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僕もポロックじゃない。 [a r t]



  • かれはどこかに戻りたかった。元に戻らねばならないと感じて、愛車に乗り込んだ。緑色のオールズモービルのコンヴァーティブルを運転した。ロングアイランドのA地点にいて、同じ島のB地点へ辿りつきたかった。かれは車に乗り込んだ。1人ではなかった。ルースが一緒だった。彼女はニューヨークから友達を1人連れてきていた。イーディスといった。3人は車でパーティに出かけるところだった。ジャクソンはその日、昼間からずっと飲みつづけていた。おそらく乱暴な運転だったのだろう、イーディスは後部席で悲鳴をあげて、引き返すようにいっていた。運転できるのはかれだけだった。助手席には凍りついたように動かない女性が1人、後部席には悲鳴をあげているもう1人の女性がいた。かれは決断力があるといわれていて、その場で評判の決断力をしめしたかった。かれはいまの状態を変えたかった。首を横に振って、すべてを頭から払いのけて、初めからやり直したかった。
    ジョン・ハスケル 「僕はジャクソン・ポロックじゃない。」


  • 東京国立近代美術館(MOMAT)が開館60周年を迎えるとのことで、色々な記念企画が行なわれている。「60周年記念サイト」、記念手帳(日替わり4種)の無料配布、記念切手の発行、誕生日無料観覧(2012.2.3~2013.1.14)‥‥誕生日が運悪く休館日に当たっていなければ、すべての展覧会をタダで鑑賞できる(要証明)。もし、あなたの誕生日が〈ジャクソン・ポロック展〉(2012.2.10~5.6)の開催期間中にあるのならば、「Happy Birthday! お誕生日おめでとうございます 開館60周年記念」というスタンプが押されたチケットをプレゼントしてくれるのだ。奇しくもジャクソン・ポロック(Jackson Pollock 1912-1956)の生誕100年という節目の開館60周年記念展。4つのセクションから構成された約70点を展示する日本初の回顧展。「ポロック以前」をモダン・アート、「ポロックの時代および、ポロック以後」をコンテンポラリー・アートと呼ぶそうだから、MOMATよりも東京都現代美術館(MOT)で開催される方が相応しいような気もするけれど。

    ● chapter 1|1930-1941年|初期 自己を探し求めて
    ジャクソン・ポロックはキャリアの始めから抽象画を描いていたわけではない。赤と白の外枠の中にムンク風の少年の顔が描かれている自画像〈無題〉(1930-33?)は、1927年にリー・ユーディングが撮ったカウボーイ姿の「ポロック少年」(15歳)とは余りにも懸け離れている。6人の家族と中央に君臨する母親ステラを描いたという〈女〉(1930-33?)も禍々しく気味悪い。ミレーの農夫たちを想わせる〈綿を摘む人たち〉(1935?)、月夜に馬に乗って移動する男を寓話風に描いた〈西へ〉(1934-35)。〈頭蓋骨のあるアーチの前でひざまづく人物像〉(1934-38?)や〈無題、蛇の仮面のある構成〉(1938-41?)の緑や極彩色の歪んだフォルムはマックス・エルンストやアンドレ・マッソンの猥雑なシュルレアリスム絵画を想わせるし、骸骨や蛇、仮面、シャーマン、トーテムなどにはメキシコ壁画やインディアン・アートなどプリミティヴ絵画の影響が窺われる。カラフルなタイルのモザイク〈無題〉(1938-41)。「アメリカ・フランス絵画」展(1942.1.20~2.6)に出品された〈誕生〉(1941)はピカソや「ナヴァホ族の砂絵」の影響が色濃く反映されているという。

    ポーリング(pouring)、あるいはドリッピング(dripping)とは枠に張られていないカンヴァスを床に鋲で留め、エナメルやアルミニウムなどの工業塗料を撒き散らしたり滴らせたりする技法である。カンヴァスの中に入って無意識裡に絵を描くというジャクソン・ポロックが発明した作画法には目を奪われるが、広く世に知れ渡ってしまえばデッサン力やドローイング技術に乏しい子供にも可能な方法であることに気づく。広いアトリエで制作されたポロックのような大作は無理だとしても、テーブルの上で描ける小さなサイズならば誰でも簡単に試みることが可能だ。必要なのは絵画的なテクニックではなく、繊細な色彩感覚と全体を俯瞰出来る構成力だろうか。苦悩する晩年のポロックが妻のリー・クラズナーに自作を見せて、「これは絵なのだろうか?」と訊ねたという有名なエピソードはコンテンポラリー・アートに対する根源的な問いかけでもある。

