《ハロー、俺はコンピュータ・ゲームなんだ。首に吸い着くのが大好きなドラキュラ伯爵。もちろんキ印、俺の息子も狂っている。俺は魔法使い‥‥》と自己紹介する〈Computer Games〉は、エレクトロニクスと戯れるGeorge Clinton(君に勝負を挑むコンピュータ・ゲーム)の嬉々とする姿が彷佛される快作だった。同名の初ソロ・アルバム《Computer Games》(Capitol 1982)に収録された大ヒット曲〈Atomic Dog〉も、舌を出してハァハァするワンワンの喘ぎ声と共にクレイジーな犬たちが登場する。個人的にはミャーミャー鳴くネコちゃんの声が可愛いBootsy Collinsの〈Fat Cat〉の方が好きなのですが‥‥。犬族は〈Man's Best Friend〉なので、お互いに仲良くしないとね。

4thアルバム《R&B Skeletons In The Closet》(1986)もダンス・ミュージック〜エレクトロ・ファンクの数々を披露していて嬉しい。「You know you look marvelous!」という共通のフレーズで結ばれている冒頭の2曲は愉しく踊れが、「マーヴェラス」の意味の違いに苦笑してしまうかもしれない。George Clintonが〈Hey Good Lookin'〉と呼び掛けてナンパしようとしている相手がミス・アメリカ1984のVanessa Williams嬢なんだから、その美しさは自他共に認めるほどに「マーヴェラス」なんでしょう。一体どのような経緯でゲスト出演するに至ったかは不明なものの、男性誌に掲載されたヌード写真に端を発するスキャンダル(ミス・アメリカ剥奪?)など、あれこれ想像を逞しくすれば、彼女の歌声もエロティック度を増すに違いない。

しかし次の〈Do Fries Go With The Shake!?〉で「マーヴェラス」の意味は反転する。過食症でファースト・フード中毒者で、牛肉の分け前や分量、ケーキの切り方やロールパンの焼き加減に異常に煩い、それでも少しはダイエットに気を遣っているらしい(砂糖なし?)デブ男のアホらしい歌に転換してしまうのだから。絶世の美女へ賛辞が醜悪な大食漢ヘの皮肉にスリ変わってしまったのだ。ケンタッキーに行ってビッグマックを30個テイクアウトしようとするほどのキ印じゃないけれど、かなり危ない主人公(マックマフィン足!)。甘ったるい飲み物を抜け目なく勧める女子店員の笑顔、「マクドナルド的な微笑」が〈Do Fries Go With The Shake!?〉というタイトルに重なる。

Parliament / Funkadelic / George Clintonの音楽は最初の数小節のビートが最後まで変わることなく持続するダンス・ミュージックだが、《R&B Skeletons ...》の全編に渡って張り巡らされた叩き込むような、あるいは突んのめるようなヒップホップの変則ビートや寸断するスクラッチノイズが従来のタイトで極太のリズム、重低音の響きに緊張感を与えている。コラージュっぽいの3部作〈Mix-Master Suite: Startin' From Scratch / Counter Irritant / Nothin' Left To Burn〉はスクラッチという鋏で完膚なきまでに裁断されているために脚が躓く。もっとも、気を取り直してB面に辿り着けば〈Electric Pygmies〉や〈Intense〉という強力なダンス・ナンバーが控えているので、安心して踊れる‥‥というよりも、途中で踊りを止めることが出来ない。あの「赤い靴の呪い」のように。

George Clintonのソロ・アルバムが今まで(1987年当時)に1枚も国内で発売されていないこと、そのプロモ・ヴィデオ作品の殆どがTVで視れないことに抗議しておくべきだろうか。それとも《Sun City》(1985)やThomas Dolbyとのコラボレーションで垣間見られるクリントン総帥の驚くべき容姿に驚愕すべきだろうか。George Clintonはリンやフェアライトで作った無機的なファンク・リズムに哀愁に満ちたメロディやメッセージを乗せるのが上手い。縦乗りでも横乗りでもない、小さな円弧を描いて転がって行くリズム。執拗なビートの反復の中から魅惑的な旋律が立ち現われて来る瞬間、大真面目な主張が胸に染み込んで来る時、余りにもバカバカしくて涙が出そうになる。

