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皆川人形館 [b o o k s]



  • 目についた活字を、とりあえず拾ってみる。猫、と打ったのは、生烏賊から聞いた話が、思 ったより強く意識に残っていたからからか。/ 猫という字に、余計な線が入っているような気がする。/ 目を凝らした。/ 獣篇の上端からのびた線が旁の草冠と田のあいだを通って、右上のほうにゆるい弧を描いている。猫の首に紐が絡みついているような案配だ。/ 実際、何か細い糸のようなものが絡んでいるのだ。髪の毛だ。/ 倫子という女の容貌は生烏賊から一言も聞いていない。それなのに、顔色の悪い、髪だけはパーマもかけず黒々と艶のある、袖口ののびたセーターは灰緑色で‥‥と、はっきりと姿が眼裏に浮んだ。/ 倫子は、髪の毛が絡んだ猫という字の印字を見て、猫の首を絞めることを思いついたのか、猫を絞めて遊んでいたから、わざと、活字に髪を絡めてみたのか。/ まあ、どっちでもいいことだ。第一、生烏賊の話が事実かどうか確かめようもないのだし。/ 猫、猫、猫、と打ってみる。どの猫も、首に髪の毛が絡みついている。
    皆川 博子 「青い扉」


  • □ 開かせていただき光栄です―DILATED TO MEET YOU―(早川書房 2011)皆川 博子
  • 18世紀ロンドン。聖ジョージ病院外科医ダニエル・バートンの私的解剖室にウェストミンスター地区治安判事に所属する犯罪捜査犯人逮捕係(ボウ・ストリート・ランナーズ)の2人が踏み込む。ダニエルの5人の弟子‥‥饒舌・クラレンス・スプナー、肥満体・ベンジャミン・ビーミス、骨皮・アルバート・ウッド、容姿端麗・エドワード・ターナー、天才素描画家・ナイジェル・ハートが墓から盗んだ準男爵チャールズ・ラフヘッド卿の令嬢エレインの屍体を暖炉の奥に隠す。ヘイルズ&ブレイは巧く追い払ったものの、相前後して検分に来た治安判事ジョン・フィールディングの助手アン=シャリー・モアに暖炉の隠し戸から解剖台の上に戻した屍体の包みを発見されてしまう。白布に包まれた屍体を担いで運び出そうとしたアンの助手デニス・アボットがバランスを失って取り落とすと、両手両足を切断された少年の屍骸が剥き出しになった。令嬢エレインの屍体を「ルパート王子の暖炉」から取り出すと、顔を潰された男性の屍骸に掏り替わっていた‥‥前半は少年ネイサン・カレンの視点から描いた過去と現在を交互に挿み込む構成で進行する。第12回本格ミステリ大賞受賞長編。

  • ■ チャーリーの受難(2011)皆川 博子
  • 『開かせていただき光栄です』の文庫版(2013)に併録されている短篇は続編『アルモニカ・ディアボリカ』の伏線にもなっている前日譚である。クラレンスが12歳の時、スプナー家は孤児院から幼児コリン(4歳)を養子に迎えた。ところが弟コリンは5年後、路地を歩いている時に後ろから走って来た馬車に轢かれて死んでしまう。幼馴染みのベンジャミンは遺体の解剖を提案する。父親アダム・スプナーに拒絶されたが、クラレンスもベンジャミンと同じく、外科医ダニエル・バートン先生に弟子入りした。1年半後、顧客ティッタリントン氏から贈与される遺品(鬘)を受け取りに行った父親の留守中に、歯痛の男が転がり込んで来た。18世紀ロンドンの床屋は散髪や髭剃りだけでなく、潟血、抜歯などの治療も行なっていた。クラレンスは患者を阿片チンキで眠らせる。今日の実習が休みになったことを伝えに来たベンが、老犬チャーリーを鞭で叩いている馭者を諌める。クラレンスは馭者に暇を出し、眠り痩けている患者を馬車に乗せてダニエルの解剖室に運ぶ。歯痛男は弟を轢き殺した逓信大臣のフランシス・ダッシュウッド卿だった‥‥。

