折々のねことば sknys 031
「それは良いご主人様方でした。かけがえのないものをわたしにくださって。ジャンお坊っちゃまがお母さまよりもわたしよりも愛しておられた猫です。ムッシュー・ムトン ── アンゴラ種ですよ」
A・P・ド・マンディアルグ
20歳のテレーズ嬢はブラング家の1人娘ジュリーの子守りとしてパリへ行くが、悪魔のような性悪娘の陰険な虐めに遭う。その後、社交界デビューしたジュリーは青年銀行家のヴァシュラン氏と結婚し、テレーズは姉ナタリーの住むメリネへ戻る。3年後ジュリ ーは幼い息子ジャン・ミシェルの世話係としてテレーズを再びパリへ呼び戻す。ところが、虚弱児のミシェルは13歳の冬に肺炎で死んでしまう。再び解雇されたテレーズに押しつけられたのが亡き少年の愛猫ムトン氏だった。アンゴラ種のペルシャ猫、赫毛、橙色の斑紋、栗色虎縞の巨大な雄猫。城邑の棲居で老嬢テレーズと巨猫ムトン、信心深い老女と傍若無人猫の同衾生活(禁断の倒錯愛?)が始まる。
『猫のムトンさま』から。
2005・11・20
折々のねことば sknys 032
猫が風呂場の水を好むというのは、賛同してくださる方も多いであろう。
蔦谷 香理
ネコはボウルに注いだ新鮮な水を飲まず、浴槽やトイレ、バケツに溜めた水を好んで飲む。 著者と暮らしていた黒猫「ち」も米の研ぎ水やシンクの食器に溜まった水、自分の水入れを素通りしてトイレ水を飲む。アンリ・フレデリック・アミエル、デズモンド・モリス、マイケル・W・フォックス、キャサリン・M・ブリッグズ、マリアン・S・ドーキンス、谷崎潤一郎、梶井基次郎、ウルリッヒ・クレヴァー、ポール・ギャリコ、デリ ック・タンギー、岩合光昭、大島弓子、山下洋輔、町田康まど、「猫たわけ」 な動物行動学者や作家の主張や意見を引用しながら洒脱な文章で「50のおきて」の謎を解く。猫の抜け毛で作る「猫毛フェルト」を提唱する猫毛フェルターのエッセイ
『猫毛愛』から。
2011・1・21
折々のねことば sknys 033
その猫は23歳だった。とても太っていて、むしろフクロウのようだった。
ジム・キャロル
ネコとフクロウは良く似ている。耳の折れたスコティッシュ・フォールドはフクロウに瓜二つ。お互いに仲良しなのかは分からないけれど、エドワード・リアのナンセンス詩「ふくろうと猫」(The Owl and the Pussy-cat 1867)では結婚までしている。キャロル兄妹が見舞った母親の枕許で寝ているデブ猫は長寿で、ジム(僕)にはフクロウのように見えた。
ジム・キャロル(Jim Carroll 1949-2009)は高校時代の性体験やヘロイン依存症などについて赤裸々に綴った
『マンハッタン少年日記』(The Basketball Diaries 1978)で知られる米作家・詩人。パンク・ロッカーとして4枚のアルバムを遺している。ドラッグ・ポエトリー
『夢うつつの本』(The Book of Nods 1986)から。
2010・1・21
折々のねことば sknys 034
「なんだろ、トムは。ばかトム‥‥。」 と、おばさんは、くりかえしくりかえし、いっていました。
石井 桃子
戦後、北国の山間で開墾生活を始めた母娘と友達が同居する家へネズミ退治のために貰われて来た子猫トム。ある日、鉱山町の郵便局へ急ぐハナおばさん(作者)の後を尾いて来てしまったトムは後ろから来た鉱山トラックに驚いて胸に抱いた手提げの中から逃げ出してしまう。おばさんは必死で探し回り、古い木の切り株の向こう側で脅えていたトムを全力で保護する。雑誌記者時代、知人の子供たちに『プー横町にたった家』(The House At Pooh Corner 1928)を英語から日本語に訳しながら読み聞かせたという逸話もある著者の体験に基づいた物語
『山のトムさん』から。トムの死後に復刊された改訂版「あとがき」に「トムを哀惜する気もちで、心臓は重たくなった」と書いている。
2012・7・1
折々のねことば sknys 035
人間はネコにとって、やはりネコであったのだ。
日高 敏隆
