SSブログ

くだんのママ [c o m i c]



  • その時、僕の見たもの、それは、── 赤い京鹿子の振袖を着て、綸子の座布団に坐り、眼をまっかになきはらしている ── 牛だった! 体付きは十三、四の女の子、そしてその顔だけが牛だった。額からは二本の角がはえ、鼻がとび出し、顔には茶色の剛毛が生え、目は草食獣のやさしい悲しみをたたえ ──、そして口からもれるのは、人間の女の子の、悲しい、身も消えいらんばかりの泣き声だった。片方の角の根もとには、血のにじんだ繃帯がまかれ、顔を覆ったその手にも、五本の指をのぞいて、血と膿のにじんだ繃帯が、二の腕深くまかれてあった。ぷん、と血膿の臭いがした。そして家畜の臭いも。── 僕は息をのみ、目をむいたまま、その怪物を前にして立ちすくんでいた。/「見たのね」その時後で冷たい声がした。障子をピンと後手にしめて、おばさんが立っていた。能面のような顔の影に、かすかに憂悶の表情をたたえながら。「とうとう見てしまったのね。その子は ── くだんなのです」
    小松 左京 「くだんのはは」


  • ■ くだんのはは(別冊少年マガジン 1970年4月号)石森 章太郎
  • 昭和20年6月、暑い日の正午頃に、兵庫県芦屋市の実家が空襲で焼けた。中学3年生の良夫(ぼく)は工場動員で神戸の造船所に毎日通って特殊潜航艇を造っていた。焼跡で途方に暮れていた父子の前にモンペ姿の女性が現われる。母親が姉弟たちを連れて疎開する前に辞めた家政婦(お咲さん)だった。父親と良夫の2人は彼女が住み込んでいる大屋敷に身を寄せることにする。その夜、裏の離れで就寝した良夫は海鳴りの音に混じった泣き声を聞く。翌日、工場から帰ると父親から、工場の責任者が空襲で死んだため1カ月半ほど疎開先へ出張することになった聞かされる。大屋敷の離れに1人残った良夫。空襲は激しくなり、B24の編隊が午前・午後・夜中の1日3回も爆撃することも珍しくなかった。毎日猛暑が続き、苛立った教師や軍人から理由もなく殴られた。騒音・爆音・怒声‥‥暑さの中で炎天下のカエルの死骸のように干涸びて行くのを感じる。

    西宮大空襲の夜、東の空の赤黒い火災とマグネシウムのように弾ける中空の火の玉を見つめる良夫は山手の方へ逃げた方が安全ではないかと女主人に進言するが、「いいえ、大丈夫。もう一回来て、それでおしまいです。ここは焼けません」「この空襲よりも、もっとひどい事になるわ。とてもひどい‥‥西の方です」と告げる。翌日下痢で工場を休んだ良夫は母屋の室内便所ではなく、庭沿いの長い廊下を突っ切って階段横手の客用トイレへ行った。用を足して廊下に出ると、家政婦と出食わした。お咲は血と膿で汚れた繃帯の入った洗面器を抱えていた。良夫は台所で調理をしている彼女を問い詰める。母屋で泣いている病気の女の子は癩病ではないかと。「癩病だったら隔離しなきゃいけない‥‥」 「こんな大きな屋敷に住んで、あんな贅沢をして‥‥あの人は非国民だ!」 「憲兵に言ってやるぞ!!」」と脅して、1日に3度、洗面器一杯の食事を2階の鍵の手の部屋の前に置いて行く。1時間ほどで空っぽになって、代わりに汚れた繃帯が入っていることを聞き出す。

    女主人の弾くピアノの音色を耳にした良夫は彼女の部屋に誘われる。夫人から気の毒がられた少年は予科練に行った上級生には特攻で死んだ人もいる。僕らだって今に玉砕すると息巻く。しかし女性は、この戦争は間もなく終わる。この屋敷は守り神がいるので焼けないと話す。九州の山の中にある実家は城のような大屋敷だった。先祖は切支丹だったが、他の切支丹の財産を取り上げるために役所に密告して富を得た。投獄された人々の恨みが籠って、実家の女は代々石女となった。夫の生家も東北の旧家で、小作人や百姓たちを虐げたという。代々長男は家を継ぐと気が変になったり、変死したりする。その当主だけに守り神の姿が見える。先祖の1人が百姓たちに襲われて殺されそうになった時、黒い大きな獣の姿をした守り神に救われた。近郷が全焼した時も主人の屋敷だけは焼けなかった。守り神は虐められて死んだ百姓の1人だった。家に取り憑いた代わりに、屋敷と財産を守ってやると言われた。

