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折々のねことば 5 [c a t 's c r a d l e]




  • 折々のねことば sknys 041

    「かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで玄関の戸をがらりと開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って、尻尾を立てて愛想良く僕らを出迎えた。
    村上 春樹

  • 父と「僕」は香櫨園の浜に猫を置きに行く。自転車で家に帰ると、さっき棄てて来たはずの猫が先回りして帰って来ていた。父子はどうしてそんなに素速く戻って来られたのか理解出来ない。空を飛ぶ伝書鳩ほどではないけれど、猫が全速力で走るスピードは人や自転車よりも速かったのだ。猫は自分が棄てられたとは夢にも思わなかっただろう。一種のゲームだと思って喜び勇んで帰って来たのかもしれない。拍子抜けした2人は言葉を失う。呆然としていた父は感心し、少し安堵した表情を浮かべ、諦めの心境で、猫を飼い続けることにした。京都府左京区「安養寺」の住職(村上弁識)の次男として生まれた著者の父親(村上千秋)について綴ったノンフィクション『猫を棄てる』から。
    2020・12・1


  • 折々のねことば sknys 042

    「イヤ! お母さんは出ていかなくていい。私がこのコを連れて出ていくから」
    ハルノ 宵子

  • ある夏の月夜、著者は隣の墓地で真っ白い子猫を拾う。「馬尾神経症候群」 という障害を持っていた。尻尾の脊髄損傷は先天性のものではなく、何らかの事故によるものと思われた。自由に動き回れるけれど、排泄のコントロールが出来ない。「おしっこ・ウンコタレ流し!」 だった。父親(吉本隆明)は「いや〜‥‥オレも尿モレだから、捨てろとは言えないなぁ」と容認するも、潔癖性の母親は猛反対。猫を飼うのならば出て行くと、常套手段を繰り出した。"支配する母" には長女も父親も屈服せざるを得なかった。今まで幾度となく挫折して来たが、この時は未知の力に押されるように、思いもよらぬ言葉が口を衝いたという。少女マンガ家の猫エッセイ『それでも猫は出かけていく』から。
    2015・1・21


  • 折々のねことば sknys 043

    猫は、飼い主の足音や車のエンジン音など、耳慣れた音を覚えるし、食事時の、ナイフやフォークの入った引き出しが開く音や缶切りの音がすれば飛んでくる。
    クレア・ベサント

  • ネコの聴覚は高感度だが、聴こえる全ての音に反応していたら、脳は膨大な情報量で溢れてしまい、身の危険や食物を意味する音などを聞き分けられなくなる。そこでネコは重要ではない音や聞き慣れた音をバックグラウンド音として弱めることで、聞き慣れない音に反応することが出来る。電車の線路近くに住んでいる人は電車の通過する音に気づかない。訪ねて来た人が一体どうしたらこんな引っ切りなしの轟音に住民は耐えられるのかと不思議に思うようなものである。白猫の中には生まれつき耳が聞こえない個体もいる。老齢ネコは耳が聞こえなくなることもあるが、他の感覚器官のおかげで普通の生活を続けられる。英インターナショナル・キャットケア代表の『ネコ学入門』から。
    2015・7・11


  • 折々のねことば sknys 044

    歌、ユーモア、詩、音楽‥‥と、ねこはどこでもひっぱりだこ。フランス語でねこを意味する「シャ」は耳に心良く響き、無限の言葉遊びが可能です。
    ブリジット・ビュラール=コルドー

  • 仏語の 「シャ」(chat)は美しい言葉である。「それはねこ、パシャのようなペルシャねこ」 という歌詞で始まるジャン・コンスタンタン(Jean Constantin)の〈Le Pacha〉(1956)。アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)のミュージカル『Cats』(1981)のテーマ曲。アカペラ四重唱グループ、パウワウ(Pow Wow)の〈Le Chat〉(1992)‥‥ノルウェン・ルロワ(Nolwenn Leroy)の3rdアルバム《Le Cheshire Cat & Moi》(2009)はイラスト・カヴァに『不思議の国のアリス』のチェシャ猫が描かれている。猫の歴史や民間信仰、ことわざ、性質、行動、品種など78の見出しとアンティーク・クロモカードで構成された『ちいさな手のひら事典 ねこ』から。
    2016・10・1


