SSブログ

山尾悠子と移ろう日々 [b o o k s]



  • よく知りもしない少女のように若い女を娶ったことについて、事情は充分すぎるほど整っていたというものの、それでも取り返しのつかないことを仕出かしたような、我ながらそのとき不穏な気分でいたことはよく覚えている。真っ暗な書庫の遠い突き当りに若い妻はいて、昼間の婚礼衣装とは打って変わった気楽な身なりで、移動式階段の中途に登って本を選んでいた。消灯した夜の図書館はむろんのこと重苦しい闇の堆積となっていたが、そのとき遠い書棚に囲まれた妻の小さな姿のみくっきり明るかったのだ。その明るさは思いのほか親しみのある暖かい色調に見えた。例えるならば夜の洞窟内にほのめく焚火のような──、ごく限られた周囲の背表紙のみ照らす程度の光量で、しかしどう見ても若い妻の存在じたいが闇に向けて静かに発光しているのだった。/「出発の時間です」/ 誰かの声がして全室まばやく点灯し、妻が顔をあげるのがわかった。その足元近くの床で細身の若い白猫が立ち上がり、遠くからまともにわたしを見た。
    山尾 悠子 『山の人魚と虚ろの王』


  • □ ラピスラズリ(国書刊行会 2003)山尾 悠子
  • 『仮面物語』(徳間書店 1980)から、実に23年振りの書き下し連作長篇。深夜画廊で「わたし」が見た3枚の「銅版」、秋の終わりから春にかけて冬眠する種族の衰勢を描く「閑日」 「竈の秋」 、「わたし」 が廃市で暮らしていた少女時代を回想(おば様と愛犬の死)する 「トビアス」 、聖フランチェスコを主人公にした「青金石」という〈冬眠者〉たちの眠りと目覚めの5つの物語。瑠璃色の函に入った布装本で、ターコイズブルーの表紙には小さな扉絵、目隠しをした少女が球体の上に蹲って竪琴を爪弾く、G・F・ウォッツ(George Frederick Watts)の〈希望〉(Hope 1886)が貼付されている。幻想小説というよりも、ファンタジーに近い手触り。毛皮に包まれた尻尾のある動物や縫ぐるみと添い寝するような懐かしい心地良さもある。国書刊行会の本にはフェティッシュとして手許に置きたい魔力があって、つい手に取って撫でたくなる誘惑に逆らえない。表紙カヴァをグザヴィエ・メルリ(Xavier Mellery)の〈秋〉(L'automne 1893)に差し替えた文庫版(筑摩書房 2012)は推敲(補筆改訂)されているけれど、単行本の美しさには遠く及ばない。四六判函入・240頁。

  • □ 歪み真珠(国書刊行会 2010)山尾 悠子
  • 『ラピスラズリ』(2003)で23年振りに復活した山尾悠子の掌篇集。蛙の王の獅子奮迅孤軍奮闘も虚しく、「ツボカビ」 の猖獗によって絶滅してしまった蛙王朝を蛇の女王が哀悼する 「ゴルゴンゾーラ大王或いは草の冠」 。大理石の台座に乗った女神がエティン荒れ野に降臨する「美神の通過」。北極星の真下にある死火山の海辺の娼館で繰り広げられる娼婦と船乗りと人魚たちの伝説「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」‥‥など、全15篇を収録。どの掌篇にも、どこか人を喰ったようなユーモア感覚が溢れている。「ドロテアの首と銀の皿」 は冬眠する有尾族(?)の盛衰を描いた連作長編『ラピスラズリ』、「影盗みの話」 は幻の絶版本『仮面物語』(1980)と短篇 「ゴーレム」(2000)、「火の発見」 は《腸詰宇宙》の無限回廊世界を描いた初期代表作 「遠近法」(1977)の番外編である。A5判函入・240頁。

