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8月の濡れた雨衣 [b o o k s]



  • かつてヴァージニア・ウルフは、女性が天才的な作品を作り出すためには彼女たち自身のお金と部屋 / 空間が必要だと述べた。1979年の時点で、レインコーツに金銭的な余裕はまったくなかったが、それでも彼女たちはロンドンにあるボロい地下スクウォットという形で自分たちの部屋を見つけた。それは行き止まりの通りにある完全な廃屋、荒れ果てたリハーサル空間で、あまりに狭苦しく灰色にくすんだ部屋だったゆえに、全員が部屋に集合するためには誰かひとりが部屋の真ん中に据えらえた便器に座らざるを得ないほどだった。年がら年中の大騒ぎ、ノンストップに近い騒音を隠すために壁にはマットレスがひとつ立てかけられていた。魔法は、辺境のみすぼらしさのなかからも光を発する術を持っている。こうしたグロテスクな環境で、レインコーツはある種の美を内面から掘り起こし、いまや古典となったデビュー・アルバムを書いた。
    ジェン・ペリー 『ザ・レインコーツ』


  • □ ザ・レインコーツ(Pヴァイン 2021)ジェン・ペリー
  • 1976年5月、アナ・ダ・シルヴァ(Ana da Silva)とシャーリー・オラフリン(Shirley O'Loughlin)は別々に、ロンドン〈ランドハウス〉で開催されたパティ・スミス・グループ(Patti Smith Group)の英国初公演を観た。ポルトガルからロンドンへ移住したばかりのアナはパティ・スミス(Patti Smith)の放つアンドロジニー(両性具有性)に魅了されたという。同じ会場でスペイン人の元ヒッピー、パロマ・ロメロ(Paloma Romero)は十代の少女アリアン・フォースター(Ariane Forster)が地面に転がって癇癪を起こしているのを目にした。彼女のカリスマ性に魅惑されたパロマはアリアンに女性バンドの結成を持ちかける。パロマはパーモリーヴ(Palmolive)、アリアンはアリ・アップ(Ari Up)となってスリッツ(Slits)が誕生する。1977年3月11日、ジーナ・バーチ(Gina Birch)は〈ハールスデン・シネマ〉でスリッツ初のライヴ・ステージ、クラッシュ(The Clash)、バズコックス(Buzzcocks)、サブウェイ ・セクト(Subway Sect)との共演ギグを目撃した。

    1979年2月22日、レインコーツ(The Raincoats)はケンブリッジの一軒家の地下にあるスペースウォード・スタジオで〈Fairytale In The Supermarket〉〈Adventures Close To Home〉〈In Love〉の3曲をレコーディングし、4月に7インチEPとしてリリースした。デビュー・アルバムは7月2日から15日、ロンドンのベリー・ストリート・スタジオの地下でトラック・ダウンされ、10月にミックスされた。〈ラフ・トレード〉は1976年、米サンフランシスコのシティ・ライツ・ブックス書店の協同型レコード・ショップとして始まった。左派志向のレーベルとショップは創立者ジェフ・トラヴィス(Geoff Travis)の「急進的な政治思想とフェミニストとしての意識によって形成されていた」。ロンドンに移住したアナは〈ラフ・トレード〉の店員として働いていた。「洞穴を思わせるエコーたっぷりなサウンドをもって、より実験的でダブにインスパイアされたユニット」 PIL(Public Image Ltd)のジ ョン・ライドン(John Lydon)はレインコーツが大好きだった。カート・コベイン(Kurt Cobain)もレインコーツ信奉者の1人だった。

    90年代初期、カート・コベインと同居していたホール(Hole)のドラマー、パティ・シェメル(Patty Schemel)はレインコーツのLP「パステル・ピンクとイエロー・マスタードに彩られた、歌っている途中で口を開けたまま、ちいさな手をそろってつないだ少年少女合唱団が描かれたジャケット」が目立つ場所に飾られていたと述懐する。1992年ロンドンで、カートはレインコーツのアルバムを探していた。タルボット・ロードの〈ラフ・トレード〉で店員から、アナのいとこが経営しているアンティーク・ショップで働いているアナ本人を訪ねてみたらと助言される。カートは翌日ロンドンを発つことになっていた。自己紹介するカートのことをアナは全く知らなかったが、手近でLPが見つかったら郵送しましょうと提案してくれた。数週間後、レコードが届いた‥‥《カートが「あの素晴らしく古典的な聖典」と形容した『ザ・レインコーツ』の一枚が、サインつきで、写真、歌詞カード、アナからの手紙と共に送られてきたのだ》。