    8月6日、広島に原爆が投下され、満州で夫が死ぬ。13日の夜、お咲と良夫は女主人から、戦争が終わって日本が負けたことを知れされる。「日本は一億玉砕といっているじゃありませんか」 「日本は負けやしない!」 「負けたなんていうやつは非国民だ!国賊だ!!」 と逆上した良夫は母屋の階段を駆け上り、2階の部屋の襖を開けて「くだん」と初対面する。「くだん」 は「件」と書く。「くだん」 には予言能力があった。女主人が産んだ女の子が「件」だった。生まれた時から角があり、伸びると牛ソックリになって来た。「くだん」 は歴史上の大凶時が始まる前に牛として生まれ、凶事が終わると死ぬという。成人した良夫は告白する‥‥夫人から頼まれて一切を公言しなかったが、あれから22年経った今、この話を敢えて公開することにしたのは、この話を読んだ人々から「件」についての知識を少しでも得たいからだ。あのドロドロした食べ物は一体何なのか、知っている人はいないだろうか? 今度初めて生まれた長女に角があったのだ!‥‥「これも大異変の前兆だろうか?」

                        *

  • それはそうと、百閒には『遊就館』のほかに『件』というとびきり怖い小品がある。クダンと読むのだが、格別、九段の地名には関係はない。件というのは「からだは牛で顔丈人間の淺間しい化物」で、予言をする。小説では自分がその件になって、因果な見せ物にされてしまう。/ 件は九段とは関係がない、と書いたが、件が見世物に仕立てられていることを考え併せると、やはり九段は靖国神社の招魂社のイメージにつながってくる。小松左京もそう考えた一人であるらしくて、百閒の『件』を踏まえた上で『くだんのはは』というパロディ小説を書いているから、これはあながち私一個の独断ではない。私の世代ならそれくらい、九段という音が招魂社とそのおぞましくも毒々しい見世物に自然に結びついているのである。〔‥‥〕一般の人間には、しかし鎮魂の儀式そのものよりは神社の境内に小屋掛けした、見るも俗悪なおどろしい見世物の方がお目当てで、聖をもっとも遠ざかった地平に現れるその無惨なスペクタルが「招魂社」と思われていたのではなかったであろうか。
    種村 季弘 「九段の怪談」


  • 石森章太郎の「くだんのはは」(1970)は小松左京のホラー短篇を忠実にコミック化している。劇画タッチのリアルな絵や構図・コマ割りも申し分ない。大コマ1頁で描かれた牛少女「くだん」は「目は草食獣のやさしい悲しみをたたえ」という原作の描写の通り幼気で、不吉な話なのにオドロオドロしさは余り感じられない。「くだんのはは」(1968)は内田百閒の「件」(1921)の「パロディ小説」(種村季弘)。《小松は神社そのもの、「くだんのはは」すなわち「靖国の母」に焦点をあてていく。明治以前から、虐げられた人びとの犠牲によって祭られてきた「守り神」が、戦争の敗北、すなわち皇国の終焉を前にして、その役割を終える姿が描かれているのである。空襲や敗戦に右往左往する人びとのリアルな描写と真空地帯のようなお屋敷の中の世界、その対比が鮮やかに描かれ、戦争を遂行してきた体制の根源にあるものをえぐり出す、強烈な作品である》(松田哲夫)。「大異変の幻影に常におびやかされ続けている日本人にとって、この作品の怖ろしさは永遠のものかもしれない」(筒井康隆)と解説している。

                        *
    • 「石ノ森章太郎萬画大全集 3-3」(角川書店 2006)をテクストに使いました

    • 『ベトナム姐ちゃん』(2013)、『異形の白昼』(2015)などを参照しました
    • れなぴょんの1st写真集『白群』(アイドルヴィレッジ 2019)が出るにゃん^^;
                        *


    大侵略 ── 石ノ森章太郎萬画大全集 3-3

    大侵略 ── 石ノ森章太郎萬画大全集 3-3

    • 著者:石森 章太郎
    • 出版社:角川書店
    • 発売日:2006/08/31
    • メディア:コミック
    • 目次:大侵略 / くだんのはは(原作・小松左京)/ おとし穴 / 胎児の世紀 / イラストコレクション


