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ノンノン人生 [c o m i c]

小中学生時代、男女の読むマンガの間には見えないバリアがあって2つに峻別され、両者間の横断・交流は全くと言って良いほど絶たれていた。少年マンガを読む女子は殆どいなかったし(読んでいたとしても黙っていた?)、少女マンガを読む男子に至っては皆無に等しい。それでも、クラスの女子が「少女マンガを読め」と男子に半ば強要する椿事が何度かあった。「スカートめくり」をするような男子でも『ハレンチ学園』を読むように女子に勧めたりは間違ってもしないものだが、何故か女子は自慢気に少女マンガ誌のページを開いて、これ見よがしに示すのだ。口が耳まで裂けた「へび女」(1966)や、全身がウロコに覆われた「半魚人」‥‥楳図かずおの怪奇ホラー(そんな名称は当時はなかったけれど)。クラスの女子ってこんなキモいのを読んでいるんだ、グロいなぁ‥‥と驚き、少年誌に連載された楳図版『ウルトラマン』まで気色悪くて読むのを避けていた記憶がある。

次にクラスの女子(親友の従姉妹だったかもしれないが)が鼻高々に見せてくれたのは大和和紀(原作・島中隆子)の『真由子の日記』(1970)だった。ヒロインの吉岡真由子(15歳)には心トキメキましたね。当時「COM」を愛読していたマンガ少年だったので、さして驚くような内容ではなかったし、絵的にも「旧少女マンガ」のスタイルから抜け切れていない記号的な表現や決まり切った道具立てと、劇画的な描写が混じり合った過渡的な作品だったと今にして思うけれど、冒頭のオールヌード〜半分に割ったマスクメロンの中身を刳り貫いて胸パットにしちゃうシーン(メロンパン2個じゃないところがエロい!)が衝撃的で、今でも鮮烈に脳裡に焼き付いている。時代的には〈花の24年組〉のデビューした頃、少女マンガ革命前夜の先駆的作品(内的独白の多用、ビートルズの歌詞引用、マグリット&ダリ風の心象風景、劇画タッチの性描写etc.)でしょうか。でも、それは別の話‥‥。

楳図かずおが〈怪奇ホラー・マンガ〉のパイオニアだとすれば、水木しげるは〈妖怪マンガ〉の巨匠である。ページを捲る指に黒インク(黒ベタ)がベッタリと着きそうな粘着的質感。片や背景等の克明な描き込み(細密画)にも拘らず、どこか白っぽく乾いた感触。恐怖とユーモア。人間(読者)を絶叫マシンに乗せてしまう怖しいバケモノと、どこか愛嬌のある憎めない妖怪たち‥‥。超常現象やバケモノ・妖怪たちの跋扈する異世界を描きながら、楳図・水木の両者は好対照と言うべき鮮やかな対比を見せる。何故、水木の妖怪は怖くない(愛らしい?)のか、その多くがキャラクター・グッズ──展示室を出た後で、貴方は待ち構えている水木ブランドの妖怪グッズ類に圧倒されることでしょう──になっているのに楳図キャラは一部を除き「商品」になり難いのか‥‥楳図の方がリアル(ホラー劇画)に描かれているからなのか?‥‥など、興味は尽きない。

                    *

〈大(Oh !)水木しげる展〉が全国9ヵ所で巡回開催された。東京会場は墨田区江戸東京博物館(2004.11.6 ー 2005.1.10)──今回初めて行って来ましたが、JR両国駅前に良くもまぁ、こんな巨大な「ハコモノ」が建ったもんだと呆れ返りますね。荒俣宏・京極夏彦両人が共同プロデュースした本展は、50年以上に渡る水木しげるの画業だけでなく、少年時代に描いた「絵本」や戦時中ラバウルでの「スケッチ」、紙芝居の原画、貸本マンガ、妖怪コレクションなど‥‥約1000点にも及ぶ貴重資料で回顧する大展覧会である。展示会場は6つのセクション──〔1〕天才児あらわる 〔2〕水木二等兵の地獄と天国 〔3〕嗚呼、極貧生活 〔4〕なまけものになりたい 〔5〕愛しの妖怪たち 〔6〕水木ワンダーランド──に分かれ、各入口には目玉おやじ、ねこ娘、子なき爺、ぬりかべ、一反木綿、砂かけ婆のブロンズ像が然りげ無く鎮座している。

