「すべては「f」からはじまる!」──Petit Flower(小学館)が22年の歴史に幕を下ろし、2002年4月 に「flowers」としてリニューアル新創刊した時のキャッチ・コピーだが、森博嗣のミステリィも「F」から始まった。N大工学部助教授・犀川創平と大学(院)生の西之園萌絵の師弟コンビが密室殺人事件の謎を解くS&Mシリーズ(全10巻)。同じ那古野市を舞台に、私立探偵(?)の保呂草潤平と没落した名家の令嬢・瀬在丸紅子が怪事件を解明するVシリーズ(全10巻)。天才プログラマー・真賀田四季をヒロインにした〈四季〉4部作。そして犀川&萌絵が脇に回り、教え子の山吹早月や海月及介が怪事件に巻き込まれるG(ギリシャ文字)シリーズが現在刊行中‥‥。両親を殺害した容疑で孤島の研究所内に幽閉されていた「四季」が密室で惨殺される「F」そが、そもそもの長い物語の始まりだった(以下、大ネタバレあり!)。

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Vシリーズの最終巻『赤緑黒白』(講談社 2002)のラストで、謎の天才少女が自分の名前を「栗本其志雄」(真賀田四季)と瀬在丸紅子に名乗った瞬間、椅子から転げ落ちた読者も多かったことでしょう。大方の森ファンは薄々勘づいていたものの、まさか現実になろうとは‥‥まんまと作者にハメられたって感じですよね。森博嗣の人気ミステリィ、犀川&萌絵(S&M)と紅子(V)シリーズ(各10巻、全20冊で完結!)は共に愛知県内の架空都市〈那古野〉を舞台にしているので、つい同一時空間内に存在している(お互いに面識があってりして?)世界だと思いがちですが、実は時間軸がズレていた。VシリーズはS&Mよりも遙か昔の物語。つまり瀬在丸紅子の寡黙な1人息子「へっ君」が、何を隠そう(隠してるじゃん!)犀川創平の少年時代──紅子と犀川は母子関係だったのだ。何故2人の姓(名字)が違うのか(養子に出した、あるいは紅子が再婚した?)など幾つかの疑問も残るけれど、両シリーズの時代設定には少なくとも20年以上の隔たりがある。

そう考えればVシリーズの登場人物たちの住んでいる木造アパートの〈阿漕荘〉は如何にも古臭いし(70年代後半?)、当然パソコンもケータイも登場しない。何かが変だと感じながらも、コロッと騙されてしまったのは、第8作目『捩れ屋敷の利鈍』(2002)で両シリーズの主要キャラ(西之園萌絵と保呂草潤平)が一堂に会してしまうという巧妙な罠(ミスディレクション)が仕掛けられていたからだ。この時の保呂草は既に50に近い年齢だったはずだし、萌絵とは親子ほどの年の差だったはず。講談社ノベルス20周年記念の「密室本」(黒い帯封が巻いてあって立ち読み出来ない!)の1冊として刊行された企画&番外篇的な中編作が重要な鍵を握っていたとは!‥‥。ついでに言えば、犀川と儀同世津子の関係は異母兄妹──恐らく紅子の離婚した前夫・林と祖父江七夏の間に出来た1人娘なのだろう。エピローグで、西之園萌絵との関係を紅子から訊かされた保呂草は驚愕、そして韜晦する。流石の超理系科学者も「息子の婚約者」には手を出して欲しくなかったのでしょうか。

記念すべきデビュー作『すべてがFになる』(1996)が実際に執筆されたのは4作目『詩的私的ジャック』(1997)の後だったというのは有名な話。最初に「真賀田四季」を登場させたことでS&Mシリーズは、より一層衝撃度を増す結果になった。舞台は愛知県三河湾に浮かぶ妃真加島──孤島のハイテク研究所に「幽閉」されている天才プログラマー「真賀田四季」(14歳の時に両親を刺殺した容疑で身柄を拘束〜無罪釈放)が何者かに殺害される。孤島>研究所>地下研究室(B2)という3重の密室状況。犯人は一体どうやって密室内に侵入し、脱出したのか?‥‥この現場に偶然居合わせた犀川&萌絵コンビが事件の解明に乗り出す。頻出するコンピュータ用語──「マッキントッシュ」「レッドマジック」「トロイの木馬」「VR(ヴァーチャル・リアリティ)」‥‥冒頭の萌絵と四季の対話は『羊たちの沈黙』でのクラリスとレクター博士との面会シーンのパクリ、「密室」からの脱出トリックも似ているかもしれない、と『森博嗣のミステリィ工作室』(メディアファクトリー 1999)の中の「自作解説」で作者自ら語っている。

