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髭の女たち [m u s i c]



  • じっと動かず、まるで思いを凝らしているかのようにして、私は彼の前へ出てゆく瞬間を待った。髭の男はフォスティーヌのスカーフと手提げを取りに行った。そのふたつの品物をぶらぶら振りながら戻ってきて、こう言った(この前と同じように)。──「ぼくの言ったことをあまり真剣にとらないでください‥‥。ときどきそう思うんですよ‥‥」/ 男はフォスティーヌからほんの数メートルのところにいた。私は、とくに何と決めたわけではないが、何かをやってのけようと心に決めて、出ていった。衝動性は粗雑の源泉である。私は、あたかもフォスティーヌに紹介するかのように髭の男を指さして、フランス語で叫んだ。──「髭の女、マダム・フォスティーヌ!」/ それは冗談としてもあまり上等なものではなかったし、だれに向けられているのかもはっきりしなかった。/ 髭の男はフォスティーヌのほうへ前進をつづけたが、私とぶつかることはなかった。私が脇に跳びのいたからである。
    アドルフォ・ビオイ=カサーレス 『モレルの発明』


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    「髭の女」とは一体何者なのか?‥‥ロシアにいるという髭の生えた女たちは兎も角、考えられる仮説は次の2つである。女装した男〔M〕と男装した女〔W〕。〔M〕は化粧や女性ホルモンで髭を隠したオカマやホモセクシャル。見た目は女だが中身は男だという揶揄的な表現で「髭の女」と呼ばれることも少なくない。〔W〕は写真家シンディ・シャーマンのセルフ・ポートレイトのように「つけ髭」で仮装〜コスプレした「髭の女」。男性的な特徴の1つである髭を生やすことで、家父長制や権威主義、権力欲など男の愚かさや滑稽さを誇張する。つまり、髭を隠した男の女装は個人的な性的嗜好に留まるのに対して、「つけ髭」をした女の男装には男性優位社会への批判めいたものが見え隠れするのだ。女の髭という相反する属性の混成に茶目っ気やユーモアが生まれる。「猫ジャケ」を集めているのに、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように「髭ジャケ」(ネコにもヒゲは生えているけれど)が3枚も集まってしまった。もう1枚揃うとポーカーならば4カードなのだが、その場合の絵札はK(キング)、J(ジャック)、それとも髭を生やしたQ(クイーン)なのだろうか。

    Emily Loizeauは英国人の母とフランス人の父を持つ英仏バイリンガルのSSW。祖母はアカデミー女優のペギー・アシュクロフト(Peggy Ashcroft)だという。《Pays Sauvage》(Polydor 2009)のアルバム・カヴァには湖畔で寛ぐ5人の男女(男2、女3)が写っている。中央手前に右腕で頬杖をつく白い衣裳のEmily Loizeau、その後方で佇む黒いロング・ドレスの女性、その奥で三つ揃いのスーツを身に纏って椅子に坐る長い髪の女性‥‥森の中の長閑な光景に見えるけれど、J-Bモンディーノの撮った写真には変なところが1つだけある。黒いドレスの女性に「アゴ髭」が生えているのだ。この謎の女性は一体誰なのか、つけ髭で仮装したEmily Loizeau本人なのか、それとも別人28号なのだろうか?‥‥。〈La Femme A Barbe〉の歌詞が載っているブックレットの左頁にも、肘かけ椅子に坐っている黒いドレス姿の「髭の女」の写真がある。ヒントは「パリの髭女隊」という女性コーラス・トリオ(Jeanne CherhalOlivia RuizNina Morato)の中に隠されているような気がする‥‥「髭の女、ジャンヌ・シェラル?」

    小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、動物の鳴き声、子供たちの歓声などが曲間に流れる野外録音仕立ての《Pays Sauvage》。アルバム・タイトル曲のスキャットはCSN&Yの〈Deja Vu〉を想わせなくもない。3曲で演奏しているMoriartyやThomas Ferson、Olivia Ruizなど‥‥ゲスト・バンドやミュージシャンたちの参加も多彩。全14曲中、英語詞は3.5曲。Thomas Fersonとデュエットした〈The Princess And The Toad〉では、王女に扮したEmily Loizeauが仏語、カエル王子のThomas Fersonが英語で歌っている。彼女のヴォイスはVanessa Paradisをクールにしたような感じで、美人女優のような容姿に反して可愛い。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、バンジョー、トランペット、トロンボーン、サックス、フルートなどのアクースティックな響きを生かした柔らかなサウンド。激しいビートのロック・アルバムではないけれど、ワルツやハチロクなどリズム面で変化に富む。アフロ・ビートを採り入れた曲もある。

