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夏の終わりのトロンプ・ルイユ [a r t]



  • 私の子供の頃、「家族合わせ」というゲームがあった。手に絵入りのカードを持った競技者が、それぞれ、他の競技者に、順番に、一家族のメンバーを要求し、全部揃えなければならないのであった。肉屋さん、肉屋さんの奥さん、息子、娘、飼犬、という風に。アルチンボルドの合成された絵を前にすると、私は、同じように、「冬」の家族を再構成するよう求められるのである。こちらに切株、こちらに木蔦、きのこ、レモン、藁覆い、と求めていき、冬の主題のすべて、死んだ季節の産物の《家族》全体を目の前に集めるのである。あるいは、われわれは、アルチンボルドでもって、《中国の肖像》と呼ばれるゲームをするのだ。1人が部屋から出ていく。残った者は当てるべき人物を決める。出ていった者は、戻ってくると、隠喩(メタフォール)と換喩(メトニミー)を使った忍耐の要る手順を踏んで謎を解かなければならない。頬を見ると、それは何?──桃。──襟飾りは?──熟れた麦の穂。──眼は?──さくらんぼ。──わかった。「夏」でしょう。
    ロラン・バルト 「アルチンボルド または 「修辞家」 と 「魔術師」」


  • 〈奇想の王国 だまし絵展〉(Bunkamura 2009)は会期後半が夏休みと重なったために、相当混雑したらしい。毎週金・土曜日に実施されていた夜間開館を拡大して、7月24日から連日21時までに延長されたこと、ザ・ミュージアムの出口に置かれていた、お持ち帰り自由の丸い団扇に「本日は、お暑い中、奇想の王国 だまし絵展にお越しいただき誠にありがとうございます。申し訳ありませんがご入館までもう少しお待ちください」とあることからも、その盛況ぶりが窺われる。この団扇は館内へ持ち込めないので入口の回収BOXに返却しなければならない。つまり、入館待ちの行列者に配られていた団扇が用済となって、退館者にプレゼントされるようになったのである。団扇の裏には21世紀の東京に「魔界転生」した「ルドルフ2世からのお願い」も記されていた──《会場には、世界のいろいろなところから借りてきた貴重なだまし絵の数々が展示されておる。世界にひとつしかない作品を大切に、みんなで安全に楽しめるように5つのルールをお守りいただきたい》。

    「だまし絵」(トロンプ・ルイユ)とは平面に描かれた事物が本物のように立体的に見せたり、描かれているものとは全く別のものに見えたり(ダブル・イメージ)、特殊な見方をしないと何が描かれているか分からなかったり(アナモルフォーズ)、錯視効果によって眩惑させたりして観賞者の目を欺く「トリック絵画」のことである。しかし、3次元の現実世界を2次元のカンヴァスに封じ込める「絵画」という形態自体が一種の「だまし絵」だとも言える。遠近法によって構成された奥行きはニセモノであり、もとより現実の客観描写ではない。セザンヌやキュビスムの実験も3次元を解体して2次元上に再構成する試みだった。そもそも人間の知覚(視覚)が現実世界を客観的に認識しているわけでもない。人間には見えない色もあるし、聴こえない音もある。同じ空や雲を見ていても、その人の精神状態や感性によって千差万別‥‥感傷的になったり、逆に癒されたりする。「だまし絵」に騙されてしまうこと自体が人間の視覚の危うさを証明しているのではないだろうか。

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  • ルネッサンス以来の近代絵画において、画家たちの関心の何よりの対象となったリアリズムという観念は厳密にいうならば、現実世界を客観的に模写しようという欲求とはやや違っていた。カントの「物自体」説を持ち出すまでもなく、現象(外部世界)とは、感覚(視覚)にあたえられた素材を主観の直観形式(空間)によって秩序づけたものであり、私たちが目の前に見る外界とは、あたえられた感覚内容(形や色)を主観によって再構成したものにすぎないのだ。つまり、客観的現実(物自体)などというものは私たちの感覚にとって補足不可能なので、絵画におけるリアリズムとは、じつは、3次元の広がりをもった私たちの視覚上の錯覚を、2次元の平面上にいかにして組み立てるか、という問題にすぎなかったのである。リアリズムの探究とは、錯覚にほかならない私たちの視覚の法則を、いかに発見し、いかにして深化するか、ということでしかなかったのである。
    澁澤 龍彦 「遠近法・静物画・鏡、トロンプ・ルイユについて」

