モーさまとケーコタン [c o m i c]
竹宮 惠子 『扉はひらく いくたびも』
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萩尾 望都 『一度きりの大泉の話』
ケーコタンの自伝に対する「返信」だが、モーさまは『少年の名はジルベール』を読んでいない。それどころか 「風と木の詩」(以降の作品)も未読なのだ。15年前に池袋ジュンク堂で 「萩尾望都ラララ書店」(2005~6)というモーさまの自選した本(マンガ、小説など)を店内の一劃に陳列するイヴェントがあった。ケーコタンの本が1冊もなかったことを奇異に思ったが、なるほど読んでいなければ選べないわけである。モーさまは巻末で大泉時代を回想して、《竹宮先生は苦しんでいた。私が苦しめていた。無自覚に。無神経に。だから、思い出したくないのです。忘れて封印しておきたいのです》と吐露している。もしそうならば「ジュン」をオフレコで批判したことを石森章太郎に謝罪した手塚治虫のように振舞うのが大人の対応なのではないかと思うけれど、萩尾望都は封印して沈黙した。どうすれば思い出したくない「記憶」を凍結することが可能なのか。悔悟の念に日々苛まれている身としては、忘れずに告白した竹宮惠子に共感してしまう。「凡人」 に「天才」のことは分からない?
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竹宮惠子と増山さんが萩尾望都を自宅マンションに呼びつけて、「小鳥の巣」は盗作ではないかと詰問した夜のことは2冊の自伝本の中では触れられていない。その理由は後述するが、一部の読者が「脅迫」と断じているのは違う。「脅迫」 は手段であって目的ではないからだ。2人は「小鳥の巣」の掲載を止めろとか、著作権料を払えと要求したわけではない。後日、萩尾望都のアパートを1人で訪れた竹宮惠子は「この間した話はすべて忘れてほしいの、全部、何も、なかったことにしてほしいの」と謝っている。前言を撤回したのだから、この経緯は自伝に書かなかったのだ。しかし、謝罪されても一度発せられて胸に突き刺さった言葉は消えない。帰り際に手渡された手紙(「距離を置きたい」 「近寄るな」 という内容)と共に萩尾望都を深く傷つけることになる。硝子細工のようにセンシティヴな萩尾望都の性格を思えば、他の意思伝達の仕方もあったはずなのに、身も心も追い詰められていた竹宮惠子に相手を慮る余裕はなかった。忘れずに告白した竹宮恵子は「解放」されたが、忘れて「封印」することにした萩尾望都(の記憶)はアデラド・リーのように冷凍保存されたままである。
萩尾望都との才能(天賦の才)の差に打ちのめされた竹宮惠子はスランプに陥って、体調まで崩してしまう。「大泉サロン」 での同居を解消して独立しようと決心する。下井草(東京都杉並区)を部屋を見つけていることを萩尾望都に話すと、「じゃあ、私も近くにしようかな」 と言う。「それは、いやだ」‥‥竹宮惠子の心の叫びだった。「トキワ荘」 の住人たちのようなライヴァル関係ならば互いに切磋琢磨すれば良いわけで、「距離を置く」 必要はない。婉曲な表現をしているが、事実上の 「絶交」(それ以来没交渉)である。竹宮恵子は萩尾望都のことが好きだったからこそ、身も心も彼女から遠く離れなければならなかった。ショックを受けた萩尾望都も貧血で倒れ、心因性視覚障害になってしまう。これは男女の恋愛〜破局に似ているような気もする。好きな人と決別しなければならないのは身を切るような痛みを伴う。今まで仲良く暮らしていたのに、一方的に「絶交」された萩尾望都は心外だったはずだ。なぜ竹宮恵子が豹変してしまったのか理解出来ない。竹宮恵子は和解したいと思っているようだが、萩尾望都は頑に拒否する。2人が大泉時代のように談笑する日は永遠に訪れない。
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萩尾望都が竹宮惠子の作品(「風と木の詩」 以降)を一切読んでない理由が分かった。読まなければ影響を受けないし、「排他的独占愛」に抵触することもない。双方の作品に似ているところがあったとしても、「盗作」 呼ばわりされる覚えはない。カラー・イラスト(4頁)、著者の「炎が煌めく瞬間を──文庫刊行によせて」を収録した文庫版『少年の名はジルベール』(2019)の「解説」 中で、サンキュータツオは『少女マンガ講義録』に竹宮惠子の名前が1度しか出て来ない「不在感」に言及しているけれど、そもそも萩尾望都は竹宮作品を読んでいないので、正当な評価も論評も出来ない。『一度きりの大泉の話』に収録されている 「ハワードさんの新聞広告」(31頁)の原作は池田いくみさんの投稿作品で、英ブライトン留学中の萩尾望都が1人で描いたという。巻末に収録されている「萩尾望都が萩尾望都であるために」は城章子がニュートラルな立場で書いている。愛読者が部屋の書棚に並べて置くべき本は上記の2冊ではなく、『扉はひらく いくたびも』と『一度きりの大泉の話』である。