展示室に入って最初に目を惹くのは、水木しげるの等身大フィギュアと、82年の人生を絵巻物風に描き下ろした全長10mに及ぶ〈人生絵巻〉──父・武良亮一、母・琴絵の次男、大正11年 (1922)3月8日生まれ、のんのんばあ、妖怪「べとべとさん」、ひだる神、「少年天才画家あらわる」、召集令状(1942)、ラッパ卒、ニューブリテン島(ラバウル)、ビンタ地獄、マラリア発症、左腕切断、トライ族、敗戦(1945)、帰国(1946)、紙芝居作家(1950)、貸本マンガ家、デビュー作『ロケットマン』(1958)、結婚(1961)、長女・尚子誕生(1962)、『悪魔くん』(1963)、『テレビくん』(1965)、次女・悦子誕生(1966)、売れっ子多忙地獄、父逝去(1984)、紫綬褒章授賞(1991)、母逝去、水木しげるロード完成(1994)、第1回世界妖怪会議(1996)、初孫誕生(2002)、水木しげる記念館(2003)‥‥。

〔1〕少年時代に自作した絵本──〈白雪姫〉〈昆虫童話集〉(1938)、〈ルムペルシュティルヘン〉(1939)、〈森の中のエホン〉〈黄金の卵〉(1940)等と、スライド映写。〔2〕〈少年戦記〉シリーズ(兎月書房)──〈0戦とグラマンの血闘〉(1959)、〈奇襲ツラギ沖〉(1964)、〈幽霊艦長〉(1967)、〈ダンピール海峡〉(1970)、〈総員玉砕せよ!〉〈姑娘(クーニャン)〉(1973)、〈カンデレ〉(1979)。〔3〕紙芝居原画〈小人相撲〉(阪神画劇社)と、TVドラマ《のんのんばあとオレ》(NHK 1991)のTV撮影用に描き下ろした紙芝居画〈物の怪の宿〉。160冊以上の貸本に描いたマンガ──〈水人間あらわる〉〈幽霊一家 墓場鬼太郎〉〈下宿屋〉〈地獄の片道切符〉(1960)、〈怪奇一番勝負〉(1962)、〈霧の中のジョニー〉〈約束〉(1963)、〈ないしょの話〉〈アホな男〉〈深雪物語〉〈古墳大秘記〉(1964)、〈忍法屁話〉〈呪われた村〉〈青葉の笛〉〈空のナイフ〉(1965)‥‥。

〔4〕雑誌掲載マンガ作品──〈勲章〉(1964)、〈テレビくん〉〈地獄流し〉(1965)、〈大海獣〉〈怪奇死人帳〉〈鳥かご〉〈なまけの与太郎〉〈丸い輪の世界〉(1966)、〈さら小僧〉〈吸血鬼エリート〉〈ぬらりひょん〉〈妖怪獣〉(1967)、〈のっぺらぼう〉〈おどろおどろ〉〈朧車〉〈河童の三平〉〈朝鮮魔法〉(1968)、〈紙の毛大戦〉(1969)、〈悪魔くん復活〉〈ベーレンホイターの女〉〈コケカキイキイ〉〈妖怪水車〉〈巷説近藤勇〉(1970)、〈目目連〉〈糞神島〉〈劇画ヒットラー〉(1971)、〈のんのんばあ〉(1975)〈おばけのムーラちゃん〉、サイレント・ショック・シリーズ〈いかりの巡回 / 博愛 / 子供の魂〉(1979)、〈猫楠〉(1991)、〈神秘家列伝〉(1997)‥‥。

〔5〕〈天中コブ〉(未発表作品)、絵物語〈妖精をたずねて〉(1966)、〈田舎の河童たち〉(1991)、〈厄抜け階段〉〈釘抜き地蔵尊〉〈がしゃどくろ〉〈小豆洗い〉〈アフリカの妖怪たち〉(1992)、〈釣瓶落とし〉〈化け草履〉(1993)、〈ニューギニアの精霊〉(1994)、〈あかなめ〉(1998)、〈東京にやって来た妖怪〉──墓場の鬼太郎の家 / アドバナラ / 大海獣 / 妖狐族 / ぐわごぜ / あかなめ / 化け猫 / エンラエンラ / カニ妖怪、調布図書館「図書館だより」表紙絵(1988〜)、調布市天神通りの妖怪キャラ人形‥‥。〔6〕〈妖怪53次〉シリーズ(55回)。〈水木ブランド大見本市〉──お面 / トランプ / フィギュア / 人形 / レコード / Tシャツ / 手拭い / 堤灯 / ゲーム‥‥。〈水木しげる堂書店〉──著作、マンガ本。〈妖怪倉庫〉──トンガ / マレー半島(セイノ族)/ 中国(雲南省)/ メキシコ / 台湾 / ブータンなど妖怪旅行の際に買い漁って来た木彫り像や仮面コレクションの数々。〈妖怪探索写真館〉──バリ / アイルランド / オーストラリア / カナダ / カリマンタン(ボルネオ島)/ ドゴン(マリ)/ ジャマイカ / 富士山麓など‥‥旅行中に撮った写真パネル。

