• フィニは動物と植物との混血(ハイブリッド)と自分とを同一視することで、単に「自然の力」を自らの中に取り入れようとしたのではない。これらの混血=怪物たちは、人間にとって危険と見られた自然の脅威的力の具現でもある。常に人間世界の周辺(マージン)に置かれ、人間世界の秩序を脅かすといわれるものと自己を同一視することで、フィニは常に危険な野生の側(ワイルド・サイド)に自身を置いたのである。スタニスラオ・レプリがフィニのために制作した、木に彩色を施した贈り物は、猫の顔を持ち、二股の人魚のように分れた2本の魚の尾と、さらに翼を持っている。二股の尾の間に性器が露になっている。これこそが、猫であり、スフィンクスであり、セイレーンであるというように、分身をいくつも持つフィニという危険な怪物のイメージを最もよく表すものではないだろうか。
    尾形 希和子 『レオノール・フィニ』


1985年に開催された〈フィニー展〉(横浜・そごう美術館)以来、実に20年振りの回顧展である。〈レオノール・フィニ展〉(渋谷・ザ・ミュージアム)は彼女の画業を年代順に6つのセクションに分けて展示、それも絵画だけではなく彼女のデザインした衣裳や仮面などを含めた100余点で構成されている。まずは挨拶代わりに〈赤いターバンの自画像〉(1938)が来場者をお出迎え。1.トリエステから──レオノール・フィニ(Leonor Fini 1907ー1996)は南米アルゼンチンのブエノスアイレス生まれだが、1年足らずで母親はフィニを連れて故郷イタリアのトリエステへ逃げ帰る(父親はナポリ出身のアルゼンチン3世)。2.シュルレアリスム──1925年(17歳)、1年間のミラノ滞在中に画家としてデビュー。1932年(24歳)、ミュンヘン〜パリへ出てマックス・エルンストやマンディアルグの知遇を得た。この時代のフィニの絵画が最もフィニらしい妖しい魔力に溢れている。しかし「個人蔵」の場合、コレクターが作品を外に出したがらないのが玉に瑕‥‥フィニ自身も前展の際に残念がっていたらしいけれど。

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黒い長椅子に横たわっている乳白色のワンピース姿の女性、赤茶のクッション、灰色のスプーン〜スコップ状の物体が2つ置かれている〈横たわる女〉(1925)。ピンク色のドアの鍵穴を覗き見る女、棒を手にした薄黄色のワンピ女という〈好奇心の強い女 / 眠れない夜〉(1935ー36)は「荒野に置かれた扉」というダリ〜ドロテア・タニング風のデペイズマンによるシュルレアリスム絵画の定番モチーフである。白衣の男性の髪を手刀で手櫛する(切る?)赤い服と黄色い長スカートの女性‥‥男女2人が共に目を瞑っている〈手術 1〉(1939)。3人の老婆が黒髪のカツラを外し、ヌードになって、赤いストッキングを脱ぐ‥‥まるで脱皮しているかのような〈『アポテオーズ』の幕間〉(1938ー39)。今展のポスター、チラシ、チケット等にも使われている〈守護者スフィンクス〉(1946)は意外と小品──台座の上で微睡む半人半獣の牝スフィンクス、台座の裂け目から伸びた黒い木の枝に引っ掛かっているピンク色の布、古文書、三角柱、割れた卵の殻‥‥。

