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国書刊行会の40年 [b o o k s]



  • しかし、彼女は目をとじたままでいることさえできなかった。というのは、子供達が片方の瞼をむいて、時計の形の虹彩をした義眼を見つけたからだ。これもまた彼らは取ってしまった。/ 「悪司祭」の解体は夜までえんえんと続いていくのではないかと私は思った。きっと両腕も乳房も切れ離されるだろう。足の皮膚も剥がれて、銀の透かし細工の何か精巧な仕掛がでてくるかもしれない。ひょっとしたら、胴体にも何か摩訶不思議なものが入っているかもしれない。染め分けの絹の腸、派手な色の気球のような肺、ロココふうの心臓。だが、その時、サイレンが鳴り始めた。子供達は、新しい宝物を持って散って行った。銃剣による腹部の傷は、彼女の全身にその影響を及ぼしていた、私は、敵意に満ちた空の下で、子供達が残して行ったものをしばらく見下ろしながら伏せていた。裸の頭に遠見に描かれたはりつけのキリストと、ひとつの眼とひとつの眼窩が私をじっと見上げていた。口の代りに暗い穴、切り株のような足の付け根。そして血がへそから両側から流れ出て、腰の回りに黒い飾り帯をなしていた。
    トマス・ピンチョン 「V.」


  • 「国書刊行会40周年フェア」が全国の書店で開催されている。国書刊行会の設立は1971年だから正確を期すと「40周年」は2011年になるが、東日本大震災に配慮して1年延期したという。フェア開催店舗で40周年記念小冊子「私が選ぶ国書刊行会の3冊」(非売品)を無料頒布するだけでなく、フェア特典として対象書籍の赤い腰巻きに付いている応募券を送ると全員に特製ポストカードやブックカヴァ(四六判)などが当たる40周年記念プレゼントも実施している。 国書刊行会の本は値段も高く、神秘的で近寄り難いイメージもあって、学生時代は手が届かなかったが、学校の薄暗い図書室に行くと「世界幻想文学大系」「ゴシック叢書」「ラテンアメリカ文学叢書」などの背表紙が妖しい光を放って、誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように惹きつけられるのだった。アレッホ・カルペンティエール『時との戦い』(1977)、ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』(1988)、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』(1992)‥‥などを読んだ日々が昨日のようにフラッシュバックする。

    「私が選ぶ国書刊行会の3冊」(2012)は澁澤龍彦好みのオブジェを陳列した驚異の棚が表紙になった新書判ブックレット(152頁)。朝吹真理子から若島正まで、五十音順に61名の各界著名人が「国書刊行会の3冊」を選んでいる。紀田順一郎と共に「世界幻想文学大系」を責任編集した荒俣宏の名前がないのは不思議だが、池内紀、円城塔、大森望、恩田陸、風間賢二、北村薫、木村榮一 、柴田元幸、高山宏、嶽本野ばら、巽孝之、千野帽子、津原泰水 、豊﨑由美、長野まゆみ、中野美代子、沼野充義、野谷文昭、法月綸太郎、東雅夫、保坂和志、松岡正剛、皆川博子、柳下毅一郎、山尾悠子‥‥など、小説家や翻訳家、評論家だけでなく、佐野史郎、横尾忠則 、吉野朔実など、俳優、美術家、マンガ家も名を連ねる。「バベルの図書館」「文学の冒険」「未来の文学」などの新シリーズからも選出されている。読書の秋に、このブックレットを携えて最寄りのフェア開催店舗に立ち寄ったり、古書店を巡るのも愉しいかもしれない。

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  • ◇ V.(III)(ゴシック叢書 1979)トマス・ピンチョン
  • トマス・ピンチョンの『V.』には質・量共に圧倒された。上・下巻(681頁)、全16章+エピローグで構成された処女長編は登場人物だけでも約200人に及ぶ。2人の主人公による2つの物語が交錯する。1つは1955年のXmasイヴ、ヴァージニア州ノーフォークの酒場から始まり、翌年(1956)11月のマルタ島で終わるダメ人間・ベニー・プロフェイン(3人称視点)の物語。2つ目はハーバート・ステンシルが語る19世紀から20世紀に渡る謎の女V.を追い求めるストーリ。前者は客観描写だが、後者はボルヘスの言うところの「信頼出来ない語り手」である(「ステンシル」という3人称で語られる)。さらにステンシルの言説には「モンダウゲンの物語」(聞き書き)や「ファウスト・メイストラルの告白」(手記)などが混じっていて、信憑性に欠ける。ヨーヨー人間・プロフェインの「現在」という進行中の横軸Xとステンシルの「過去」という縦軸Yが揺らいで複雑に交差するわけだ。ベニー ・プロフェインがNYの下水道でワニを退治したり、ライナス・フェアリング神父がネズミたちに布教活動するなど、抱腹絶倒、奇々怪々なエピソードの数々も面白い。