  • 「トロンプルイユの伝統」は17世紀ネーデルランドの画家たちまで遡る。大理石のレリーフのように浮き上がる〈羊飼いの礼拝〉。絵の額に手脚を掛けて身を乗り出した少年が驚いたような表情で右斜め前方を見つめる〈非難を逃れて〉(1874)。ローマ帝国王政末期の貴族の妻が右手に黒い短剣を持って胸に突き刺す〈ルクレティの自害〉。花瓶の球面に室内の人物が映っている〈花瓶の花〉(1640~)。砂時計、2冊の書物、骸骨‥‥妻が持つ鏡の中の自画像〈ヴァニタス──画家とその妻の肖像〉(1630's)。台紙、水彩画、半透明の紙‥‥3重に重ねられた紙が本物のような質感で描かれている〈水彩画の上に置かれた透明な紙〉(1676)。ナポレオンの肖像、和平条約、スペイン王カルロス4世が罅割れたガラスの額に収まった〈フランス・スペイン最終和平条約のトロンプルイユ〉(1801?)。2枚に張り合わせた画布の上部が捲れて、下絵の一部が見える〈ヴェローナの近くに幻視として現れた聖家族〉(1581)。

    大航海時代のコレクションを集めた「驚異の部屋」の棚(3列×5段)に壷、髑髏、珊瑚、化石、オーム貝、トロフィーなどが陳列されている〈珍品奇物の棚〉(1666)。新聞、櫛、クレヨン、鋏などが3本の赤いベルトで壁に挿まれている〈壁の状差し〉。メダル、ネックレス、金の鎖、手帳などの〈トロンプルイユ──静物(状差し)〉(1664)は17世紀後半のトロンプ・ルイユの典型的な意匠。ノート、本、羽根ペン、眼鏡などが半開きの食器棚から不自然に飛び出している〈食器棚〉(1663)。洋服ブラシ、砂時計、トランプ、骰子、手紙、ロウソク立てのある〈洋服ブラシとヴァニタスの静物画〉。本や鋏、ロウソクなどが入っている斜めに割れた〈床屋の戸棚〉。半開きカーテンの前にウサギ、3羽の鳥、猟銃が描かれている〈狩りの獲物のあるトロンプルイユ〉(1671)や、ウサギ、鳥、プラム、桃など〈果物と狩りの獲物のある静物〉(1706)は「だまし絵」というより、実物らしく描かれたリアリズム絵画に近い。

    19世紀後半、新大陸で花開いた「アメリカン・トロンプルイユ」‥‥愛娘ヘレン(7歳)の写真を飾ったジョン・フレデリック・ピートの〈思い出の品〉(1881ー1901?)や「JOHN F PETO」と描かれている〈画家のピンナップ・ボード〉(1904)。フレデリック・エドウィン・チャーチの〈復讐の手紙〉(1844-47)。罅割れたガラス・ケースの中に入ったデ・スコット・エバンスの〈インコへのオマージュ〉(1890?)には「このインコは南米生まれ。パリに送られ長い年月を経てフランス語をマスターするに至った。20歳で死んだ後、剥製にされ、今ここにある」というメモが添えられている。金網の中に5匹の犬がいるアレグザンダー・ポープの〈エサをやらないでください〉(1895?)。マガモ、ヤマウズラ、猟銃、火薬入れ、狩猟用ホルン、チロリアン・ハットが木製の扉に掛けてあるウィリアム・マイケル・ハーネットの〈狩りの後〉(1883)。メモ用ボードの上からチョークが紐でブラ下がっている〈石盤──覚え書き〉(1895?)。