白い翼の生えた白髪鬼と化したフィニ自身が骸骨(人体模型)の躰となって紫のマントを両手で持つ、どこかコミカルな〈骸骨の天使〉(1949)。白いモヘアの上着とロングスカート、青緑の睛、細い胴の金髪女性が木の枝を楽器のように掲げ持つ〈妖精、ジョイ・ブラウンの肖像〉(1955)。女死神(?)の足許にもあった動物の頭蓋骨や巻貝、葉っぱのような薄い骨にピンク色の昼顔の花と蔓が這い絡む〈2つの頭蓋骨〉(1950)。屋根の壊れた神殿の中の「水浴場」という同一構図の2点──水溜りに鳥の羽が落ちている夜の図と、水を張ったプールの中や周りに9人の着衣の女性がポール・デルヴォ風に佇む昼の図を対比させた〈移りゆく日々1&2〉(1938)。タレ目タレ眉男の小品〈ジャン・ジュネの肖像〉(1958)。よく似た3人の若者がフィニを中央に横並びのマロット風に描かれた、背後の緑色と褐色の肌の対比が色鮮やかな〈コットとセルジオと私〉(1955)。両腕に黄金色のペルシャ猫を抱えた〈ナヴァール・トゥスオン妃の肖像〉(1952)。11匹の猫ちゃんの生態を生き生きと描き分けた〈猫たち〉(1952)。

3.鉱物の時代──1939年フランスは第2次大戦に参戦する。フィニはエルンスト&キャリントン夫妻と共に南下、南仏モンテカルロからローマへ逃れた。戦後パリに舞い戻った彼女は〈フェニックスを守る女〉(1954)のように、スキンヘッドの女が卵を掌に捧げ持ったり、瞑想したりする黙示録的な作品を発表する。50年代の終わりから60年代半ばに掛け、今までのツルツルしたマティエールから一変してザラザラした質感のアンフォルメルやタシムスに影響された絵画を制作。緑に覆われた森や青い沼の中で、骨格と金属が合体〜デフォルメした異形のサイボーグみたいなグロテスクな人体が象眼〜デカルコマニーされたような半抽象の異世界を描き出す。貝殻モザイク風の〈ドラゴンの番人〉(1958)。青い海に青い人物が横たわる〈息づく影〉(1962)。半抽象の人物がH・R・ギーガー風にウス気味悪い〈誕生地〉(1958)。デフォルメしたガイコツが青をバックに直立している〈特権的地位〉(1955)。金属化したガイコツ男女が愛し合う〈マンドリリア〉(1959)‥‥。デカルコマニー風の鉱物世界に手にボールを持った恍惚状態の少女が閉じ込められた〈ツルボラン〉(1965)だけが先駆的に艶かしい。 

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4.エロティシズム──戦後、友人と一緒に訪れたコルシカ島で、フィニは美しい廃墟(修道院の跡)を発見する。一目で気に入った彼女が別荘として夏のヴァカンスに利用するようになってから作風が変わった。シュルレアリスム時代と共に、もう1人のフィニを代表するパステルタッチの明るい色彩に溢れた作品群である。少女たちはコーコツの表情を浮かべ、あられもない半裸姿で性的な痴態を晒し、レズビアン風の行為にまで及ぶ。目を閉じ口を半開きにした全裸少女が両腕を後ろに回し両脚を開き、衣服(スカート?)を膝まで下ろしている〈真珠〉(1978)。左に「鉱物の時代」を想わせる緑をバックに花に染まったネコ娘、右に肥った猫を抱く赤毛のヌード女を同一画面上に併置した〈2つの不変性〉(1967ー68)。3人の女が四角い木枠で首を拘束される〈首枷の刑〉(1984)。同性愛者風の女2人が股間を開く〈あいだ〉(1967)。2人の女性が車内個室で向き合って坐っている〈旅の道すがら〉(1967)は「列車シリーズ」の1点である。