「彼らは何を考え、何を感じているのだろうか? 世界をどう認識し、どんな世界観をも っているのだろうか?」 ‥‥ネコ派の動物行動学者は読者に問いかける。「いったいネコは人間のことを何だと思っているのだろう?」 と。手を出すとペロペロ舐めてくれたり、甘噛みするのは親ネコが子ネコ、子ネコ同士の行なう動作である。ネコは親愛の情を込めて、注意深くグルーミングしているつもりなのだが、悲しいことに人間の肌は獣のように全身が毛に覆われていないし、皮膚も柔らかい。時々強く咬まれて血が流れることがある。そんな時のネコは驚いて 「こんなつもりじゃなかったのに」 という悔悟の表情を浮かべるという。ネコは人間のことを同類のネコだと思っていた。
「ネコの時間」 から。
2012・10・11
折々のねことば sknys 036
私の母親は当初、あまり猫が好きではなかった。「猫なで声で甘えているくせに、背中を向けると舌を出している」 と言って、猫に冷たかった。
森村 誠一
小学生低学年の頃、飼い猫コゾが深夜、2階の寝室の枕許に来て鳴いた。目を覚ました著者(私)は異臭を嗅いだ。コゾに誘導されるように、階段の降り口に行って愕然とした。階下が烟っていた。咄嗟に火事だと叫び、家族を叩き起こして階段を駆け降りた。炬燵から朦々と煙が出ていた。母親が竃の上に案配していた研いだ米と水の入った釜を取って来て炬燵にかけた。発見が早かったので、小火で済んだ。炬燵布団に残っていた煙草の火が燻り始めたらしい。コゾが森村家を火事から救ったのである。それ以来、コゾに対する母親の態度は一変する。「大の猫嫌いであった母が、コゾを目に入れても痛くないような、文字通りの猫っ可愛がりをするようになった」 という。
「運命の猫」 から。
2016・1・21
折々のねことば sknys 037
おお猫よ、とわたしは言う。あるいは嘆息する。かわいぃぃい猫! きれいぃぃな猫! すばらしい猫! 繻子のような猫! ふわふわのフクロウのような猫、蛾のようなやわらかな足をした猫、燦然と輝く猫、この世のものとも思われぬ猫! 猫、猫、猫、猫。
ドリス・レッシング
1925年、幼いドリスは英国人の父親に連れられて南ローデシア(現ジンバブエ)に移住する。アフリカの農場で体験した野生動物との攻防。ライフル銃で撃ち殺した山猫が野生化したペットだったり、薪の山の中に入り込んだ飼猫の尻尾を毒蛇と間違えた母親が散弾銃で射殺したり、増えすぎた40匹の猫を父親が連発拳銃で始末したり。その後、ロンドンに移り住んだドリスは友人夫婦から1匹の子猫をもらう。母猫からシャムの遺伝子を受け継いだ灰色猫は王女のように振る舞う。レッシング家に迎えられた黒猫との確執。2匹の雌猫に対する著者の描写は意地が悪いと思えるほどだが、腸炎に罹って重態になった黒猫を献身的に看護する姿は愛に溢れている。
『なんといったって猫』から。
2013・7・16
折々のねことば sknys 038
昨年の秋、わたしは飼い猫のサビを失いました。18歳と7ケ月、猫としては充分長生きしたとはいえ、そしてペットは先に逝くものと覚悟はしていてもいつも本当につらいです
山岸 凉子
2011年の秋、少女マンガ家は飼い猫サビちゃんの臨終を看取った。著者の哀惜と悔悟の念は魔州湖の水底のように暗く深い。あんなにも長く苦しんで死んだのは「わたし」の介護の仕方が悪かったのではないか、まだまだ生きる体力が残っていたのに必要以上に心臓に負担をかけてしまったからだ。サビの死が可哀想だったことと自分の至らさに打ちのめされて、暫くは声も出せなかったと打ち明ける。ペットロスに苛まれた彼女は四十九日の法要を済ませてJ院に納骨した後、ヴォランティア団体から被災地の猫を引き取ることになる。桜の散る中、山岸家にやって来た2匹の猫、グレーの縞猫ハルと白黒斑のコバンは仲が悪くてという心霊ネコ・マンガ・エッセイ
「猫・ねこ・ネコ」 から。
2014・1・21
折々のねことば sknys 039
怒った帝は、「2度とそのようなことを起こしてはならぬ。すべての猫の尾を切り落とせ」 とお触れを出した ── これが、ジャパニーズボブテイルの起源とされる伝説の1つだ。
