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スキャナー・ディック [b o o k s]



  • いつだったか、ヨレヨレのヤク中ふたりが、割れた窓ガラスに首をつっこんでけがをした猫をひっぱりだすという悲しい苦行にとりかかっているのに手を貸したことがある。ヤク中ふたりは、ほとんど目が見えず、なにもわからない状態なのに、小一時間もかけてそろそろと器用に猫をひっぱりだす努力をつづけた。猫とおなじようにすこし血を流し、両手で猫を抱いてなだめていた。ヤク中のひとりはアークターといっしょに家のなか、もうひとりは猫の尻としっぽが出ている窓の外にいた。とうとう猫はかすり傷だけで自由の身になり、ふたりはその猫に餌をやった。だれの飼い猫かはわからなかった。腹をすかせていて、割れた窓ごしに食べ物のにおいを嗅ぎつけ、ふたりが起きてくれないので家のなかへ飛びこもうとしたらしい。猫の悲鳴を聞くまでヤク中たちはなにも気づかなかったが、いろいろなトリップや夢のことはしばらく忘れ、猫のためにひと肌ぬぐことにしたわけだ。
    フィリップ・K・ディック 「スキャナー・ダークリー」


  • ◇ 高い城の男(早川書房 1984)フィリップ・K・ディック
  • 第二次大戦で枢軸国が勝利し、日本とドイツが世界を支配しているというSF小説。アメリカ美術工芸品商会の経営者ロバート・チルダン、工場を解雇された工芸職人フランク・フリンク、離婚した元妻のジュリアナ、現場監督の友人エド・マッカーシー、退役軍人ジョー・チナデーラ(工作員)、太平洋岸連邦第一通商代表団の田上信輔、手崎元将軍(矢田部信次郎)、ドイツ国防軍情報部大尉のルドルフ・ヴェゲナー(ル・バイネス)、ドイツ帝国領事フーゴー・ライス男爵、SD地方長官ブルーノ・クロイツ・フォン・メーレ、小説家ホーソーン・アベンゼン、妻のキャロライン‥‥など、一見関係なさそうな人物たちが複雑に絡み合う。独ボルマン首相が死去したことで権力闘争が激化し、日本列島を核攻撃する「タンポポ作戦」が明るみになる。登場人物たちが「易経」に頼って行動していること、作中内で『イナゴ身重く横たわる』という連合軍が勝利した小説がベストセラーになっていることが歴史改変小説の肝。最後に「易経」で、ドイツと日本が戦争に負けたという「フィクション」の方が真実であることが明かされるのだ。

  • ◇ 流れよわが涙、と警官は言った(早川書房 1989)フィリップ・K・ディック
  • 1988年10月11日、冠番組のTVショーを終えたジェイスン・タヴァナーはゲスト歌手のヘザー・ハートと一緒に飛行艇に乗ってチューリッヒの家に向かう。歌手志望のマリリン・メイスンに呼び出されて彼女のアパートメントへ寄るが、カリストの海綿動物の50本の食餌管が彼の胸の中に入り込んで瀕死の重傷を負う。病院に緊急搬送され、手術を受けて一命を取り留める。しかし安ホテルの一室で目覚めたジェイスンのことは誰も知らず、身分証明書も紛失していた。出生登録などの記録も一切消えた「存在しない男」となってしまったのだ。ジェイスンのIDカードを偽造したキャサリン・ネルソン、昔の情婦ルース・レイ、フェリックス・バックマン警察本部長の妹アリス、陶芸家のメアリー・アン・ドミニク‥‥ジェイスンは2日間の女性遍歴を経て、マルチタレントとしての自分を取り戻す。薬物KR-3(多重空間包含剤)を服用したことによる脳内(外?)ワンダーランドだったとは!‥‥エピローグ(第4部)は映画「アメリカン・グラフィティ」(1973)を真似たのでしょうか?

  • ◇ 火星のタイム・スリップ(早川書房 1980)フィリップ・K・ディック
  • 1994年8月、精神病を患い6年前に火星へ移住した修理工のジャック・ボーレンは妻シルビアと息子デイヴィッドの3人暮らし。ヘリコプターでマッコーリフ酪農場へ冷却装置の修理に向かう途中、砂漠地帯で暑熱と渇きで遭難しかけていた原住民ブリークマン5人を救助する。同じく緊急通報を受けた水利労組組合長のアーニイ・コットのヘリも飛んで来たが、ブリークマンを侮蔑するアーニイはジャックと口論になる。一方、国連の火星再開発計画を聞きつけた投機家レオ(ジャックの父親)はFDR山(フランクリン・D・ルーズベルト山)を一早く買い占めようとして地球から来る。ジャックの父親に土地を先取りされてしまったアーニイはトラクター・バスに飛び込んで自殺した闇輸入業者ノーバート・スタイナーの自閉症児マンフレッドの未来予知・過去改変能力を使って、3週間前に時間遡行する。レオよりも前にFDR山のヘンリイ・ウォリス一帯の土地の権利書を得ようとしたのだ。しかし、そこは精神分裂病者マンフレッド・スタイナーの忌まわしい世界だった。

