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ユービック・ディック [b o o k s]


  • そして玄関ポーチでは、大きな黄色の牡猫も、前脚を胸の下にかかえこむようにして坐りこみ、ふたりの帰りを待っていた。「ジャックの猫なんです」マーシャがそういって、パースから家の鍵をとりだした。「餌をほしがっているんですわ」そして猫にいった。「なかに入りなさい、ニニー・ナムキャット。ここにいても餌はもられないわよ」/「かわった名前なんですね」ミス・リースがいささか不快そうにいった。「どうしてそんなふうに呼ぶんですの」/「莫迦だからですよ」ハミルトンがあっさりいってのけた。/「ジャックったら、どんな猫にもそんな名前をつけるんですよ」マーシャがいった。「まえの猫はパーナス・ナムプという名前でしたわ」/ うすぎたない大きな牡猫が立ちあがり、ポーチの下にとびおりた。そしてハミルトンににじりより、ハミルトンの足に体をこすりつけた。ミス・リースが嫌悪もあらわにあとずさった。「あたし、猫はだめなんです」正直にいった。「こそこそして、なにをするかわからないんですもの」
    フィリップ・K・ディック 「虚空の眼」

  • 「われわれにはワクチンが必要です」とメクノス人がいった。/「針路をはずれないようにしてください」/ 猫のノーマンが悠揚迫らざる態度で操縦装置のそばを漂い、前足をのばしたかと思うと、でたらめにボタンを叩いた。押しこまれた二個のボタンがかすかなビープ音を奏で、船はまた針路を変えた。/ 「犯人はおまえか」 とベドフォードはいった。「エイリアンの前で、よくも恥をかかせてくれたな。異星人の知性を向こうにまわして、こっちはまるで阿呆みたいじゃないか」 ベドフォードは猫の首をつかむと、ぎゅっと力をこめた。/ 「いまの奇妙な音はなんですか?」メクノス人オペレーターがたずねた。「泣いているような」 / ベドフォードはおだやかな口調で、「泣くようなものは、もうなにもない。忘れてくれ」 といって回線を切り、猫の死体を廃棄用シューターに運んで、船外に排出した。/ 数分後、シータ室にもどった彼は、またまどろみはじめた。今回は、設定した針路に干渉する者はなかった。ベドフォードはつつがなく眠りつづけた。
    フィリップ・K・ディック 「猫と宇宙船」

  • ハミルトンがそれを目にしたのは、まえに進んでマーシャを抱いたときのことだった。その光景はハミルトンの脳に焼きつき、目を閉じて妻をキッチンからひきずりだしたことで消え去った。ハミルトンは片手をマーシャの口にあて、悲鳴がほとばしるのをふせぎながら、意思の力をすべてつかって、自分も悲鳴をあげないよう、感情をおさえようとした。/ ミス・リースは猫がきらいだったのだ。猫をこわがっていた。猫は彼女の敵だった。/ 床にあるのはニニー・ナムキャットだった。内側と外側を反転させられていた。しかしそれでも生きていた。もつれあった塊はまだ機能している内臓器官だった。ミス・リースの仕業だった。ニニー・ナムキャットが逃げだすことも許さなかったのだ。震え、脈打ち、ぬれて輝く骨と臓器の小さな塊が、目に見えないながらも、キッチンの床を波うちながら進んでいた。ゆっくりした着実な前進はしばらくまえからはじまっていたのだろう。おそらくミス・リースの世界が存在するようになってからずっと。グロテスクな塊は、三時間半にわたって、蠕動のようなうねりによって、キッチンのなかほどまで進んでいた。
    フィリップ・K・ディック 「虚空の眼」

  • ▢ 宇宙の眼(早川書房 2014)フィリップ・K・ディック
  • 1959年10月2日、米カリフォルニアのベルモントにあるベヴァトロン陽子ビーム偏向装置が暴走して観察台を焼き尽くし、電子工学者ジャック・ハミルトンと妻のマーシャを含む見学者たちとガイドの8人が装置のある床に落下してしまう。奇蹟的に8人の命に別条はなかったが、病院で意識を取り戻したジャックは漠然とした違和感に捉われる。そこは「第二バーブ教」という宗教に支配された奇怪な世界だった。7人は意識を取り戻した1人の脳内世界に囚われてしまったのだ。彼らは退役軍人アーサー・シルヴェスターの意識を失わせて狂信的な異教神が支配する世界から脱出するが、まだ悪夢は終わらない。7人はヴィクトリア朝の道徳観に凝り固まったイーディス・プリチェット婦人、狂暴で病的な独身女性ジョーン・リース、共産主義社会を夢想する保安責任者マクファイフの幻想世界を次々と彷徨うことになる。8人は現実世界へ無事に還って来られるのか。ジャックの飼い猫ニニー・ナムキャットちゃんの運命は?