    1993年、ニルヴァーナ(Nirvana)は所属レーベル(DGC)の社員向けに行ったリハーサル中に、デビュー・アルバム《The Raincoats》の収録曲〈The Void〉をカヴァしたことがある。かつて〈ラフ・トレード〉で働いたことのある元重役のレイ・ファレルは 「〈SST〉所属バンド、ガムラン音楽、そしてレコード店のバーゲン箱で見つかるお宝レコード『アルヴィン&ザ・チップ・マンクス・シング・ザ・ビートルズ・グレイテスト・ヒッツ』」(The Chipmunks Sing The Beatles Hits 1964)を通じてカートと仲良くなり、レインコーツの全アルバム3枚《The Raincoats》(1979)、《Odyshape》(1981)、《Moving》(1984)をDGCでリイシューした。1994年4月6日、レインコーツは旧作のプロモーションのために、ニュージャージーのラジオ局FMUでライヴ演奏を行った。彼女たちは翌週からNirvanaと7日間のUKツアーを行う予定だったが、残念ながら実現しなかった。カートが4日に亡くなっていたからだ。彼の遺体が発見されたのは3日後のことだった。

  • レインコーツを聴いていると、ぼくはあたかも自分は屋根裏部屋に隠れた密航者で、暗闇に潜み無断でその空間にお邪魔しているように感じる。彼女たちを聴いているというよりも、こっそり盗み聞きしている感じ。ぼくたちは同じ古い一軒家のなかにいるが、ぼくはひたすらじっとしていなくてはならない。さもないとぼくが屋根裏部屋から彼女たちの様子をうかがっていつのが彼女たちに気づかれてしまうし、もしもバレたら──何もかもがおじゃんになってしまうだろう、なぜならそれは彼女たちだけのものだから。彼女たちは、自らのために音楽をプレイしているのだ。かといって、それは仏教僧の電話番号を盗聴するとかなんとか、そこまで神聖でおかしがたいものではないし、たとえぼくが隠れて聴いていたところをレインコーツの面々発見しても、おそらく彼女たちはお茶でもどうかとさらっとたずねることだろう。ぼくははい、いただきますと答え、彼女たちは曲の演奏を済ませ、そしてぼくは彼女たちに、いい気分にしてくれて本当にありがとうございました、とお礼をするのだ。
    カート・コベイン 『ザ・レインコーツ』再発盤ライナーノーツ


  • 1999年5月、スリーター・キニー(Sleater-Kinney)のツアー中で、アセンズにいたキャリ ー・ブラウンスタイン(Carrie Brownstein)はレインコーツのLPを見つけて有頂天になっていた。友人でワシントン・オリンピアの〈Kレコード〉を主宰するキャルヴィン・ジョンソン(Calvin Johnson)に電話をかけて朗報を伝えた。1978年に地元のコミュニティ・ラジオ局KAOSでDJを始めたジョンソン少年(15歳)はレインコーツ伝道者の1人だった。ビキニ・キル(Bikini Kill)のキャシー・ウィルコックス(Kathi Wilcox)も「レインコーツはライオット・ガールに影響したし、それは彼女たちがビキニ・キルをはじめたときのわたしたちに人間的に影響したからだ」と語る。1983年頃トビー・ヴェイル(Tobi Vail)は14歳の時にオリンピアで初めてレインコーツを聴いた。ジョンソンは『OPマガジン』向けにレインコーツの電話取材を敢行し、《The Raincoats》のアルバム評も書いた。「これは、あちこちに転がっていく、ふぞろいな、騒々しい一枚のレコードだ‥‥」

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    アナ・ダ・シルヴァはポルトガルのマデイラ島生まれ。アナは十代の頃、英語学習のために英ボーンマスに1カ月滞在したことがあった。最初の夜はビートルズ(The Beatles)が完売公演したシアターの前に立ち尽くしていた。彼女は映画『A Hard Day’s Night』を3回観に行った。アナにとって母国のファシスト政権サラザリスモ(Salazarismo)は「文化、社会、政治的に不気味な存在だった」。1967年の夏、19歳のアナは姉妹とドイツ語を学ぶために数カ月間ドイツに滞在することになっていたが、家族の乗った車が国境に着いた時、彼女の母親が単独で国外に出られない可能性に気づいた。母親は出国するためには国境警察に対して2通の書類(雇用主と夫からの許可書)を提出する必要があったのだ。「1969年までポルトガルの既婚女性は個人としてパスポートを取得する権利を認められなかった」 。1969年リスボン大学に入学して、ボブ・ディランに関する論文を書いた。在学最後の1974年、無血軍事クーデター「カーネーション革命」の目撃者となる。1974年12月13日ロンドンへ移り住んだが、永住するつもりはなかった。