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  • アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグはアルチンボルドの芸術を「理解」し「包括」しようと何度か試みている。「すべてを分類しようなどという激しい欲望に、私はとりつかれていない。美術史を重んじ愛する人ならば、個人の意見として、少しだけ曖昧な部分を残すことに喜びを見い出すであろう」。マンディアルグは、アルチンボルドが「ユニークさにかけては完全であり、唯一の偉人」であると信じている。彼がアルチンボルドに心を惹かれているのはとても個人的なものであり、それはアルチンボルドを初めて見たときのコメントからもうかがい知ることができる。それは1931年の秋のウィーン美術史美術館でのことである。「突然、私は彼の4作品に向き合っている自分に気がついた。「四季」の2作品〈冬〉と〈夏〉がそれぞれ1点ずつ、また「元素」の2作品〈火〉と〈水〉である。魔法にかけられたように私は、その場に立ち尽した」。さらに「そこに描かれている奇妙な顔に表れている混乱は、信じがたいほど強烈に生命を吹き込まれており、またそれはとても力強く表現豊かなので、初めて見た人が肝をつぶすのも驚くにあたらない」。
    ヴェルナー・クリーゲスコルテ 『アルチンボルド』


  • 「イメージ詐術の古典」には16世紀前後のトリック絵が並んでいる。円筒形の鏡を中心に立てると正しい像が鏡面に映し出されるドメニク・ピエラの歪み絵〈ルーベンスの《十字架昇架》の場面のあるアナモルフォーズ〉。アナモルフォーズ(歪曲像)の作図法を解説したアタナシウス・キルヒャーの書物『光と影の魔術』(1671)。斜め横から見るとオーストリア系ハプスブルグ家初代当主の肖像画が現われるエアハルト・シェーンの〈判じ絵──フェルディナンド1世〉(1531ー34?)。左右から見ると別の2つの絵が浮かび上がる(V字型に彫った蛇腹状の縞目の左右を描き分けている)パウルス・ロイの〈ルドルフ2世、マクシミリアン2世、フェルディナンド1世の3重肖像画〉(1603)。宮廷画家ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo 1527-93)〈ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)〉(1590?)はローマ皇帝を古代ローマ神ウェルトゥムヌスに模した肖像画で、四季を表わす野菜と果実と花で出来ている。日本初公開の「植物男」は図版で見るよりも緑っぽくて、とても400年以上前に描かれたとは思えないほど新鮮で瑞々しい野菜とフルーツと花だった。

    アルチンボルドの〈ウェルトゥムヌス〉には、洋梨、林檎、桃、ヘーゼルナッツ、サクランボ、赤トウモロコシ、大豆、サヤエンドウ、グーズベリー、マルベリー(桑)、麦、メロン、プラム、プルーン、葡萄、西洋サンザシ、柘榴、オリーヴ、玉蜀黍、西洋カリン、無花果、アーモンド、モロコシ、栗、蕪、ズッキーニ、茄子、玉葱、エシャロット、南瓜、アーティチョーク、キャベツ、チューリップ、カボチャの花、セキチク、薔薇、唐辛子、立葵 、アマの花、オダマキ、アラセイトウ、サンシキアサガオ、ジャーマンアイリス、マドンナリリー、デイリリー、キンセンカ、椿、カーネーション、レタス、チシャ‥‥など、50種以上の野菜と果実と花が描かれているという。「四季」(春・夏・秋・冬)や「4大元素」(大気・大地・火・水)シリーズのような横顔ではなく、正面を向いて微笑んでいるようにも見える〈ウェルトゥムヌス〉は「擬人化された静物画」(マンディアルグ)の傑作である。

    「4大元素」シリーズの1つ〈水の寓意〉はアルチンボルドではなく、「ジュゼッペ・アルチンボルドの流派」の作品として展示されていた。「アルチンボルドの謎に満ちた肖像画は、すでに彼が生きているうちから多くの者によって模倣され、模写されて、広くヨーロッパ中に流行した」(澁澤龍彦)というから、このベルギー王立美術館の寓意画はウィーン美術史美術館が所蔵している〈水〉(1566)のコピーかもしれない。このシリーズは〈大気〉⇒ 鳥類、〈大地〉⇒ 獣たち、〈水〉⇒ 水棲生物、〈火〉⇒ 火打ち石、ランプ、ロウソク、導火線、銃、大砲‥‥というように、野菜や果実や花で描かれた「四季」シリーズ以上に異形な肖像画となっている。蟹、亀、大ムラサキ貝、蛸、エイ、シャコ、鮫、鯨、セイウチ、マテ貝、アザラシ、タツノオトシゴ、海星、珊瑚、真珠(ネックレス)‥‥など、実物のスケールを無視してコラージュのように組み合わせた横顔はグロテスクで気味が悪い。

