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マージナル・ノート 1 9 8 7 [a r c h i v e s]



  • ニラレヴァ炒めが好きなんて、まるで怪物の子供みたいに見られたのよ。/ それにね、あたし以外にだって、ニラとかレヴァー好きの子っていたと思うわ。でも、嫌いということにいつの間にかさせられてしまうのね。クジラだってそうよ。はじめてクジラの肉が ── 立田揚げだったんだけど ── 夕食に出た時にはね。みんなおいしいって言って喜んで食べたのよね。ところが、クジラだってわかったら、みんないやがって食べないの。おかしいわよねえ。気持ち悪いし、クジラのにおいがムカムカするって言うの。知らなかった時は、おいしいって言ってたのによ。立田揚げにして、ショウガとネギとおしょう油でくさ味を消そうったって、やっぱりクジラのにおいは鼻につくなんて、したり顔で言うのよ。
    金井 美恵子 『あかるい部屋のなかで』


  • 旧ソ連軍が北海道へ侵攻して来るという設定のスラップスティック長編『歌と饒舌の戦記』(新潮社 1987)は、その設定の陳腐さゆえに「物語」自体が次第にコンピュータのシュミレーション染みて行く。コンバット・チーム4名で1000人以上のソ連軍を瞬時にして全滅させてしまい(戦闘シーンの描写がない!)、その呆気なさに日本人のゲリラたちは疑問さえ感じるのだし、北海道以南の国民の殆どは「ソ連侵攻」に全く関心を示さず、『抗ソ・ゲリラ』という「現実」と同一内容のパソコン・ゲームにのめり込む。まるでゲームの中の「戦争」こそが彼らの「現実」であるかのように。本文に挿み込まれた「歌」(レゲエや「ワンノート北海道」の楽譜が傑作!)と、喋り続ける相似キャラたちの「饒舌」というタイトルが同系列の長編『脱走と追跡のサンバ』(1971)を連想させる。

    『夢の木坂分岐点』(新潮社 1987)は『虚人たち』(1981)の延長線上に書かれた「夢」の視点・構造から成る小説である。『脱走と追跡のサンバ』と『虚人たち』の登場人物が共通している点に注目すれば4作品の相関図も少しは見えて来るだろう。《またこの話か。いやだなあ》という独白に苦笑いした読者だけが夢の中への侵入を許される。主人公の名前が徐々に変わって行くに応じて、彼の境遇や社会的な立場も微妙に変化し、家族をも含めたサイド・キャラたちも変貌して行く。劇中劇といった感じのサイコ・ドラマ、ポール・デルヴォーを想わせる路面電車と駅舎、「遠い座敷」にあった無限襖や斜行廊下の迷宮と閉所恐怖、娘に2タイプ(真佐美と真佐子)あるらしいこと‥‥『虚人たち』ほどスリリングではないけれど、夢の属性である拘泥感に囚われる。やっぱり「やくざ」は怖いなぁ。

    『歌と饒舌の戦記』の34章、未だ最後まで遣り遂げた者が1人もいないコンピュータ・ゲーム『抗ソ・ゲリラ』をシカゴ市在住の天才少年(全米パソコン・ゲームのチャンピオン)に試してもらうシーンは重要である。何故なら、このソフトが『戦記』の成り行きを予測〜決定する2重構造になっているのだから‥‥。ピート・ベイトソン君は困惑げに言い放つ──「プログラムが未完成なんだよね。ということはやはり、バグということになるのかなぁ」「〔‥‥〕つまり、マニュアルの最後に載っているあのインディアンというキャラクターが登場するなり、画面が消えちまうんだ」と。なぜ北海道にインディアンが出てくるのかは兎も角(バグじゃないの?)、ここまで書けば「衝撃のスラップスティック大作」の結末も推して知るべしでしょう。