  • ◇ パーマー・エルドリッチの三つの聖痕(早川書房 1984)フィリップ・K・ディック
  • 21世紀の地球は急速な温暖化によって高温多湿の灼熱地獄と化していた。バーニイ・メイヤスンはパーキー・パット人形と模型セットを製造販売するP・Pレイアウト社に雇われている流行先取り課の予知能力者(プレコグ)である。精神分析医スマイル博士と会話するためのスーツケース(ポータブル専用電話)を携行している。妻エミリーの造った陶芸品をP・Pレイアウト社へ売り込みに行ったリチャード・ナットは妻の先夫バーニイに断られてしまう。取締役社長レオ・ビュレロは金星の栽培農場から非合法ドラッグのキャンDを密輸していた。地球を追われた惑星移民者たちはキャンDを服用することで、パーキー・パットの模型世界に耽溺していた。男女はウォルト・エセックスとパーキー・パットとなって、ミニアチュール世界に入り込むのだ。エミリーの陶芸品はアルコルツ(チューZ産業)に買い取られる。ナット夫妻は手にした契約金で、ウイリー・デンクマル博士のE療法を受けにミュンヘンへ飛んだ。リチャードはレオと同じように進化するが、エミリーは逆に退化しまう。

    星間実業家パーマー・エルドリッチの宇宙船が冥王星に不時着する。レオ・ビュレロは助手ロニ・フューゲイトの予知によって、自分がエルドリッチを殺害することを知らされる。ガニメデ第3基地にあるジェームズ・リドル復員軍人病院に入院しているエルドリッチに面会しょうと試みるが、娘のゾー・エルドリッチに会えただけだった。社内報の記者に扮したレオは月の邸宅で行なわれる記者会見に潜り込む。しかし、それはエルドリッチの仕組んだ罠だった。囚われの身となったレオは強制的にチューZを投与させられる。ヨーヨーで遊ぶ少女モニカ、スーツケースのスマイル博士、グラック、エルドリッチ、ロニ、バーニイ、アレ ック(進化した地球人)‥‥エルドリッチがプロキシマ星系から持ち帰ったチューZはキャンDよりも遙かに危険な幻覚剤だった。レオを助けなかったことで会社を解雇されたバーニイはチューZ産業への転職を断り、徴用令状を受けて火星のファインバーグ・クレセントへ移住する。チューZを服用したバーニイ・メイヤスンもエルドリッチの世界に取り込まれる。

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  • ◇ スキャナー・ダークリー(早川書房 2005)フィリップ・K・ディック
  • 1994年、アメリカはヘロイン、コカイン、LSD、ハシシなどの薬物に加えて、スロー・デス(物質D)と呼ばれる安価なドラッグが蔓延していた。カリフォルニア州オレンジ郡麻薬課のフレッドことロバート・アークターは覆面おとり捜査官。超皮膜面に150万人にも及ぶ人相学的特徴を断片化して高速でランダム投影するスクランブル・スーツに身を包んでいるので、彼の外見は朧げな影法師のようにしか見えず、誰にも正体は知られない。ドラッグ密売人の若い娘ドナ・ホーソンから物質Dを入手して常用している。ある日、フレッドは上司のハンクから麻薬常用者ロバート・アークターの監視を命じられる。ヤク中仲間のアーニー ・ラックマンとジム・パリスが同居する自宅にホロ・スキャナー(盗聴・盗撮装置)を仕掛けて、隠れ家のアパートメントから彼を含めた3人の行動を見張ることになった。自分自身を監視するという前代未聞の異常事態に陥った彼は次第に2人(フレッドとアークター)の意識に分裂して壊れて行く。

    警察の心理検査で物質Dによる脳の損傷(左脳と右脳の競合現象)と診断されたフレッドはハンクに捜査官の職を解かれる(そもそも麻薬課の監視対象はロバート・アークターではなく、情報提供者のジム・バリスの方だった)。迎えに来たドナ・ホーソンの車に乗せられたボブ・アークターはドラッグ更生施設の〈ニュー・パス〉へ送られる。サンタ・アナにある〈ニュー・パス〉の宿泊施設に入所したボブ・アークターはブルースという名前で呼ばれている。トイレ掃除を命じられて、入所者たちの〈ゲーム〉に参加する。職員のマイク・ウェスタウェイと知り合う。ドナ・ホーソンの正体は連邦おとり捜査官、マイクも麻薬取締局員だった。ボブ・アークター(ブルース)は意図的に〈ニュー・パス〉へ送り込まれたのだ。2カ月後、ブルースは北カルフォルニアの内陸部にあるナパ・ヴァレーの農園施設へ移動する。支配人と理事長ドナルド・エイブラズムに農園を案内されたブルースはトウモロコシ畑の中で青い花を見つける。密かに栽培されているモルス・オントロジカ(物質D)だった。