  • □ アルモニカ・ディアボリカ(早川書房 2013)皆川 博子
  • 『開かせていただき光栄です』(2011)の当事者だったエドワード・ターナーとナイジェル・ハートは出奔中。解剖医ダニエル・バートンの元弟子たち、アルバート・ウッド、ベンジャミン・ビーミス、クラレンス・スプナーの3人は治安判事ジョン・フィールディングの許で犯罪摘発情報新聞『ヒュー・アンド・クライ』を発行していた。第一号が刷り上がった日に、勲爵士ラルフ・ジャガーズが訪れる。逓信大臣フランシス・ダッシュウッド卿の領地ウエスト・ウィカムの採掘坑道で発見された身許不明の屍体の情報を求める広告掲載の依頼だった。閉鎖された白亜の採石場で、1人の踏み車漕ぎが天使が空を舞うのを目撃した縦穴の地下に横たわっていた屍体の胸に、〈ベツレヘムの子よ、よみがえれ! アルモニカ・ディアボリカ〉という謎のメッセージが記されていた。ベツレヘム聖マリア病院(ベドラム)で生まれたナイジェルの秘密、ベンジャミン・フランクリン博士の依頼でアルモニカ(グラスハープ)を作製したガラス職人アンドリュー・リドレイの消息‥‥盲目の治安判事と姪のアン=シャーリー・モア、元弟子たちが隠蔽された恐るべき事件を解明するために奔走する。

  • □ クロコダイル路地(講談社 2016)皆川 博子
  • 1789年ナント。フランス革命によって人生を蹂躙された3人。帯剣貴族の嫡男フランソワ ・ド・ラ・レリの従者ピエール・ドゥミ、大ブルジョアのテンプル家嫡孫ロレンス・テンプル(従弟)、港湾で働く日雇い労働者の少年ジャン=マリ・ルーシュの視点で交互に描かれる。ローランの教育係ジル・アルノー、剣技の師ギデオン・ミルズの寝返り。ギヨティーヌ(ギロチン)によって祖父と両親を処刑されたフランソワとピエールは王党軍、ジャン=マリは革命軍の兵士として戦う。ショレの戦闘で負傷したジャン=マリ。捕虜となって修道院に収容されたピエール。ミュッス城の監獄に輸送するガバール船を川に沈めて囚人たちを溺死させる計略に巻き込まれて死亡(?)したフランソワ。テンプル商会副支配人サミュエル ・ブーヴの計らいで商館に匿われたローラン、3階に幽閉されたジャン=マリの妹コレットと馭者ダヴィド・バロー、英帆船《真昼の夢》号でロンドンに脱出するピエール、ローラン、ジャン=マリ‥‥「運命が運び、連れ戻すところに、われわれは従おう」。

    ピエール、ローラン、ジャン=マリの3人に加えて、少女メイ・オコナーの視点で描写される下巻は『開かせていただき光栄です』『アルモニカ・ディアボリカ』のアルバート・ウッド、ベンジャミン・ビーミス、ネイサン・カレン、サイモン・ディーフェンベイカーとアン=シャーリー夫妻が客演する。ナント編は歴史ロマンだが、ロンドン編はミステリ色が濃い。ブランシュ・ピショの毒殺、ピエールとジル・アルノーの決闘、メイの兄スティーヴのボクシング試合、コレット・トゥラランの蠟人形館、ローランのパノラマ館、サミュエル・ブーヴェの監禁と墜落死‥‥ジャン=マリの妹コレットとローランの復讐譚となる。表題はマンディアルグの短篇「ポムレー路地」からの発想で、「鰐男」 や蟹少年(ワッツの「希望」から着想したのかしら?)も登場。長い物語を伊像田晃一の幻想・精緻な挿絵(36葉)がモノクロで彩る。文庫版(2019)は単行本上下2巻(I・II)を合冊したことで、千頁超えとな った‥‥京極レンガ本みたいな「鈍器になる厚さです」(皆川博子)。