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- 「朝日新聞の読書欄」(5/29)に『一度きりの大泉の話』の書評が掲載されました
- 『私の少女マンガ講義』と『扉はひらく いくたびも』は再録(一部加筆・改稿)です
- 『私の少女マンガ講義』(新潮社 2021)が文庫化されました(2021・7・1)
- 久しぶりに読み返して、誤植を校正し、一部に修正を施しました(2024・3・7)
thoma's heart / lampton is talking / be with moto / sf artworks / hagio moto's clan / moto and keiko / dreaming nina / sknynx / 992
- 著者:竹宮 惠子
- 出版社:小学館
- 発売日:2019/11/06
- メディア:文庫(小学館文庫)
- 目次:缶詰旅館 / 一人暮らし / 少年愛の美学 / 大泉サロン / 少女たちの革命 / 不満と焦り / 男の子、女の子 / ライフワーク / 悲観 / ヨーロッパ旅行 / 契約更新 / プロデューサーの仕事 / 新担当編集者 / 読者アンケート / 大学でマンガを教えるということ / 文庫刊行によせて / 解説 サンキュータツオ
- 著者:竹宮 惠子
- 出版社:小学館
- 発売日:2016/01/27
- メディア:単行本
- 目次:缶詰旅館 / 一人暮らし / 少年愛の美学 / 大泉サロン / 少女たちの革命 / 不満と焦り / 男の子、女の子 / ライフワーク / 悲観 / ヨーロッパ旅行 / 契約更新 / プロデューサーの仕事 / 新担当編集者 / 読者アンケート / 大学でマンガを教えるということ
- 著者:竹宮 惠子
- 出版社:中央公論新社
- 発売日:2021/03/20
- メディア:単行本
- 目次:刊行によせて / 戦後マンガの歴史と歩む / 子ども時代 / 漫画家への道 / 大泉サロン / 風と木の詩 地球へ‥ / 新たの境地を求めて / 大学、未来へ / あとがき
- 著者:萩尾 望都
- 出版社:河出書房新社
- 発売日:2021/04/21
- メディア:単行本
- 目次:前書き / 出会いのこと 1969年~1970年 / 大泉の始まり 1970年10月 / 竹宮惠子先生のこと / 増山さんと「少年愛」/『悲しみの天使(寄宿舎)』/『11月のギムナジウム』/ 1971年〜1972年 ささやななえこさんを訪ねる / 1972年『ポーの一族』/ 海外旅行 1972年9月 / 下井草の話 1972年末~1973年4月末頃 /『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月...
- 著者:萩尾 望都 / 矢内 裕子(聞き手・構成)
- 出版社:新潮社
- 発売日:2021/06/24
- メディア:文庫(新潮文庫)
- 目次:イタリアでの少女マンガ講義録『リボンの騎士』から『大奥』へ / 少女マンガの魅力を語る 読む・描く・生きる / 自作を語る『なのはな』から『春の夢』へ / 特別寄稿 ジョルジョ・アミトラーノ 萩尾望都氏との初対面
2021-06-01 00:05
コメント(4)
天才が二人。きっといろいろあったのでしょうね。
何もしらなかったので、ちょっとショックでした。
by ぶーけ (2021-06-01 22:01)
驚いたのはモーさまの自己評価が異常に低いこと。
世間の評価とは真逆で、自分のことを「ダメ人間」と書いています。
by sknys (2021-06-01 22:53)
あそび玉→地球へ
ハワードさんの新聞広告→ミスターの小鳥
妖精王のプック→イズァローン伝説のリカピ
自分だけ「オープンソースだから無罪」はあり得ないレベルで
かましてないかな
by ケーコたんさあ… (2021-11-29 17:50)
天賦の才と努力型の秀才。
ケーコタンには「モーさまに見透かされる」という焦りや怖れがあったんじゃないかな。
萩尾望都が竹宮作品を読んでいないというのもどうかと思います。
未読ならば影響されることも、「盗む」 こともないわけですが、
正当な評価も出来ないんじゃないかと‥‥。
「秘密の花園」のアーサーとパトリシアが2人に重なったりしませんか?
by sknys (2021-11-30 12:05)