  • 折々のねことば sknys 045

    要するに「ネコになってしまう」のである。
    養老 孟司

  • ペット愛好家の多くは猫派と犬派に分かれる。自由気儘に行動するネコを羨ましがる人は猫派である。ネコのように好き勝手に生きたいのに浮世の義理で適わない。ネコに自分を託して実人生で制約されている部分を心理的に取り戻そうとするという。社会的な動物であるイヌは他者として存在するが、犬派はイヌを自分に依存させて家族のような社会的な関係を持つ。《私は猫派である。だから猫派の気持ちはわかるが、犬派の気持ちはややわからない。大勢集まって騒ぐより、1人でコツコツ仕事をしたほうがいい。ネコのワガママが好きで、だから自分もワガママなのだろうと思う。猫派の「私」に犬派の気持ちは分からない》。解剖学者のエッセイ「猫派と犬派の違いについて」から。
    2013・4・1


  • 折々のねことば sknys 046

    「あらまあ、はじめて猫を見たようじゃない!」
    ロバート・F・ヤング

  • 1956年2月1日。ミス・ハスケルは小さなミルク箱に入っていた請求書に驚く。次の年金が入って来るまで支払えないからだ。彼女は寒風吹き荒ぶ丘の頂きに立って雪の降る海原を見渡している少年を家に招き入れる。紅茶の用意をしていると、揺り椅子に座ったオテリスが灰色の大きな丸い目を見開いて身を強ばらせた。サーベル・タイガー並みの猛獣を目にするかと思ったが、ストーヴの陰から出て来たのは灰色ネコだった。立ち止 ってオテリスを眺めたピネロピは少年の膝の上に跳び乗る。金縛りにあったように緊張して固まっていた少年は躰の力を抜き、ネコが居心地良さそうに丸まって眠ると、灰色の柔らかく波打っている身体をそっと撫でた。SF短篇「ピネロピへの贈りもの」から。
    2017・10・11


  • 折々のねことば sknys 047

    フランスでは、毎月数千匹の猫が火あぶりにされ、サン=ジャン火祭りのときはその数はさらに増えました。
    ナタリー・セメニーク

  • 村人たちは捕まえた猫を投げ込むための火焙り台を作った。18世紀までフランス国王自身もパリのグレーヴ広場で行なわれた猫の火刑に参加した。ルイ14世も1646年の火刑に加わった。建物や農家、大建造物を建築する時に猫(できれば黒猫)を生きたまま壁に塗り込めるという残忍な行為も珍しくなかった。当時の人々は建築家や職人の能力に頼るよりも人知を超えるものに縋ることを選んだ。塗り込められた猫は建物の頑丈さを保証し、不運から守り、神の庇護を引き寄せると言われていた。1950年ロンドン塔の修復工事の際、ミイラ化した猫の群れが発見された。その姿は「野蛮な祭典」の犠牲となって惨い死に方をした猫たちの「黒歴史」を物語っている。大型本『魅惑の黒猫』から。
    2018・7・21


  • 折々のねことば sknys 048

    抜群に気立てが優しく、穏やかなスコティッシュ・フォールドは、スコットランドの羊飼いによって1961年に発見された。
    レイチェル・ヘイル・マッケナ

  • ある日、前方に折れ曲がった耳を持つ1匹の白い雌猫が生まれて来た。そのような耳のせいか、その子猫はまるでフクロウのように見えたという。この原型の猫の子孫である1匹の雄猫が 「スノードリフト(雪の吹き溜まり)」 と名付けられて品種の始祖となる。イギリスではスコティッシュ・フォールドを巡って論争が巻き起こったため、その繁殖計画は1970年代にアメリカへ渡った。歓迎されたスコティッシュ・フォールドは1978年にチャンピオンシップ・ステータスに認定された。狩猟能力が高く、子供たちの相手もとても上手い。我慢強く落ち着いた気質で人との交流も大好き。新しい環境や他のペ ットへの順応力も高い猫である。動物写真家の写真集 『世界の美しい猫 101』から。
    2019・1・21