    最も注目すべきはスパイだった父シドニー・ステンシルの死に関与したとされる謎の女V.を巡る物語である。なぜならば頭文字V.の女性は、エジプト・カイロ(オーストリア領事館)に現われた風船娘ヴィクトリア・レン(1898)、フェアリング神父の情婦ネズミ・ヴェロニカ(1934)、少女ダンサーのメラニー・ルールモーディに恋するレディV.(1913)、南西アフリカ・フォブルの籠城パーティに姿を現わした義眼のヴェラ・メロビンク(1922)、マルタ島の子供たちに衣服を剥奪・解体される「悪司祭」レディV.(1934)、ヴァレッタでレディV.の義眼を持ち去った夢占い師マダム・ヴァイラ(1944)、マルタ島の別邸に住んでいる「2重スパイ」のヴェロニカ・マンガニーズ(1919)など、時空を超え、名前や容姿を変えて暗躍するのだから。興味深いのはレディV.が躰の部位を無機物と交換して次第にサイボーグ化して行くことである。女サイボーグV?‥‥女性に対するグロテスクな畏怖やミステリアスな幻想があるような気もするが、26歳で『V.』を書いたことに驚愕する。

  • ◇ ケルベロス第五の首(未来の文学 2004)ジーン・ウルフ
  • 「‥‥ケルベロスはもともと4つの顔があったんだ。知らなかった? 4つ目はメイデンヘッド(処女膜)、こいつはたちの悪い雌犬だったから、誰も処女を奪えなかったんだ」──「ケルベロス第5の首」、『ある物語』ジョン・V・マーシュ作、「V・R・T」‥‥3つの中篇が相互干渉するSFゴシック・ミステリ。双子惑星サント・アンヌとサント・クロアをめぐるアイデンティティ喪失の物語。惑星サント・アンヌに原住する種族アボは植民化した人類によって絶滅したとされるが、変身能力を持つアボが逆に侵略者を殲滅して人間に成り変わったという異説もある。語り手や登場人物が地球人なのか、それとも人間に成り済ました異星人なのかという疑念を絶えず抱えながら読み続けることになるのだ。1人称で語られる「名士の館に生まれた少年の回想」「人類学者が採集した惑星の民話」「尋問を受け続ける囚人の記録」(ノート、録音テープ、報告書、書類、手紙、英作文練習帳)の3篇が錯綜して、読者のアイデンティティをも揺るがす。

  • ◇ ラピスラズリ(書き下し連作長篇 2003)山尾 悠子
  • 『仮面物語』(徳間書店 1980)から、実に23年振りの連作集。深夜画廊で「わたし」が見た3枚の「銅版」、秋の終わりから春にかけて冬眠する種族の衰勢を描く「閑日」と「竈の秋」、「わたし」が廃市で暮らしていた少女時代を回想(おば様と愛犬の死)する「トビアス」、聖フランチェスコを主人公にした「青金石」‥‥〈冬眠者〉たちの眠りと目覚めの5つの物語。浅葱色の函に入った布装本。ターコイズブルーの表紙には小さな扉絵、目隠しした少女が球体の上に蹲って竪琴を爪弾く、G・F・ウォッツ(George Frederick Watts)の〈希望〉(Hope 1886)が貼付されている。幻想小説というよりも、ファンタジーに近い手触り。毛皮に包まれた尻尾のある動物や縫ぐるみと添い寝するような懐かしい心地良さもある。国書刊行会の本にはフェティッシュとして手許に置きたい魔力があって、つい手に取って撫でたくなる誘惑に逆らえない。表紙カヴァをグザヴィエ・メルリ(Xavier Mellery)の〈秋〉(L'automne1893)に差し替えた文庫版『ラピスラズリ』(筑摩書房 2012)は著者によって推敲(補筆改訂)されているけれど、元本の美しさには遠く及ばない。

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    「本の雑誌 10月 二枚もり茄子のっけ号 No.352」の特集は「国書刊行会の謎と真実」なのだ。「おじさん三人組、国書刊行会に行く!」と題した突撃ルポ。編集長以下2名が都営三田線・志村坂上駅へ向かう。酷暑の昼下がり、チュニジア料理店ブラッスリージェルバでクスクスを食べて出陣前の腹拵え。中山道を戻って、志村坂上のランドマーク「国書刊行会」に到着。国書刊行会の編集者に聞く‥‥男子新入社員が全国の図書館や美術館を巡回する営業出張旅行「死のロード」、紀田順一郎と荒俣宏が「世界幻想文学大系」の企画を持って来た時のエピソード、1冊13kgもある『古画総覧』‥‥。情け容赦のない内幕暴露によって、国書刊行会の神秘のヴェールが剥がされて行く。「国書刊行会魅惑の内容見本」「8½章で書かれた国書刊行会の歴史」。「バベルの図書館」(30冊)を再編集・合本した40周年記念出版「新編バベルの図書館」(全6巻)を紹介する「今日も船は斜め上を行く」、新企画や翻訳本のリクエスト「国書さんならやってくれる・この本を出してくれえ!」などを掲載。

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    • 国書刊行会40周年記念に便乗して「国書刊行会の3冊」を選んでみました^^;

    • トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)はノーベル文学賞有力候補の1人だが、過去に受賞を辞退したり、替え玉を使った前科があるので、選考委員も苦慮している?

