• 折々のねことば sknys 011


    私は決して猫が好きなのではない。猫を飼うのも下手だ。ただ、友達になった相手がたまたま猫だった。その友を出来れば裏切りたくなかったのだ。

    笙野 頼子


  • 都内Z司ヶ谷に引っ越して来た 「私」 は8匹のノラ猫と知り合いになる。モイラ、ルウルウ、ギドウ、彼らの3匹の子猫たちとハンス、坊ちゃん。バブル時に建った賃貸しマンション(1DK)に同居している飼い猫のドーラ。マンション住人との諍い、周辺商店や飲食店女主との軋轢、近隣住民のサポート‥‥そんな日々、この地ではノラ猫たちに避妊・去勢手術は施さずにエサを与え続け、個体数が増えると定期的に◯◯を撒いて一掃していたという衝撃の事実が明るみになる。「私」 はノラ猫たちを苦心惨憺して捕獲し、4匹を里子に出し、最終的に残った猫たち(ドーラ、ルウルウ、モイラ、ギドウ)と一緒に、千葉県S倉市の一戸建て住宅に引っ越すことになった。『愛別外猫雑記』から。

    2005・11・20


  • 折々のねことば sknys 012


    だが猫好き(キャットピープル)に向かって、自分もそうだというふりはできない。

    ロバート・A・ハインライン


  • ネコは初対面のヒトと出合った時に相手を注視して、敵か味方か、有害人物か人畜無害なのかを素早く見定める。主人公ダン・デイヴィス(ぼく)は眠っている子猫を起こしたくないだけのために、高価な衣服の袖を切り落としたという中国の役人に同感するほどのネコ好き。ジンジャー・エールが大好きな飼い猫ピート(ペトロニウス)は冬なのに、コネチカットの古い農家の11もあるドアの少なくとも1つが夏の世界に通じていると信じて疑わず、次々と開けるように「ぼく」を急き立てる。美人秘書ベルは自分が猫好きというところをダンに見せつけようとするが、触ろうとした手をピートに引っ掻かれてしまう。ネコは婚約者の欺瞞を見抜いていた。『夏への扉』(小尾芙佐訳)から。

    2007・8・11


  • 折々のねことば sknys 013


    拾われた家でバルはチビと呼ばれていたが、さんざん考えて私がつけた名前を、忽ち覚えてくれた。私はバルテュスに凝っていた。バルテュスが描く風景も奇妙な姿の少女たちも猫も好きだ。

    吉行 理恵


  • 「猫は生後1年で18歳になり、2年で24、その後は1年に4歳年を取る」 ‥‥若かった頃はネコの方が直ぐに年上になって、彼らも困惑していた。今度は 「私」 も年を取ってしまったので、ネコとヒトの年齢差は見た目では逆転している。「私」 は飼いネコにバルという名前を付けた。《13歳の時に出版した画集『ミツ』には、バルテュスが10歳の時に拾い、ミツと名づけた猫との出会いから別れ迄細かに描いてある。私にとっても死んだ猫の存在はずっしりと重い。美術雑誌でバルテュスの写真を見た。リルケとバルテュスのお母さんが親しかった。リルケと並んだバルテュスは繊細でやさしい少年に見える。大人になってからもおもかげが残っているようにおもえた》と書く。「黄色い猫」 から。

    2010・5・1


  • 折々のねことば sknys 014


    穏和な猫がおれの名だ

    けんかは死んでも買わないぞ

    メイ・サートン


  • 動物救援連盟の男性に連れ去られようとしていたところを少年に救い出された「毛皮の人」は約6ヵ月後のある晴れた夏の日、家を出てホームレス猫となる。「街の顔猫」 に成長し、2歳の時に定住した家猫になろうと決心する。老婦人宅の台所に跳び込んで飼い猫に撃退されたり、乾物屋の主人にミルクと「年齢不祥のハンバーガー」を与えられたり。2人の中年独身婦人の住む家のポーチに辿り着いた「毛皮の人」はトム・ジョーンズと名付けられる。避妊手術を施されたトムは「平和を愛する優猫」に変貌した。「いいよ、もし君が友達になりたくないなら、友達まがいでもいいじゃないか」 という言葉を聞いた意地悪なボス猫も毒気を抜かれてしまうのだった。『猫の紳士の物語』から。