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    西洋のトロンプ・ルイユに較べると19世紀の「日本のだまし絵」は幽玄で奥ゆかしい。「描表装」(かきびょうそう)と呼ばれる幽霊の頭と下部の鬼火が掛軸の枠からハミ出した河鍋暁斎の〈幽霊図〉(1883)と〈閻魔と地獄太夫図〉。野葡萄、宮城野萩、水引、鵯上戸、鼠茅‥‥などが描かれた鈴木守一の〈秋草図〉や〈雛人形図〉。福禄寿(七福神)を描いた鈴木其一の〈正月飾図〉。1年前の3月に死んだ知人の娘を偲んで描いたという〈白衣楊柳観音図〉。裸体を組み合わせて人の顔を作る歌川国芳の戯画〈みかけはこはゐがとんだいゝ人だ〉、ポパイみたいな〈人をばかにした人だ〉(1847ー48)。15匹のネコちゃんが文字を作る〈猫の当て字 なまづ〉(1843?)も可愛い。円筒状の凸面に映して見る桜寧斎の鞘絵〈鏡中図〉(1750)は和製アナモルフォーズ。歌川広重の影絵遊びシリーズ〈即興かげぼしづくし〉(1830-44?)は宴会芸かもしれない?‥‥会期中に4回も展示入れ替えが行なわれたために、時期によって見られない国内作品が多々あったのは残念だった。

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    「20世紀の巨匠たち」はマグリットやダリなどのシュルレアリスム絵画が中心。ヌード女性の影が彫像のように見える〈夢〉(1945)、ピレネー山脈の連なりが翼を広げた鷲のように見える〈前兆〉(1938)、乗馬の女性と森の木々が遠近法を交差交錯させる〈白紙委任状〉(1965)、女性のヌード画を描く画家を描いている〈無謀な企て〉(1928)、イーゼルに架けた「風景画」が周囲の風景の一部となって同化する画中画〈囚われの美女〉(1931)、床に落ちて割れた窓ガラスに赤い夕陽が砕け散っている〈落日〉(1964)‥‥など、既存のイメージを改変、結合させるルネ・マグリットの作品は殆どが「だまし絵」と看做しても良い。ポール・デルヴォーの〈窓〉(1936)は白いレースの縁飾りのある紺色のドレスを着た女性が左右に開いた窓の外から後ろ向きで室内(田舎の風景!)を眺めている、内と外が逆転したマグリット的な不条理世界を描いている。

    サルヴァドール・ダリの〈スルバランの頭蓋骨〉(1956)は聖堂内が17世紀スペインの巨匠スルバランの髑髏に見えるというダブル・イメージ。誤って夫を猟銃で射殺した後に自殺した女優〈アン・ウッドワード夫人の肖像〉(1953)は背景の石のアーチが駱駝のように見えなくもない。ピエール・ロアの〈田舎の1日〉(1931)はワイン・グラスと卵と城が均一の大きさで描かれたデペイズマン。鳥と田園の組み合わせが左右対象図になっている〈昼と夜〉(1938)、無限階段の〈上昇と下降〉(1960)、水路の水の流れが循環する永久機関のイメージ〈滝〉(1961)、不可能図形「ネッカーの立方体」による〈ベルベデーレ(物見の塔)〉(1958)、左から見下ろし右から見上げる〈凸面と凹面〉(1955)、人や動物や魚や鳥の〈モザイク(平面充填 II〉(1957)‥‥など、M. C. エッシャーの版画が巧緻な「だまし絵」であることは今さら言うまでもないだろう。

