SSブログ

謎秘めたキリコ [a r t]

  • © Castello di Rivoli Museo d'Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024


  • ある澄み切った秋の午後、私はフィレンツェのサンタ・クローチェ広場の中央にあるベンチに腰掛けていた。勿論、私がこの広場を見たのは初めてのことではなかった。私は長く苦しい腸の病から抜け出したばかりで感覚はほとんど病的な状態にあった。自然の全て、建築物の大理石や噴水までもが私には病み上がりのように思われた。広場の中心には長いマントを羽織ったダンテの像が立っており、自身の著作を自らの体にしっかりとつけるように握り締め、月桂樹をかぶった物思わしげなその頭を地上に向けて傾けていた。その像は白い大理石で出来ていたが、時間が灰色の色調を与えており、眺める目に快かった。生ぬるい秋の太陽が容赦なく彫像と教会のファザードを照らし出していた。そのとき私は、全てを初めて見ているのだ、という奇妙な印象を覚えた。そして作品の構成が心に浮かんだ。私はこの絵を眺めるたびにこの瞬間を思い出す。とはいえこの瞬間は私にとって一つの謎だ、というのもそれを説明できないからだ。そこから生じた作品も私はまた謎と呼びたいと思う。
    ジョルジョ・デ・キリコ 「無意味の形而上学」


  • ■ デ・キリコ展(東京都美術館 2024)
  • ゲリラ豪雨と体温超えの猛暑、体調(熱中症)も気遣いながらタイミングを見計らっていたけれど、日頃の優柔不断が祟ってか、早くも会期終幕まで1カ月を切ってしまった。それでも悪しきシステム 「日時指定予約制」(8/20~29)になる前に何とか折り合いをつけて平日(土 ・日・祝日は全日予約制)に行って来た。トビ館はエスカレータで降りた地階(LBF)から1〜2階へ昇って回覧するルート。5つのセクション 「自画像・肖像画」 「形而上絵画」 「1920年代の展開」 「伝統的な絵画への回帰──「秩序への回帰」 から 「ネオ・バロック」 へ」 「新形而上絵画」 、3つのトピック 「挿絵──〈神秘的な水浴〉」 「彫刻」 「舞台美術」 というテーマ別に、ギリシャ生まれのイタリア人ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888-1978)の約70年に渡る画業を110点の絵画(油彩、テンペラ、水彩、パステル、鉛筆)、彫刻(ブロンズ)、挿絵(リトグラフ)、舞台美術・衣装(スケッチ)で回顧する。

    自らコスプレ・自己演出した 「自画像・肖像画」(SECTION 1)。デ・キリコの彫像と自画像を左右に対置させた〈自画像〉(c.1922)、古典主義の画法で描いた〈17世紀の衣装をまとった公園での自画像〉(1959)、黒い半袖衣服を着た2番目の妻イザベラ・ファーの肖像〈秋〉(1935)。1909年10月イタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で受けた啓示(未視感)から始まった「形而上絵画」(SECTION 2)。青黒い空、塔、彫像、アーケード、長く伸びた黒い影などが誇張された遠近法上に配置された 「イタリア広場」 シリーズの〈バラ色の塔のあるイタリア広場〉(c.1934)や〈イタリア広場(詩人の記念碑)〉(1969)。第一次世界大戦中の1915年、フェッラーラの病院の配属されたデ・キリコが制作した 「形而上的室内」。2つの建築構造の開口部、金髪の胸像、黒地に白線で描かれた脳を露わになって目を閉じた人物の横顔と円のイメージ、逆さまになった魚のデッサン、茶色の木目、文字や記号が書き込まれた〈運命の神殿〉(1914)など。