  • ▢ ユービック(早川書房 1978)フィリップ・K・ディック
  • 1992年6月5日夜、太陽系最高のテレパス、S・ドール・メリポーニが失踪した。消えた超能力たちは月(ルナ)に集結しているという。良識機関ランシター合作社の経営者グレン・ランシターはテスト技師のジョー・チップと11人の不活性者(超能力を無効化する)を月へ派遣するが、それは依頼人スタントン・ミックが仕掛けた巧妙な罠だった。ミックを装ったヒューマノイド型爆弾が破裂してランシターが殺されてしまう。ジョーたちは無事に地球へ生還したが、彼らの身に不可解な「時間退行現象」が起こる。何もかもが古色蒼然として行く。不活性者も次々と干涸びて死ぬ。ユービックだけが退化を止める唯一の特効薬だった。ところが現実は真逆だった!‥‥透明なプラスチックの棺の中で冷凍保存されている半生者はランシターではなく、ジョーと11人の不活性者たちの方だったのだ。1939年まで退行した世界は半死者ジョリー・ミラーが創り出したものだった。ランシターがジョーにメッセージを送り、妻のエラ(半生者)が救いの手を差し伸べるが‥‥。

  • ▢ 死の迷路(早川書房 2016)フィリップ・K・ディック
  • 仲裁神、導製神、地を歩む者、形相破壊者が実在する全神学大系世界。宇宙船の積荷の在庫管理人ベン・トールチーフ、海洋生物学者のセス・モーリーとメアリー夫妻は異動辞令で惑星デルマク・Oに派遣される。ベンとセス夫妻が飛行艇ノーザーを操縦して赴任地に相次いで到着すると、先任者たちが彼らを出迎えた。言語学者、神学者、医師、心理学者など‥‥全員が揃ったところで、入植地設立の概要が報じられることになっていたが、西惑星間連合のトリアトン将軍の通信は途切れてしまう。外界へのアクセスを一切遮断されて辺境の惑星に取り残された男女14人(1人の経済学者が遅れて来る)。監視用の昆虫、歌う人工蠅、巨大なビルとミニチュア・ビル、複製を作るテンチが生息するデルマク・Oで、14人の入植者が次々と殺されて行く。SF版「そして誰もいなくなった」‥‥それはペルサス9号の乗組員の脳重合意識が創り出した夢幻世界だった。20年の航行中の気晴し用に開発された玩具だったが、操縦不能の事故によって、彼らの正気を保つための逃避用ツールとなっていたのだ。

  • ▢ 時は乱れて(早川書房 2014)フィリップ・K・ディック
  • 妹夫婦と同居してるレイグル・ガムは定職に就いていないが、ガゼット紙の懸賞パズル〈火星人はどこへ?〉の常勝者で、2年間に渡って勝ち続けている全国チャンピオンだった。しかし彼は時々現実感を喪失する奇妙な体験に悩まされていた。妹マーゴの息子サミーが遊び場にしている近所の空き地で見つけて来た紙片と古い電話帳と古雑誌‥‥不思議なことにグラヴィアに載っていたブロンド女優マリリン・モンローの名前をレイグルもマーゴも夫(義弟)のヴィックも聞いたことがなかった。隣人のビル・ブラックの言動も信用ならない。サミーが造った鉱石ラジオが傍受した通信から、自分が上空から環視されていると感じたレイグルは町から脱出しようとする。ピックアップトラックを運転してハイウェイ・パトロールの追尾から逃れ、山道を登って民家に辿り着く。裏口のスペースに積み上げられた新聞と雑誌‥‥レイグルが手にした新聞の日付は1959年ではなく、1997年5月10日だった。彼は未来へタイム・スリップしたのか、それとも過去へ時間遡行していたのか?

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  • ▢ アンドロイドは電気羊の夢をみるか?(早川書房 1977)フィリップ・K・ディック
  • 最終世界大戦後、死の灰(放射能物質)に汚染された地球。米サンフランシスコの高層集合住宅に住むリック・デッカード刑事は去年、破傷風で死んでしまった羊のグルーチョの代わりに屋上で電気羊を飼っている。リックは植民惑星の火星から逃亡して来たアンドロイドの懸賞金で本物の動物を購入しようと決心する。生きた動物を所有していることがステータスになっていたからだ。植民星への移住者には国連からアンドロイド1体が無料貸与される。リックは地球に逃げて来た6人のアンドロイドを廃棄処理するため、瀕死の重傷を負ったデイヴ・ホールデンの代わりにバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)となる。ネクサス6型脳ユニットのアンドロイドはフォークト=カンプフ感情移入度検査法で識別出来た。世界警察機構の刑事カダリイに成り済ましたマックス・ポロコフ、ガーランド警視、女性オペラ歌手のルーバ・ラフト‥‥アンディーに感情移入したリックは自問する。同業のフィル・レッシュよりも、ルーバの方が人間らしかったのではないかと。