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  • 今日、あの女は私には関心がないのだとわからせようとし、それに成功した。しかしやり方が非人間的である。私は犠牲者だが、状況を客観的に見ることはできると思う。/ 女は、ひどく感じの悪いテニス服の男と連れだって来た。横にいるのがこんな男なら、どのような嫉妬の感情も鎮まるにちがいない。とても背の高い男。ワイン・カラーのだぶだぶのテニスジャケットに白いズボン。途方のない白と黄のコンビの靴をはいていた。顎髭はつけ髭らしい。蝋のように蒼白い女性的な肌をして、こめかみに静脈が浮きあがっている。眼は黒く歯は醜い。小さな丸い口を大きく開けて、子供っぽい発音でゆっくり話すと、小さくて丸い深紅色の舌がいつも下の歯に貼りついているのがのぞける。ひどく大きな手は血色が悪い。きっと汗でじっとりと湿っているにちがいない。/ 私はすぐに隠れた。女が私を見たかどうかわからない。見たと思う。一瞬たりとも私を捜すような視線を向けなかったからだ。

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    頭に被った青いフェルトのフードと同じ素材で作った「青髭」、サルヴァドール・ダリみたいな「口髭」を生やした2人の男前‥‥CocoRosieの4thアルバム《Grey Oceans》(Pias 2010)は「髭の女」のカヴァだけでなく、インナー・スリーヴや歌詞ブックレットも青白い毛や茶色い毛髪で覆われている。2003年にパリで結成された米アイオワ生まれのSierraとハワイ生まれのBianca Casadyの姉妹デュオ。CocoRosieという名前は2人のニックネーム(RosieとCoco)から採られたという。東洋風のメロディのトリップホップ曲〈Smoky Taboo〉、陽気なトイ・ミュージックと幽玄なドラムンベースが交錯する〈Hopscotch〉、Bjorkがバスルームに引きこもったような〈Grey Oceans〉‥‥。マンドリン、シタール、チェロ、トランペット、トロンボーン、ハープ‥‥などで彩られているものの、そのサウンドはダークで密室性が高い。彼女たちのヴォイスを気味悪いと感じるか、逆にキモ可愛いと思うかで好みが分かれるだろう。引きこもり姉妹も「つけ髭」で変装すれば外へ出歩けるようになる?‥‥。アナログ盤《Grey Oceans》はジャケ違い。Touch & Goレーベルの閉鎖に伴い、US盤はSub Popからリリースされた。

    《Homeland》(Nonesuch 2010)は、ヨーゼフ・ボイスやナム・ジュン・パイクと共に「パフォーマンス」という言葉を人口に膾炙したLaurie Anderson《Life Of A String》(2001)以来9年振りのアルバム。ハードカヴァ仕様(40頁)で、ミュージシャンやプロデューサー、エンジニアなどへのインタヴュー「The Story Of The Lark」(41分)と偏愛するヴァイオリンについて演奏を交えながら語る「Laurie's Violin」(7分)の映像を収録したDVDが付いている。Laurie Anderson(ヴォーカル、ヴァイオリン、キーボード)、Eyvind Kang(ヴィオラ)、Peter Scherer(キーボード)、Rob Burger(アコーディオン、キーボード、オーケストロン)‥‥というメンバーに、Antony(ヴォーカル)、John Zorn(サックス)、Kleran Hebden(キーボード)などがゲスト参加。ロシア連邦トゥバ共和国のグループ、Chirgilchinの喉歌ヴォイス(Aidysmaa Koshkendey)と馬頭擦弦楽器イギル(igil)が異空間に引き込む〈Transitory Life〉、Lou Reedのノイズ・ギターが空間を引き裂く〈Only An Expert〉、John Zornのサックスやサンプリング・ノイズがエレクトロニカ風に戯れる〈Bodies In Motion〉‥‥。

    チャップリンにもアインシュタインにも腹話術の人形にも見えなくないアルバム・カヴァの謎の人物は、左右の眉毛と口髭を描いて(貼って?)喜劇役者のように(コスプレ女王のシンディ・シャーマンのように)男装〜仮装したLaurie Andersonのセルフ・ポートレイトである。彼は彼女が作り出した「分身」(alter ego)で、Fenway Bergamotという名前まであるだけでなく(名付け親はLou Reed)、〈Another Day In America〉でナレーション役を担当している。実際にはニュース番組の匿名インタヴューみたいな音声加工‥‥女声の音域をヴォイス・フィルターで下げて男の声に変換しているわけだが、妙にエロティックで艶かしい。男性化したLaurie AndersonのナレーションにトランスジェンダーのAntony Hegartyがコーラスで共演するという二重に倒錯した趣向もラストに用意されている。コミカルで同時にグロテスクでもある「男性キャラ」、Laurie Andersonの扮するクローン男も「髭の女」なのかもしれない。
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  • こんなことを思いついた(気まぐれだけど)、──連中は、われわれとは異なる生物、つまり他の星から来た人類で、眼は見るためのものではなく、耳は聞くためのものではないのかもしれぬ。連中が正確なフランス語を話していたことを思い出し、そこからさらに空想をたくましうした。フランス語は彼我の世界に共通する言語ではあるが、それぞれ相異なる目的を担わされているのかもしれぬ、と。/ さて4つ目の仮説だが、これはどうしても夢の話をしたいという気違いじみた欲望が生んだものである。昨夜、私はこんな夢を見た。── / 私は精神病院にいた。長時間にわたる医者の診察を受けたあとで(それとも裁判だったか?)家族がそこへ連れて来たのだった。モレルが院長だった。ときには、島にいるんだという意識があったが、精神病院にいると信じているときもあった。またある瞬間など、私がその病院の院長だった。/ 夢を現実と見なしたり、現実を狂気と見なす必要があると思っているわけではない。