  • □ 夢の遠近法(筑摩書房 2014)山尾 悠子
  • 大著『山尾悠子作品集成』(国書刊行会 2000)の廉価版として出版された初期作品自選集『夢の遠近法』(2010)に 「パラス・アテネ」 「遠近法・補遺」 を追加した増補文庫版。「夢の棲む街」 「遠近法」 を抱き合せたようなタイトルは澁澤龍彦の『夢の宇宙誌』(1964)や『記憶の遠近法』(1978)とも響き合う。〈夢喰い虫〉のバクが円形劇場の崩壊に巻き込まれる「夢の棲む街」。大学生の叡里が従姉の娘・真赭(ますほ)と夏の京都の宵闇を散策する「月蝕」。水蛇と銀眼が月の門を目差す 「ムーンゲイト」、〈腸詰宇宙〉をボルヘス風に描いた 「遠近法」、糸を吐いて繭籠る種族が刺客に滅ぼされる 「パラス・アテネ」(連作「破壊王」の1作目)、シノワズリ(中国趣味)のショート・ショート全5篇から成る 「童話・支那風小夜曲集」、風に乗って浮游する侏儒たちを素描した 「透明族に関するエスキス」、分身(かれ)を射殺した「私」がエレヴェータ内に閉じ込められる 「私はその男にハンザ街で出会った」 など全11篇を収録。巻末の「自作解説」もメチャ面白い。ちくま文庫・432頁。

  • □ 飛ぶ孔雀(文藝春秋 2018)山尾 悠子
  • 『ラピスラズリ』(国書刊行会 2003)は秋の終わりから春にかけて冬眠する種族の盛衰を描く連作長編だったが、『飛ぶ孔雀』は「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」のニ部構成。火が燃え難くなったり、石が動いて成長する異世界の物語で、前編は川中島Q庭園の大園遊会(茶会)で「火を運ぶ娘」に選ばれたタエが芝の孔雀に、後編ではシビレ山の鶏冠のある大蛇になってしまう。登場人物はK、Q、L、G、H、Pなどのイニシャルで表記されるが、スワ(ン)、サワ、トワダ、セツ、フキエ、リツなどは「頭髪のない丸い頭の女たち」(レオノーラ・キャリントンやレメディオス・ヴァロが描く卵形の女性を想わせる)が大温室で興じるカード・ゲームで裏返されて別キャラになったりする。KやQを翻弄する正体不明女たちの如何わしさは 「仮面物語」(1980)、正十角形の修練ホテルに出現する吹き抜けの空洞は 「遠近法」(1978)の《腸詰宇宙》を髣髴させる。泉鏡花文学賞、日本SF大賞、芸術選奨文部科学大臣賞の三冠に輝いた幻想小説。文庫版(2020)解説の金井美恵子曰く、「読者はページを前に繰り、山尾悠子のコスモスを、ただ心して、読むべし」。四六判上製・248頁。

  • □ 小鳥たち(スチュディオ・パラボリカ 2019)山尾 悠子・中川 多理
  • 幻想作家と人形作家によるコラボ本。山尾悠子の歌集『新装版 角砂糖の日』(LIBRAIRIE6 2016)の挟み込み付録品だった掌篇 「小鳥たち」、『夜想#中川多理 ── 物語の中の少女』(2018)に掲載された続編「小鳥たち、その春の廃園の」、書き下ろし 「小鳥たちの葬送」 ‥‥〈小鳥に変身する城館勤めの侍女たち〉のイメージを気に入った中川多理が〈物語の中の少女〉シリーズの1つとして作品化した。3篇の小説と人形たち(写真30点)が織りなす可憐で妖しい変身譚。「小鳥たちの葬送」 に登場する黒衣の人形たちは伊フィレンツェ、ピサ、チンクエテッレで撮影されている。「鳥に変身する少女」 は『飛ぶ孔雀』(2018)にも登場する作者お気に入りのイメージ。『小鳥たち』も「鳥少女」の変奏曲であろうか。今どき珍しい薄桃色の糸綴じ製本で、奥付にはミルキィ・イソベ(発行人)や今野裕一(編集)など旧ペヨトル工房の懐かしい名前もある。四六判上製・104頁。