    ● chapter 2|1942-1946年|形成期 モダンアートへの参入
    黒地にモスグリーンや青、赤、白などの曲線やフォルムで構成された〈ポーリングのある構成 II〉(1943)。青地に赤や黄、白、黒の描かれた〈ブルー(白鯨)〉(1943)はジョアン・ミロやカンディンスキーの半抽象絵画を彷彿させる。グレー地にカット・アウトされた黒いシルエットが影のように浮かび上がる〈トーテム・レッスン 2〉(1945)。薄いグリーン地に黄色い月や白、黒、赤、青色を配した〈月の器〉(1945)。パステルカラーの明るい色調に魅了される〈星座〉(1946)‥‥シュルレアリスムやキュビスムの影響下から脱却しようとする過渡期、徐々に抽象表現主義に向かって進んで行くポロックの変遷が辿れる。その後、時代の寵児となり、ある意味でアメリカン・ドリームを体現したポロックの実像は必ずしもカッコ良い芸術家やスーパースターではなかった。咥えタバコでペンキ缶と刷毛(スティック)を手に持ち、床のカンヴァスを彷徨くアルコール依存症のハゲ男だった。

  • ポロックの線抽象画の発展にとってもっとも重要だったのは、1940年代末にしばしば批評で関連性を指摘されていたカンディンスキーよりも、既述のフランス人シュルレアリスト、アンドレ・マッソンだった。マッソンの影響は、1958年に刷られた〈剥奪〉(1941)のようなエッチングに如実に現われている。今やポロックが独占的にさらに効果的に使用始めたドリッピングやポーリングの技法は、かつては彼に限らず、他のアーティストたちにも用いられていた。既出のシケイロスは別として、〈聖母像〉(1917)で紙にインクを吹き散らしたフランシス・ピカビアや、〈若い男は非ユークリッドの羽で飛ぶと安心する〉(1942/47)で絵の具を滴らせたマックス・エルンストもそうだった。ハンス・ホフマンも1940年代以降、ドリッピングやポーリングを試していた。ホフマンの〈春〉(1940)はポロックの1943年の〈ポーリングのある構成 II〉に極似しているため、リー・クラズナーの発言とは矛盾するが、ポロックがこの絵を知らなかったとは考えにくい。さらに重要な先駆者は、ポロックが知っていたアルメニア生まれのシュルレアリスト、アーシル・ゴーキーだった。
                     レオンハルト・エマリング 「ジャクソン・ポロック」

  •                     *

    ジャクソン・ポロックは1912年1月28日、米ワイオミング州コディに生まれた。5人兄姉の末弟で、生後10カ月に満たないうちに家族はカリフォルニア州サンディエゴ近郊のナショナル・シティへ移住する。その後、何度も引っ越しを繰り返す。西部開拓者やアメリカン・カウボーイ‥‥ポロック少年は「乱暴で粗野なワイルド・ウエストの精神」を体現して行く。兄たちと訪れたネイティヴ・アメリカン指定居住地で見たインディアンの絵画。NYアート・スチューデンツ・リーグに入学するものの、過度の飲酒によって退学処分となる。LAのマニュアル・アーツ・ハイスクールで抽象芸術や神智学などを学ぶ。シケイロスやオロスコなどメキシコ壁画画家たち、度重なる退学やアルコール依存症の精神医学的な治療、ユングの集合的無意識やシュルレアリスムのオートマティスム、キュビスム時代のピカソ、ジョアン・ミロ、パウル・クレーなど‥‥多感な思春期の体験が後のポロックに与えた影響は少なくない。

    ジャクソン・ポロックの前に2人の女性が現われる。「アメリカ・フランス絵画」展にポロックと共に出品していた若き女流画家リー・クラズナー(Lee Krasner 1908-84)。ポロックの作品に興味を抱いた彼女は同棲生活を経た後、1945年10月25日に結婚する。もう1人の女性はソロモン・R・グッケンハイムの姪で、現代アート・コレクターの第一人者ペギー・グッケンハイム(Peggy Guggenheim 1898-79)だった。1941年、ロンドンからNYへ渡った彼女は画廊を開く。目利きのペギーもマルセル・デュシャンの意見を聞くまではポロックと会うことを躊躇っていたというのだから面白い。2人の女性の仲は決して良くなかったという。イヴ・タンギーやマックス・エルンストなどと同じく、クラズナーはグッケンハイムがポロックを誘惑しようとしていると思っていたからだった。1945年11月初旬、NYからロングアイランドの新居に移ったポロック夫妻は納屋をアトリエに改装する。そこで「アクション・ペインティング」の大作の殆どが制作されることになるのだ。

    ● chapter 3|1947-1950年|成熟期 革新の時
    いわゆるジャクソン・ポロック風の「アクション・ペインティング」が炸裂・爆発する黄金期。ポーリングによる黄土色、白、黒の抽象模様がクモの巣状にオールオーヴァした〈ナンバー 11、1949〉。黒地に緑、白、赤、黄色のポーリングが際立つ〈ナンバー17、1950 花火〉。横長のカンヴァスに緑、赤、黒、白、黄色のポーリングが咲き乱れる〈ナンバー 25、1950〉。2006年、絵画史上最高額の165億円で売買されたという〈インディアンレッドの地の壁画〉(1950)は赤地に白、黒、黄、銀色などのポーリングが動的に重なり合う奥行き感のある大作である。第3回読売アンデパンダン展(1951)に出品されたことで話題になったという〈ナンバー 7、1950〉は横長のカンヴァスに白、黒、黄色のポーリングで右から左に回転して行く動きを与えている。カンヴァスの中に人型を切り抜いた〈カット・アウト〉(1948-58)。真っ黒い抽象模様が横に5つ並ぶ〈黒と白の連続〉(1950?)‥‥。