    緑色の開口窓、定規などの製図用具、青い背景と円柱のシルエット、額に嵌ったビスケットと海図を室内にコラージュした〈福音書的な静物Ⅰ〉(1916)、ミケランジェロの描いた腕(額装)の奥に三角定規などの製図用具を配した左右に開口部のある新形而上絵画〈「ダヴィデ」 の手がある形而上的室内〉(1968)。ミューズ、予言者、詩人、哲学者、画家など様々な人物を演じる 「マヌカン」 はデ・キリコ絵画を代表するイメージである。黒字に白線の描かれたカンヴァスを見つめる手のないマヌカン(『20世紀少年』の 「ともだち」 や『新世紀エヴァンゲリオン』の 「使徒」 を想わせる)の〈予言者〉(1914-15)、黒い空洞の顔に三角定規が鼻のように垂直に立つ赤いマヌカンと背後の白いマヌカンの〈形而上的なミューズたち〉(1918)、ギターを弾く人物と背中に寄り添う卵形の人物をルノワール風に描いた〈南の歌〉(c.1930)、下半身が彫像と化した赤い頭部の後ろ向きマヌカンと膝の上に頭部を抱いて青い箱に座ったマヌカンの〈不安を与えるミューズたち〉(c.1950)など。

  • それはボルゲーゼ美術館にいたときのことだった。ある朝ティツィアーノの作品〔引用者註 :「山田五郎 オトナの教養講座」 は〈聖愛と俗愛〉(Sacred and Profane Love 1514)ではないかと解説している〕の前で、私は偉大な絵画についての啓示を得たのである。部屋のなかに言葉が燃え上がるのが見え、一方、外では町の上の澄み切った空の広がりを通して壮麗な音が響いた。それはまるで敬礼の際に一斉に打ち合わされる武器の響きのようであり、それに呼応する精霊たちの恐ろしいほどの歓声とともに復活を告げるラッパの音が響いた。/ 私は、自分のなかになにか途轍もないものが生じていることがわかった。それまでイタリアやフランスやドイツの美術館で巨匠たちの絵を眺めていても、私はやはり誰もが見ているようなものしか認めていなかったのだ。つまり、私はそれらを描かれたイメージ〔immagini dipinte〕とみなしていたのである。
    ジョルジョ・デ・キリコ 「無意味の形而上学」


  • 1919年ローマ・ボルゲーゼ美術館を訪れ、ティツィアーノの作品の前で偉大な絵画についての2番目の啓示を得たデ・キリコは形而上絵画という 「描かれたイメージ」 から、「技術への回帰」 というマティエールの探求へ向かう。「剣闘士」 「考古学者」 「室内風景と谷間の家具」 など、新たなテーマを見出した 「1920年代の展開」(SECTION 3)。室内に2階・3階建ての家が配置されたデペイズマン風の〈緑の雨戸のある家〉(1925-26)、黒っぽい仮面の男、マヌカン、裸の剣士が闘う〈剣闘士〉(1928)、上半身にギリシャ神殿が描かれた2人の胴長人物がソファに座って肩を組む〈考古学者たち〉(c.1927)。ルネサンスやバロック期の古典絵画へ傾倒した 「伝統的な絵画への回帰──「秩序への回帰」 から 「ネオ・バロック」 へ」(SECTION 4)。 妻イザベラ・ファーのヌードを古典的な画法で描いた〈〈風景の中で水浴する女たちと赤い布〉(1945)、上半身ヌードの〈眠れる少女(ヴァトーの原画に基づく)〉(1947)など。

    晩年に形而上絵画を再解釈・再構成した「新形而上絵画」(SECTION 5)。形而上的室内の左側の壁に架かっている画中画(塔、アーケード、彫像の形而上絵画)、右側の壁の窓から見える古代ギリシャ風の神殿、床に描かれた波立つ海面で若者が小舟を漕ぐ〈オデュッセウスの帰還〉(1968)、誇張された遠近法の室内に黒い太陽の影が描かれた画中画と製図用具、床の上の黒い三日月、左右の窓に太陽と三日月が見える〈燃えつきた太陽のある形而上的室内〉(1971)。地階から2階を巡る3フロアにはジャン・コクトー『神話』のための版画連作(リトグラフ)と油彩から成る 「挿絵──〈神秘的な水浴〉」(TOPIC 1)。金・銀メ ッキを施したブロンズ像の 「彫刻」(TOPIC 2)。『アムピオン』 『ニオベの死』『降誕祭のためのラウダ』などの衣装スケッチとバレエ『ブルチュネッラ』(1931)の衣装を展示した 「舞台美術」(TOPIC 3)も組み込まれている。 1階と2階の上りエレヴェータ前の通路では 「キリコの見たイタリア」(約2分)を映したヴィデオが上映されていた。
    パリ五輪開催中の平日に観覧したためか、展示場内は余り混雑していなかった。2階出口にある物販売場も空いていて、美術館内で良く目にするレジ前に並ぶ長い列もなかった。いつもは冷やかして素通りするだけなのだが、一時品切れ中だったヒグチユウコのコラボ・グッズ(缶バッジ3種)が再販売されていた。ギュリコ(G. D. Gurico)の〈形而上絵画に潜むギュスターヴたち〉(2024)はスーザン・ハーバートやスヴェトラーナ・ペトロヴァの 「猫名画」 のように、デ・キリコの〈不安を与えるミューズたち〉の中に 「ギュスターヴくん」(下半身が蛸足の猫キャラ)が入り込んだオマージュ・アート。右奥の影の中の彫像がひとつめ(みつめ?)ちゃんになっていたり、赤いマヌカンの円柱化した下半身が蛸足になっていたり、手前にある長方体がギュスターヴくんの表紙の本になっていたりする。「ギュリコ缶バッジ」 は遠景のエステンセ城に現われた巨大な、赤いマヌカンの後頭部の孔から顔を覗かせる、座ったマヌカンの腕に抱かれて睡るギュスターヴたちをトリミングした3種がある。
                        *

