• 猫好きの人間にむかって、猫嫌いが猫好きのふりをすることは難しい。世の中には猫好きがいくらかと、あと大多数のそうでない人間がいる。もしそうでない人が、礼儀その他の理由から猫好きを装って近づくと──あまり芳しくない光景が持ちあがる。/ 猫にはユーモアのセンスがない。あるいは極端に驕慢なエゴと過敏な神経だけなのだ。それではいったい、なぜそんな面倒な動物をチヤホヤするのだと訊かれたら、ぼくには、なんと答えようもない。にもかかわらずぼくは、睡りこんでいる子猫をおこさないために、高価な袖を切り捨てたという昔の中国の官吏の話に、心の底から同感するのである。/ ベルがまさにその失敗をした。彼女はピートが好きだというところを見せようと、彼を犬を扱う手つきで扱おうとした結果──いやというほど手をやられたのだ。引っ掻いた後、ピートは、利口な猫らしく、ひらりと外へ飛び出したまま、しばらく帰って来なかった。おかげでぼくは、ピートを折檻せずにすんだ。ちなみにピートは、少なくともぼくからは、1度もなぐられたことはない。猫は忍耐をもって訓練すべきものであれ、なぐってもなんの役に立たないのだ。
    ロバート・A・ハインライン 『夏への扉』

  • ◇ 夏への扉(早川書房 1979)ロバート・A・ハインライン
  • 外へ遊びに出ようとした際に雨や雪が降っていても、家猫は別のドアの外は晴れているのかもしれないと思うらしい。ジンジャー・エールの大好きな牡猫ピート(ペトロニウス)もコネチカットの農家にある11のドアを開けるように 「ぼく」(ダン・デイヴィス)に纏わりつく。冬なのに少なくても、どれか1つのドアが 「夏へ通じているという固い信念をもって」。1970年12月、共同経営者の「恋人」ベル・ダーキンと「友人」マイルズ・ジェントリイに裏切られ、仕事も発明品──自動掃除ロボット 「文化女中器」(ハイヤード・ガール)、「窓拭きウィリイ」 「万能フランク」──も奪われた失意の底の「ぼく」は愛猫ピートと一緒にミュチ ュアル生命の「冷凍睡眠保険」に入ることを決心する。30年間の冷凍睡眠(コールド・スリ ープ)。目覚めるのは西暦2000年‥‥ダンとピートの「夏への扉」は30年後の未来に開くはずだった。

ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』(1957)が発表されたのは、ちょうど50年前のこと。2007年の現在、「冷凍睡眠保険」 は現実味があるけれど、物語の後半に登場するタイムマシンの発明はリアリティに著しく欠ける。「冷凍睡眠」 は未来へのタイムマシンだ。一方通行の片道切符で、過去へは決して戻れない。タイム・パラドックスという時間SFの構造上、主人公のダン・デイヴィスが過去へ時間遡行しなければならないのだとしても、ご都合主義は否めない。安直なSFガジェットとしてのタイムマシン、しかも未来ヘ行くか過去へ行くかを選べない未完成品だった。ダンは土壇場で現実逃避を翻意して、ベル・ダーキン&マイルズ・ジェントリイと闘う現実的な生き方を選ぶ。しかし、ベルの毒牙に倒れ、不本意な形で「冷凍睡眠者」の身となってしまうのだ。それも愛猫ピートと離れ離れになって。

ダン・デイヴィスは姪(実はマイルズの先妻の継娘)のフレドリカ・ヴァージニア・ジェントリイ(リッキイ)のことを「リッキイ・ティッキイ・テイヴィー」と親しみを込めて呼んでいる。「Rikki-Tikki-Tavi」 はラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』の中に出て来る「マングース」の名前である(『ソロモンの指輪』の「まえがき」参照)。ロバート ・A・ハインラインの3番目の妻ヴァージニアは少女時代に勇敢なマングースの物語を愛読していて、父親から「ティッキー(Ticky)」という愛称で呼ばれていたという。もしかしたら、姪っ子リッキイのモデルはヴァージニア・ハインラインなのかもしれない。そして彼女のニックネームに因んで、ハインラインは飼っていたペットに「ティッキー」という名前をつけた?‥‥もちろん「マングース」ではなく、「ネコ」 だと思いますが。

