• 世紀末にあれほど流行したサロメは、斬られた首よりは踊るサロメの方に重点が移ったが、それに較べるとルドンは寧ろ時代を遡行して、ヨハネの首の方に興味を持った。しかしそれは宗教的な関心からではなく、首はヨハネと言う特定の人物に属さず、ただ首そのもの、或は目を持つ者というだけである。そしてルドンの描く首は、彼の作品の中に氾濫し、木炭や版画やパステルなどでさまざまな首が描かれるが、本質的に首は(どんなに大きく目をあけていようと)斬られたもの、死んだものであり、そこに眼を伴うことによって、画面の中に見る主体と見られる影とが共存することになる。そしてルドンの白と黒とからなる木炭画や版画において、見られた影は、それ自体がヨハネの首のような白熱光を発して、1つの神秘を現前する。その点ルドンの濃い闇は光を内在するものであり、タブローそのものが閉じられた眼球と化す。ルドンがしばしば描く「閉じられた眼」という主題は、その絵を見る人に、謂わば眼を閉じて見ることを強制するようである。
    福永 武彦 「暗示の美学」


2007年の夏に開催された〈ルドンの黒〉(Bunkamura ザ・ミュージアム)は一服の清涼剤となったのだろうか?‥‥会期後半になれば異常な猛暑も幾分かは和らぐかと思ったのが甘かった。岐阜県美術館所蔵の作品200点で構成された〈ルドンの黒〉は、文字通りモノクロームの版画や素描を中心とした展示会。それらの作品は岐阜美術館へ行けば観れるわけだから、本邦初公開の稀覯性ではなく「見せ方」の方に興味が湧く。会場は3つのセクション──第1部「黒のファンタジー」、第2部「黒の故郷」、第3部「黒から色彩ヘ」に分かれている。1990年の夏、オートリーヴの「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」を訪れた岡谷公二氏も、『ODILON REDON』の冒頭で《ボルドーは暑かった》と書く本江邦夫氏も南フランスの酷暑には悩まされたのだから、「東京の夏。ルドンの夏」も暑くて当然なのだ。

オディロン・ルドン(Odilon Redon 1840 ー 1916)は南仏ボルドー生まれだが、生後2日で近郊のペイルルバードの農園へ里子に出される。青年ルドンに影響を与えた重要人物が2人いた。1人は放浪の版画家ロドルフ・ブレスダン、もう1人は植物学者のアルマン・クラヴォーとの出会いである。ブレスダンはルドンがエッチングや石版画の技術を学んだ「師」と呼べる唯一の人。クラヴォーからはダーウィンの進化論や顕微鏡の中の世界、象徴派詩人や作家たち(ポー、ボードレール、フロベール、ユイスマンス、マラルメなど)の薫陶を受けた。〈浅瀬(小さな騎馬兵のいる)〉(1865)は中世騎士物語を想わせる騎馬兵一行が峻厳な岩山をバックに浅瀬を渡るエッチング。4足歩行の原人を黒鉛で描いた〈永遠を前にした男〉(1870頃)。骸骨を抱く〈ハムレット〉や、レンブラントの模写〈スケッチ〉。

『夢のなかで』(1879)は自費出版された限定25部の石版画集(10葉)で、サロン内的な趣きが強い。表紙は左手に竪琴を携える有翼のオルフェウス。眠りの神ヒュプノシスや骰子を担ぐ人、〈サロメ〉風の宮廷内を飛ぶ巨大な眼球、翼の生えた生物を乗せて空に浮かぶ人面球、聖ヨハネの殉教を想わせる皿の上の生首など‥‥幻想怪奇な黒と白のリトグラフ集。人面花の横顔を木炭で描いた〈沼の花〉。石版画集『エドガー・ポーへ』(1882)でもルドンのモチーフは変わらない。生首を乗せた眼球気球が空に浮游する〈眼は奇妙な気球のように無限に向かう〉、仮面のガイコツが鐘を撞く〈仮面は弔いの鐘を鳴らす〉‥‥。石版画集『起源』(1883)はダーウィンの死の翌年に出版された。ルドン流の創世記〜進化論の試みなのかもしれない。眼の花、1つ目巨人、セイレーン(蛇頭女身)、ケンタウロス、サテュロス‥‥。石版画集『ゴヤ頌』(1885)の夜の水面から伸びた植物の花(男の顔)が白熱電球のように発光する〈沼の花、悲しげな人間の顔〉。石版画集『夜』(1886)。石版画集『陪審員』(1887)は戯曲の挿絵として制作された。