    2011・11・1


  • 折々のねことば sknys 015


    この人、猫の写真を撮っている‥‥ふいに、その若そうな女の屈んだ背中に、思いっきり跳び蹴りをしてやりたい気持ちになった(私って、年とって、イヤーな性格になっちゃ ったのだろうか)。

    武田 花


  • 快晴の朝、目覚めた著者は 「窓際の椅子で、真っ白なお腹の毛を陽に晒して眠っている」 飼い猫くもの姿を眺めているうちに、ムクムクと元気が湧いて来たという。元気が出たので、ネコ写真を撮りに出かけることにした。ひっそりしていた谷中墓地を猫を捜しながら散歩する。古びた墓の間を歩いて行くと、若そうな女の人が後ろ向きに屈んでいた。カシャッ、カシャッというカメラのシャッター音。その先に一匹の猫がいたのだ。歩きスマホの人が駅のホームや階段から転落する事故が頻出しているけれど、混雑する通路でスマホ画面を見ながらノロノロと前を歩いている人の背中を思いっきり蹴り飛ばしてやりたい気持ちになることもあったりして? フォト・エッセイ「谷中の猫」から。

    2015・3・21


  • 折々のねことば sknys 016


    吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、この位な事は猫にとって何でもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。

    夏目 漱石


  • 一人称小説は視点が固定されるので、主人公は自分の心理・思考や現場で見聞きした事柄しか描写出来ない。その全体像を客観的に俯瞰し得ないことが、逆にミステリではサスペンス効果を生む。漱石の「吾輩」も例外ではない。前半は二絃琴の師匠宅で飼われている三毛子(主人公が密かに恋心を抱いている)やボス猫の車屋の黒など、近所のネコの行動や生態を描写していたが、後半は主人の苦沙弥先生、友人の美学者・迷亭、教え子の理学士・水島寒月、新体詩人・越智東風、哲学者・八木独仙たちの会話が主体となってしまい 、傍らで聞き役(記述者)に徹している。「主人の心中をかく精密に記述し得る」 のは読心術(テレパシー能力)があるからだと嘯く『吾輩ハ猫デアル』から。

    2017・4・1


  • 折々のねことば sknys 017


    あたしの世界は灰色なのよ。バットと同じ ── 猫の世界も灰色だから。

    アンドレ・ノートン


  • コンピュータ技師のスティーナ、灰色猫のバットが懸賞船〈火星の女帝〉に乗り込んで、人間の目に見えないエイリアンを撃退した。一体何が起こったのか分からなかった宇宙作業員のクリフ・モーランはスティーナに近づき、彼女の手からブラスターを取り上げて説明を求める。《あれは灰色だった ── でなきゃ、灰色に見えただけかも。あたしは色盲なの。どんなものでも、あたしの目には灰色の濃淡にしか見えない。でも、猫にはその埋め合わせをする機能がある。人間に見える光波のスペクトルの範囲を超えた波長が見えるの。どうやらあたしもそうみたい》とスティーナは告白する。猫の目に世界は灰色っぽく映っているが、暗闇でも良く見える。SF短篇 「猫の世界は灰色」 から。

    2018・4・1


  • 折々のねことば sknys 0018


    多くの人々が、ネコにある種の超能力、すなわち超感覚的知覚(ESP)があると信じているが、それはない。

    デズモンド・モリス


  • 英国の動物行動学者は、未来予知、テレパシー、千里眼、サイコメトリー、エンパスなど、現代科学では解明出来ない不思議な能力を超感覚的知覚(ESP)と呼ぶことに警鐘を鳴らす。《そもそも超感覚的知覚ということばは自己矛盾である。定義によれば、私たちが知覚するものはいずれも感覚器官を通った結果生じるものである。そうであれば、感覚を超えたものは知覚されないはずである。したがって、超感覚的知覚というようなものはありえないことになる》と。ネコには人間に見えないものが見えたり、聴こえない音が聴こえるけれど、これを「超能力」と呼ぶべきかどうかは微妙である。人間の知覚を超えた能力という意味では「超能力」だが。『猫に超能力はあるか?』から。

