僕もポロックじゃない。 [a r t]
ジョン・ハスケル 「僕はジャクソン・ポロックじゃない。」
東京国立近代美術館(MOMAT)が開館60周年を迎えるとのことで、色々な記念企画が行なわれている。「60周年記念サイト」、記念手帳(日替わり4種)の無料配布、記念切手の発行、誕生日無料観覧(2012.2.3~2013.1.14)‥‥誕生日が運悪く休館日に当たっていなければ、すべての展覧会をタダで鑑賞できる(要証明)。もし、あなたの誕生日が〈ジャクソン・ポロック展〉(2012.2.10~5.6)の開催期間中にあるのならば、「Happy Birthday! お誕生日おめでとうございます 開館60周年記念」というスタンプが押されたチケットをプレゼントしてくれるのだ。奇しくもジャクソン・ポロック(Jackson Pollock 1912-1956)の生誕100年という節目の開館60周年記念展。4つのセクションから構成された約70点を展示する日本初の回顧展。「ポロック以前」をモダン・アート、「ポロックの時代および、ポロック以後」をコンテンポラリー・アートと呼ぶそうだから、MOMATよりも東京都現代美術館(MOT)で開催される方が相応しいような気もするけれど。
● chapter 1|1930-1941年|初期 自己を探し求めて
ジャクソン・ポロックはキャリアの始めから抽象画を描いていたわけではない。赤と白の外枠の中にムンク風の少年の顔が描かれている自画像〈無題〉(1930-33?)は、1927年にリー・ユーディングが撮ったカウボーイ姿の「ポロック少年」(15歳)とは余りにも懸け離れている。6人の家族と中央に君臨する母親ステラを描いたという〈女〉(1930-33?)も禍々しく気味悪い。ミレーの農夫たちを想わせる〈綿を摘む人たち〉(1935?)、月夜に馬に乗って移動する男を寓話風に描いた〈西へ〉(1934-35)。〈頭蓋骨のあるアーチの前でひざまづく人物像〉(1934-38?)や〈無題、蛇の仮面のある構成〉(1938-41?)の緑や極彩色の歪んだフォルムはマックス・エルンストやアンドレ・マッソンの猥雑なシュルレアリスム絵画を想わせるし、骸骨や蛇、仮面、シャーマン、トーテムなどにはメキシコ壁画やインディアン・アートなどプリミティヴ絵画の影響が窺われる。カラフルなタイルのモザイク〈無題〉(1938-41)。「アメリカ・フランス絵画」展(1942.1.20~2.6)に出品された〈誕生〉(1941)はピカソや「ナヴァホ族の砂絵」の影響が色濃く反映されているという。
ポーリング(pouring)、あるいはドリッピング(dripping)とは枠に張られていないカンヴァスを床に鋲で留め、エナメルやアルミニウムなどの工業塗料を撒き散らしたり滴らせたりする技法である。カンヴァスの中に入って無意識裡に絵を描くというジャクソン・ポロックが発明した作画法には目を奪われるが、広く世に知れ渡ってしまえばデッサン力やドローイング技術に乏しい子供にも可能な方法であることに気づく。広いアトリエで制作されたポロックのような大作は無理だとしても、テーブルの上で描ける小さなサイズならば誰でも簡単に試みることが可能だ。必要なのは絵画的なテクニックではなく、繊細な色彩感覚と全体を俯瞰出来る構成力だろうか。苦悩する晩年のポロックが妻のリー・クラズナーに自作を見せて、「これは絵なのだろうか?」と訊ねたという有名なエピソードはコンテンポラリー・アートに対する根源的な問いかけでもある。
● chapter 2|1942-1946年|形成期 モダンアートへの参入
黒地にモスグリーンや青、赤、白などの曲線やフォルムで構成された〈ポーリングのある構成 II〉(1943)。青地に赤や黄、白、黒の描かれた〈ブルー(白鯨)〉(1943)はジョアン・ミロやカンディンスキーの半抽象絵画を彷彿させる。グレー地にカット・アウトされた黒いシルエットが影のように浮かび上がる〈トーテム・レッスン 2〉(1945)。薄いグリーン地に黄色い月や白、黒、赤、青色を配した〈月の器〉(1945)。パステルカラーの明るい色調に魅了される〈星座〉(1946)‥‥シュルレアリスムやキュビスムの影響下から脱却しようとする過渡期、徐々に抽象表現主義に向かって進んで行くポロックの変遷が辿れる。その後、時代の寵児となり、ある意味でアメリカン・ドリームを体現したポロックの実像は必ずしもカッコ良い芸術家やスーパースターではなかった。咥えタバコでペンキ缶と刷毛(スティック)を手に持ち、床のカンヴァスを彷徨くアルコール依存症のハゲ男だった。
レオンハルト・エマリング 「ジャクソン・ポロック」
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ジャクソン・ポロックは1912年1月28日、米ワイオミング州コディに生まれた。5人兄姉の末弟で、生後10カ月に満たないうちに家族はカリフォルニア州サンディエゴ近郊のナショナル・シティへ移住する。その後、何度も引っ越しを繰り返す。西部開拓者やアメリカン・カウボーイ‥‥ポロック少年は「乱暴で粗野なワイルド・ウエストの精神」を体現して行く。兄たちと訪れたネイティヴ・アメリカン指定居住地で見たインディアンの絵画。NYアート・スチューデンツ・リーグに入学するものの、過度の飲酒によって退学処分となる。LAのマニュアル・アーツ・ハイスクールで抽象芸術や神智学などを学ぶ。シケイロスやオロスコなどメキシコ壁画画家たち、度重なる退学やアルコール依存症の精神医学的な治療、ユングの集合的無意識やシュルレアリスムのオートマティスム、キュビスム時代のピカソ、ジョアン・ミロ、パウル・クレーなど‥‥多感な思春期の体験が後のポロックに与えた影響は少なくない。