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都市、コンピュータ、神(ディーバ)vs魔(ダーサ)、近未来SF、旋回舞踏、アートマン(真我)、アンドロギュヌス、空中浮揚(レビテーション)、ポルターガイスト、超能力、覚醒、融合、中性化、進化、言語、戦争、CG、複合企業(コングロマリット)、捜神プロジェクト、トリックスター、ハッカー、極楽浄土、ニルヴァーナ効果、マントラ(呪文)、インドリヤ(通力)、マーヤー(幻力)、瞬動(テレポーテーション)、ディスコ、瞑想、マンダラ、シンセサイザー、宗教、コミューン、「リグ・ヴェーダ讃歌」、「ハイデルマン・テスト」、「ビッグブラザー」、天敵、神話、混血、二元論、宇宙、世界、地球、物語、アナロジー、トリップ、解脱、双子、呪術、再生、奥儀(ウバニシャッド)、救世主(メサイヤ)、UFO、インセスト、SEX、ユートピア、新人類、遺伝子、ワン・ゼロ‥‥。

1998年、東京・西シンジュクはカルト・ディスコの巣窟と化していた。〈バルカン〉の常連客・明王寺都祈雄(トキ)とクラスメートの馬鳴アキラの2人は I2(アイツー)ビルの120階の開店したばかりの〈薔薇門〉に招待される(潜入する)が、トキを待っていたのはマユラ・マラヴィア‥‥都祈雄と腹違いの妹・摩由璃(日印ハーフ)だった。トキとマユリの異母兄妹は短篇「夢喰い」に登場していた馴染み深いキャラである。作者の佐藤史生(巫山戯たペンネーム!)によると「夢喰い」を描いている時に長編の構想が浮かんだそうで、「ストーリは別」ながらも、兄妹が『ワン・ゼロ』(小学館 1984-86)の核となっていることは疑いない。両作品の違いは短篇がマユリ=孔雀明王像とトキオ──夢魔の誘惑からトキオを救出するマユリ(神)という構図に対して、長編はトキオをも含めた友人たち(魔)からの行動や描写を中心に展開して行くために(読者は彼らに感情移入する)、マユリ(神)たちの言動が胡散臭いものに感じられる点にある。トキを中心にして、神と魔、善と悪、正と邪という対立概念が反転したかのような印象だと言ったら良いだろうか。

明王寺家の当主の少年に代々継承される帰依の儀式「お身ぬぐい式」‥‥守護尊孔雀明王像に反響する「真言」によって、摩由璃が「神」(ディーバ)として覚醒する一方で、都祈雄の同級生たち、馬鳴アキラとガールフレンドの天鳥エミー、そして後輩の翁ミノルも、それぞれアシュバ、アビ、シュナワの「魔」(ダーサ)の人間態としての再生だと気づく。1500年前のナーガ族の記憶が甦って来る幻夢シーンの異様な光景!‥‥澣海を東へ、倭国ヘ向かう泥舟に乗った4体の獣頭神像(鳥・馬・犬・蛇頭)の描写は不気味な迫真力に満ちている(蛇男は誰?)。作者が描く動物(孔雀や馬)や幻獣、魔物ほど生々しくエロティックな存在はないだろう。逆に人間たち(耳の大きいバルカン星人を想わせる風貌)の方が存在感が稀薄で、少々魅力に欠けるのかもしれない。

馬鳴アキラが会員制のカルト・ディスコ〈薔薇門〉に惹かれた理由は、アメリカの I2(インターナショナル・インストルメンツ)社が開発したマンダラ・シンセサイザー(メディック)と、それを制御する自己学習型コンピュータのマニアックにあった。テストの成績や出席簿の改竄なんか、お茶の子さいさいという筋金入りのハッカー少年はロゴス(マニアックの監視役)にアクセスした後、マニアックとの交信に成功する。しかしアキラたちがダーサとして、マユリがディーバとして「覚醒」したように、マニアックもダーサ・マントラの合成音に反応して「目覚め」てしまう。もともとマニアックは人間内の「神」の有無を検証するために造られたコンピュータで、「捜神プロジェクト」とは故・童門教授がマニに刷り込んだ「親ゆずりの強迫観念」に他ならない。