タムシン・ピッケラル
丸まった短い尻尾が特徴的なジャパニーズ・ボブテイル(Japanese Bobtail)。「つり上がった美しい目、ピンと立った賢そうな耳などの要素が組み合わさって、オリエンタルな雰囲気を漂わせている」 が、その由来については諸説ある。昔々1匹の猫が囲炉裏の傍らで蹲っていると、残り火からパチパチと爆ぜた火花が尻尾に燃え移った。驚いた猫が跳び上がって都を駆け抜けると、通りの家々に火が燃え広がり、翌日には辺り一面が焼け野原になってしまった。福や客(金)を招く幸運のシンボル 「招き猫」 のモデルとなったジャパニーズ・ボブテイルの尻尾が短くなった伝説である。古代から現在まで、56種の猫たちの写真に歴史と物語を添えた大型本
『世界で一番美しい猫の図鑑』から。
2014・10・1
折々のねことば sknys 040
パリに着いたムンクは、持参した大量の絵を保管するために大きなアトリエを借りた。すると無愛想な野良猫が、出入りし始めた。「猫は不安そうな、まるで人間のようにもの問いたげな目つきをしていて、それを見ると恐ろしくなった」
スー・プリドー
ピカソ、ダリ、バルテュス、クリムト、フリーダ・カーロ、マルセル・デュシャン、ルイス・ウェインなど、猫好きの画家は少なくない。パリのアトリエに棲み着いたノラ猫にエドヴァルド・ムンクは恐怖を覚えた。猫は絵で用を足したり、爪研ぎをするようになり、ムンクは気が気でない。猫嫌いの画家ならば邪険に追っ払うところだが、《誰にも自由で独立した暮らしを営む権利がある。他人に自分の意志を押しつけて良いものだろうか》と考える画家は猫との共存を模索する。数週間に渡る「愛情と憎悪、罪悪感と所有欲、破壊欲と嫉妬の入り混じる」ムンクと猫と絵の三角関係。最終的にムンクは腕力に訴えて猫に下の躾を施して、一触即発の事態を鎮めたという。
『ムンク伝』から。
2019・3・1
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朝日新聞の朝刊コラム
「折々のことば」(鷲田清一)のネコ版パロディ「折々のねことば」第4集です。引用した言葉に解説文(171字以内)を添えるという〈折々のことば〉のフォーマットを踏襲しつつ、ブログ記事らしく横書きに変えました。具体的には拙ブログ記事の冒頭に引用したネコに纏わる文章の中からキーになる「ねことば」を抜き出して、6〜8行の短文(312字以内)を添えるだけなのに、これが意外に愉しい。小説やエッセイなどから気になった文章(400字前後)を単に引用するよりも、短い言葉の方がキャッチーで耳目を惹くし、解説文で「ねことば」の意図や真意を深く読み解ける。日付は引用した「ねことば」を掲載した記事の投稿日としたので、「折々のことば」のような時系列順になっていません。「ねことば」に興味を持たれた読者が引用文や引用元の原典を読んでもらえれば幸いです。
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- 「折々のねことば sknys 031~040」 は引用文、出典はアマゾンにリンクしました
- 〈OCCASIONAL CATWORDS〉(折々のねことば 2005 - 2020)を作成しました
- 「猫・ねこ・ネコ」 の初出は 「Mei(冥)」 創刊号(メディアファクトリー 2012)
- 「折々のねことば」(039)の解説文を一部修正しました(2023・12・30)
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猫のムトンさま
- 著者:A・P・ド・マンディアルグ(Andre Pieyre de Mandiargues)/ 黒木 實(訳)
- 挿画:ピエール・アレシンスキー(Pierre Alechinsky)
- 出版社:ペヨトル工房
- 発売日:1998/01/20
- メディア:単行本
- 目次:前書き / 猫のムトンさま / 訳者あとがき
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