  • ある無人島へ逃亡して来た「私」はモレルのことを「髭の男」や「髭の女」と呼んでいる割には、自分の「髭」については何故か無頓着である。《水浴びをしてさっぱりとなったものの、髪も髭ももじゃもじゃに乱れたまま(水に濡らしたのでそうなってしまったのだ)あの女に会いに行った》‥‥愛するフォスティーヌの前に出て行くのに不精髭づらでも恥ずかしくないのだろうか。「モレルの発明」した機械・装置を地下室で発見して、あれほど敵愾心を抱いていたモレルに共感するようになると同時に、「私」の存在自体も揺らいで行く。モレルが「髭の女」(男装した同性愛の女)ならば、「私」も女性である可能性が出て来る。モレル(髭の女)、フォスティーヌ(接近不能の女)、「私」の奇妙な三角関係‥‥。2つの太陽と2つの月が空に輝くというSF風の描写も興味深い。アドルフォ・ビオイ=カサーレスの『モレルの発明』(水声社 1990)を読んだ後で、村上春樹の『スプートニクの恋人』(講談社 1999)を再読すると新しい発見があるかもしれません。

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    • 髭の女たち‥‥Jeanne Cherhal、Sierra & Bianca Casady、Laurie Anderson
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    Pays Sauvage

    Pays Sauvage

    • Artist: Emily Loizeau
    • Label: Polydor Import
    • Date: 2009/02/03
    • Media: Audio CD
    • Songs: Pays Sauvage / Fais Battre Ton Tambour / Tell Me That You Don't Cry / Sister / La Dernière Pluie / Songes / Coconut Madam / La Femme A Barbe / The Princess And The Toad / Ma Maison / In Our Dreams / Dis Moi Que Tu Ne Pleures Pas / Le Coeur D'Un Géant / ...


    Grey Oceans

    Grey Oceans

    • Artist: CocoRosie
    • Label: Sub Pop
    • Date: 2010/05/11
    • Media: Audio CD
    • Songs: Trinity's Crying / Smokey Taboo / Hopscotch / Undertaker / Grey Oceans / R.I.P. Burn Face / The Moon Asked The Crow / Lemonade / Gallows / Fairy Paradise / Here I Come


    Homeland

    Homeland

    • Artist: Laurie Anderson
    • Label: Nonesuch
    • Date: 2010/06/29
    • Media: Audio CD(CD+DVD)
    • Songs: Transitory Life / My Right Eye / Thinking Of You / Strange Perfumes / Only An Expert / Falling / Another Day In America / Bodies In Motion / Dark Time In The Revolution / The Lake / The Beginning Of Memory / Flow

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    コメント 2

    つむじ

    ローリー・アンダーソンは昔、赤坂のラフォーレミュージアムで見たことがあります。実験的なことをわかりやすくしかもポップに表現して見せてくれて最高に楽しいライブでした。
    なかでも身体の至る所にスイッチを付けていて、いろんな所を叩くといろんなパーカッションの音がするというのが面白かった。あのあとヤマハから「みぶり」という同じようなコトが出来る楽器が出ました。

    何年か前にPerfect Day - BBC promotionで久しぶりにローリーの顔を見て感動しました。
    彼女は80年代にアートを勉強したぼくのアイドルでした。
    by つむじ (2011-02-03 17:53) 

    sknys

    つむじさん、コメントありがとう。
    ローリー・アンダーソンは日本青年館ホール(1984.6.19)で観ました。
    ライヴでもコンサートでもない、
    「パフォーマンス」という見せ方が斬新だった。
    ツンツン尖った彼女のパンク髪がパロディっぽくて可笑しかった^^
    躰を叩くと色々な音が出るパフォーマンスも憶えています。

    「Perfect Day - BBC promotion」は未見ですが、
    YouTubeやNonesuchのサイトで見れる男キャラ(Fenway Bergamot)は
    笑いを通り越して怖いくらい。
    インタヴュー(DVD)に応える彼女はチャーミングで可愛いけれど‥‥。
    アルバム《Homeland》も力作(66分)ですよ^^
    by sknys (2011-02-05 01:39) 

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