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  • ■ 結ぶ(文藝春秋 1998)皆川 博子
  • ゲラ刷りを見た東雅夫(アンソロジスト)が仰天、驚天して「アルマジロ!? アルマジロ!!」と呟いたという短篇を表題とする幻想小説集。「私」 が丸まったアルマジロみたいに球体に縫われてしまう「結ぶ」。死んだ義足の叔母(わたし)が小学1年生の姪(姉の娘)に請われて折紙を燃やして煙に変える「水色の煙」。校舎の屋上から飛び降り自殺した自殺した中学生・貝島晶と恋人・上田真子のことを水野秋生(ぼく)が回想する「水の琴」。写真館の飾り窓の中に幼い頃の自分のポートレイト(海辺で砂舟を漕ぐ女の子)を見つけた「わたし」が水底に幽閉されていた記憶を思い出す「水族写真館」。『捜神記』の「干将莫耶」を対話体でコント風に再現した「花の眉間尺」。祖父の代から旅館業を営んでいた伯母の遺品整理に訪れた姪(わたし)が元仲居(お葉さん)から「飼っていた巾着袋」の謎を知る「空の果て」。異国に辿り着いた「わたし」が路上の女にタロット・カードで占ってもらう「火蟻」 ‥‥単行本には全14篇収録されていたが、文庫版(東京創元社 2013)は未刊行短篇4篇 「薔薇密室」 「薔薇の骨」 「メキシコのメロンパン」 「天使の倉庫」 を増補している。

  • ■ 影を買う店(河出書房新社 2013)皆川 博子
  • 1990年代後半から2013年まで、約20年間に発表された単行本未収録短篇を纏めた幻想小説集。全21篇中15篇がオリジナル・アンソロジーに発表された作品(井上雅彦編集の〈異形コレクション〉シリーズの8篇を含む)で、各々のテーマに応じて、マニアックな読者に向けて書かれているだけに幻想小説としての純度が高い。中井英夫へ捧げるオマージュ集『凶鳥の黒影』(河出書房新社 2004)所収の表題作「影を買う店」は 「影を売る店」(1989)へのトリビュート短篇。開業医の娘(わたし)と弟が運転手の息子(勝男)と屋根裏の子供部屋で遊ぶ「猫座流星群」。空襲で家族を亡くした少年(彼)が遠縁の豪農の蔵の中に閉じ込められて、若い男と振袖井戸に墜ちる「沈鐘」。第二次大戦下、都立女学校に入学した「わたし」が始業前の早朝、音楽室でピアノを弾く女学生(柘榴)に惹かれる「柘榴」。数頁の掌編 「真珠」 「断章」 「こま」 「夕陽が沈む」、写真(谷敦司)とコラボした「創世記」、タイポグラフィを使った「穴」 「月蝕領彷徨」、戯曲「魔王」、グリム童話をアンジェラ・カーター風に改変した「青髯」など‥‥ヴァラエティに富む。

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  • ● 皆川博子随筆精華 書物の森を旅して(河出書房新社 2020)皆川 博子
  • 雑誌や新聞からの依頼されたテーマに応じて書かれたエッセイを纏めた「雑文集」。身辺雑記を綴る「随筆」には力が足らず。体力がなく、方向音痴なので旅行も嫌い。「本の虫」を自認する著者のエッセイは必然的に書物に纏わる小文が多くを占める。日下三蔵の「編者解説」によると百冊を超える著作で小説以外の本は『摂、美術、舞台そして明日』(毎日新聞 2000)、『辺境図書館』(講談社 2017)、『彗星図書館』(講談社 2019)の3冊しかないというから、事実上の「初エッセイ集」である。自作を含む小説や作家についてのエッセイ31篇を集めた 「幻の処女作」 、歌舞伎や演劇関係の21篇を収録した 「かぶき事始」 、紀行文など旅をテーマにした14篇の 「暗合の旅」 、ルポルタージュや自伝など4篇からなる 「物語を発見していく旅」。テーマ別に編まれた4章に挿まれた3つの幕間‥‥新聞の連載コラム 「私のヒーロー&ヒロイン」 「美少年十選」(ネイサン・カレンのモデルはトーマス・チャタートン?)、偏愛する本についてのアンケートに回答した9つの 「マイ・ベスト」 も愉しい。