ユイスマンス『さかしま』の元祖・引きこもり主人公〈デ・ゼッサント〉や、今にも動き出しそうなキモ可愛い黒い〈蜘蛛〉(1887)。フロベール『聖アントワーヌの誘惑』の挿絵として描かれた全3集42点に及ぶリトグラフ(1888ー96)にも面妖怪奇な生物や怪物たちが百鬼夜行宛らに登場する。キマイラ、オアンネス(半人半魚のカルデア神)、スフィンクス、燃える眼球、スキヤポデス(奇形人種)、蛇神クヌウフィス(?)、軟体動物(微生物)、死神(老婆)、イラリヨン(悪魔)、イシス神‥‥。挿絵という体裁でありながら「ルドン印」としか言いようのないモンスターたちにルドンの信念を感じて笑みさえ零れる。19世紀末神秘主義や輪廻思想、オカルティズムとの関係が揶揄されるルドンの精神生活は謎に満ちている。サル顔の〈雲を狙うケンタウロス〉(1895)。ライオンの頭部、山羊の胴体、龍の尻尾の合成獣〈キマイラ〉(1889)は口から火を吐く。

第2部「黒の故郷」は全13点と少ないながら、ルドンの木炭画(樹木の素描)や油彩の風景画が並ぶ。木と少女を木炭で描いた〈女の横顔〉(1885)、ピンクの油彩画〈薔薇色の岩〉(1880)。第3部「黒から色彩ヘ──さらにスピリチャルなものを求めて」に至って突然、白黒TVからカラー・モニタ画面に変わったように、禁欲的な無彩色の世界に色が着く。ルドンの代表作〈眼をとじて〉(1889ー90)のモチーフ。自殺した友クラヴォーに捧げられた石版画集『夢想』。死後に地球外惑星で再生する〈月下の巡礼〉、女性の背後に精虫(?)が蠢く〈憑きもの〉(1894)。ルドンの木炭素描を摺師イヴリが転写した銅板画集『悪の華』(1890)。薔薇十字会の会長エドワード・ブルワー=リットンの仏訳本のための挿絵『幽霊屋敷』(1896)。最後の版画集『ヨハネ黙示録』(1899)。ヴァイオリンを弾く天使を描いた〈天上の芸術〉(1894)。カラー・リトグラフ作品の〈シュラミの女〉と〈ベアトリーチェ〉(1897)。

〈ルドンの黒〉の最後は女性と花で飾られる。木炭の黒と白チョーク、パステル(赤・黄・青・緑)の〈翼のある横向きの胸像(スフィンクス)〉(1898ー1900頃)。浮游する花瓶にオレンジ・黄・白・青い花が生けられた〈青い花瓶の花々〉(1904頃)。紫色を背景にした黒い花瓶、赤・白・紫のアネモネを描く〈黒い花瓶のアネモネ〉(1905頃)。小学校の図工の時間、クレパスを重ね塗りした画用紙に先の尖ったクギ状のもので引っ掻くと下地の色が現われて幻想的な色合いになった。ルドンのパステル画はクギで引っ掻かれてはいないものの、その下地に「黒」が塗られているかの思えるほど、くすんだ色合いだ。ルドンの好んで描く人物像は何故か「横顔」が多い。正面から描く場合も目を瞑っていたりする。彼ら・彼女たちは一体何を夢見ているのだろうか?‥‥ルドンの絵画は目を閉じて見るべきなのかもしれない。

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ギュスターヴ・モローは妖婦サロメが望んだ聖ヨハネやトラキアの娘が両手に抱くオルフェウスの「生首」に惹かれたらしいが、オディロン・ルドンは「眼球」の方に固執する。〈サロメ〉風の宮廷内を飛ぶ巨大な眼球、グロテスクな1つ目巨人、奇妙な目玉の気球、シュールな眼の花、燃える眼球‥‥。どこかユーモラスにも見える油彩画〈キュクロプス(1つ目巨人)〉(1895ー1900)を想起するまでもなく、彼らは水木妖怪の「目玉親父」とは比較にならないくらいスケールが大きい。まるで「ウルトラ・シリーズ」に登場する怪獣たちのように。ルドンの石版画は小さいけれど、周囲の風景や人物たちとの比較から、想像以上に巨大な「眼球」であることが分かる。これをデペイズマンの先駆と考えるのは穿ち過ぎでしょうか。ルドンの「眼球」は顕微鏡のレンズの中の微生物としても存在する。彼らは宇宙と微小世界(ミクロコスモス)に遍在する生命体なのだろう。