  • 折々のねことば sknys 049

    タダノリ君、どうぞ猫のように生きてください。
    横尾 忠則

  • 2014年5月31日に永眠した愛猫タマが飼主(君)に宛てたラヴレター。美術家(ぼく)はタマを描くことでペットロスから治癒したけれど、タマ(私)は《君は老いと死を恐れていました。まだ完全とはいいません。少し、いや、かなり残っています。老いも死も妄想です。妄想は穴を埋めていくことです。君のやっている芸術とかは空洞を埋めようとしています。空洞は空洞としてスカスカでいいのです》と綴っている。横尾家の家族として15年間暮らした愛猫の画文集『タマ、帰っておいで』はタマの肖像画(90点)と日記と手紙で構成されている。タマの死を境にして生前(2004年7月6日)の日記もあり、死後(20186月1日)の記述が3分の2を占める。肖像画もタマの死後に描かれた。
    2020・7・1


  • 折々のねことば sknys 050

    ほんとうに辛いとき、明日が面倒臭く見える時、じっと眺める一枚の写真がある。
    高山 宏

  • 著者が癒される写真はネコの横顔肖像、動物写真家・岩合光昭さんの愛猫・海(カイ)ちゃんの写真だった。海を愛したことでは岩合氏の奥さん(岩合日出子)の方が全然上だと知って尚更この写真が好きになったというのだから、『ママになったネコの海ちゃん』(ポプラ社 2003)も読んだのでしょう。写真集『海ちゃん ある猫の物語』(新潮社 1996)の中でも、表紙カヴァになったこの1枚を上回る写真はなかった。雌猫の海ちゃんは母猫としても見事な立居振舞いを見せる。その優しさも充分伝わってくる1枚 、飽かずに見入る度に著者(僕)の頭に浮かんで、口をついて出る言葉は 「ノーブル!」 である。「実に凛たる風情ではあるまいか」 。学魔の猫エッセイ「キャッツアイ」から。
    2020・12・21

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    朝日新聞の朝刊コラム 「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第5集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変えました。具体的には拙ブログ記事の冒頭に引用したネコに纏わる文章の中からキーになる「ねことば」を抜き出して、6〜8行の短文(312字以内)を添えるだけなのに、これが意外に愉しかったりして。小説やエッセイなどから気になった文章(400字前後)を単に引用するよりも、新聞記事の見出しやTV番組のCM前のワンフレーズみたいな短い言葉の方がキャッチーで耳目を惹くし、紹介文で「ねことば」の意図や真意を深く読み解ける。日付は引用した「ねことば」を掲載した記事の投稿日としたので、「折々のことば」 のような時系列順になっていません。「ねことば」 に興味を持った読者が引用文や引用元のネコ本を読んでくれると嬉しいにゃん。

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    Le Cheshire Cat Et Moi

    Le Cheshire Cat Et Moi(Edition Collector)

    • Artist: Nolwenn Leroy
    • Label Mercury Import
    • Date: 2009/12/07
    • Media: Audio CD(inclus 2 titres bonus + 13 cartes Inédites)
    • songs: Le Cheshire cat & moi / Faut-il, faut-il pas? / Mademoiselle de la gamelle / Feel Good / Cauchemar / Valse au sommet / Parfaitement insaisissable / You get me / Textile schizophrenie / Amis de jours de pluie / Safe & sound / Ici c'est moi qui commande / Aucune idée

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