  • ◇ 内なるネコ(河出書房新社 1994)ウィリアム・バロウズ
  • クリムト、ジョイス、マンディアルグ、レオノール・フィニ、バルテュス、ポール・ギャリコ‥‥猫好き作家は少なくない。ウィリアム・バロウズも大の猫好きだった。ロシアン・ブルー種のラスキー、黒猫フレッチ、白灰猫ホレイショ、まだら猫ジェーン、白子のエド、オレンジと白色のウィンピー、ジンジャー‥‥ネコたちに友人や恋人、家族の面影を重ねる内省的なエッセイ。喪失感、罪の意識、絶滅する動物への想い、動物を虐待・射殺する人間への敵意が漲る。《ネコを愛する皆さん、何百万ものネコたちはみんな、世界中の部屋でミャオンと鳴きながら、すべての希望と信頼をあなたがたに託しているのをお忘れなく。石造邸で小さな母親ネコが、私の手中に頭を預けたように。まだらのジェーンが子ネコたちをわたしの手荷物に入れたように。フレッチがジェームズの腕の中に飛びこんだように。そして、ラスキーが嬉しそうに鳴きながら、わたしに駆け寄ったように》

  • ◇ 猫のつもりが虎(マガジンハウス 2002)丸谷 才一
  • 石川淳、吉田健一、倉橋由美子‥‥の著作は旧仮名・旧字体の歴史的仮名遣いで読みたい。和田誠のカラー・イラストを添えた17篇の洒脱なエッセイも現代仮名遣いでは魅力が半減する。《虎を描いて猫に堕す、と覚えてゐたけれど、本当は、虎を描いて犬に類す、らしい。とにかく絵が下手なことの喩へ。でもそれなら、猫を描いたのに虎に見えたら、これは名人なのか。やはり下手なんでせうね》と「まえがき」にあるように、トラ→ネコ=下手、ネコ→トラ=名人というレトリック。ネコを描いて(書いて)、トラに大化け(?)という意味がタイトルに隠喩されている。たとえば「男のスカート」では、エリック・ギルの『衣裳論』、スカートを穿いて銀座を闊歩した花森安治に触れ、ズボン=男、スカート=女という偏見を捨て、男もスカートを穿くように勧めるが、ギルの伝記を読んで、彼の性生活の奔放さに驚き呆れる。ロレンスの崇拝者、ファロスへの執着、その大き過ぎるサイズ!‥‥ギルのスカート宣揚の理由を穿鑿して「やはり男はズボンがいいとわたしは思ふ」。

  • ◇ 猫舌男爵(講談社 2004)皆川 博子
  • 短篇集『猫舌男爵』に収録された表題作には「本文」がない。「訳者あとがき」に曰く「本書はハリガヴォ・ナミコの短編集『猫舌男爵』の全訳である」(やん・じぇろむすき)。収録作品は「猫舌男爵(猫舌男爵・ネコシタダンシャク)」「ゲイシャの娘(沼太夫・ヌマフトシオット)」「鶴が飛来した!(鶴屋南北綺譚・ツルヤミナミキタキタン)」の3篇。日本文学専攻の学生ヤン・ジェロムスキが針ケ尾奈美子の短編集を翻訳出版したものの、日本語及び日本文化の知識不足が「誤解・誤訳」を生む。日本文学ぜみなーるに出席するようになった端緒が古本屋で見つけたヤマダ・フタロの英訳本『THE NOTEBOOK OF KOHGA'S NIMPO』だったというところで大爆笑。皆川博子の「猫舌男爵」は「書簡」「会話」「メール」「日記」‥‥で構成されている。針ケ尾奈美子(皆川博子のアナグラム)の「清純な乙女を、残虐冷酷な猫舌男爵が苛む物語」が読めないのは残念ですが。

  • ◇ 猫に恋して(ブルース・インターアクションズ 2006)高田 理香
  • 副題に「ミンミン、ポンポン、ルウルウ‥‥私の3匹の猫」とあるように、女性イラストレータが猫たちとの「出会い」「生活」「暮らし」を綴るエッセイ集(イラスト・写真)。子供の頃に飼っていたオッド・アイの白猫「ゆき」、アメショー・ブラックスモークの黒猫ミンミン、その母猫が産んだ弟のポンポン、近所の家の裏庭の木箱に(捨てられて?)いたキジ三毛仔猫のルウルウ、「鼻の中心から左右くっきりと茶と黒に分断されている」放浪猫(通い猫)のミーちゃん‥‥。最初は貰う気がなかったのに結局3匹も飼うことになってしまった著者の仔猫への想い。SF人形アニメ『サンダーバード』の脇役キャラ、「帽子や服につける飾り玉」という意味の仏語(pompon)、森茉莉が翻訳した『マドゥモァゼル・ルウルウ』の主人公‥‥と、ネーミングも凝っている。傑作なのは「爪研ぎ」の苦労話──カーペットやソファで爪を研ぎ、ペット・ショップで購入した爪研ぎ器には見向きもしない猫たちの顛末記。お気に入りの「猫グッズ(18点)」「猫のレコード(12枚)」を紹介する巻末付録も愉しい。「ネコ・ジャケ」の中に《Hairballs》を発見して、狂喜乱舞、猫の舞い?

