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機敏なキツネたち [b o o k s]



  • その翌日、夜来の雨が晴れて、露のしたたる秋草の咲きみだれた洛北の野原に、星丸と女とがいつ果てるともない愛撫を交わしていた。母にはてっきり狐に見えた女だったが、星丸にはあくまでも女にしか見えない女であった。女が野原に腰をおろせば、さしてゆたかでもない少女めいた臀が、それでも萩や女郎花の花々を重みで押しひしいだ。/ 横ずわりになった女の緋の裳に頭をのせて、星丸は草の上に長々とからだをのばしていた。女が笑いながら上から顔を近づけて、その唇を男の唇に重ねようとする。もう少しで重なるというとき、ふっと口から白緑の玉を吐き出して、口移しに男の口へ入れる。と思うと、女はふたたび舌で玉を取りもどして、自分の口のなかにふくむ。それからまた男の口へもどす。また自分の口へ受ける。そんなたわいもないことを繰りかえしているのが筆舌につくしがたいほどの快感で、舌でからめて口から玉を出したり入れたりするたびに、星丸はおのれの神経のすみずみまで、甘美な戦慄がさざ波のように走るのをおぼえるのだった。いつまでもこうしていて、そのまま死んでしまってもいいと心底から思うほどの陶酔境だった。
    澁澤 龍彦 「狐媚記」


  • ピーテル・ブリューゲル父の〈ネーデルランドの諺〉(The Blue Cloak 1559)を借用したカヴァ(見開き紙ジャケ)が人目を惹くFleet Foxesのデビュー・アルバム《Fleet Foxes》(Sub Pop)はフリー・フォークと呼ばれるアクースティックな音楽が新たな局面に入ったことを示唆している。米シアトル産の機敏なキツネたちは自らの音楽を「バロック・ハーモニック・ポップ・ジャムズ」(baroque harmonic pop jams)と名乗る。牧歌風のフォーク・ソングでありながら、教会内に響くゴスペルのような荘厳なイメージが広がる。広大な農村地帯ではなく、起伏の険しい山岳地方や立体的に構築されたバロック風の建築物を想わせると言った方が近いかもしれない。あのArcade Fireほどエキセントリックではないけれど、同じ土壌から育った樹木のような香りがする。ワルツ曲の〈Tiger Mountain Peasant Song〉、美しいハーモニーから始まる〈Blue Ridge Mountain〉‥‥Robin Pecknoldのヴォイスは内省と自己陶酔が相半ばするロック・ヴォーカリストの王道を行く。メジャー・レーベルではなく、Nirvanaなどを輩出した米インディーズのSub Popからデビューという巡り合わせも興味深い。

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    ロアルド・ダールの『すばらしき父さん狐』(評論社 2006)はアンダーグラウンド世界の幸福感で満たされる。動物たちが棲む森の谷間には3つの農場があった。3人の農場主は金持ちの成功者だったが、その外見も性格も品性下劣な吝嗇家だった。養鶏場で数千羽のニワトリを飼育しているボギス(Boggis)は朝昼夕の3食、小麦団子と蒸し煮にしたニワトリ3羽を食らうデブ男。数千羽のアヒルとガチョウを飼っているバンス(Bunce)はガチョウのレバー・ペーストを詰め込んだドーナツを毎日食べている太鼓腹のチビ男。同じく数千羽の七面鳥を飼い、リンゴ園を営むビーン(Bean)はリンゴ酒だけを何リットルも飲んでいるヤセ男。3人の目の敵は谷間を見下ろす丘の森の中の1本の大木の下に住むキツネ一家(キツネ夫婦と4匹の子ギツネたち)だった。夜の暗闇に紛れて、ニワトリやアヒル、ガチョウ、七面鳥などを盗んで行く父さんギツネに怒り狂った3人の農場主はキツネの穴の外で待ち構えて、猟銃で撃ち殺そうとする。穴から這い出して来た父さんギツネは3つの銃口に狙われるが、危うく難を逃れる。3人が仕留めたのは血まみれの「キツネのしっぽ」だけだった。