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    『虚航船団』(1984)のラスト近く、消しゴムが消した彼自身の「死」(空白)以降に雪崩れ込んで来る作者の日常生活の断片は物語の緊張感が途切れるので消した方が良かったと思うけれど面白くて、その部分だけを何度も読み返してしまう誘惑に逆らえない。たとえば、澁澤龍彦の本ばっかり買ってくる息子への逆上‥‥《何故父親の本を読まぬ♮口笛♮同じ泉鏡花賞の作家ではないかウームあの人は気ちがいだぞ何お父さんも気ちがい否否あっちは真面目な気ちがいでこっちは正真正銘の気ちが♯こら何を言わせる》。恐らく『虚人たち』と同時受賞した『唐草物語』(1981)を読んで驚愕したヤッシャ・ツッチーニ氏の偽らざる感想ではないだろうか。高橋たか子の『誘惑者』(1976)に「松澤龍介」という変名で客演した時も強烈だったこと、暗鬱な色調の中で、その部分だけがスポットライトを浴びたように不思議に明るかったことを想い出す。

    もう少し『虚航船団』の「楽屋落ち」に付き合ってみると、父と息子の会話の少し先で《拙者老残晒之助惨永と申す者妾は金井厭味子号を妬蔑媼と申す者》という不可解な文章に出喰わす。この「暗号文」が一体何を意味しているかは実に気になるところで、たとえば《あと1歩で岩波文化人の仲間入りも可能な筒井康隆氏》とか、《筒井康隆全集のニヒリズムぶりもまた荒廃しているのです》とか、自著の中で揶揄している金井美恵子(バカにしているのはツツイ先生だけではないのだが)への「逆襲」と看做すことも出来るし、自嘲的な前半部と考え合わせれば「同好の士」のジャレ合い、悪意に満ちたエールの交換とも受け取れなくもない。DTP(Desk Top Publishing)の知識や『文学部唯野教授』(岩波書店 1990)のソシュール言語学──「猫ということばがシニフィアンで、実際の猫がシニフィエです」という「完全無欠な間違い」をめぐって、2人の本格的なバトルが始まるのだが。

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    村上春樹の工場見学記『日出る国の工場』(平凡社 1987)の中に「消しゴム工場の秘密」と題されたルポがある。文房具(消しゴムと鉛筆)を擬人化した漫才コンビやカート・ヴォネガットの引用──《それはそういうものなのだ、ハイホー》も無視することにして、ここではタイトルに注目しよう。もし貴方がロアルド・ダールのファンならば『チョコレート工場の秘密』(1972)のモジリだと気づくはずだ(「スパゲッティー工場の秘密」という小品もありました)。ワンカ氏=マッド・サイエンティスト、ウンパ・ルンパ=ピグミー族、TVカメラ=物質転送機!‥‥チャーリー・バケット少年を除く4人の少年少女たちの運命を想い起こすだけで、沸騰したチョコレートの甘ったるい香りさえグロテスクな苦味に拭われてしまう、とんでもない結末なのだ。この奇抜なストーリを一体どこから思い着いたのかという好奇心の虜になっている読者のために、作者はアイディアを書き留めたノート(メモ)の一部を公開している。《What about a chocolate factory that makes fantastic and marvellous things — with a crazy man running it?》

    『魔女がいっぱい』(評論社 1987)の主人公は両親を自動車事故で失った上、魔女たちの奸計によってネズミに変身させられてしまう。しかし《男の子だということは、なにがそんなにすばらしいのだろうか? 男の子だということが、なぜ、絶対的にネズミよりましだといえるのだろうか?》と「ぼく」は自問する。この辺のロジックがロアルド・ダールらしいところで、元の「男の子」に戻ってハッピーエンドという甘い結末を読者に用意しない。宇宙へ飛び出した「ガラスのエレヴェータ」みたいに過激に突き進んで決して後戻りしないエキセントリックな傾向があって、いつも読む度にハラハラさせられどうしなのだ。R・ダールは第2次大戦に英空軍のパイロットとして従軍するが、鈎十字のメッサーシュミットに撃墜されてリビア砂漠に墜落!‥‥グロスター・グラディエイター(単座の複葉機)は炎上。意識不明の重傷(頭蓋骨損傷と大火傷)を負う。ひょっとして、頭の打ちどころが良かったのではないかしら?