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閉ざされた研究所内での異常な殺人事件ということもあって、全編をメタリックな緊張感が走り、ハイテク〜近未来的な道具立てが一種異様な高テンションを醸し出す。初読の時は吃驚したものの、2作目以降は「密室トリック」の本格ミステリィ路線にシフト(書いた順番が違うので実は逆なのだが)して行く。2人の周囲で次々と発生する「密室殺人事件」、犀川&萌絵の「恋愛模様」、一切の感情を表に表わさない「男前キャラ?」の国枝桃子(助手)、犀川の妹・儀同世津子(雑誌記者)、同僚の喜多北斗(助教授)、萌絵の叔父・西之園捷輔(愛知県警本部長)、西之園家の執事・諏訪野老人、愛犬の都馬(シェルティ・ドッグ)、世津子の謎の隣人・瀬戸千衣。そして一旦、表舞台から消えたかに見えた真賀田四季がS&Mシリーズ最終話にカムバックして来るという執念深い仕掛け‥‥。このシリーズ、彼女が現われると途端に緊張感が漲り、その場がハイ・テンション化するようです。それにしても怖い女だなぁ‥‥身の毛もヨダッちゃうよ。

第2作目『冷たい密室と博士たち』(1996)は《95年の夏休みに約1週間で書き上げた処女作》。氷点下20℃の低温度実験所内での「密室殺人」という設定が某国立大工学部助教授ならではのシチュエーション。3作目の『笑わない数学者』(1996)は天才数学者・天王子翔蔵博士の棲む左右対称の〈三ツ星館〉ホール内の天象儀、それ自体が大掛かりなトリックになっている。御多聞に漏れず「メイントリック」は読書途中で気づいたけれど、その先に新たなミステリィが隠されていた。『詩的私的ジャック』は那古野市内の女子大生が次々に殺害されるシリアル・キラーもの。しかも死体発見現場は完全な密室状態。何故かロック歌手・結城稔の作曲した歌の歌詞に見立てて殺されて行くのだった。第5作目の『封印再度』(1997)は岐阜県恵那市の旧家・香山家伝来の家宝──「天地の瓢」と「無我の匣」の謎をめぐる事件。壷の中の鍵で函を開けることが出来るのだが、ビンの中の模型帆船のように鍵が取り出せない。このツボとハコの「物理トリック」は都内K区在住の某姉妹(森ファン)によって公開実験済みだとか。

6&7作目の『幻惑の死と使途』(1997)と『夏のレプリカ』(1998)の2作は同時期に起こった2つの事件を奇数章・偶数章、表と裏で2冊に整理した異色連作。前者は天才魔術師・有里匠幻の水中密室脱出(箱抜け)マジック失敗→殺害された怪事件、後者は実家に帰省した萌絵の親友・蓑沢杜萌が遭遇する不可解な誘拐事件を追う。《まさに本格ミステリィファン垂涎の雪の山荘の殺人。しかも密室。警察も到着しない》──『今はもうない』(1998)はS&Mシリーズの中で唯一例外的な「叙述トリック」作品(1人称単数小説)。何しろ、このために『封印再度』で叔母・佐々木睦子(愛知県知事夫人)を登場させ、ノベルズ版扉の〈登場人物表〉を取り去ったという程の念の入れよう。もうこれだけで充分ネタバレ状態だが、最後の必殺の1行で傑作になっている。次の『数奇にして模型』(1998)では那古野市内で開催された〈模型交換会〉で女性モデルの首なし死体が発見される。その現場(密室)の傍らで昏倒していた院生・寺林高司は「女子大院生絞殺事件」の容疑者でもあった。萌絵ちゃんの際どいコスプレ姿も拝める(?)ので、その手のマニアは必読です。

そしてS&Mシリーズ完結篇の『有限と微小のパン』(1998)。この巻も前作に劣らず分厚いなぁ(文庫本だと860頁もある!)‥‥「京極レンガ本」かと思っちゃったよ。作者自身も授業中に《教科書に挟んで読書を楽しんでいる高校生には、本当にお詫びを申し上げたい》と謝っているくらいだ。日本最大のコンピュータソフト会社「ナノクラフト」の経営する長崎のテーマパーク〈ユーロパーク〉(言うまでもなく〈ハウステンボス〉がモデル)ヘ遊びに行った萌絵、牧野洋子、反町愛の女子大生3人組。そこで聞かされた「シードラゴン事件」という不思議な死体消失譚(ヴァーチャルランドのヴァーチャル殺人事件?)。ナノクラフト社長・塙理生哉が自社の地下B4に極秘に迎え入れた天才プログラマー・真賀田四季‥‥。『F』と同様にVRを使った近未来的な「ゲーム」も最後のお愉しみとして用意されている。しかし、残念ながら本作を以てS&Mシリーズは一応完結。その後2人を主人公にした短篇も何作か発表しているけれど、森ファンの1人としては新作長編を期待したいところ‥‥とボヤいている間に、あの禍々しき四重人格者(?)をヒロインに据えた〈四季〉4部作も完結して、謎だらけのGシリーズが始まってしまった。