    ボギス、バンス、ビーンの3人の農場主はシャベルで巣穴を掘ってキツネ一家を一網打尽にしようとするが、キツネたちもトンネルを地下深く掘り進む。2台のシャベルカー(キャタピラ付きの特大トラクター)とキツネ一家の死にもの狂いの競争が勃発し、森のある丘は噴火口のように抉り取られてしまう。農場主たちとキツネ一家の根競べ‥‥兵糧攻めに飢え始めたキツネ一家‥‥。空腹で窮地に陥った父さんギツネは名案を思い着く。ボギスのニワトリ小屋1号、バンスの大倉庫、ビーンの秘密貯蔵庫の真下まで地下トンネルを掘って忍び込み、メンドリ3羽、若アヒル4羽、ガチョウ3羽、スモーク・ハム、脇腹ベーコン、ニンジン、リンゴ酒‥‥を首尾良く盗み出す。父さんギツネ、末っ子ギツネ、アナグマが舞い戻ると、トンネル内の地下食堂ではキツネ、アナグマ、モグラ、ウサギ、イタチ一家‥‥森の動物たち29匹が全員集合した大宴会が始まっていた。地上の穴の外では雨の降る中、3人の農場主が鉄砲を膝の上に乗せたままテントの傍に腰掛けて、キツネたちが出て来るのを今か今かと待ち構えている。柳瀬尚紀の新訳版には不満も少なくないのだが、子狐と子猫の架空対話形式の「訳者から」は面白い。原題は「Fantastic Mr Fox」(1970)で、Fleet Foxesと同じく「F」の頭韻を踏んでいる。

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    「狐媚記」(1982)は小説集『ねむり姫』(河出書房新社 1983)の中の1篇。狐の仔を産み落としてしまった北の方。そのことを非難し、仔狐を殺して埋めてしまう左少将。彼は婆娑羅な「魔法三昧」(管狐を使った荼吉尼天の修法)に入れ込んでいた。ある日、怪しい風体の木地師から砂金10両で「狐玉」なるものを買う。夜になると妖しく光り輝く「狐玉」は奇蹟を起こし、所有者の野心や欲望を大願成就する「魔法のランプ」のごときものだった。ところが或る時、鐘愛の息子・星丸(8歳)が「狐玉」を太陽の光に翳して駄目にしてしまう。ある夜「狐玉」は恐るべき真実‥‥左少将が3年前、理不尽な嫉妬心から妻を呪い、飯綱山の狐を使嗾して妻を姦さしめた顛末を喋り出す。ある秋の夜、15歳で元服した星丸が別居している母の屋敷へ重傷を負った美少女を連れて来る。瀕死の少女を介抱した北の方は、その娘が10年以上前に産んだ狐の仔に他ならないと確信する。星丸と狐女を決して同衾させてはならない!‥‥なぜならば、兄妹インセストになってしまうから。

    レディース・コミック誌「For Lady」に掲載された山岸凉子の短篇「狐女」(1981)の怖しさは「ハーピー」や「天人唐草」に勝るとも劣らない。主人公の理(まさる)は養育していた老夫婦が死んで、F県の旧家に引き取られることになる。表向きは両親を亡くした遠縁の子供という名目だが、理(9歳)は九耀家の主人・征二郎(故人)が女中の百合に産ませた妾腹の子だった。敷地内に異形神社のある「イナリ屋敷」には女主人(征二郎の妻)、34歳も離れた長兄の征一、その妻・康子と2人の子供たち、稔と美央子(年上の甥と姪)、離れには姉の聖子(まさこ)が住んでいた。大人びた性格の理少年は美央子を押し入れの中に誘い込んで悪戯をする。女狂いの征二郎には長男の征一と理の間に3人の腹違いの兄弟がいた。別宅の聖子も昼間から男たちを連れ込むキツネ憑きの淫売女だった。ある日、土蔵の中へ美央子を連れ込んで性的な悪戯をしていた現場を目撃した女主が忌わしき真実を少年に告げる。「おまえは父親と娘との間に生まれた畜生以下の子なんだよ」「おまえは、あのキツネつきの聖子と夫との間の子なんだ」と。