  • 形而上絵画時代を思わせる誇張した遠近法によって室内が描かれる。左右の窓際には椅子が置かれており、これらは《谷間の家具》のイメージを想起させる。左側の壁には一枚の絵が掛けられている。そこに見えるのは塔、アーケードそして彫像であり、つまりこの画中画は形而上絵画なのである。右側の壁には窓があり、遠くに古代ギリシャ風の神殿が見える、同時にその背景は 「神秘的浴場」 の背景に似ている。正面の壁にはクローゼットが置かれているが、これもまた形而上絵画に描かれた駅のイメージを思わせなくもない。クローゼットの右側には、半ば開かれた扉が描かれている、これはまるで《幽霊》に描かれた扉のようである。/ そして、この室内には奇妙にも海があり、その海の上を小船で進む古代風の衣服に身をつつんだ若者がいる。タイトルによれば、この若者はオデュッセウスであり、彼は帰還したのである。/ だが彼はどこからどこへ帰還したのだろうか。この室内がショーペンハウア ー哲学の隠喩としての形而上的室内であるならば、この奇妙に若いオデュッセウスは、自らの脳内を旅し、帰還したに過ぎない。
    長尾 天 「オデュッセウスの帰還」


  • □ もっと知りたいデ・キリコ(東京美術 2024)長尾 天
  • ギリシャ生まれのイタリア人ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888-1978)の入門書(アート・ビギナーズ・コレクション)はページ数(80頁)に反して中身が濃い。「形而上絵画」 から 「技術への回帰」、「父の死」(1905)と 「神の死」、シュルレアリスムとの接触と断絶、「父の幽霊(子どもの脳)」、アーケードと塔と彫像。のっぺらぼうのマヌカン、誇張された遠近法、入れ子状の画中画、妻イザベラ・ファー(父の目をした姉)、「永劫回帰」 「オデュッセウスの帰還」 などのキーワードを手掛かりにして、形而上絵画の謎に迫る。ニーチェとショーペンハウアーが発見した 「生の無意味」 を芸術作品に応用した 「形而上絵画」 から、「マティエールへの絵画」 の変遷。父の死と父親殺し(神の死)のオブセッシ ョン、息子に取り憑いた父の幽霊、父の敵討ちを経て、息子として帰還する。オデュッセウスが帰還した 「この室内がショーペンハウアー哲学の隠喩としての形而上的室内であるならば、この奇妙に若いオデュッセウスは、自らの脳内を旅し、帰還したに過ぎない」 のだ。