  • 猫はカガクに恋をする?(インデックス・コミュニケーションズ 2007)竹内 薫・藤井 かおり
  • 量子論の本の中、「シュレディンガーの思考実験」のページから抜け出て来た灰色の雌猫。青と黄色のオッド・アイ、その双眸が緑色に光る時、室内は暗闇に包まれて、生暖かい風が吹く‥‥。シュレ猫エオウィンは「タイム・トンネル」ならぬ「タイム・トンネコ」だったのだ。山内透と濱中香鈴(シャンリン)は歴史上の科学者の許ヘタイム・ワープする。エルヴィン・シュレディンガー、コンラート・ローレンツ、ガリレオ・ガリレイ、関孝和(江戸時代の和算家)、マリー・キュリー、アルバート・アインシュタイン。シュレ猫エオウィンが口に銜えて持ち帰る証拠品──シュレディンガー方程式の草稿、アンティキテラの機械の説明書(羊皮紙)、フランツ・ヨーゼフの軍旗、ガリレオの中指、円周率の算額、キュリーの革鞄(ピエールの遺品)、アインシュタインに貰った特殊相対性理論の論文。ささやかな歴史改変の冒険。2人の著者が分担執筆した荒唐無稽な「恋愛科学小説」に見えるけれど、今日的なリアリティで補強されている。過去の描写に金を掛けていない分だけ、「NHK少年ドラマ・シリーズ」の匂いも漂う。

  • ◇ グーグーだって猫である 3(角川書店 2007)大島 弓子
  • 自画像には良くも悪くもセルフ・イメージが投影される。マンガ家の場合も必要以上に美化したり矮小化したりで、客体化が難しい。マンガ家自身が登場するマンガになると更にハードルが高くなる(手塚治虫や石ノ森章太郎の自画像キャラが有名)。「さかさ食パン」「縦ジワ・ベートーベン」「ゲジゲジ眉毛」「鼻・口なし」「モンペ・ファッション」「みだれ靴下」‥‥のユーミン(大島弓子)も数少ない傑作キャラだと思う。「グーグーだって猫である」は角川書店のPR月刊誌「本の旅人」に連載中のエッセイ・マンガ。年を取らないアンドロイド少女という設定の初代「ユーミン」(1976)に比べると、ユーミンよりも、爆発ヘアのムーミンに近い。第3集はホームレス氏から託された子猫タマのリハビリ、捨て猫の保護と里親探し、2DKマンションから一戸建てへの引っ越し‥‥と、慌ただしい日々が綴られる。4匹の飼い猫グーグー、ビー、クロ、タマ、隣家の猫こなつちゃん、通いネコ銀糸の生態。「いっしょに歩く猫」‥‥大島さんと散歩するタマに目頭が熱くなってしまいました。

  • ◇ 猫から出たマコト(日本出版社 2007)赤瀬川 原平
  • 赤瀬川原平は猫嫌いだったが、猫と長く暮らす間に猫好きに転じた。「それだけに猫の企みがよくわかる」という。本書は「猫」に纏わる諺や熟語を辞書(新明解国語辞典)を引きながら、赤瀬川流の新解釈を試みる。「猫の手も借りたい」「猫を被る」「猫に小判」「猫なで声」「猫の子1匹いない」「猫に鰹節」「猫の首に鈴をつける」「猫ばば」「猫舌」「猫の額」「猫かわいがり」「猫の目」「借りてきた猫」。猫ことわざの殆どは「猫をおとしめる意味で使われている」と嘆き、「路上観察学会では、猫のいる町は居心地のいい町、という定説がある」と書く。「猫なで声」も「猫かわいがり」も、人間が人間に対して行なう。エッセイの間に挿まれた「ネコ写真」とキャプション、余白に描かれたイラスト、巻末の「猫生相談」も含めて、赤瀬川流としか言いようのない不思議な「ネコ本」になっている。