    2018・6・16


  • 折々のねことば sknys 019


    言うまでもなく、ネコは決定を下すことのできる意識のある動物である。受けとっている情報や同じできごとの記憶だけではなく、その情報に対する自分の感情的な反応に基づいて決定を下せる。

    ジョン・ブラッドショー


  • 英国の動物学者は最新の遺伝子(DNA)解析や脳科学などによって、ネコの進化の過程や行動原理を解明する。「猫的感覚」 という邦題は原題「CAT SENSE」の直訳で、謎めいたネコの魅力を直感的に言い表わしている。サブタイトルは「動物行動学が教えるネコ科の心理」で、原著の「明かされたネコの謎」(The Feline Eniguma Revealed)とは多少ニュアンスが異なる。紀元前(8000年〜1万3000年)から現在までのネコの歴史を振り返り、未来のネコたちに思いを馳せる。全11章の構成は第1〜3章でネコの進化、第4〜6章でヒトとネコとの違い、第7〜9章でネコと社会との関わり、10〜11章で現在のネコの立場を検証して、今後のネコのありかたを考察する『猫的感覚』から。

    2019・4・21


  • 折々のねことば sknys 020


    「くもりもいいてんきだぞ」 「あめもいいてんきだぞ」

    深谷 かほる


  • 頭の上に鮭缶を載せて「泣く子はいねが〜」と呼びかけながら夜廻りして、「涙の匂い」 を嗅ぎつけるネコ遠藤平蔵。隻眼のニイ、わがままモネ、夜廻り見習いのワカル、老作家先生と一緒に暮らす宙さん、一人集会猫のゼンなど、個性的なネコたちが登場する。平蔵の懐に抱かれている片目の子猫・重郎はネコの魂が顕現化したような無垢で愛おしい存在である。「いい天気」(第371話)で、曇りも雨もいい天気だぞ、と重郎が話すと 、平蔵は「忘れていた。重郎はいいことを知っているな。偉い!」と褒める。母子家庭の子供が母親に「くもりも、あめもいい天気だよ」と言う 「心配いらない」(第67話)は平蔵が瀕死の仔猫(重郎)を救助する直前のエピソードだった。『夜廻り猫 4』から。

    2020・5・6

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朝日新聞の朝刊コラム 「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第2集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変えました。具体的には拙ブログ記事の冒頭に引用したネコに纏わる文章の中からキーになる「ねことば」を抜き出して、6〜8行の短文(312字以内)を添えるだけなのに、これが意外に愉しい。小説やエッセイなどから気になった文章(400字前後)を単に引用するよりも、短い言葉の方がキャッチーで耳目を惹くし、解説文で「ねことば」の意図や真意を深く読み解ける。日付は引用した「ねことば」を掲載した記事の投稿日としたので、「折々のことば」のような時系列順になっていません。「ねことば」に興味を持たれた読者が引用文や引用元の原典を読んでもらえれば幸いです。

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  • 『夏への扉』の「ねことば」は新訳版(小尾芙佐)から採りました。旧訳版(福田正実)は「猫好きの人間にむかって、猫嫌いが猫好きのふりをすることは難しい」。ちなみにハインラインの原文は「But liking cats is hard to fake to a cat person.」



  • 「折々のねことば sknys 011~020」 は引用文、出典はアマゾンにリンクしました


  • まさかのシリーズ化?‥‥〈折々のねことば 3〉は11月にUPする予定にゃん^^;

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夏への扉

  • 著者:ロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)/ 福島 正実(訳)
  • 出版社:早川書房
  • 発売日:2010/01/30
  • メディア:文庫(ハヤカワ文庫SF)
  • 目次:

夏への扉 新訳版

  • 著者:ロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)/ 小尾 芙佐(訳)
  • 出版社:早川書房
  • 発売日:2009/08/07
  • メディア:単行本(ソフトカヴァ)
  • 内容:ぼくが飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのだ。そしてこのぼくもまた、ピートと同じように“夏への扉”を探していた。『アルジャーノンに花束を』の小尾芙佐による新しい翻訳で贈る、永遠の青春小説