    ジーナ・バーチは英ミッドランズ・ノッティンガムの出身。低中流階級家庭で育って、The Beatles、ロネッツ(The Ronettes)、ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)、「サウンド・オブ・ミュージック」、兄からのお下がりレコード(Bob Dylan、Joan Baez、Bob Marley)などを聴いていた。12歳の時に一家は短期間サーガトンという村に移り住んで、ジーナはレゲエとスカを発見した。アート・カレッジに魅力を感じた彼女は友人と2人でイギリス各地をヒッチハイクして学校を物色していたが、ロンドンに着いた際に偶然あるバンド(Sex Pistols)のデビュー・ギグに立ち会うことになる。70年代末期のアートは急進的な過渡期を迎えていた。パフォーマンス、ランド、コンセプチュアル・アートに夢中になっていたジーナは図書館で何時間も過ごした。1976年9月、ホーンジー・カレッジ・オブ ・アートに入学するためにロンドンへ移る。パーティで知り合った連中の家に居候したが、そこはドラッグ売人のアジトだった。数週間後、マンモスロードのスクウォットに引っ越したジーナはパンク・バンドや、Slitsとコネのあったパンク・シーンと出会うことになる。

  • さーて、うむむむむ‥‥、1977年に、バンドを組みたいとそれぞれが何ヶ月か考えてきた末にジーナ・バーチとわたしは集まり、一曲共作してみることにした。その曲が "ライフ・オン・ザ・ライン" だった。その段階ではわたしたちは実はまだ実際にバンドになるだろうと思ってはいなくて、それはニックとわたしは別のグループに加入する予定になっていたからだった。だが、それでも全員がお互いとの作業を気に入ったし、しかも自分たちの書いた曲はちゃんとどこかに向かっていて、ドラムス、ベース、ヴォーカル、ギター二本に歌詞までついた(!!!!!!!!!‥‥)歌をまるまるひとつ書くことのできた自分たちの能力にはびっくりさせられた。そんなわけでわたしたちは取り組み続けることにした。その熱狂的な瞬間から2 ヶ月後にわたしたちは最初のギグをやることにした‥‥非常に経験不足で、わたしたちは具合が悪くなった‥‥自分たちの出番になり、そればどういう意味を持つ行為なのか当時はよくわかっていなかったサウンドチェックというのをやるべくステージにあがったとき、わたしはいますぐ足下に穴が開いて自分を飲みこんでくれたらいいのにと思った。
    アナ・ダ・シルヴァ『ザ・レインコーツ・ブックレット』


  • 1977年アナとジーナはホーンジー・カレッジ・オブ・アートで出会った。コンセプチュアル・アートに惹かれていたジーナとモノプリント版画に打ち込んでいたアナは、ある晩パブでバンドを始めることにする。レインコーツの初ライヴは11月9日、カレッジの〈タバーナクル〉で開催されたタイモン・ドッグというヒッピーSSWの前座としての出演で、アナ(ギター)、ジーナ(ベース)、ニック・ターナー(ドラムス)、ロス・クライン(ギター)という編成だった。ハートブレイカーズ(The Heartbreakers)っぽいサウンドのしようとした10代のニックは追い出され、オーストラリア人のロスもバンドを辞めた。メンバーは次々と変遷して行った。今ではポスト・パンクと呼ばれるレインコーツも77年当時は「我々は何もかも嫌悪する」と唾を吐くブリティッシュ・パンクと直結していて活気づけられはしたけれど、追従はしなかった。ジーナが使う針はドラックの注射針ではなくニットの編み棒だった。78年後半には創始メンバーで残っているのはアナとジーナだけになっていたが、シャーリーは5人目の 「雨衣」、コラボレーター(マネージャー)として熱心に付き添っていた。

    1954年パーモリーヴはスペイン・アンダルシアの中流家庭9人兄弟姉妹の8番目として生まれた。彼女もアナと同じように、フランコ政権下による検閲で思想統制されていたファシスト国家から脱出したがっていた。1972年、17歳の時にロンドンへ渡英したが、皿洗いをしながらYMCAで3カ月暮らした後、帰国してマドリッド大学に入学。18歳で妊娠した彼女は中絶のためにモロッコへ行く。ロンドンに戻って、ウォルタートン・ロード101番地にあったヒッピーのスクウォットに辿り着いた。妹のエスペランザはザ・ワンオンワナーズ(The 101ers)でジョー・ストラマー(Joe Strummer)と共にプレイしていたリチャード・デュダンスキー(Richard Dudanski)と暮らしていた。ストラマーは速やかにパーモリーヴの恋人となった。Sex Pistolsがロンドンで初ライヴを行った時、彼女はスコットランドの有機栽培農場で遊んでいた。ライヴに興奮して電話して来たストラマーと比べて、自分は「空っぽ」だという実存的な危機に陥った。大道サーカスをしていた友人に誘われた彼女はパントマイム役者になりたいと思ったが、サーカス団が求めていたのはドラム奏者だった。