もし「神」や「魔」という概念が人間に予め内在するものだとすれば、外界でハデに繰り返される「神」vs「魔」の戦争は、その外在化・投影に過ぎないわけで(内と外は通底している)、表面的には「人類発生以来の "神" 対 "悪" の二元論」という「陳腐な図式」にならざるを得ない。『ワン・ゼロ』も永遠に勝負の着かない、人類が生存する限り続く「神」vs「魔」の局地戦の1つ(たとえば『エクソシスト』の神父と悪魔に取り憑かれた少女の対決)なのである。少年マンガなら泥沼化した戦争のスペクタルを果てしなく描写・展開し続けることになるだろう。『夢みる惑星』(1981-84)は始めから決まっている結末へ向けて収斂・回避して行くストーリ上、やや盛り上がりに欠ける憾みがあったけれど、『ワン・ゼロ』にも迫力のある戦闘シーンの連続があっても良かったと思うのは無理な注文だろうか。むしろ対話や議論の占める割合が多いスタティックな印象が残る。長編よりは「阿呆船」や「馬祀祭」など、SF短篇の方が密度の濃さと完成度の高さで卓越しているような気がする。

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『ワン・ゼロ』には企業と宗教の競合という側面もある。I2社が世界中にバラ撒こうとしているメディックは一種の瞑想機械(ヴィジュアル・シンセ)で、人間を「菩薩化」する機能を持つ。『アルタード・ステーツ』の瞑想タンクが細胞や遺伝子の記憶を呼び醒まして肉体を過去へ「退化」させる内的なタイムマシンの一種ならば、メディックは人間の精神を未来ヘ「進化」させるタイム・カプセル、空中浮游しながら公転する球体ブースだと言える。複合企業の戦略とメディックを求める人々や聖職者たちの心情は、たまたまメディックを体験した天鳥エミーのママ(ルポライター)が書いた記事の一節──《かつて1人の作家が言ったように、今もし地球の裏側で1人の子供が苦痛に泣いていれば、我々人類はただの1人も幸福ではない》という命題に集約されるだろう。

I2社は孔雀の衣裳を纏ったマーハマウリヤ(CG合成されたマユリのイメージ・キャラ)のCFをTVに流すことでメディックの大衆化に乗り出す。婚約者だったマユリが〈ディーバ〉になることで離れて行くこと、メディックの「ニルヴァーナ効果」に疑問を抱き始めるヒカル・マヨワ氏(I2社のプリンス)。トキオたちは神木阿嬢の下で1500年間眠っていた遍照鬼(ビローチャナ)を覚醒させる。インドラ大神とビローチャナの戦い。一足早くメディックを導入したアクシャラ・コミューン(北米マーシー・ヴィレッジ)では、子供たちが言語を放棄してしまうという事件が起こる。言語以外のコミュニケーションの可能性──それは人類の「進化」なのだろうか、それとも「退化」なのだろうか?‥‥いずれにしろ《人類が総アクシャラ化すれば、地球は神の国になる》。

トキとマユリの兄妹は「なりそこないのアートマン」、アンドロギュヌスの片割れ同士で、始めから「合体」を運命づけられている。従ってマユリ=ディーバの誘いをトキが拒絶しながらも物語の後半(ACT・III 破陣楽)で、2人の顔が混じり合って判別出来なくなるのは必然の成り行きである。何故なら1年違いのアストロ・ツインの「融合」はトキオ自身にマユリが吸収される形で最終的に統合されるのだから。「核融合」してしまうのはトキとマユリに留まらない。自己意識を持ったマニアックもルシャナ(ビローチャナ)と「融合」する。メディックが止まらないという異常事態を迎えるに至って、「東京メディック化」を阻止しようとするダーサ側とマユリ=ディーバの最期の戦いが始まる。トキとマユリの2人が一体のアートマンになったのだとすれば、メディックは全人類を「聖者」に進化させてしまう一種のタイムマシンである。一個人の進化が全人類の洗脳を先導(煽動?)する、コンピュータ・ネットワークの普及とメディックの大量生産が可能にした1対60億の豪華2本立て興行!‥‥これが「神の罠」でなくて一体何であろうか!