全裸の女教師が丸テーブル上の大きな黄色い花の断面模型を前に、黒い衣裳の女生徒に性教育を施す〈植物学の授業〉(1974)。3人のヌード娘がピンク色の蓮の花に囲まれて水遊びする〈沐浴する女たち〉(1972)。木桶の中に入った女を2人の女が押し転がしている〈本当の遊び〉(1973)。日本の着物をバックに真珠や宝石で飾った大きなターバンを巻いたヌード女性が(下半身を着物で覆って)坐っているエキゾチックな色違い2ヴァージョン〈旅からの帰還1&2〉(1982)。4枚折りの屏風の表に4人の若いヌード娘、その裏に4人の骸骨女をシニカルに対比させたシルクスクリーン〈女性のメタモルフォーゼ〉(1973)。5.シアター──フィニのデザインした宝石や家具、バレエやオペラで使われた衣裳や舞台美術、各種習作、オブジェ、仮面、写真(〈白梟〉の仮面を付けて仮装したフィニ)などをコレクション・展示したコーナー。

6.円熟期──三たびフィニの描く絵(色彩・テーマ)に変化が訪れる。コルシカ島の明かるい光、花や植物の繁茂する真夏から一転‥‥70年代後半から闇の中を想わせる暗い沈んだ世界、80年代からグロテスクな生物が息づくようになる。2人の女の影絵を眺める異形の人物〈夢から醒めても〉(1978)。闇の中の演劇を観る4人の女性のカラフルな髪型が目立つ〈見世物〉(1986)。赤い衣裳を試着する女と跪く仕立て屋、3人の人物が噂する〈3度めの試着〉(1989)。逆に女性の躰に巻きついた半透明の布を2人の男女が剥ぎ取る〈解放されたカリアティッド〉(1986)。ヌード女2人が背中合わせの2脚の椅子に坐る対称的構図の〈強制執行〉(1985)。淡いピンクの光の中で向かい合う男女、壁に凭れて坐る女を奥に配した〈夜明けの影に〉(1984)。真紅をバックに5人の魔女が黒いホネ箒に跨がる〈魔法使いの女たち〉(1959)。〈パリリオ〉〈ティッツイオ〉〈ゴルゴン〉〈メリタ〉(1988)という名前を冠した作品を挙げるまでもなく晩年の人物たちは、少女のまま老成化した侏儒やフリークス、サーカス団のピエロを想わせる不気味さを秘めている。

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フィニ自身は兎も角、彼女の絵の中に描かれた少女たちは時間の流れに逆らって幼くなって行くように感じる。初期シュルレアリスムの女性や戦後スキンヘッドの卵形の女、パステル調のレズ少女‥‥後期の老成した侏儒のような奇形幼女。「鉱物の時代」の半機械化した妖しい女体はダナ・ハラウェイ女史の宣言した「サイボーグ・フェミニズム」を想わせなくもない。「少女性」と「サイボーグ」と「レズビアン」の3者が結び付くと、どこか近未来的な「セックスレス」の非生産性‥‥現代の少子化にも繋がる「愛の不毛」に辿り着く。精子提供者でしかない男に出番はないし、死の恐怖を前にして彼女たちは少女のまま老成する。金井美恵子は《フィニの少女たち、とりわけ古代の巫女のように見える毛髪のない丸い顔をした年齢不詳の少女たちを私は好きなのだけれど(‥‥)》と書いた後で、巫女たちに近づくことの危険性を指摘するのだが、それは彼女自身が「少女たちの王国」の住人になることヘの怖れではないのか。

フィニは大の猫好きで飛行機嫌い。日本に興味があったけれど、生前に1度も来日することはなかった(彼女の知っている数少ない日本語の1つが「ネコ」だとか)。フィニ亡き後の自宅、パリ1区、パレ・ロワイヤル庭園の裏手のアパルトマン(3〜4階)の各部屋とアトリエをワンカット(手持ちカメラ)で蜿蜒と長回し続けるヴィデオ映像を館内の一角で流していた。壁に掛かっている「絵画」、暖炉の上の猫グッズ、アール・ヌーヴォ調のライト・スタンド、生花や観葉植物、画集、ソファーと椅子‥‥14匹の猫ちゃんが不在の女主人に代って来客を出迎える。その猫たちが何とも形容し難い、物憂げな表情を浮かべていた。変身仮装趣味のフィニは美しいペルシャ猫に姿を変えて生き長らえているのかもしれない。レメディオス・ヴァロが「ハート形の顔の女」、レオノーラ・キャリントンが「狼の眷族」なら、レオノール・フィニは「牝猫=スフィンクス」の化身に他ならない。