                    *

本展では『カランコロン漂泊記』(小学館 2000)所収のコミック・エッセイ(8頁)を拡大パネル化して随所に展示していたが、そんなものを熱心に観ていてもツマラない。後から幾らでも本や文庫で読めるからだ。それよりも〔4〕に併設展示されていた奇妙なオブジェ作品──〈TV生物が映っているTV〉〈死人帳〉〈鳥かごハウス〉〈ソロモンの笛〉(たて笛・オカリナ)、〈霊界輸送機〉〈古代の石臼〉(タイムマシン)〈鬼太郎の円陣の家〉(ちゃんちゃんこ / 布団 / 茶碗風呂 / 下駄 / 霊界TV)、〈ぺったらぺったらこ〉(EP盤)、〈ゼオクロノドンの写真〉〈中場の屁太郎〉(横山貧観)、〈人魂の天ぷら〉〈妖怪写真機と写真〉〈ねずみ男のそろばん〉〈ぬりかべのコテ〉──を眺めたり、ズラッと並んだ幻の「貸本マンガ」や「妖怪絵巻物」(参考展示品)の所蔵者に京極夏彦の名前を見つける方が遙かに愉しい。水木ワールドの全キャラが一堂に会した「大水木しげる展ポスター」の中で、前方の好位置をキープした荒俣氏に対し、左後方で小さく畏まっている京極氏を訝しく思っていたけれど、このデザインを手掛けたのが京極氏本人だったのですね。

『水木しげる伝』(講談社 2004ー5)は『ボクの一生はゲゲゲの楽園だ』(2001)を改題〜再編集した完全版(文庫本 全3巻)。(上)戦前・(中)戦中・(下)戦後篇から成る3部作で、水木サンの少年・軍隊・マンガ家時代を現役80歳の著者本人が出演して自ら語り(ねずみ男を狂言回し役に)、回想するマンガ家一代記である。水木しげる(本名・武良茂)は1922年鳥取県生まれ(正確には大阪市住吉区生まれ──当時、父亮一の仕事の都合で大阪に住んでいたが、茂の生後1ヵ月後に鳥取県境港へ帰郷した)。武良家の先祖は武良隣左ェ門という戦国時代の豪族で、《4代前の惣平は江戸時代、境港で大きな回船問屋を営んでいた》らしい。《母・琴江も生家は苗字帯刀御免の家系で倉が3つもあるような旧家だった》という。3人兄弟の次男・茂の子供時代の渾名は「ズイタ」(何でも食べる浅ましい者)。ある日、日の丸の先に付いていた「金の玉」を食べて苦しんでいるところを、「のんのんばあ」に救けられる‥‥。

『のんのん人生』(大和書房 2004)は『水木しげる伝』のダイジェスト・カラー版という趣きの1冊。「自伝」の戦前・戦中・戦後‥‥の主要エピソードを絵と文で再構成、1頁の上下に配した「絵日記」「紙芝居」風の小洒落た絵本。「ネコンババ」と喋った「第一声」や、日章旗の先の金の玉を食べてしまった「ズイボ」(食いしん坊)、家政婦の「のんのんばあ」、妖怪「サザエ鬼」「べとべとさん」「ひだる神」、夏休みに兄弟たちと片道20kmの道程を徒歩で往復して買い喰いした「ドーナツ」。軍隊での「ビンタ」地獄、「ラッパ卒」を辞退して南方の野戦場(ラバウル)に飛ばされた顛末、「マラリア」発症、左腕「切断」、原住民トライ族との親交、「終戦」と「復員」。戦後の「買い出し」「美術学校入学」「魚屋になる」「募金旅行」「水木荘」家主、紙芝居画家、貸本マンガ家、「質屋通い」、デビュー作『ロケットマン』、見合い結婚、『悪魔くん』、月刊漫画誌「ガロ」連載、『テレビくん』で第6回講談社児童漫画賞授賞‥‥80年に渡る水木サンのエポックが語られる。