〈ルドンの黒〉は漆黒の暗闇というわけではなく、薄明りを内包した褐色系の「黒」にも見えなくもない。しかも巨大な「眼球」は空中に浮游しているために重力に打ちのめされたヘヴィメタルなブラックよりも軽くエレガントなイメージがある。ルドンの作品には翼を有する人物や怪物の描写も少なくない。この浮游感覚は黒から色彩、木炭からパステル、地上から天上へ移行しても変わることなく続く。中空に浮いているような花瓶、無重力空間を舞うようにカンヴァスを埋め尽くす花々。カラフルな花たちはモノクロ時代の「眼球」が美しく変身した姿かもしれない。かくして〈アポロンの二輪馬車〉(1905頃)は天空の太陽を目指し、〈神秘的な小船〉(1890ー1900頃)は波間に搖れる。

『NOIR』(Cad Center 2007)は〈ルドンの黒〉に登場した異形のキャラ‥‥黒いクモ、ガイコツたち、目玉の微生物、沼に咲く人面花、人面気球、耳で羽ばたく地の精(?)、女の顔を持つ魚、蛇女セイレーン、眼の花〜飛行する眼球〜浮游する気球〜1つ目巨人‥‥など21作品をCGアニメ化した映像作品(DVD 17分)である(展示会場でも一部が上映されていた)。画面をチョコマカと歩き回るクモすけ君が可愛いし、「眼球」のメタモルフォーゼも幽微で美しい。もしルドンが、このアニメを視たら一体どのような感想を持つだろうかと想像するだけで愉しくなる。トンマーゾ・ランドルフィの短篇集『カフカの父親』(国書刊行会 1996)の表題作は、青年カフカの父親が巨大な黒グモに「変身」したという抱腹絶倒のショート・ショート(単行本の表紙カヴァに何故か〈ルドンの蜘蛛〉が使われている)。その結末はグレゴール・ザムザ君の運命と同じく、推して知るべしでしょうか。

『ODILON REDON』(みすず書房 2003)はオディロン・ルドン自身の手紙「ピカールへの手紙」(1894)や雑誌に掲載された「打ち明け話」(1909)を端緒として、謎に包まれた孤高の韜晦画家の精神生活を解き明かす。ルドンの師ロドルフ・ブレスダン、植物学者アルマン・クラヴォー、ド・レイサック夫人の「サロン」。作家ユイスマンスや批評家エミール・エヌキャン、アルベール・オーリエなどの批評、印象派ヘの批判、神秘主義への傾倒とオカルト趣味、ゴーギャンとの関係‥‥。「聖アントワーヌの誘惑」のアンモナリアへの無意識的なエロスの発露や、「目をとじて」の章で論じられるイメージの「枠取り」と「仕切り」も面白い。手紙や批評文などの文献を手懸かりにルドンの真意と真実を探るアプローチには恣意的な面もあるけれど。

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  • 写真の白黒猫ちゃんはオンマウスでカラー化します‥‥次はムンクですか^^;

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ルドンの黒

  • アーティスト:オディロン・ルドン(Odilon Redon)
  • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
  • 会期:2007/07/28 - 08/26
  • メディア:絵画・版画


ODILON REDON ── 光を孕む種子

  • 著者:本江 邦夫
  • 出版社:みすず書房
  • 発売日:2003/07/25
  • メディア:単行本
  • 目次:序章 自然とともに閉じこもる / 種子から樹木へ /《黒》の美学 / 象徴主義と絵画 / アポロンと馬車


カフカの父親

  • 著者:トンマーゾ・ランドルフィ(Tommaso Landolfi)/ 米川 良夫・柱本 元彦(訳)
  • 出版社:国書刊行会
  • 発売日:1996/04/30
  • メディア:単行本
  • 収録作品:マリーア・ジュゼッパ / 手 / 無限大体系対話 / 狼男のおはなし / 剣 / 泥棒 / カフカの父親 /『通俗歌唱法教本』より / ゴーゴリの妻 / 幽霊 / マリーア・ジュゼッパのほんとうの話 / ころころ / キス / 日蝕 / 騒ぎ立てる言葉たち


NOIR

  • Artist: Odilon Redon
  • Maker: Cad Center Corporation
  • Date: 2007/08/27
  • Media: DVD