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    「高い城の男」は歴史改変小説という枠組みを外せば全然SF的っぽくない。登場人物たちが「易経」に頼って行動しているのは不自然という批判も見当外れである。「虚空の眼」「死の迷路」「ユービック」などと同じような歪んだ虚構世界だったことがラストで明かされるなのだから。「スキャナー・ダークリー」も覆面麻薬捜査官が着用しているスクランブル・スーツ以外はSFガジェットなし。ホロ・スキャナー(盗聴・盗撮装置)も今は実用化されている。むしろ反ドラッグ小説として読むべきでしょう。「火星のタイム・スリップ」は主人公が原住民ブリークマンを救助する伏線なども含めて瑕疵なく良く出来ている。「流れよわが涙、と警官は言った」の登場人物の脳内(外?)世界というオチには無理がある。主人公がスイックス(遺伝子操作による優生学的能力者)という設定は「電気羊」のアンドロイドとの相似性が認められる。PKD流の恋愛小説なのかもしれない。「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」のパーキー・パット人形(ミニアチュール世界)は現代人が没頭する仮想現実ゲームのように映る。チューZによる幻影はエルドリッチが支配する悪夢世界だった。

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    高い城の男

    高い城の男

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 浅倉 久志(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:1984/07/31
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 568)
    • 内容:アメリカ美術工芸品商会を経営するロバート・チルダンは、通商代表部の田上信輔に平身低頭して商品の説明をしていた。ここ、サンフランシスコは、現在日本の勢力下にある。第二次大戦が枢軸国側の勝利に終わり、いまや日本とドイツの二大国家が世界を支配しているのだ--。第二次大戦の勝敗が逆転した世界を舞台に、現実と虚構との微妙なバラン...


    流れよわが涙、と警官は言った

    流れよわが涙、と警官は言った

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 友枝 康子(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売:1989/02/01
    • メディア: 文庫(ハヤカワ文庫 SF 807)
    • 内容:3000万人のファンから愛されるマルチタレント、ジェイスン・タヴァナーは、安ホテルの不潔なベットで目覚めた。昨夜番組のあと、思わぬ事故で意識不明となり、ここに収容されたらしい。体は回復したものの、恐るべき事実が判明した。身分証明書が消えていたばかりか、国家の膨大なデータバンクから、彼に関する全記録が消え失せていたのだ。友人...


    火星のタイム・スリップ

    火星のタイム・スリップ

    • 著者:フィリップ K.ディック(Philip K. Dick)/ 小尾 芙佐(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:1980/06/01
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 396)
    • 内容:火星植民地の大立者アーニイ・コットは、宇宙飛行の影響で生じた分裂病の少年をおのれの野心のために利用しようとした。その少年の時間に対する特殊能力を使って、過去を変えようというのだ。だがコットが試みたタイム・トリップには怖るべき陥穽が隠されていた……P・K・ディックが描く悪夢と現実の混沌世界


    パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

    パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 浅倉 久志(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:1984/12/12
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 590)
    • 内容:遙かプロキシマ星系から、謎の星間実業家パーマー・エルドリッチが新種のドラッグ〈チューZ〉を携えて太陽系に帰還した。国連によって地球を追われ、過酷な環境下の火星や金星に強制移住させられた人々にとって、ドラッグは必需品だった。彼らはこぞって〈チ ューZ〉に飛びつくが、幻影に酔いしれる彼らを待っていたのは、死よりも恐るべき陥穽...


    スキャナー・ダークリー

    スキャナー・ダークリー

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 浅倉 久志(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:2005/11/01
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 1538)
    • 内容:カリフォルニアのオレンジ郡保安官事務所麻薬課のおとり捜査官フレッドことボブ・アークターは、上司にも自分の仮の姿は教えず、秘密捜査を進めている。麻薬中毒者アークターとして、最近流通しはじめた物質Dはもちろん、ヘロイン、コカインなどの麻薬にふけりつつ、ヤク中仲間ふたりと同居していたのだ。だが、ある日、上司から麻薬密売人アー...


    フィリップ・K・ディックの世界

    フィリップ・K・ディックの世界

    • 著者:ポール・ウィリアムズ(Paul Williams)/ 小川 隆(訳)
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日: 2017/08/29
    • メディア: 単行本
    • 目次:消える現実 / 紙の上ですごした生涯 / 住居侵入事件 I / 三度の神経症 /「彼らは小人なんだ、ポール」/ どん底の生活のなかで死ぬこと / 住居侵入事件 II / アンフェタミンと記憶喪失症 /「一貫してすばらしい活躍をつづけている」/ 神に呑みこまれて / 夢を見たのはどちらだったのか?/ 訳者あとがき / 新版へのあとがき / 長篇作品一覧 / 年譜

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