本展覧会でも印象的だったカラー・イラスト画(1枚絵)は「原画」ではなく、モノクロ原画を白黒コピーして水彩着色を施したもの。カラーコピーが一般普及する前に良く素人が試みた「ぬり絵」疑似カラーの手法だが、不思議な透明感や郷愁を醸し出していて、実に愉しい。細密画のように克明に描かれた背景、フロッタージュみたいな植物や樹木、板の木目、畳の目、点描による墓石や石像、デフォルメされた卵形の顔、つげ義春風の美少女、「フハッ」という水木オリジナルの擬音と「鼻息」、表紙カヴァーの妖怪オールスターズ(鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男、砂かけ婆、子なき爺、一反木綿、ぬりかべ、ねこ娘‥‥)、短文に添えられた全99葉のカラー画が美しく映える。「生涯現役」のマンガ家・水木サンの「人生」を手っ取り早く知りたいのなら、全1400頁以上にも及ぶ重厚濃密な「自伝マンガ」3巻本より、この「絵本」を読むべきでしょう。

『水木しげるの「妖怪」人生絵巻』(朝日新聞社 2005)は本展覧会のカタログを加筆・再編集したヴィジュアル・ムック本。巻頭の綴じ込み絵巻──少年時代に描いた〈昆虫絵巻〉と〈水木しげるの人生絵巻〉が圧巻。モノクロ写真、スクラップブック(新聞題字集・世界地理人口表)、六道絵図(地獄極楽絵図)、習作画、自作絵本・童話、マンガ・イラスト、戦場スケッチ、復員後の「画帳」、紙芝居作品(再制作)、貸本漫画コレクション、「鬼太郎」シリーズ、100以上のキャラクラー集、水木しげる堂書店(事典・エッセイ・コミックス・雑誌)、妖怪ブロンズ像、簡略年譜(2005年7月)‥‥オールカラーの図録を眺めながら、展示会場の記憶を立体的に再構築出来る。2007年4月から『ゲゲゲの鬼太郎』が5度目のTVアニメ化、GWには実写版映画『ゲゲゲの鬼太郎』も公開されるというのだから、全国の妖怪おたく、鬼太郎ファンは〈水木ワールド〉から目が離せない。

                    *

  • 楳図マンガが読めないのは少年時代のトラウマ(へび女)だったのか!

  • お気に入りの妖怪キャラは「ねこ娘」ですが、意外に出番が少ないのよね^^

                    *



大(Oh!)水木しげる展

大(Oh!)水木しげる展

  • アーティスト:水木 しげる
  • 会場:江戸東京博物館
  • 会期:2004/11/06 ー 2005/01/10
  • メディア:コミック

水木しげる のんのん人生 ── ぼくはこんなふうに生きてきた

水木しげる のんのん人生

  • 著者:水木 しげる
  • 出版社:大和書房
  • 発売日:2004/12/10
  • メディア:単行本
  • 目次:まえがき / のんのん人生はじめのはじめ / ケンカと絵と妖怪と / 戦争はタイヘンだ / とにかくイロイロやりました / マンガ家人生も甘くない / 売れた! 倒れた! 南の島だ!/ それでも水木サンは進む

完全版 水木しげる伝〈上〉戦前編

完全版 水木しげる伝〈上〉戦前編

  • 著者:水木 しげる
  • 出版社:講談社コミッククリエイト
  • 発売日:2004/11/12
  • メディア:文庫

水木しげるの「妖怪」人生絵巻

水木しげるの「妖怪」人生絵巻

  • 著者:水木 しげる
  • 出版社:朝日新聞社
  • 発売日:2005/07/31
  • メディア: 大型本
  • 目次:開発途上の水木しげる(子どもの頃から自由人 / 小学生時代の産物 / 正福寺の地獄極楽図 ... )/ 水木しげるの高度成長期(貧乏神去る / 妖怪いそがしに憑かれる 「テレビくん」... )/ 水木しげるの金字塔(奇想天外キャラクター図鑑 / 水木しげる堂書店 /「田舎の河童」... )

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コメント 6

びっけ

こんにちは。
先日は遊びに来ていただいて、ありがとうございました。
水木しげる・・・は、正直、苦手です。
でも勤めている小学校の図書室では、水木しげるの本「妖怪大戦争」などは今も人気です!