    義母に手荷物のバッグと札束を投げ与えられて九耀家から追い出された少年は「母親」に会いに行くけれど、聖子には子供を産んだ(父親に強姦された)記憶がない。東京へ帰る車内の少年の胸中に異形神社から飛んで来た狐火が点り、蒼白く冷たく発光する‥‥。キツネを題材にした山岸凉子の「狐女」と澁澤龍彦の「狐媚記」は奇しくも近親相姦、獣姦という禁断のテーマで結ばれている。飯綱山の狐に姦されて狐の仔を産んでしまった北の方・月子と父親(征二郎)に犯されて理少年を産んだ娘(聖子)。狐の仔を産み落としたのは月子の落ち度ではなく、夫・左少将の奸計だったし、セーラー服姿の聖子に欲情してケダモノと化したのは父・征二郎の方だった。星丸から生気を吸い取って洛北の野を北山へ駆けて行く狐少女と、母狐(聖子)に拒絶されて東京へ帰る子狐(理)。少女の体内に宿った「狐玉」と少年の胸中に点った「狐火」‥‥。レイプされた母娘や見捨てられた子供たちに罪はない。断罪されるべきは色情狂で嫉妬深い父親たちである。澁澤龍彦は「狐媚記」(1982)を書く前に「狐女」(1981)を読んでいただろうか?

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    メンバー2人が入れ替わり、新たにMorgan Hendersonが加わって6人組となったキツネたちが2ndアルバム《Helplessness Blues》(Sub Pop 2011)をリリースした。CSN風ギター・ソロが鳴り響く〈Sim Sala Bim〉、6拍子の美しいコーラスから4拍子のヴォーカルへ変化して融合する〈The Plains / Bitter Danger〉、4拍子から3拍子に曲調が変わる〈Helplessness Blues〉、ワルツ曲の〈Lorelai〉、ヴァイオリンの響きにフリー・サックスが炸裂する〈The Shrine / An Argument〉‥‥。トラディショナル・フォークとサイケデリック・ポップ、神秘性と実験性、Robin Pecknoldの内省的なヴォーカルと美麗コーラス・ハーモニーの邂逅。12弦ギター、ピアノ、フィドル、マンドリン、ハンマー・ダルシマ、ムーグ・シンセ、プロフェット、ミュージック・ボックス、マーキソフォン、ハーモニウム、ハープシコード、ヴァイオリン、ペダル&ラップ・スティール‥‥など古くて新しい楽器が彩る。トビー・ライボウイッツ(Toby Liebowitz)のモノクロ・イラストにカラー着色したアルバム・カヴァには何故かキツネではなく、ネコ(狐なのにネコード?)が描かれている。オリジナル・イラストの特大ポスター(52×52cm)付き。

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    Fleet Foxes

    Fleet Foxes

    • Artist: Fleet Foxes
    • Label: Sub Pop
    • Date: 2009/04/25
    • Media: Audio CD
    • Songs: Sun It Rises / White Winter Hymnal / Ragged Wood / Tiger Mountain Peasant Song / Quiet House / He Doesn't Know Why / Heard Them Stirring / Your Protector / Meadowlarks / Blue Ridge Mountains / Oliver James


    Helplessness Blues

    Helplessness Blues

    • Artist: Fleet Foxes
    • Label: Sub Pop
    • Date: 2011/05/03
    • Media: Audio CD
    • Songs: Montezuma / Bedouin Dress / Sim Sala Bim / Battery Kinzie / The Plains/Bitter Dancer / Helplessness Blues / The Cascades / Lorelai / Someone You'd Admire / The Shrine/An Argument / Blue Spotted Tail / Grown Ocean


    すばらしき父さん狐 ── ロアルド・ダール コレクション 4

    すばらしき父さん狐 ── ロアルド・ダール コレクション 4

    • 著者:ロアルド・ダール(Roald Dahl)/ 柳瀬 尚紀(訳)
    • 出版社:評論社
    • 発売日:2006/01/30
    • メディア:単行本
    • 目次:3人の農場主 / 父さん狐 / 銃撃 / 恐怖のシャベル攻撃 / 恐怖のトラクター / 競争 /「逃がしてなるか」/ 飢え始めた狐一家 / 父さん狐の計画 / ブヨブクのニワトリ小屋1号 / 母さん狐にびっくりみやげ / 穴熊 / ブクゼニの大倉庫 / 穴熊の疑問 / ゼニシブリのリンゴ酒秘密貯蔵庫 / 大女 / 大宴会 / なおも待機


    ねむり姫 ── 澁澤龍彦コレクション

    ねむり姫 ── 澁澤龍彦コレクション

    • 著者:澁澤 龍彦
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:1998/04/03
    • メディア:文庫
    • 収録作品:ねむり姫 / 狐媚記 / ぼろんじ / 夢ちがえ / 画美人 / きらら姫


    天人唐草 ── 自選作品集

    天人唐草 ── 自選作品集


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