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モーさまとケーコタン [c o m i c]



  • 非常に勝手なことです。私の方から「一緒に生活しましょう」と言って共同生活を始めたのですから。それを「やめます」ということは、周りに集まってきてくれたいろいろな女性漫画家たちも、オアシスのような場所を失うことになります。私にとっても大泉サロンは志を同じくする人たちの「梁山泊」でしたが、それをあきらめることになります。/ こんな勝手なことをしていいんだろうかとも考えましたが、そうしなければ自分を守れないと思いました。孤立することになるんだろうな、と感じましたが、それでもいいや、と決心しました。人生にはそういうことが必要な時もあると思うんです。/ 萩尾さんとの共同生活は2年しか続きませんでした。一緒に暮らすという話をした時に、編集者から「一つ屋根の下に作家が二人もいるなんて聞いたこともないよ」って言われたのは、正しかったな、と振り返りました。/ 同居を解消してから半年ほどたってからだったと思います。萩尾さんに「距離を置きたい」と伝えました。以来、萩尾さんとは没交渉です。
    竹宮 惠子 『扉はひらく いくたびも』


  • ▢ 少年の名はジルベール(小学館 2016)竹宮 惠子
  • 高校在学中に投稿作品(COM、週マ)が入選してデビューしていた竹宮惠子は1年間休業して学園紛争で揺れていた徳島大学に通う。「私の革命はマンガでする」 と総括して中退し、マンガ家になる決心をする。1970年春、徳島から上京して「缶詰旅館」で描く。同じく上京してペンフレンド(増山法恵)の家に泊まっていた萩尾望都と出会う。尊敬する石森章太郎の仕事場に近い部屋に住む。そしてオンボロ長屋の「大泉サロン」に萩尾望都と同居することになるが、楽しいはずの同居生活が次第に暗転して行く。天賦の才へのジェラシーと憧れ、描きたいマンガを思うように描けない「不満と焦り」で苦悩し、体調も悪化してスランプに陥ってしまう。大泉サロンの有志4人(竹宮惠子、増山法恵、萩尾望都、山岸凉子)で、45日間の「ヨーロッパ旅行」へ行く。帰国後、萩尾望都との同居を解消して、数駅離れたマンション(2DK)に転居する(内情を知らない彼女も近くに引っ越して来た)。そして萩尾望都に「距離を置きたい」と告げる。一方的に関係を絶った竹宮惠子は、その後『ファラオの墓』(1974)、『風と木の詩』(1976)、『地球へ‥』(1977)などを生み出す。

  • ▢ 扉はひらく いくたびも(中央公論新社 2021)竹宮 惠子
  • 読売新聞朝刊に連載された竹宮惠子へのインタヴュー「時代の証言者・マンガで革命を」全27回を大幅(約3倍)に加筆・再構成。半生記『少年の名はジルベール』(2016)と一部重複する部分もあるが、語り下ろし(聞き手・知野恵子)の方が客観性が高い。1968年、少女マンガ家デビュー。1970年、徳島大学を中退して上京。『ファラオの墓』『風と木の詩』『地球へ‥』などの作品を発表。2000年に京都精華大学芸術学部マンガ学科専任教授に就任。2004年に学長に就任して2020年に定年退職する。少女マンガ家として30年、大学教師として20年と総括しているけれど、読者として最も興味を惹かれるのは「大泉サロン」の萩尾望都との関係である。1970年に同居してから半年後に「萩尾さんとなら結婚してもいいと思う」と告白したケーコタンは2年後に同居を解消して、モーさまに 「距離を置きたい」(それ以来没交渉)と告げて決別してしまう。天賦の才能への嫉妬と羨望、体調悪化とスランプ。竹宮惠子の苦悩は痛いほど分かるけれど、萩尾望都も困惑したのではないだろうか。