    • 『仮面物語』(徳間書店 1980)が『山尾悠子作品集成』(国書刊行会 2000)よりも高値(古書価格)なのは、中篇ヴァージョンの「ゴーレム」しか収録されていないからでしょうか?
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    私が選ぶ国書刊行会の3冊

    私が選ぶ国書刊行会の3冊 ── 国書刊行会40周年記念小冊子

    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日: 2012/08/15
    • メディア:新書判(非売品)
    • 目次:朝吹真理子 / 安藤礼二 / 池内紀 / いしいしんじ / 石堂藍 / 稲生平太郎 / 宇月原晴明 / 円城塔 / 大森望 / 恩田陸 / 風間賢二 / 金原瑞人 / 亀山郁夫 / 川崎賢子 / 菊地秀行 / 岸本佐知子 / 紀田順一郎 / 北村薫 / 木村榮一 / 倉阪鬼一郎 / COCO / 佐野史郎 / 柴田元幸 / 須永 / 高山宏 / 滝本誠 / 嶽本野ばら / 巧舟 / 巽孝之 / 谷川渥 / 千野帽子 / 津原泰水 / 坪内祐三 / 豊﨑由美 / 長野まゆみ / 中野美代子 / 南條竹則 / 西崎憲 / 沼野充義 / 野崎歓 / 野谷文昭 / 法月綸太郎 / 蜂飼耳 / 東雅夫 / 富士川義之 / 古川日出男 / 保坂和志 / 堀切直人 / 松岡正剛 / 皆川博子 / 森英俊 / 柳下毅一郎 / 山尾悠子 / 山口雅也 / 横尾忠則 / 吉野朔実 / 若島正


    V. I

    V. I

    • 著者:トマス・ピンチョン / 三宅 卓雄・伊藤貞基・中川ゆきこ・広瀬英一・中村紘一(訳)
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日: 1989/07/01
    • メディア:単行本
    • 目次:ダメ男なるヨーヨー人間、ベニー・プロフェインが「遠手点」に達すること / 「全病連」 / 役者ステンシルの早変わり八変化 / エスターの鼻手術 / ステンシル、危うくワニと昇天しかけること / プロフェイン、路上生活に戻る / 西の壁面に架かる女 / ヨーヨーを取りもどすレイチェル、ルーニーの歌、ステンシルのブラディ・チクリッツ訪問 / モンダウゲンの物語


    ケルベロス第五の首

    ケルベロス第五の首

    • 著者:ジーン・ウルフ(Gene Wolfe)/ 柳下毅一郎(訳)
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日: 2004/07/20
    • メディア:単行本
    • 目次:ケルベロス第五の首 /『ある物語』ジョン・V・マーシュ作 / V・R・T / 訳者あとがき


    ラピスラズリ

    ラピスラズリ

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日:2003/09/25
    • メディア:単行本
    • 目次:銅版 / 閑日 / 竈の秋 / トビアス / 青金石


    本の雑誌 10月 二枚もり茄子のっけ号 No.352

    本の雑誌 10月 二枚もり茄子のっけ号 No.352

    • 特集:国書刊行会の謎と真実
    • 出版社:本の雑誌社
    • 発売日:2012/09/11
    • メディア:雑誌
    • 目次:おじさん三人組、国書刊行会に行く!/ 国書刊行会魅惑の内容見本 高橋良平 / 8½章で書かれた国書刊行会の歴史 藤原編集室 / 今日も船は斜め上を行く 松村幹彦 / 国書さんならやってくれる・この本を出してくれえ! 山崎まどか / 柳下毅一郎 / 吉田篤弘 / 戸川安宣 / 白川浩介 / おじさん三人組、国書刊行会に行く!後半戦 / コラム・ナガシマシゲオ...営業部長大いに語る!

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    コメント 2

    つむじ

    こんにちわ、sknysさん。
    内容紹介を読むとドキドキしてきて装丁を見ているとどれも欲しくなります。つられて国書刊行会のHP見ました。ううう〜この頃あまり読書してないのですが二冊注文することになりました。。。絵の多いやつだけど。

    若い頃図書館や大きな書店ではいつもゴシック叢書の前でどれにするかなんて散々悩んで立ち尽くしてたのを思い出して懐かしく思いました。
    by つむじ (2012-11-02 09:41) 

    sknys

    つむじさん、コメントありがとう。
    「ゴシック叢書」の装幀(加納光於)は硬い大理石みたいで手強そう。
    「世界幻想文学大系」も暗黒孔雀の妖しい羽撃きが聞こえて来そう。

    暫く書店に行かなかったら、池袋はリブロもジュンク堂も終了していた。
    どこで40周年記念小冊子が入手出来るのか?‥‥
    「フェア開催書店リスト」を慌ててチェックしました^^;

    つむじさんも「国書刊行会の3冊」を選んでみて下さい^^
    by sknys (2012-11-03 02:04) 

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