    村上陽子(春樹の奥さん)も夢中になった『日出処の天子』(1984)の作者は短篇の名手でもある。『わたしの人形は良い人形』(角川書店 1987)の表題作は死者(少女)の副葬品として供えられるべきだった市松人形を「物欲」のために葬らなかったことから、約40年近くに渡って人形(の呪い)が生き続けるオカルト・ホラーで、その執念深さにゾッとする。山岸凉子の描く男たちは、肉感的な(最近は胸を強調します)誘惑者としての女性や華奢で儚げな美少女たちとは異なり、暗鬱な睛を持った美少年や苦悩する美青年といった感じなのだから、突然「ヤマトタケル」みたいなキン肉マンが登場すると、逆に鈍重さばかりが目立つことになる。悩めるマッチョ男ほど滑稽な存在はない。「良い人形」と対決して野本陽子を救う竹内陽(ミナミ)も典型的な苦悩〜脆弱タイプの1人で、この1作だけで出番を終わらせるのが惜しまれるほどに魅力的なキャラである。彼女の短篇の中には端役も含めて無数の、その場限りの美少年少女たちが夜空の綺羅星のように点在しているのだ。倉敷美和を死なせてしまうのも惜しいよね。

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    ベルナール・フォーコンの「愛の部屋」と題する、どこか密室的で静謐感漂うマヌカン・シリーズを想い出したのはマルグリット・デュラスの『青い眼、黒い髪』(河出書房 1987)を読んだから。内挿された芝居のト書き風の言説が2人の同居する部屋(海を背景にした半密室的セット?)を舞台化させる一方で、俳優と観客の存在を仄めかす。「戯曲」の演劇化ではなく「小説」の劇場化。《舞台上の2人の主人公は口をきかず、2人が言ったとされるせりふも、ほかの者が朗読するのを聞いているだけという趣向》なのだ。恋人と別れた「彼女」と若い外国人に一目惚れした「彼」はそれぞれの相手が同一人物であることを知らずに互いに慰め合う。2人は言葉を交わすが、そうでない時は泣くか眠っている。ホモセクシャルと若い女性の「絶望的な愛」はデュラスとヤン・アンドレアの関係に多くを負っているらしく、小説化の際にデュラス役を50歳以上「若い娘に変身」させた分だけ、男女の愛憎・葛藤が形而上的なものへ昇華されたように感じられる。しかしプラトニックな関係であるがために2人の「愛」は最終的に「死」へ向かわざるを得ない。

    天沢退二郎の長編ファンタジー『光車よ、まわれ!』(筑摩書房 1973) が「ちくま文庫」で読もう。何故3つの《光車》を見つけなければならないのかという動機づけが今いち曖昧だなぁ‥‥と不平を言っている間に世界が反転する。《水の悪魔》、製粉工場、古文書室、一郎とルミの冒険、鏡像世界、水たまり、影法師、地霊文字、〈ドミノ茶〉、中島みゆき(学級委員!)、黒い小人、緑衣隊、さかさまの国(ウラガリ国)、双子姉妹、赤い水、スイマジン大王、泥人形、分身、洪水、人体アナロジー、インナー・スペース、‥‥次々と怪異な事件、目まぐるしい展開に息を吐く暇もない。読み終わって、冒頭の授業場面で黒板に描かれた「頭脳」が極めて暗示的だったことに気づく。『リリス』(1986)や『シルヴィーとブルーノ』(1987)など、ファンタジーの古典が文庫版で読めるなんて嬉しいな。鈴木ルミとオレンジ党が活躍する3部作も出して下さい。

    『クローム襲撃』(早川書房 1987)はサイバーパンクの旗手、ウィリアム・ギブスンの第1短篇集。カウボーイ(ハッカー)のボビイと片腕筋電義手のジャックの2人組が挑むコンピュータ犯罪と、その電脳空間(サイバー・スペース)を描く表題作。主人公を追うヤクザとモリイ・ミリオンズが天空に宙吊りされたサーカス・テント、最下層の「夜の町」の上方にある《ロー・テク》の「殺しのフロア」で対決する「記憶屋ジョニィ」(脳の中に情報を記録するアイディア)。眠れぬ夏の夜、停電でデルタ波誘導装置が止まる、別れた恋人アンジェラの痕跡──彼女の皮サンダルの紐、ホログラムの葉書(ディスポーザーが切り刻む千の薔薇)、ASP(全感覚的知覚)カセット──と、パーカーの過去を平行して記述する処女作「ホログラム薔薇のかけら」など‥‥共作を含む全10篇を収録。