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  • 1973年、あの夜、話があるとOSマンションに呼ばれました。/ そこでなぜ、『小鳥の巣』を描いたのかと聞かれました。/「なぜ、学校が川のそばにあるのか?」 「なぜ、温室が出てくるのか?」 「なぜ、転入生がやって来るの?」。私は訳がわかりませんでした。なんでこんなことを聞くのか? /「私も男子寄宿舎の話を描こうと思っている」 「あなたは私の作品を盗作したのではないか?」。私は頭が真っ白になってしまいました。そう。これですね。そう 、今ならわかります。/ おそらく二人は、怒り心頭だったことでしょう。怒り心頭だっただろうに、随分冷静に話してくれたのだなと思います。怒鳴ってもいなかったし、叫んでもいなかった。お二人は私からいったいどんな回答がほしかったんでしょう? それはわかりませんね。/ こんなに遅くなって、何がいけなかったのか、やっとちゃんと気がつきました。あれが地雷だったのでしょう。男子寄宿舎の話を描いたのがいけなかったんです。
    萩尾 望都 『一度きりの大泉の話』


  • ▢ 一度きりの大泉の話(河出書房新社 2021)萩尾 望都
  • 『少年の名はジルベール』の出版以降、大泉時代のことを聞こうとするメディアからの接近を封じるために依頼した佐藤嗣麻子によるインタヴューのテキストを元に執筆した手記なので、形式的には『扉はひらく いくたびも』の方に近い。両者の認識に大きな相違はないけれど、ケーコタンの本で触れられていないエピソードも幾つか書かれている。増山さんとケーコタンが入れ込んでいた「少年愛」や「少女漫画革命」が分からなかったこと。「風と木の詩」 に先んじて、テーマの重なる「小鳥の巣」を描いてしまい、2人に呼び出されて詰問された夜のこと。下井草のアパートに来たケーコタンから手渡された手紙。貧血と目の痛み。山岸凉子、池田いくみ、城章子(ペンネームは石森章太郎の名前と作品の主人公名ジョーから採った)、佐藤史生、ささやななえこ、伊東愛子、山田ミネコ、花郁悠紀子など「大泉サロン」に集まって来た少女マンガ家のことなど。クロッキーブックに描いたスケッチ絵(23枚)と英国滞在中に1人で描いた 「ハワードさんの新聞広告」(1974)を併録している。

    ケーコタンの自伝に対する「返信」だが、モーさまは『少年の名はジルベール』を読んでいない。それどころか 「風と木の詩」(以降の作品)も未読なのだ。15年前に池袋ジュンク堂で 「萩尾望都ラララ書店」(2005~6)というモーさまの自選した本(マンガ、小説など)を店内の一劃に陳列するイヴェントがあった。ケーコタンの本が1冊もなかったことを奇異に思ったが、なるほど読んでいなければ選べないわけである。モーさまは巻末で大泉時代を回想して、《竹宮先生は苦しんでいた。私が苦しめていた。無自覚に。無神経に。だから、思い出したくないのです。忘れて封印しておきたいのです》と吐露している。もしそうならば「ジュン」をオフレコで批判したことを石森章太郎に謝罪した手塚治虫のように振舞うのが大人の対応なのではないかと思うけれど、萩尾望都は封印して沈黙した。どうすれば思い出したくない「記憶」を凍結することが可能なのか。悔悟の念に日々苛まれている身としては、忘れずに告白した竹宮惠子に共感してしまう。「凡人」 に「天才」のことは分からない?

  • ▢ 私の少女マンガ講義(新潮社 2018)萩尾 望都
  • 2009年イタリアのナポリ東洋大学、ボローニャ大学、ローマの日本文化会館で行なわれた萩尾望都の講演会&インタヴュー集。「イタリアでの少女マンガ講義録」 では「リボンの騎士」から「大奥」までの少女マンガ史を語り、「半神」 「柳の木」 「ローマへの道」 「イグアナの娘」 を例に挙げて自作解説して、イタリア人聴講者と質疑応答する。「少女マンガの魅力を語る」 では日本の読者向けに矢内裕子のインタヴューに応える。描くペースやコマ割り、短篇と長編の違いなど、創作法についても詳しく語っている。2017年初夏に行なわれたインタヴュー「自作を語る」では3・11後の 「なのはな」 「王妃マルゴ」 「AWAY」 「春の夢」 について、「なのはな」 や放射性物質3部作を描くことで「自分の精神が保たれた」こと、「ポーの一族」 の新作が番外編(16頁)として構想されたことなど、興味深い話が聞ける。ジョルジョ・アミトラーノ(Giorgio Amitrano)の「重力のない世界に存在しているような感覚」という指摘も言い当て妙‥‥萩尾望都の描くキャラクターは夢の中のように時空を浮游する。