    廃墟と化した巨大ビルの一室で暮らすJ・R・イジドアはヴァン・ネス動物病院(模造動物修理店)の集配トラック運転手だった。たった独りのコナプトの住人だったが、階下の空き部屋に1人の女性プリス・ストラットンが入居して来る。イジドアは彼女に好意を寄せて世話を焼く。しかし彼は結婚も移住も出来ない「マル特のピンボケ」だった。肺炎に罹った猫を動物病院へ搬送する途中で死なせてしまう。ピルゼン夫妻の飼い猫ホレースは電気猫ではなく、本物の猫だった。2週間分の給料を前借りして、闇市の食料品屋で仕入れた天然食品(豆腐と熟れた桃とチーズ)とアメリカ銀行の安全金庫に保管していたシャブリ・ワインでプリスを元気づけようとする。彼女の部屋で食事をしていると、男女が訪ねて来た。ロイ&アームガード・ベイティー夫妻はプリスの仲間だった。彼らは火星から地球へ逃げて来た8人のアンドロイドの生き残りだった。リックがアンディーの潜伏先を突き止める。ブリスはネクサス6型脳ユニットを開発したローゼン協会のレイチェル・ローゼンと瓜二つだった。

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    「宇宙の眼」は被災後に意識を取り戻した1人の脳内世界、「ユービック」は棺に冷凍保存されている半生者の創った退行世界、「死の迷路」は宇宙船乗組員たちの脳重合意識が創り上げた夢幻世界、「時は乱れて」は特殊能力を持つ男のために造られた偽りの世界だった。陽子ビーム偏向装置の暴走事故、ヒューマノイド型爆弾の破裂、遭難した宇宙船内の逃避用ヴァーチャル・リアリティ、古き良き50年代への退行‥‥SF的な設定やガジェットは異なっているが、狂った内部世界に囚われた登場人物たちという観点からは同工異曲のようにも読める。ミス・リースに反転されたニニー・ナムキャットのようなグロテスクで奇怪な世界は裏を返せば現実への異和感や不審感などの反映ともいえる。この世界は本当に存在しているのか?‥‥という疑念を拭い去れない。現実の世界に戻ったジャック・ハミルトンはビル・ロウズやプリチェット夫人と新事業を起こす。ジョー・チップは半生者として退行世界を生き続ける。セス・モーリーは仲裁神に導かれて宇宙船から姿を消す。記憶を取り戻したレイグル・ガムは月へ向かう。

    『宇宙の眼』(早川書房 1959)は日本で最初に翻訳されたフィリップ・K・ディックの長編小説だが、何故か長らく文庫化されていなかった。当時鳴り物入りで創刊されたサンリオSF文庫(1978~87)に翻訳権を取られてしまったからだった。「版権取得ずみであっていも出版期限が切れていた作品」に『宇宙の眼』も含まれていたのだ。『虚空の眼』というタイトルでサンリオSF文庫から出版されたのは1986年のこと。ところが約1年後にサンリオは出版事業からの完全撤退してしまう。1991年に創元推理文庫から復刊したものの品切れ状態になっていた。『宇宙の眼』がハヤカワ文庫に入ったのは55年後の2014年のことだった。この経緯は文庫版『宇宙の眼』の解説と『サンリオSF文庫総解説』(本の雑誌社 2014)の「あとがき」に詳しい。サンリオSF文庫『時は乱れて』(1978)も36年ぶりに復刊。同じく『死の迷宮』(1979)は『死の迷路』(1989)というタイトルの新訳で創元推理文庫から出た後、2016年に再文庫化された。

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    • 便宜上「宇宙の眼」としましたが、通読したのは「虚空の眼」(1991)の方です

    • 最終節の「虚空の眼」は〈スニーズ・ラブ〉から再録しました(一部加筆・改稿)
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    宇宙の眼

    宇宙の眼

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 中田 耕治(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:2014/09/25
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 1975)
    • 解説:「非現実への不安」 を小説化したディックの出世作・牧 眞司


    ユービック

    ユービック

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 浅倉 久志(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:1978/10/01
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 314)
    • 目次:ユービック / 訳者あとがき


    死の迷路

    死の迷路

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 山形 浩生(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:2016/05/24
    • メディア: 文庫(ハヤカワ文庫 SF 2070)
    • 目次:著者まえがき / 死の迷路 / 訳者あとがき / ハヤカワ文庫版/訳者あとがき


    時は乱れて

    時は乱れて

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 山田 和子(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:2014/01/10
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 1937)
    • 解説:WHAT HE WAS REALLY DOING・高橋 良平


    アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

    アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

    • 著者:フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)/ 浅倉 久志(訳)
    • 出版社:早川書房
    • 発売日:1977/03/01
    • メディア:文庫(ハヤカワ文庫 SF 229)
    • 目次:アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / 訳者あとがき

    タグ:SF Books pkd
    コメント(2) 

    コメント 2

    モバサム41

    あら、「宇宙の眼」ですか? 被りましたね。じゃあ、こちらは次、ウィリアム・ギブスン「ニュー・ロマンサー」です。
    by モバサム41 (2018-04-12 00:19) 

    sknys

    モバサムさんの記事なのか、西田藍なのか、ネコ(PKDは大の猫好き)
    なのかは分かりませんが、
    「虚空の眼」を読んで、フィリップ・K・ディックに嵌まっちゃいました。
    by sknys (2018-04-12 01:29) 

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