    ● chapter 4|1951-1956年|後期・晩期 苦悩の中で
    自己のスタイルを模倣することを潔しとしなかったのか、ジャクソン・ポロックは「ブラック・ペインティング」と呼ばれることになる、かつてのプリミティヴな形式へと回帰して行く。その中でも〈ナンバー 7、1950〉と同じくアンデパンダン展で公開された〈ナンバー 11、1951〉やグリーン色や白や黒が海や波を連想させる〈緑、黒、黄褐色のコンポジション〉(1951)などには思わず惹き込まれるような臨場感がある。アトリエ内で制作中のポロックと青空を背景にして透明なガラス板にポーリングするポロックを真下から撮ったハンス・ネイムスによる映像(1951)が会場内で上映されていた。ポロックの死亡記事の載った新聞を最後に会場を後にすると、彼のアトリエが再現されていた(撮影可)。The Stone Rosesの《デビュー・アルバム》(1989)やUnderworldの《Second Toughest In The Infants》(1996)を挙げるまでもなく、ポロック風の抽象絵画は今日でも色褪せることなくポップ・ワールドに広く浸透している。

  • リー・クラズナーは、ポロックの墓標は通常の墓石ではなく、大きな石を用いてほしいと要望した。のちにクラズナーが亡くなった時には、ポロックのより小さな岩が、彼女自身の墓標に用いられた。クラズナーの墓石は、生前彼女が甥の前で素敵だと言ったことのある岩である。デボラ・ソロモンによるポロックの伝記は、その岩についての次のような一節をもって終わっている。「それはありふれた岩である。地面からほんの30センチほど出ているだけで、巨大なポロックの墓石のそばにあって、かろうじて目に付く程度である。亡くなってなおリーはポロックの名声を高め続けている」。/ マイケル・ギンズバーグの小説では、ある美術批評家がポロックとクラズナーの墓地に行き、そこでポロックの最大の画家友達にしてライバルだったウィレム・デ・クーニングに出会うという設定になっている。作中のデ・クーニングはこう言う。「リーはポロックの足元に埋葬された。‥‥彼女は永遠にうんざりさせられることだろう」。
                              ダニエル・ウィグル 「ポロック」

  •                     *
    • 「開館60周年 記念手帳」のカヴァ・デザインはジャクソン・ポロック、原弘、岸田劉生、上村松園の4種類(残部少!)

    • 引用文の中の固有名詞(クラズナー)や美術用語(ポーリング)などを統一しました
                        *




    ジャクソン・ポロック展

    ジャクソン・ポロック展

    • アーティスト:ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock 1912-1956)
    • 会場:東京国立近代美術館
    • 会期:2012/02/10 - 05/06
    • メディア:絵画・版画・オブジェ


    ジャクソン・ポロック 1912-1956

    ジャクソン・ポロック 1912-1956

    • 著者:レオンハルト・エマリング(Leonhard Emmerling)/ Reiko Watanabe(訳)
    • 出版社:タッシェン
    • 発売日: 2006/09/10
    • メディア:単行本(ソフトカバー)
    • 目次:「ある種の芸術家‥‥ / 理想と影響 / 男と女 /「ゴシック的で、憂鬱で、過激だ」/「絵との容易なやり取り」/ 呪われた芸術家、それともアメリカのプロメテウス? / 年譜


    美の20世紀 15 ── ポロック(POLLOCK)

    美の20世紀 15 ── ポロック(POLLOCK)

    • 著者:ドナルド・ウィガル(Donald Wigal)/ 山梨 俊夫・大島徹也(訳)
    • 出版社:二玄社
    • 発売日:2008/04/30
    • メディア:大型本


    僕はジャクソン・ポロックじゃない。

    僕はジャクソン・ポロックじゃない。

    • 著者:ジョン・ハスケル(John Haskell)/ 越川芳明(訳)
    • 出版社:白水社
    • 発売日:2005/08/10
    • メディア:単行本
    • 収録作品:僕はジャクソン・ポロックじゃない。/ 象の気持ち / サイコの判断 / ジャンヌ・ダルクの顔 / キャプシーヌ / 六つのパートからなるグレン・グールド / 素晴しい世界 / 真夜 中の犯罪 / 奥の細道


    ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー

    ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー

    • 著者:イネス・ジャネット・エンゲルマン(Ines Janet Engelmann)/ 杉山 悦子(訳)
    • 出版社:岩波書店
    • 発売日: 2009/07/17
    • メディア:大型本
    • 目次:予期せぬ訪問者 / レナ・クラスナーからリー・クラズナーへ /「僕はある種のアーティストになると思う」/ 創作上の共犯関係 / 最後通牒と田舎への移住 / 田舎暮らしの芸術家としての新たな出発 / その上にヴェールを描く:ポロックのドリッピング / ポロックは「アメリカにおける最高の現存画家なのか」/ 想像力の秘密:ポロックの衰退、クラズナーの成長 /「私は彗星のしっぽに掴まっていた」

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