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    • 「開かせていただき光栄です」 は〈読ませていただき光栄です〉の再録(一部加筆)

    • 「開かせていただき光栄です」(Dilated To Meet You)は英語の常套句「お会いできて光栄です」(Delighted to meet you)のモジリ
    • 「開かせていただき光栄です」 「アルモニカ・ディアボリカ」 の続編 「インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー」(ミステリーマガジン)、「辺境図書館」(群像)を連載中
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    開かせていただき光栄です ── DILATED TO MEET YOU ──

    開かせていただき光栄です ── DILATED TO MEET YOU ──

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:2013/09/05
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 JA1129)
    • 目次:開かせていただき光栄です / 特別付録「解剖ソング」/ チャーリーの受難 / 主要参考資料 / 書かせていただき光栄です・有栖川有栖


    アルモニカ・ディアボリカ

    アルモニカ・ディアボリカ

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:早川書房
    • 発売日: 2016/01/22
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 JA1214)
    • 目次:アルモニカ・ディアボリカ / 主要参考資料 / 特別付録 / 文庫版特別付録「皆川博子の本棚」フェア資料公開 / 帰っていただき光栄です・北原 尚彦


    クロコダイル路地

    クロコダイル路地

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:講談社
    • 発売日:2019/01/16
    • メディア:文庫(講談社文庫)
    • 目次:クロコダイル路地 / 主要参考資料 / 謝辞 / 解説・朝宮 運河


    結ぶ

    結ぶ

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:東京創元社
    • 発売日:2013/11/29
    • メディア:文庫(創元推理文庫)
    • 目次:結ぶ / 湖底 / 水色の煙 / 水の琴 / 城館 / 水族写真館 / レイミア / 花の眉間尺 / 空の果て / 川 / 蜘蛛時計 / 火蟻 / U Bu Me / 心臓売り / 薔薇密室 / 薔薇の骨 / メキシコのメロンパン / 天使の倉庫 / 解説・日下 三蔵

    ゆめこ縮緬

    ゆめこ縮緬

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:KADOKAWA
    • 発売日:2019/09/21
    • メディア:文庫(角川文庫)
    • 目次:ゆめこ縮緬 / 文月の使者 / 影つづれ / 桔梗闇 / 花溶け / 玉虫抄 / 胡蝶塚 / 青火童女

    影を買う店

    影を買う店

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:2013/11/19
    • メディア:単行本
    • 目次:影を買う店 / 使者 / 猫座流星群 / 陽はまた昇る / 迷路 / 釘屋敷/水屋敷 / 沈鐘 / 柘榴 / 真珠 / 断章 / こま / 創世記 / 蜜猫 / 月蝕領彷徨 / 穴 / 夕陽が沈む / 墓標 / 更紗眼鏡 / 魔王 / 青髭 / 連禱 / あとがき / 編者解説・日下 三蔵

    少女外道

    少女外道

    • 著者:皆川 博子
    • 出版社:文藝春秋
    • 発売日:2013/12/04
    • メディア:文庫(文春文庫)
    • 目次:少女外道 / 巻鶴トサカの一週間 / 隠り沼の / 有翼日輪 / 標本箱 / アンティゴネ / 祝祭

    皆川博子随筆精華 書物の森を旅して

    皆川博子随筆精華 書物の森を旅して

    • 著者:皆川 博子
    • 編者:日下 三蔵
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:2020/09/29
    • メディア:単行本
    • 目次:幻の処女作 / 私のヒーロー&ヒロイン / かぶき事始 / 美少年十選 / 暗合の旅 / マイ・ベスト / 物語を発見していく旅 / あとがき / 編者解説・日下 三蔵

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