《どの展覧会のカタログを見ても、あるいは彼女に関するモノグラフィのたぐいを調べても、レオノール・フィニの年齢は正確には分らない》と澁澤龍彦が『幻想の彼方へ』(美術出版社 1976)の中で書いているように、フィニの生年は謎に包まれていた。『幻想の画廊から』(1967)や『幻想の肖像』(1975)など、先行するテクストでは「1908年、南米のブエノス・アイレス生まれ」としていたのに、前言を翻したのは恐らくその間に1908年説を否定する「事実」が公表されたせいなのかもしれない。しかし、彼女の死後9年を経て開催された本展の年譜(1907ー1996)を信用すれば、『Leonor Fini』(講談社 1993)の1918年説は、フィニに「美猫顔ね」と褒められて満更でも無さそうな俳優の中尾彬らが生前の彼女自身に直接会って確認したものだとしても、《1918年──ブエノスアイレスに生まれる。1932年頃(14歳)──パリに出て、アンジュ河岸にあるホテルに部屋を借り、油絵を描き始める》という「年譜」には少々無理がある。14歳と言えば、未だあどけない女子中学生ではないか!‥‥結局11歳もサバを読んでいたわけだが、本当の年齢なんかどうでも良いんじゃないの、と嘯くフィニ婆さんの低音声が聴こえてくるようだ。

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『レオノール・フィニ ── 境界を侵犯する新しい種』(東信堂 2006)は日本人女性によって書かれた初のフィニ本である。著者・尾形希和子は評伝と作品論、「レオノール・フィニの生涯」と「作品世界」の2部構成で、レオノール・フィニという「新しい種」を読み解く。「生涯」では男性主体のシュルレアリズムに与しない自律性、エルンストやマンディアルグとの恋人関係、2人の男性──スタニスラオ・レプリとコンスタンティン・ジュレンスキーとの共同生活などが綴られる。「作品世界」では、レオノーラ・キャリントンやフリーダ・カーロなど女性シュルレアリストたちとの相違、「越境」(性差の境界、動物、植物、鉱物、異界との境界)、「エロス」(エロスとタナトス、遊戯とエロス)、「自律的女性像」(自画像、ダブル──分身、女性の肖像)、「女神、女司祭としての女性」「魔女としての女性」というフェミニズム的な視点からフィニの絵画の重層・多面性を明らかにする。豊富な図版、資料、注、装幀(〈比類なきナルシス〉の表紙カヴァ)‥‥も含めて、丁寧に仕立てられたフィニの衣裳を想わせる。

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レオノール・フィニ展

  • アーティスト:レオノール・フィニ (Leonor Fini)
  • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
  • 会期:2005/06/18 ー 07/31
  • メディア:絵画


Leonor Fini

  • 著者:レオノール・フィニ
  • 出版社:講談社
  • 発売日:1993/08/20
  • メディア:大型本
  • 目次:作品 / 魔女と天女の間に猫がいた / 画家のいる場所 /「画家」と「作品」の近親相姦 / 参考作品 / 作品解説


レオノール・フィニ ── 境界を侵犯する新しい種

  • 著者:尾形 希和子
  • 出版社:東信堂
  • 発売日:2006/08/31
  • メディア:単行本
  • 目次:レオノール・フィニの生涯(序 / 幼少期 / ミラノ時代 / パリへ / 戦時中、ローマ / 戦後から1970年代まで / 1980年以降 / 結び)/ レオノール・フィニの作品世界(シュレアリスム運動における女性芸術家たち / フィニの絵画世界)/ 注 / 文献一覧 / 略年譜