  • □ 山の人魚と虚ろの王(国書刊行会 2021)山尾 悠子
  • 「われわれの驚くべき新婚旅行の話」‥‥初秋、「私」と若い妻(トマジ)は〈山の人魚〉と呼ばれた伯母の葬儀に出席するため、高原列車で機械の山の屋敷へ向かう。「旅牛の通過」 で長時間の停車、妻が気に入って購入した模造毛皮の襟巻、駅舎ホテルで目撃した深夜の決闘、〈夜の宮殿〉の降霊会(妻が空中浮揚する最中、バーの天井から吊り下げられたシャンデリアから舞踏靴を履いた女の片脚が垂れ下がり、旅行用スーツに手袋を嵌めた片腕が側面に見えるという描写は岡上淑子のシュールなコラージュを想わせる)、伯母の主宰する舞踏集団〈山の人魚団〉の追悼記念公演〈山の人魚と虚ろの王〉、妻の女代理人、生家の老管理人、伝令の小太り男、剣呑なナイフ遣いの少年、新婚カップル(P夫妻)、シャンデリアの猿、ストラップつきの舞踏靴、旅装姿の若い母(亡者)、舞踏家の片足のデスマスク、機械仕掛けの虚ろの王、大火‥‥「私」の長い夢のような回想がアトランダムに綴られるが、ラスト近くで「列車の事故がありましたの。あなたは重傷を負い、意識不明なのですわ」と妻に明かされる夢幻譚。A5判変形函入・144頁。

                        *

  • ■ 夜想#山尾悠子(スチュディオ・パラボリカ 2021)山尾悠子特集編集委員会
  • 「夜想」の山尾悠子特集号。書下ろし 「年譜に付け足す幾つかのこと」。掌篇「「薬草取」 まで」「薔薇色の脚のオード」。インタヴュー 「岡山発、京都経由、幻想行」 金原瑞人。講演録 「泉鏡花文学賞受賞記念スピーチ」。エッセイ「入子話」金井美恵子、「薔薇色の結晶」 川上弘美、「山尾悠子のロマネスク、或いは言葉のマニエリスムについて」 時里二郎。ポートレイト「山尾悠子 1979」沢渡朔。評論(沼野充義、谷崎由依、金沢英之、三辺律子、佐藤弓生、諏訪哲史、川野芽生、田中美穂、金沢百枝、吉田恭子、倉数茂、高原英理、清水良典)。「〈私的〉山尾悠子年代記」 高柳誠、「山尾悠子とその時代」 東雅夫、「山尾悠子さんのこと」 礒崎純一。「喪服の似合うエレクトラ」 金原瑞人、人形 「小鳥たち〜翼と宝冠」 中川多理、座談会「循環する小鳥たち」山尾悠子+中川多理+編集部(今野裕一、ミルキィ・イソベ、矢内裕子、田中光子、礒崎純一)。書誌 「山尾悠子ビブリオグラフィ」。山尾悠子と金原瑞人の2人が幼稚園、小・中学校の同級生だったとは驚きです。A5判・247頁。

                        *
                        *


    ラピスラズリ

    ラピスラズリ

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日: 2012/01/01
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:銅版 / 閑日 / 竈の秋 / トビアス / 青金石 / 文庫版あとがき / 解説・千野 帽子

    歪み真珠

    歪み真珠

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日:2010/02/25
    • メディア:単行本
    • 目次:ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠 / 美神の通過 / 娼婦たち、人魚でいっぱいの海 / 美しい背中のアタランテ / マスクとベルガマスク / 聖アントワーヌの憂鬱 / 水源地まで / 向日性について / ドロテアの首と銀の皿 / 影盗みの話 / 火の発見 / アンヌンツィアツィオーネ / 夜の宮殿の観光、女王との謁見つき / 夜の宮殿と輝くまひるの塔 / 紫禁城の後...

    増補 夢の遠近法: 初期作品選

    増補 夢の遠近法 初期作品選

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日:2014/11/10
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:夢の棲む街 / 月蝕 / ムーンゲイト / 遠近法 / パラス・アテネ / 童話・支那風小夜曲集 / 透明族に関するエスキス / 私はその男にハンザ街で出会った / 傳説 / 遠近法・補遺 / 月齢 / 眠れる美女 / 天使論 / 自作解説 / 文庫版あとがき


    歪み真珠

    歪み真珠

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日:2019/03/08
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠 / 美神の通過 / 娼婦たち、人魚でいっぱいの海 / 美しい背中のアタランテ / マスクとベルガマスク / 聖アントワーヌの憂鬱 / 水源地まで / 向日性について / ドロテアの首と銀の皿 / 影盗みの話 / 火の発見 / アンヌンツィアツィオーネ / 夜の宮殿の観光、女王との謁見つき / 夜の宮殿と輝くまひるの塔 / 紫禁城の後...