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    竹宮惠子と増山さんが萩尾望都を自宅マンションに呼びつけて、「小鳥の巣」は盗作ではないかと詰問した夜のことは2冊の自伝本の中では触れられていない。その理由は後述するが、一部の読者が「脅迫」と断じているのは違う。「脅迫」 は手段であって目的ではないからだ。2人は「小鳥の巣」の掲載を止めろとか、著作権料を払えと要求したわけではない。後日、萩尾望都のアパートを1人で訪れた竹宮惠子は「この間した話はすべて忘れてほしいの、全部、何も、なかったことにしてほしいの」と謝っている。前言を撤回したのだから、この経緯は自伝に書かなかったのだ。しかし、謝罪されても一度発せられて胸に突き刺さった言葉は消えない。帰り際に手渡された手紙(「距離を置きたい」 「近寄るな」 という内容)と共に萩尾望都を深く傷つけることになる。硝子細工のようにセンシティヴな萩尾望都の性格を思えば、他の意思伝達の仕方もあったはずなのに、身も心も追い詰められていた竹宮惠子に相手を慮る余裕はなかった。忘れずに告白した竹宮恵子は「解放」されたが、忘れて「封印」することにした萩尾望都(の記憶)はアデラド・リーのように冷凍保存されたままである。

    萩尾望都との才能(天賦の才)の差に打ちのめされた竹宮惠子はスランプに陥って、体調まで崩してしまう。「大泉サロン」 での同居を解消して独立しようと決心する。下井草(東京都杉並区)を部屋を見つけていることを萩尾望都に話すと、「じゃあ、私も近くにしようかな」 と言う。「それは、いやだ」‥‥竹宮惠子の心の叫びだった。「トキワ荘」 の住人たちのようなライヴァル関係ならば互いに切磋琢磨すれば良いわけで、「距離を置く」 必要はない。婉曲な表現をしているが、事実上の 「絶交」(それ以来没交渉)である。竹宮恵子は萩尾望都のことが好きだったからこそ、身も心も彼女から遠く離れなければならなかった。ショックを受けた萩尾望都も貧血で倒れ、心因性視覚障害になってしまう。これは男女の恋愛〜破局に似ているような気もする。好きな人と決別しなければならないのは身を切るような痛みを伴う。今まで仲良く暮らしていたのに、一方的に「絶交」された萩尾望都は心外だったはずだ。なぜ竹宮恵子が豹変してしまったのか理解出来ない。竹宮恵子は和解したいと思っているようだが、萩尾望都は頑に拒否する。2人が大泉時代のように談笑する日は永遠に訪れない。

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    萩尾望都が竹宮惠子の作品(「風と木の詩」 以降)を一切読んでない理由が分かった。読まなければ影響を受けないし、「排他的独占愛」に抵触することもない。双方の作品に似ているところがあったとしても、「盗作」 呼ばわりされる覚えはない。カラー・イラスト(4頁)、著者の「炎が煌めく瞬間を──文庫刊行によせて」を収録した文庫版『少年の名はジルベール』(2019)の「解説」 中で、サンキュータツオは『少女マンガ講義録』に竹宮惠子の名前が1度しか出て来ない「不在感」に言及しているけれど、そもそも萩尾望都は竹宮作品を読んでいないので、正当な評価も論評も出来ない。『一度きりの大泉の話』に収録されている 「ハワードさんの新聞広告」(31頁)の原作は池田いくみさんの投稿作品で、英ブライトン留学中の萩尾望都が1人で描いたという。巻末に収録されている「萩尾望都が萩尾望都であるために」は城章子がニュートラルな立場で書いている。愛読者が部屋の書棚に並べて置くべき本は上記の2冊ではなく、『扉はひらく いくたびも』と『一度きりの大泉の話』である。