  • ◇ 相棒猫 ディケンズと暮して(トレヴィル 1993)トム・ビアンキ
  • トム・ビアンキも長い間、自分は「犬派人間」だと思っていた。1985年にイングリッド・アーマインという仔猫に出合うまでは。白茶ブチ柄のパロミーノ・パンダ猫。かれんぼ、紙ボールのサッカー、追いかけっこ‥‥彼女と遊んだ最初の2年間。家猫の常としてホルスタイン化した彼女の遊び相手として、友人から貰い受けて来た仔猫がユーキュート・リトル・デ ィケンズ(なんて可愛いディケンズちゃん)だった。本書はネコの写真集(主演:ディケンズ、助演:イングリッド、監督・カメラ:トム)である。アビシニアンのディケンズは小顔の美猫。すばしっこそうな肢体、ヤンチャな表情、精悍な野性味‥‥その5年間の「猫生」をモノクロ・フィルムに収めている。ゼブラ模様のシーツの上でポーズ、クロ ーゼットの中に隠れ、トイレットペーパーの怪物と格闘し、白クマちゃんを弄び、サンパー(兎のぬいぐるみ)と戯れるのだ。

  • ◇ 猫と悪魔(小学館 1976)ジェイムズ・ジョイス
  • 54歳のジェイムズ・ジョイスが孫のスティーヴン宛に送った「お話」を元にした絵本(ジェラルド・ローズ画)。フランスのロアール川の岸辺に位置するボージャンジーには橋がなか った。それを知った悪魔は市長のアルフレッド・ビルヌ氏と契約を結ぶ。一晩で立派な橋を架ける代わりに、一番初めに橋を渡る者が悪魔の「家来」になるという条件つきの「悪魔の契約」だった。この大型本がユニークなのは「ジェイムズ・ジョイスの書いた絵本」というだけに留まらない。訳者の丸谷才一が「表記についてのあとがき」で詳細している次の3点。1. 歴史的假名遣いを採用してゐる。2. 漢字をちつとも遠慮しないで使ふ。3. 分ち書きをおこなはない。「ボージャンジーの猫」の結末は書かなくても分かるでしょう。『猫と悪魔』はマザー・グース〈ロンドン橋おちる〉の「人柱」に通底するような気もします。

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夏への扉

  • 著者:ロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)/ 福島 正実(訳)
  • 出版社:早川書房
  • 発売日:1979/05/31
  • メディア:文庫
  • 目次:夏への扉 / 訳者あとがき


内なるネコ

  • 著者:ウィリアム・バロウズ(William S. Burroughs)/ 山形 浩生(訳)
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日:1994/10/20
  • メディア:単行本
  • 内容:愛おしいネコとの日常生活、失われた過去への想いが、幾つもの断章となって語られる、バロウズの自伝的小説。誤まって射殺した妻、早世した息子、ジェーン・ボウルズ、同性の愛人たち。作家の過去が、ネコの影となって現れる


猫に恋して

  • 著者:高田 理香
  • 出版社:ブルース・インターアクションズ
  • 発売日:2006/09/25
  • メディア:単行本
  • 目次:猫との出会い(ゆき / ミンミン / ポンポン / ルウルウ / ミーちゃん)/ 猫との生活(猫とのまいにち/朝から夜まで / 旅にでるとき / ポンポンと病気)/ 猫との暮らし(必要なものと、あるとよいもの / 困ったこと、あれこれ / 爪とぎ / グッズ/猫にまつわる...)


猫はカガクに恋をする?

  • 著者:竹内 薫・藤井 かおり
  • 出版社:インデックス・コミュニケーションズ
  • 発売日:2007/06/15
  • メディア:単行本
  • 目次:シュレディンガーの猫 / アンティキテラの機械 / 彼、けものと鳥ども、魚どもと語りき / ガリレオの指 / 算額奉納 / ピエール・キュリーの鞄 / 親愛なるアインシュタイン様


猫と悪魔

  • 著者:ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)/ 丸谷才一(訳)
  • 出版社:小学館
  • 発売日:1976/05/10
  • メディア:大型本
  • 内容:フランスで一番長い川のロアール川の下流にボージャンシ―という古い小さな町がありました。ロアール川の幅はここではとても広くなっていますが、町の人たちは自分で橋をかけることも、橋をかけるお金も無いので、ボートを使っています。新聞で町の人たちが困っている記事を読んだ悪魔は、ボージャンシ―市長のところへ出かけ、たった‥‥