さて、楳図かずおの「へび女」!!!
これを読んだのは小学校低学年だったでしょうか・・・。
とにかく怖くて、それ以来、足をまっすぐに伸ばして眠れない人です。
・・・(小さな声で) 今も・・・。
なんだか布団の下の方から、へび女が出てきそうなんですもの。
by びっけ (2007-04-21 20:18) 

sknys

びっけさん、コメントありがとう。
楳図ホラーvs水木妖怪の2項対立をイメージしていたのですが、
両者とも「苦手」という埒外の領域を忘れていました。

貴方はイヌ派かネコ派かという女性誌の電話アンケートに
「犬も猫も嫌いだ!」と答えて、
女性編集者を絶句させた別役実氏のエッセイを思い出しちゃった^^

それにしても「へび女」‥‥このホラー・マンガが全国の少女たちに
与えた影響(トラウマ)を考えると、心底怖しい。
美少女を描いても気味悪い「天然ホラー」なんですね。

TVアニメ版『鬼太郎』の妖怪キャラ(ねこ娘)は可愛いですよ。
実写版『妖怪大戦争』(2005)はキャスティングの妙
‥‥エンドロールまで見ないと誰だか分からない特殊メイクに仰天しました。
by sknys (2007-04-21 21:09) 

miyuco

sknysさん、こんにちは。
楳図かずおはトラウマです^^;

「真由子の日記」は少フレ掲載時に読んでいて
エキセントリックなところが強く印象に残りました。
そのころは洋楽なんてぜんぜんわからなくて
The Beatles, “She's Leaving Home”と結びついたのは
ずいぶん後にコミックスで読み返したときでした。
メロン、そういえば使ってましたね!

私は少女マンガを男子に強要したりしてないですよ~
by miyuco (2007-04-22 13:57) 

sknys

miyucoさん、コメントありがとう。
《恐怖マンガの第一人者として、全国的に知られることになった作品。
全国の少女のみならず、少年たちにもトラウマを与えた》
(楳図かずお『へび女』ー Wikipedia)

萩尾望都の「ビアンカ」等に比べると旧少女マンガの記号的な絵ですが、
ヒロインの行動は大胆過激でした。
後のレディコミに繋がるテーマ(性愛)かもしれません。

真由子が家出する朝に流れる〈She's Leaving Home〉
‥‥誰かが指摘するだろうと思って、敢えて曲名を書かなかった^^
少女マンガに引用された洋楽(ロック)の嚆矢ではないでしょうか。

『ポーの一族』を読めって、クラスの男子を生徒会室に監禁しませんでした?
by sknys (2007-04-22 15:13) 

千露

こんばんは。漫画の話題となるとどうも首を突っ込んでしまいます。
私の世代だと「楳図かずお」と聞いてまず思い浮かぶのは『まことちゃん』です。(笑)
私の小中学生時代(1980年代)には皆普通に「ジャンプ」や「サンデー」を読んでいました。
むしろ作品によっては女子のファンのほうが多いものもあったと思います。
子どもの頃通っていたピアノ教室では、生徒はほとんど女子なのになぜか置いてあったのは「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」「チャンピオン」といった雑誌でした。
70年代には女子が少年漫画を読むことは一般的ではなかったのに、
80年代に入ると女子が当たり前のように少年漫画を読むようになったというのも面白いですね。
by 千露 (2007-04-23 22:05) 

sknys

千露さん、コメントありがとう。
楳図作品は美少女や幼稚園児を描いても怖い「天然ホラー」だと思います
(水木妖怪マンガは女性に人気がないのかなぁ)。

時代考証をしていないので精確ではありませんが、
恐らく70年代後半からでしょうか?
‥‥一部の男子が〈花の24年組〉の少女マンガを読むようになったのと
クロスオーヴァするように、
女子が少年誌(のラヴコメ)を違和感なく読むようになったのは。

硬派スポ根の少年マンガに美少女という「異性」が入って来て、
内も外も女性化(自由化?)したわけです。
もっとも、萩尾望都や竹宮惠子や吉田秋生のように、
60年代に『新撰組』や『伊賀の影丸』や『バンパイヤ』等の
少年マンガを読んで影響を受けたマンガ少女もいたけれど。

90年代以降は、少女マンガが悪い意味で「少年マンガ化」しちゃっている
‥‥ような気も^^
by sknys (2007-04-24 02:48) 

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