    「多様なイリュージョニズム」には写真やオブジェなど、絵画(平面)以外の現代美術も展示されている。黒い半球(空洞)の中が充満しているように見えるアニッシュ・カプーアの〈虚空 No.3〉(1989)。マルセル・デュシャンの3次元イリュージョン作品〈ロトレリーフ〉(1935/65)と、回転するウズマキ模様のフィルム〈アミネック・シネマ〉(1925ー26)。ジャスパー・ジョーンズの小さなレリーフ〈パン〉(1969)。リサ・ミルロイの20枚の〈皿〉(1992)は意外にサラッと描かれている。黒い便座の中にダチョウの卵の写真が貼ってあるマン・レイの〈だまし卵〉(1963ー68)は「trompe-l'oeuf」という言葉遊び。白からグレーへ波線が変化するブリジェット・ライリーの〈ただよい 1〉(1966)や、ヴィクトル・ヴァザルリの青とグレーの四角い枠模様〈ヴォナル・ブリアール〉(1968/73)はオプ・アート(錯視的芸術)とも呼ばれている。

    見る方向によって帽子を被ったヨーゼフ・ボイスの横顔にも野ウサギにも見えるマルクス・レーツのオブジェ〈変容 II〉(1990-92)。高松次郎の変形された白いダイニング5点セット〈遠近法のテーブル〉(1967)と、壁のフックに掛けられたハンガーやテーブル上のポットなどが影として描かれた〈影A〉(1964)。フラ・アンジェリコの天使像のシルエットを象った福田繁雄のオブジェ〈Sample〉(1977)。流れるプールやスクランブル交差点をミニアチュール風の写真に撮った本城直季の「small planet」シリーズ。額装された静物画が壁の中へ侵食している福田美蘭の〈壁面5°の広がり〉(1997)。「だまし絵展」の最後に、アッと驚くサプライズが待っていた!‥‥観賞者の視点移動によって絵が動くパトリック・ヒューズのリヴァースペクティヴ(Reverspectiveは「reverse+perspective」の造語)〈水の都〉(2008)は「トロンプ・ルイユは遠近法の逆説である」という澁澤龍彦の言葉を文字通りに実証した3Dアートだった。             
                                
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    • ルドルフ2世からのお願い 1. 作品にはさわらない 2. 柵やカベによりかからない 3. アメやガムを含む飲食は× 4. カメラや携帯電話は× 5. メモをとるときはえんぴつで

    • パトリック・ヒューズ(Patrick Hughes)の「patrickhughes.co.uk」が面白い
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    奇想の王国 ── だまし絵展

    奇想の王国 ── だまし絵展

    • アーティスト:アルチンボルド / ペレ・ボレル・デル・カソ / マグリット / エッシャー
    • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
    • 会期:2009/06/13 - 08/16
    • メディア:絵画・写真・版画・オブジェ


    美術論集 ── アルチンボルドからポップ・アートまで

    美術論集 ── アルチンボルドからポップ・アートまで

    • 著者:ロラン・バルト(Roland Barthes)/ 沢崎 浩平(訳)
    • 出版社:みすず書房
    • 発売日:1986/07/10
    • メディア:単行本
    • 目次:文字の精神 / エルテ または 文字通りに / アルチンボルド または「修辞家」と「魔術師」/ 絵画は言語活動か / アンドレ・マソンのセミオグラフィ / サイ・トゥオンブリ または 量ヨリ質 / 芸術の知恵 / ヴィルヘルム・フォン・グレーテン / この古きもの、芸...



    アルチンボルド

    ジュゼッペ・アルチンボルド(ARCIMBOLDO)

    • 著者:ヴェルナー・クリーゲスコルテ(Werner Kriegeskorte)/ Aoki Yuko(訳)
    • 出版社:TASCHEN
    • 発売日:2001/06/30
    • メディア:単行本(ソフトカヴァ)
    • 目次:アルチンボルドの生涯と業績 / アルチンボルドの絵画 / アルチンボルドのウェルトゥムヌス / 科学者としてのアルチンボルド / アルチンボルドの素描 / 年譜 / 参考文献

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    モバサム41

    今日の1曲(笑)
    Icarus (Borne On Wings Of Steel) 「銀翼のイカルス」/Kansas
    アルバム『仮面劇』より
    http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B001DNF6T8/sr=1-4/qid=1253636620/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=561956&s=music&qid=1253636620&sr=1-4
    by モバサム41 (2009-09-23 01:56) 

    sknys

    明日の1曲(苦笑)
    Italy / Akron/Family アルバム『アクロン/ファミリー』より
    http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B000HEYVZY
    by sknys (2009-09-23 21:53) 

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