ここで森作品の特徴的なタイトル名に就いて考察してみたい。S&MやVシリーズのみならず(小説・エッセイ集の区別なく)、森博嗣の殆どの著作には英語名の副題が付いている。例えばS&Mシリーズの『F』は〈The Perfect Insider〉、『冷たい密室と博士たち』は〈Doctors in Isolated Room〉、以下〈Mathematical Goodbye〉〈Jack the Poetical Private〉〈Who Inside〉〈Illusion Acts Like Magic〉〈Replaceable Summer〉〈Switch Back〉〈Numerical Models〉〈The Perfect Outsider〉という風に続く‥‥洒落ているでしょう。さらに邦題も捩りや語呂合わせ(ダジャレ?)になっていることが少なくない。『封印再度』は英題の日本語当て字、『数奇にして模型』は「好きにしてもOK」という駄洒落。Vシリーズの『魔剣天翔』(2000)は「魔界転生」のモジリ、『夢・出逢い・魔性』(2000)は懐かしのTV音楽ヴァラエティ番組「夢で会いましょう」と、英タイトル〈You May Die in My Show〉のトリプル・ミーニングになっていて、実際にその通りのことが起こります。

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森博嗣は熱狂的な萩尾望都のファン。モーサマを「天才」と呼んで憚らない。何しろ雑誌連載時の『ポーの一族』(1976)を切り抜いたスクラップ・ブックを自慢げにHPで公開しているくらいだし、文庫本の「解説」を書いてもらったし、念願の対談もしているし、単行本の表紙カヴァーを描いてもらったこともある。愛犬シェトランドシープの名前も「トーマ」──言うまでもなく『トーマの心臓』(1974)から拝借!──、西之園萌絵の飼犬も「都馬」と言う(本当に困ったもんですね)。Petit Flower〜flowersに20年以上に渡って書き続けている萩尾望都。「訪問者」『メッシュ』「半神」『マージナル』 『完全犯罪〈フェアリー〉』『フラワーフェスティバル』「イグアナの娘」‥‥足掛け10年も連載していた『残酷な神が支配する』にも森博嗣は賞賛の辞を惜しまない。日本SF大賞を授賞した『バルバラ異界』もflowersに連載されていた。「すべては「f」からはじまる!」というキャッチ・コピーは出来過ぎですね。

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  • 『すべてがFになる』を読まなかったらMacユーザになっていなかったかも^^

  • ソネ風呂激震・激重!‥‥何とか自力で修復しましたが、 完全には復旧していません。主な変更箇所(CSS)をコメント欄にメモしておきました(trackbackのスペルが1箇所間違っています。コピーして貼った方は訂正して下さい)

  • Vシリーズについて書いた 〈那古野の人々〉をUPしました(2007/01/11)

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すべてがFになる ── The Perfect Insider

  • 著者: 森 博嗣
  • 出版社:講談社
  • 発売日:1996/04/05
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
  • 目次:白い面会 / 蒼い再訪 / 赤い魔法 / 褐色の過去 / 灰色の境界 / 虹色の目撃 / 琥珀色の夢 / 紺色の秩序 / 黄色いドア / 銀色の真実 / 無色の週末


有限と微小のパン ── The Perfect Outsider

  • 著者:森 博嗣
  • 出版社:講談社
  • 発売日:1998/10/05
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
  • 目次:パンドラの箱 / 下界の神殿 / 渾沌の魔殿 / 拡大の作図 / 追う野獣 / 三色すみれ / 全景の構図 / 過度のゆらぎ / 慈悲の手 / 神の薬


森博嗣のミステリィ工作室 ── MORI Hiroshi's Mystery Workshop

  • 著者:森 博嗣
  • 出版社:メディアファクトリー
  • 発売日:1999/03/18
  • メディア:単行本
  • 目次:森博嗣のルーツ・ミステリィ100 / いまさら自作を語る / 森博嗣の多重な横顔(建築学科助教授の顔 / 漫画人の顔 / 趣味人の顔 / ミステリィ作家の顔)