「神」vs「魔」の戦いはマニアックとメディックを巻き込んだ、マニアック=ルシャナ(ダーサ)vsメディック=マユリ(ディーバ)といった様相を呈して来る。メディックが人間を「中和」(ニルヴァーナ化)するように、「神」と「魔」、インドリヤとマーヤーが中和化されて消滅する。今までの戦いは一体何だったのかと拍子抜けするほどの呆気ない幕切れ‥‥。東京メディック計画の中止、マハーマウリア教団の解散、9人の解脱者と聖者(殆ど廃人ではないか!)。「正常」に返った馬鳴輝、天鳥咲、翁稔。「覚醒」以前の状態に戻ったマニアック。摩由璃の「亡骸」(死体化!)を護る目弱光。マユリと「融合」した都祈雄‥‥果して彼(彼女?)はアートマンになったのだろうか。もしアートマンにならなければ「世界震駭者」は「転輪聖王」(たとえばヒトラー)になる可能性を秘めていると、読者を脅かして物語は終わっているけれど。

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1986年、George Clintonは《R&B Skeletons ...》の他に2枚のアルバムを発表した。1枚はライヴ・ヴィデオのためのミニLP(George Clinton / Parliament / Funkadelic名義)で、ヒューストンで行なわれたPーFunkのライヴ+既成曲3曲で構成されている(40インチ以上ある大型TVモニタに映っているクリントン総帥の姿をジッと見つめているアトミック・ドッグのイラストが秀逸!)。もう1枚はベスト・アルバムで、〈Atomic Dog〉〜〈Last Dance〉‥‥究極のファンク・ダンス・ミュージック8曲が収録されている。マニアックとクリントン、同じコンピュータ仕掛けならメディックよりもPファンクの方がディスコに相応しいと思いませんか?‥‥たとえ彼らが狂っていたとしても。ベスト盤の最後で何度となく繰り返される印象的なフレーズ、「What I use some kind of psychedelic wallflower」‥‥〈最期のダンス〉フロアに咲く黄色い徒花、「サイケデリックな壁の花」とは一体何のメタファなのだろうか?

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  • George Clintonのアルバムはアナログ盤、『ワン・ゼロ』のテクストは小学館文庫(1996)を使用しました



  • 佐藤史生さんのニックネームは ソルティ・シュガー(salty sugar) ド・サトです

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Computer Games

  • Artist: George Clinton
  • Label: Capitol
  • Date: 1991/08/27
  • Media: Audio CD
  • Songs: Get Dressed / Man's Best Friend/Loopzilla / Pot Sharing Tots / Computer Games / Atomic Dog / Free Alterations / One Fun At A Time


R&B Skeletons In The Closet

  • Artist: George Clinton
  • Label: Capitol
  • Date: 1991/07/30
  • Media: Audio CD
  • Songs: Hey Good Lookin' / Do Fries Go With That Shake? / Mix Master Suite (Startin' From Scratch / Counter Irritant / Nothin' Left To Burn) / Electric Pygmies / Intense / Cool Joe / R&B Skeletons In The Closet

ワン・ゼロ 1(プチフラワー・コミックス)

  • 著者:佐藤 史生
  • 出版社:小学館
  • 発売日:1985/06/20
  • メディア:単行本

ワン・ゼロ 1

  • 著者:佐藤 史生
  • 出版社:小学館
  • 発売日:1996/11/10
  • メディア:文庫
  • 目次:ACT1捜神楽 / ACT2 乱声楽 / エッセイ(町山 智弘)


ワン・ゼロ 2

  • 著者:佐藤 史生
  • 出版社:小学館
  • 発売日:1996/11/10
  • メディア:文庫
  • 目次:ACT2 乱声楽 / ACT3破陣楽 / エッセイ(所 幸則)


ワン・ゼロ 3

  • 著者:佐藤 史生
  • 出版社:小学館
  • 発売日:1996/11/10
  • メディア:文庫
  • 目次:ACT3 破陣楽 / エッセイ(森脇 真末味)