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    • 「朝日新聞の読書欄」(5/29)に『一度きりの大泉の話』の書評が掲載されました

    • 『私の少女マンガ講義』と『扉はひらく いくたびも』は再録(一部加筆・改稿)です

    • 『私の少女マンガ講義』(新潮社 2021)が文庫化されました(2021・7・1)

    • 久しぶりに読み返して、誤植を校正し、一部に修正を施しました(2024・3・7)
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    少年の名はジルベール

    少年の名はジルベール

    • 著者:竹宮 惠子
    • 出版社:小学館
    • 発売日:2019/11/06
    • メディア:文庫(小学館文庫)
    • 目次:缶詰旅館 / 一人暮らし / 少年愛の美学 / 大泉サロン / 少女たちの革命 / 不満と焦り / 男の子、女の子 / ライフワーク / 悲観 / ヨーロッパ旅行 / 契約更新 / プロデューサーの仕事 / 新担当編集者 / 読者アンケート / 大学でマンガを教えるということ / 文庫刊行によせて / 解説 サンキュータツオ

    少年の名はジルベール

    少年の名はジルベール

    • 著者:竹宮 惠子
    • 出版社:小学館
    • 発売日:2016/01/27
    • メディア:単行本
    • 目次:缶詰旅館 / 一人暮らし / 少年愛の美学 / 大泉サロン / 少女たちの革命 / 不満と焦り / 男の子、女の子 / ライフワーク / 悲観 / ヨーロッパ旅行 / 契約更新 / プロデューサーの仕事 / 新担当編集者 / 読者アンケート / 大学でマンガを教えるということ

    扉はひらく いくたびも 時代の証言者

    扉はひらく いくたびも 時代の証言者

    • 著者:竹宮 惠子
    • 出版社:中央公論新社
    • 発売日:2021/03/20
    • メディア:単行本
    • 目次:刊行によせて / 戦後マンガの歴史と歩む / 子ども時代 / 漫画家への道 / 大泉サロン / 風と木の詩 地球へ‥ / 新たの境地を求めて / 大学、未来へ / あとがき


    一度きりの大泉の話

    一度きりの大泉の話

    • 著者:萩尾 望都
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:2021/04/21
    • メディア:単行本
    • 目次:前書き / 出会いのこと 1969年~1970年 / 大泉の始まり 1970年10月 / 竹宮惠子先生のこと / 増山さんと「少年愛」/『悲しみの天使(寄宿舎)』/『11月のギムナジウム』/ 1971年〜1972年 ささやななえこさんを訪ねる / 1972年『ポーの一族』/ 海外旅行 1972年9月 / 下井草の話 1972年末~1973年4月末頃 /『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月...

    私の少女マンガ講義

    私の少女マンガ講義

    • 著者:萩尾 望都 / 矢内 裕子
    • 出版社:新潮社
    • 発売日:2018/03/30
    • メディア:単行本
    • 目次:イタリアでの少女マンガ講義録 / 少女マンガの魅力を語る / 自作を語る

    私の少女マンガ講義

    私の少女マンガ講義

    • 著者:萩尾 望都 / 矢内 裕子(聞き手・構成)
    • 出版社:新潮社
    • 発売日:2021/06/24
    • メディア:文庫(新潮文庫)
    • 目次:イタリアでの少女マンガ講義録『リボンの騎士』から『大奥』へ / 少女マンガの魅力を語る 読む・描く・生きる / 自作を語る『なのはな』から『春の夢』へ / 特別寄稿 ジョルジョ・アミトラーノ 萩尾望都氏との初対面

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