚の変化 / ヨース・ド・メイ パラドックスな世界 / M.C.エッシャー 知性と魂の巨匠 / 福田繁雄 遊び / ロブ・ゴンサルヴェス 魔術的リアリズム / マチュー・ハマーケルス 視覚的構成主義 / スコット・キム アンビグラム / 北岡明佳 錯視芸術 / ケン・ノールトン モザイクの肖像画 / ギド・モ...

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