    小鳥たち

    小鳥たち

    • 著者:山尾 悠子 / 中川 多理
    • 出版社:ステュディオ・パラボリカ
    • 発売日: 2019/07/29
    • メディア:単行本
    • 目次:小鳥たち/ 小鳥たち、その春の廃園の / 小鳥たち / 小鳥たちの葬送 / 中川多理さんと小鳥たちのこと──あとがきに代えて・山尾 悠子 / あとがき・中川 多理


    飛ぶ孔雀

    飛ぶ孔雀

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:文藝春秋
    • 発売日: 2020/11/10
    • メディア:文庫(文春文庫)
    • 目次:目次:飛ぶ孔雀(柳小橋界隈 / だいふく寺、桜、千手かんのん / ひがし山 / 三角点 / 火種屋 / 岩牡蠣、低温調理 / 飛ぶ孔雀、火を運ぶ女 I / 飛ぶ孔雀、火を運ぶ女 II)/ 不燃性について(移行 / 眠り / 受難 / 喫煙者たち / 頭骨ラボ / 井戸 / 窃盗 / 富籤 / 修練ホテル / 階段 /(偽)燈火 / 雲海 / 復路 I / 復路 II / 復路 III / 燈火)/ 解説・金井美恵子


    山の人魚と虚ろの王

    山の人魚と虚ろの王

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日:2021/02/27
    • メディア:単行本(函入りハードカヴァ・A5判)
    • 内容紹介:風変わりな若い妻を迎えた男。秋の新婚の旅は 〈夜の宮殿〉その他の街を経て、機械の山へ。舞踏と浮遊 / 夜の芝地を埋め尽くす不眠の観衆たち / 幾つかの寝室と寝台の謎。圧倒的なるイメジャリーに満ちみちた驚異と蠱惑の〈旅〉のものがたり


    夜想#山尾悠子

    夜想#山尾悠子

    • 編集:山尾悠子特集編集委員会
    • 出版社:ステュディオ・パラボリカ
    • 発売日:2021/03/17
    • メディア:単行本
    • 目次:書きおろし 年譜に付け足す幾つかのこと / 掌篇「薬草取」まで / 薔薇色の脚のオード / インタビュー 岡山発、京都経由、幻想行(山尾悠子×金原瑞人)/ 講演録 泉鏡花文学賞受賞記念スピーチ / 座談会 循環する小鳥たち(山尾悠子+中川多理+編集部)/ 山尾悠子 1979(沢渡朔)/ エッセイ(金井美恵子・川上弘美・時里二郎)/ 評論(沼野充義...

    山尾悠子作品集成

    山尾悠子作品集成

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日:2000/06/01
    • メディア:単行本
    • 目次:夢の棲む街 / 月蝕 / ムーンゲイト / 堕天使 / 遠近法 / シメールの領地 / ファンタジア領 / 耶路庭国異聞 / 街の人名簿 / 巨人 / 触 / スターストーン / 黒金 / 童話・支那風小夜曲集 / 透明族に関するエスキス / 私はその男にハンザ街で出会った / 遠近法・補遺 / 破壊王(パラス・アテネ / 火焔円 / 夜半楽 / 繭「饗宴」抄)/ 支那の禽 / 秋宵 / 菊 / ...

    新編 夢の棲む街

    新編 夢の棲む街

    • 著者:山尾 悠子
    • 出版社:ステュディオ・パラボリカ
    • 発売日:2022/03/18
    • メディア:単行本
    • 目次:薔薇色の足のオード / 夢の棲む街 / 漏斗と螺旋 / 薔薇色の、言葉と肉(川野芽生)/『新編 夢の棲む街』後記

    タグ:yamao yuko Books
    コメント(0)