    ヴィッキー・アスピノール(Vicky Aspinall)は南アフリカ生まれだが、1歳の時に一家はロンドンへ戻って来た。パーモリーヴはラディカルな書店「コンペンディウム・ブックス」にバンド4人目の募集広告を貼った。ヴァイオリンもしくはキーボード奏者希望だった。求人広告を壁から剥がしたヴィッキーは6歳でピアノ、10歳でヴァイオリンを学び、17歳でトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックに入学、「ヨーク大学でルチアーノ・ベリオにシュトックハウゼン、ガムラン、電子音楽スタジオでの作業、ブレヒト流演劇まで多岐に渡って学んだ」。在学末期から20世紀クラシック音楽に対する違和感を感じ、77年までにロンドンに移住してジャム・トゥデイというジャズ・ファンクのアンサンブルに参加したが、女性解放運動シーン内で演奏する分離主義的な活動には違和感を感じていた。メイヨ・トンプソン(Mayo Thompson)の《The Raincoats》への貢献は彼女にヴェルヴェッツ(The Velvet Underground)を紹介したことだった。彼女はドローン・ミュージックやフィドルのペダル(単音)に加え、フェミニスト / フェミニズムという知的・政治的な単語も持ち込んだ。

    《The Raincoats》は4人の異なるメンバーのコラージュだった。パーモリーヴの不規則なドラミングはロックンロールを聴かずにスペインで育ったことによる。アナの思慕に満ちた歌詞には「サウダージ」の哀しみが添えられていた。2014年、アナとシャーリーの暮らすノッティングヒルのアパートで、著者ジェン・ペリー(Jenn Pelly)は民主主義を体現する難儀さを目撃することになる。彼女たちはシングル〈Fairytale In The Supermarket〉がオリジナル・アルバム(Rough Trade 1979)に収録されなかった慣習について議論していたのだ。ギター・コードにペンタトニック・スケールが欠けているのは彼女たちがブルーズから学ばなかったから。メアリー・ティモニー(Mary Timony)は 「いくつかの奇妙な音階も含まれていて、彼女たちは新しいタイプの音楽を作り出そうとしているような感じがする」 と述べている。フランス人フェミニスト、エレーヌ・シクスー(Hélène Cixous)の言葉を借りれば、ヴィッキーは「身体を通じて書いている」かを理解した上でレインコーツに接した。キャサリーン・ハンナ(Kathleen Hanna)のソロ・アルバム《Julie Ruin》(1997)はシクスーに直接影響された「女性的エクリチュール」の実践だった。

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    • 1枚のアルバムを論じる「33 1/3」シリーズ#126(Bloomsbury 2017)です。本書の前半「はじまり」から 「音楽新聞」(p112)までをコンパクトに纏めてみました

    • 著者はキム・ゴードン(Kim Gordon)が「女性的エクリチュール」のアイディアを 「ソニック・ユースの『Goo』収録の隠しトラックで拡張した」(p107) と書いているけれど、何という曲なのでしょうか?
    • 《The Raincoats》(We ThRee 2009)は〈ポスト・パンク女子会〉を参照してね

    • ネコ写真を三毛から茶トラに変更しました(2022・9・15)
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    ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命

    ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命

    • 著者:ジェン・ペリー(Jenn Pelly)/ 坂本 麻里子(訳)
    • 出版社:Pヴァイン
    • 発売日:2021/11/26
    • メディア:単行本(ele-king books)
    • 目次:収録曲 / 序文 / はじまり / 起動 / スタジオ / ラフ・トレード / レインコーツマニア / 屋根裏部屋のカート / オリンピア / アナ / ジーナ / リアル・グッド・タイム・トゥギャザ ー / パーモリーヴ / コンペンディウム書店 / ヴィッキー / 非線質な性質 / 民主主義 / 音楽新聞 / フェアリーテイル / スーパーマーケット / イン・ラヴ / アドヴェンチャーズ / ス...


    The Raincoats

    The Raincoats

    • Artist: The Raincoats
    • Label: We Three
    • Date: 2011/03/11
    • Media: Audio CD
    • Songs: Fairytale In The Supermarket / No Side To Fall In / Adventures Close To Home / Off Duty Trip / Black And White / Lola / The Void / Life On The Line / You’re A Million / In Love / No Looking

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