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  • やっぱり私は純チョコレートが好き。〔‥‥〕ピーナッツならアーモンド、マカデニアナッツ、あーいうのならまだ許せるけど、オレンジゼリーとか入ってることあるじゃない。オエッときちゃう。// お菓子世界から離れるね。/ 私、ウナギがダメ!/ サイアク!/ だってウナギって裏がヌルヌルなんだもん。だから肉の脂身もダメなの。/ ニュルッとしたの私ダメなの。/ カリコリは好き。/ 私、カタイの好きだから。パンとかでも、もうカチンコチンなのが好きなの。だから、こう割ったらバキッて折れそうなくらいのパンが好き。/ フニャフニャはダメ。/ わざとコゲさして、そいで後でオコゲの部分を削って、そいでバリバリッて食べるの。/ 朝のトーストもカタく焼く。/ パリに行った時、朝パンだったなぁ。あれはおいしかった。さすがにその時は「パン、カタくしてくださぁい」なんて喋れないもんね。
    後藤 久美子 『ゴクミ語録』


  • NHK大河ドラマ『独眼流政宗』(1987)の「愛姫」役で大人気の後藤久美子ちゃんも、熱心なファンの間では『テレビの国のアリス』(NHK 1986)やJ&J綿棒のCM(1985)の美少女として、あるいはインタヴューに応えて喋る魅惑的な発言──「メリーさんの羊」を口ずさみながら身ぶり手ぶりでゴムダン遊びを説明、CF撮影当日の体育の授業を「疲れた顔になっちゃイヤ!」とパス──などによって、他の少女アイドル(子役)たちとは最初から峻別されるべき存在だった。「美少女」と「おしゃべり」の奇妙な同居。「ムカツク」「シブババ」「クッタン」「オエッ」「ヘン」「ハナヂ」「ガッコ」「ブランコオニ」「メゴスル」「ウルウル」「タノシ」「ヘーキ」‥‥坂本龍一プロデュースの『ゴクミ語録』(角川書店 1987)は後藤久美子ちゃん(13歳)の「おしゃべり」を語り下ろしたオリジナル文庫本で、篠山紀信が撮った巻頭カラー写真(32頁)が彼女の「美少女」ぶりを際立たせる。

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    夢の木坂分岐点

    夢の木坂分岐点

    • 著者:筒井 康隆
    • 出版社:新潮社
    • 発売日:1990/04/25
    • メディア: 文庫


    魔女がいっぱい ── ロアルド・ダール コレクション 13

    魔女がいっぱい ── ロアルド・ダール コレクション 13

    • 著者:ロアルド・ダール(Roald Dahl)/ 清水達也・鶴見 敏(訳)
    • 出版社:評論社
    • 発売日:2006/01/30
    • メディア:単行本
    • 目次:ほんものの魔女というのは‥‥ / ぼくのおばあちゃん / 魔女の見分け方 / 大魔女がいる / 夏休みのできごと / ホテルでの奇妙な集会 / てんぷらじゅうじゅうかりかりに / 処方第八十六番〈時限ネズミニナール〉/ 魔法の薬の作り方 / ブルーノ・ジェンキンズが消えた / ...


    光車よ、まわれ!

    光車よ、まわれ!

    • 著者:天沢 退二郎
    • 出版社:ブッキング
    • 発売日:2004/08/30
    • メディア:単行本
    • 目次:怪異のはじまり /《光車》をさがせ / 一郎の冒険 / 第一の《光車》/ ルミの冒険(一) / さかさまの国 / 誕生会・第二の《光車》/ ふたりの祖父 / ルミの冒険(二) / 第三の《光車》/《光車》よ、まわれ!/ 終章


    わたしの人形は良い人形 ── 自選作品集

    わたしの人形は良い人形 ── 自選作品集

    • 著者:山岸 凉子
    • 出版社:文藝春秋
    • 発売日:1997/05/10
    • メディア:文庫
    • 収録作品:千引きの石 / 汐の声 / ネジの叫び / わたしの人形は良い人形


    ゴクミ語録

    ゴクミ語録

    • 著者:後藤 久美子
    • 出版社:角川書店
    • 発売日:1987/06/30
    • メディア: 文庫
    • 目次:ムカツク / シブババ / クッタン / オエッ / ヘン / ハナヂ / ガッコ / ブランコオニ / メゴスル / ウルウル / タノシ / ヘーキ

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