  • 人間の認識は自らの外に向かうが、その外というもの自体が空間的規定、つまり脳の機能に拠るものに過ぎない。外界はまるで劇場内の風景のように、脳内に表象として存在している。それは外側自体が内部にあるということなのである。ショーペンハウアーにおけるこうした認識は、物自体という形而上学的領域が、表象の背後に設定されることで可能となる。このためデ・キリコは外部が内部に包含された室内のイメージを、形而上学的室内と呼ぶのではないか。またここで注目しておきたいのは、ショーペンハウアーが劇場や舞台装置という比喩を用いていることである。デ・キリコが大戦前のパリで描いた、いわゆる 「イタリア広場」 シリーズにおける奇妙に現実感を欠いた風景は、ある種の舞台装置のようにも見える。さらに、より直接的に舞台を想起させる空間表現は、一九一四頃からデ・キリコの作品に頻出する。こうした事実から、デ・キリコの遠近法的空間が早い段階からショーペンハウアーの思想に基づいていたことを推測できる。形而上学的室内のシリーズはその一つの帰結なのである。
    長尾 天 「「神の死」 の後を生きる」


  • □ ジョルジョ・デ・キリコ(水声社 2020)長尾 天
  • 「形而上絵画の最も重要な理論的根拠であったフリードリッヒ・ニーチェの 「神の死」 の思想を通して、デ・キリコとシュルレアリスムの連続と断絶を規定する内的理論について」 考察する。1909年10月フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で受けた啓示から始まった「形而上絵画」、1919年ローマ・ボルゲーゼ美術館を訪れたデ・キリコはティツィアーノの作品の前で得た啓示から「技術への回帰」 というマティエールの探求へ向かう。ニーチェとショーペンハウアーの哲学を応用した形而上絵画は 「生の無意味」 と 「真実の不在」 を描く。無意味という無限の解釈可能性。「神の死」 の空虚に 「絵画」 や 「マティエール」 という 「真実」 を挿入することで、デ・キリコは死んだ神=父との和解、早逝した父エヴァリストとの同一化を欲する。しかし 「それは形而上絵画とシュルレアリスムに通底する客体の問題を放棄することであり、形而上学的外部を持たない内在的世界に向けられた反形而上学的遠近法を捨て去ることだった」。ジュール・ヴェルヌやオットー・ヴァイニンガーからの影響、〈通りの神秘と憂愁〉〈子どもの脳〉〈愛の歌〉(1914)の詳細な解釈など。カラー口絵10点(8頁)。

                        *
                        *


    デ・キリコ展

    デ・キリコ展

    • アーティスト:ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888-1978)
    • 会場:東京都美術館
    • 会期:2024/04/27~08/29
    • 主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館 / 朝日新聞社
    • 概要:初期から描き続けた自画像や肖像画から、画家の名声を高めた 「形而上絵画」、西洋絵画の伝統に回帰した作品、そして晩年の 「新形而上絵画」 まで、世界各地から集まった100点以上の作品でデ・キリコ芸術の全体像に迫る大回顧展です


    もっと知りたいデ・キリコ

    もっと知りたいデ・キリコ

    • 著者:長尾 天
    • 出版社:東京美術
    • 発売日:2024/05/01
    • メディア:単行本(アート・ビギナーズ・コレクション)
    • 目次:はじめに / 父の死 ── 旅の始まり / 形而上絵画 ── 「謎としての世界」 を描く / 技術への回帰 ── マティエールの追求へ / オデュッセウスの帰還 / おわりに / 作品索引 / 主要参考文献


    ジョルジョ・デ・キリコ 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム

    ジョルジョ・デ・キリコ 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム

    • 著者:長尾 天
    • 出版社:水声社
    • 発売日: 2020/12/25
    • メディア:単行本
    • 目次:はじめに / 無意味の形而上学 / 「神の死」 を描く / 「神の死」 の後を生きる / おわりに──「神の死」 の後を生きる /【附論】西洋近代美術における 「神の死」 とシュルレアリスム試論 / 文献略記一覧 / 註 / 主要参考文献 / 図版一覧 / あとがき


    形而上絵画に潜むギュスターヴたち

    形而上絵画に潜むギュスターヴたち

    • アーティスト:ヒグチユウコ(G. D. Gurico)
    • 販売:ボリス雑貨店
    • 発売日:2024/06/01
    • メディア:ギュリコ缶バッジ 3種(BK / RD / GR)
    • 内容:アーティストのヒグチユウコさんが、本展のためにアートワークを描きおろしました。デ・キリコの《不安を与えるミューズたち》からインスパイアされた作品に、ヒグチさんの絵本に出てくる「ギュスターヴくん」が描きこまれています。描き下ろしのアートワークを使用した缶バッジが3種類登場します

    コメント(0)