    アニマル・ファーム

    アニマル・ファーム

    • 著者:石ノ森 章太郎
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日:2018/11/09
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:アニマル・ファーム(原作 ジョージ・オーウェル)/ くだんのはは(原作 小松 左京)/ カラーン・コローン / 解説・中条 省平


    ベトナム姐ちゃん 日本文学100年の名作 第6巻

    ベトナム姐ちゃん 日本文学100年の名作 第6巻

    • 編者:池内 紀 / 川本 三郎 / 松田 哲夫
    • 出版社:新潮社
    • 発売日: 2015/01/28
    • メディア:文庫(新潮文庫)
    • 目次:川端康成「片腕」/ 大江健三郎「空の怪物アグイー 」/ 司馬遼太郎「倉敷の若旦那」/ 和田誠「おさる日記」/ 木山捷平「軽石」/ 野坂昭如「ベトナム姐ちゃん」/ 小松左京「くだんのはは」/ 陳舜臣「幻の百花双瞳」/ 池波正太郎「お千代」/ 古山高麗雄「蟻の自由」/ 安岡章太郎「球の行方」/ 野呂邦暢「鳥たちの河口」/ 読みどころ

    日本怪奇小説傑作集 3

    日本怪奇小説傑作集 3

    • 編者:紀田 順一郎 / 東 雅夫
    • 出版社:東京創元社
    • 発売日:2005/12/10
    • メディア:文庫(創元推理文庫)
    • 目次:近代怪奇小説の変容(紀田順一郎)/ お守り(山川方夫)/ 出口(吉川淳之介)/ くだんのはは(小松左京)/ 山ン本五郎左衛門只今退散仕る(稲垣足穂)/ はだか川心中(都筑道夫)/ 名笛秘曲(荒木良一)/ 楕円形の故郷(三浦哲郎)/ 門のある家(星新一)/ 簞笥(半村良)/ 影費と(中井英夫)/ 幽霊(吉田健一)/ 遠い座敷(筒井康隆)/ 縄──編集者への手紙──(阿刀田高)/ 海贄考(赤江瀑)/ ぼろんじ(澁澤龍彦)/ 風(皆川博子)/ 大好きな姉(高橋克彦)/ 解説(東雅夫)

    異形の白昼 恐怖小説集

    異形の白昼 恐怖小説集

    • 編者:筒井 康隆
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日: 2013/09/10
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:星新一「さまよう犬」/ 遠藤周作「蜘蛛」/ 小松左京「くだんのはは」/ 宇能鴻一郎「甘美な牢獄」/ 結城昌治「孤独なカラス」/ 眉村卓「仕事ください」/ 筒井康隆「母子像」/ 生島治郎「頭の中の昏い唄」/ 曽野綾子「長い暗い冬」/ 笹沢左保「老人の予言」/ 都筑道夫「闇の儀式」/ 吉行淳之介「追跡者」/ 戸川昌子「緋の堕胎」/ 解説・編輯後記 ...

    くだんのはは

    くだんのはは

    • 著者:小松 左京
    • 出版社:角川春樹事務所
    • 発売日:1999/09/18
    • メディア:文庫(ハルキ文庫)
    • 目次:ハイネックの女 / くだんのはは / 流れる女 / 蚊帳の外 / 秋の女 / 女狐 / 待つ女 / 戻橋 / 無口な女 / お糸 / 湖畔の女

    書物漫遊記

    書物漫遊記

    • 著者:種村 季弘
    • 出版社:筑摩書房
    • 発売日: 1986/05/27
    • メディア:文庫(ちくま文庫)
    • 目次:名前と肩書の研究『潮文化人手帖』/ 不思議な節穴 武井武雄『戦中気儘画帳』/ 畸人ぎらい 色川武大『怪しい来客簿』/ 猫が食いたい 石堂淑朗『好色的生活』/ 吸血鬼入門 種村季弘『吸血鬼幻想』/ 見えない人間『定本山之口貘詩集』/ 開かれた箱 坂根巖夫『遊びの博物誌』/ 悪への郷愁 高垣眸『豹の眼』/ 泥棒繁盛記 野尻抱影『大泥棒紳士館』/ 分家...

    コメント(0)