ジャクソン・ポロックの前に2人の女性が現われる。「アメリカ・フランス絵画」展にポロックと共に出品していた若き女流画家リー・クラズナー(Lee Krasner 1908-84)。ポロックの作品に興味を抱いた彼女は同棲生活を経た後、1945年10月25日に結婚する。もう1人の女性はソロモン・R・グッケンハイムの姪で、現代アート・コレクターの第一人者ペギー・グッケンハイム(Peggy Guggenheim 1898-79)だった。1941年、ロンドンからNYへ渡った彼女は画廊を開く。目利きのペギーもマルセル・デュシャンの意見を聞くまではポロックと会うことを躊躇っていたというのだから面白い。2人の女性の仲は決して良くなかったという。イヴ・タンギーやマックス・エルンストなどと同じく、クラズナーはグッケンハイムがポロックを誘惑しようとしていると思っていたからだった。1945年11月初旬、NYからロングアイランドの新居に移ったポロック夫妻は納屋をアトリエに改装する。そこで「アクション・ペインティング」の大作の殆どが制作されることになるのだ。
● chapter 3|1947-1950年|成熟期 革新の時
いわゆるジャクソン・ポロック風の「アクション・ペインティング」が炸裂・爆発する黄金期。ポーリングによる黄土色、白、黒の抽象模様がクモの巣状にオールオーヴァした〈ナンバー 11、1949〉。黒地に緑、白、赤、黄色のポーリングが際立つ〈ナンバー17、1950 花火〉。横長のカンヴァスに緑、赤、黒、白、黄色のポーリングが咲き乱れる〈ナンバー 25、1950〉。2006年、絵画史上最高額の165億円で売買されたという〈インディアンレッドの地の壁画〉(1950)は赤地に白、黒、黄、銀色などのポーリングが動的に重なり合う奥行き感のある大作である。第3回読売アンデパンダン展(1951)に出品されたことで話題になったという〈ナンバー 7、1950〉は横長のカンヴァスに白、黒、黄色のポーリングで右から左に回転して行く動きを与えている。カンヴァスの中に人型を切り抜いた〈カット・アウト〉(1948-58)。真っ黒い抽象模様が横に5つ並ぶ〈黒と白の連続〉(1950?)‥‥。
● chapter 4|1951-1956年|後期・晩期 苦悩の中で
自己のスタイルを模倣することを潔しとしなかったのか、ジャクソン・ポロックは「ブラック・ペインティング」と呼ばれることになる、かつてのプリミティヴな形式へと回帰して行く。その中でも〈ナンバー 7、1950〉と同じくアンデパンダン展で公開された〈ナンバー 11、1951〉やグリーン色や白や黒が海や波を連想させる〈緑、黒、黄褐色のコンポジション〉(1951)などには思わず惹き込まれるような臨場感がある。アトリエ内で制作中のポロックと青空を背景にして透明なガラス板にポーリングするポロックを真下から撮ったハンス・ネイムスによる映像(1951)が会場内で上映されていた。ポロックの死亡記事の載った新聞を最後に会場を後にすると、彼のアトリエが再現されていた(撮影可)。The Stone Rosesの《デビュー・アルバム》(1989)やUnderworldの《Second Toughest In The Infants》(1996)を挙げるまでもなく、ポロック風の抽象絵画は今日でも色褪せることなくポップ・ワールドに広く浸透している。
ダニエル・ウィグル 「ポロック」
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- 「開館60周年 記念手帳」のカヴァ・デザインはジャクソン・ポロック、原弘、岸田劉生、上村松園の4種類(残部少!)
- 引用文の中の固有名詞(クラズナー)や美術用語(ポーリング)などを統一しました
i am not jackson pollock / sknynx / 388
- 著者:レオンハルト・エマリング(Leonhard Emmerling)/ Reiko Watanabe(訳)
- 出版社:タッシェン
- 発売日: 2006/09/10
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- 目次:「ある種の芸術家‥‥ / 理想と影響 / 男と女 /「ゴシック的で、憂鬱で、過激だ」/「絵との容易なやり取り」/ 呪われた芸術家、それともアメリカのプロメテウス? / 年譜
- 著者:ジョン・ハスケル(John Haskell)/ 越川芳明(訳)
- 出版社:白水社
- 発売日:2005/08/10
- メディア:単行本
- 収録作品:僕はジャクソン・ポロックじゃない。/ 象の気持ち / サイコの判断 / ジャンヌ・ダルクの顔 / キャプシーヌ / 六つのパートからなるグレン・グールド / 素晴しい世界 / 真夜 中の犯罪 / 奥の細道
- 著者:イネス・ジャネット・エンゲルマン(Ines Janet Engelmann)/ 杉山 悦子(訳)
- 出版社:岩波書店
- 発売日: 2009/07/17
- メディア:大型本
- 目次:予期せぬ訪問者 / レナ・クラスナーからリー・クラズナーへ /「僕はある種のアーティストになると思う」/ 創作上の共犯関係 / 最後通牒と田舎への移住 / 田舎暮らしの芸術家としての新たな出発 / その上にヴェールを描く:ポロックのドリッピング / ポロックは「アメリカにおける最高の現存画家なのか」/ 想像力の秘密:ポロックの衰退、クラズナーの成長 /「私は彗星のしっぽに掴まっていた」
2012-05-21 18:02
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