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ネコ・ログ #17 [c a t a l o g]

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  • A・A・ミルンの『クマのプーさん』および『プー横丁にたった家』の登場人物は、ミルンの息子のクリストファー・ロビンと、クリストファー・ロビンの子供部屋の友達だった縫いぐるみの動物たち(クマのプーさん、カンガルー母子のカンガとルー、ロバのイーヨー、子豚ののコブタ)と、縫いぐるみではないけれど想像上の動物たち(ウサギ、ウサギのしんせき、ゆうじんいちど、フクロ)と、それにこれは実際にミルン家にやって来たタビイ柄の本物の仔猫だったのに違いない「トラー」というメンバーで構成されている。/ E・H・シェパードの名高いさし絵で、「トラー」は縫いぐるみのトラ風に描かれているものの、「トラー」の行動を仔細に検討してみるならば、これは縫いぐるみと空想の動物で出来た子供部屋の森に侵入してきた本物の仔猫だということが理解されるはずである。
    金井 美恵子 『迷い猫あずかってます』


  • ♯145│アク│飼い猫 ── 灰色の世界
    喧嘩してから左耳が折れてしまったという美形ネコちゃん。灰色の毛並みが背景に溶け込んでカメレオンの保護色みたいに同化している。ただ黄緑色の目だけが深緑に囲まれた湖水のように神秘的な光を湛えている。矛盾した表現になるが、ネコではない別の生き物のように美しい。「美」という概念が偶然にネコという生物の姿を借りた‥‥と言った方が良いだろうか。その性格も繊細で、近寄って来たかと思うと次の瞬間には離れて行く。人間に好奇心はあるけれど、不用意に人に近づかない思慮深さもある。一体何を考えているのだろうか。自分が美ネコであることを自覚していないし、後遺症で折れた耳も気に病まない。ナルキッソスみたいに自分の姿を湖面に映して溺れる心配もない。余計なことは考えずに、ネコがネコとして存在して、生きていること自体に意味がある。「意味がある」と考えるのは人間の方なのだが‥‥「人は猫を超えられない」(浅生ハルミン)と思う。

    ♯146│ドミノ│飼い猫 ── びっくり猫屋敷の殺人 6
    ビックリ眼のドミノちゃんは一定の距離を保っていれば逃げ出さないし、人懐っこく近寄っても来ないので、被写体として撮り易い。民家の塀の上に乗っていることが多いけれど、この写真は鉢植えや壷の蔭に隠れて周囲の様子を窺っている(具体的にはカメラマンの動向を注視している)。「びっくり猫屋敷の殺人」はネコ好きの1人暮らしの老婆が屋敷内で惨殺される。その殺人現場をネコが目撃していた!‥‥という設定だったが、「びっくりネコ写真」のお礼に大きな柿を貰ったので、別のストーリに変更した方が良いかもしれない。埼玉県飯能市の山林で犬や猫の死体が遺棄されていた事件の容疑者Aは元町議のペット葬儀業者だという。飼主から金を取って預かったペットの遺体を火葬も埋葬もせずに捨てていたらしい。県警は現場の山林から180匹もの死体を回収した(朝日新聞 2010.4.9)‥‥こういう動物以下の人間こそが真っ先に殺されるべきではないかしら。

    ♯147│ラッキー│飼い猫 ── ボクは元気です
    ラッキーはL理髪店の看板ネコ。久しぶりに店先にいるラッキーを見つけて写真を撮っていると、女主人が出て来て「死んだと思った?‥‥でも、まだ生きているのよねぇ」と嬉しそうに話す。ラッキーは17〜8年も生きている長寿ネコなのだ。人間の寿命に較べるとネコの一生は短い。多くの飼主やネコ・ウォッチャーは飼いネコやノラ、地域ネコを見送ることになる。ペット・ロスの喪失感は「死」の哀しさではなく、「生」の切なさだと思う。ネコがネコとして全うした生涯、いわゆる「猫生」の健気さである。岩合光昭が地中海の国々や日本国内を回ってネコ写真を撮り続けるのは「海ちゃん」とのことがあったからではないか。ネコ写真だけではなくネコ映画を撮ることになったのも、「海ちゃんに申し訳ない」という気持ちがあるからではないか。たかがネコ1匹ではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、彼女は特別な1匹のネコであると同時に、「ネコ」の総体を象徴する集合的なネコでもあるのだ。

    ♯148│チトラ│飼い猫 ── 子トラのチトラ
    同じネコ科の仲間なので、トラ縞模様のネコたちは世界中で「トラ」(英語名はTigger)と呼ばれているらしい。A・A・ミルンの2つの童話に登場するトラーもE・H・シェパードのイラストに描かれているような「子虎」の縫いぐるみではなく、タビー柄の本物の仔ネコに違いない。金井姉妹が飼うことになったトラ縞の「迷い猫」もトラーと名付けられた。レナード&ヴァージニア・ウルフ夫妻が飼うことになるマーモセットのミッツは古道具屋の飾り窓越しに1匹の黒ヒョウを発見する。ロンドンの街角にも生まれ故郷の南アメリカと同じようにネコ科の動物が棲息していたとは!‥‥黒ヒョウにしては随分と小さくなってしまったとミッツは訝しがる。チトラとは「小さな虎」という意味(女飼主はミーちゃんと呼んでいた)。今年(2010)は寅年ということで、年始めの回文カルタ〈トラと子トラと〉に子ネコ時代のチトラの写真をアップした。寅年は「ネコ年」でもあるのだから‥‥。

    ♯149│クー│飼い猫 ── 塀までひとっ飛び
    サディスティック・ミカ・バンドの曲のようにクーが自ら進んで塀の上に跳び乗ったわけではない。光量が乏しかったので、クーを抱き上げて塀の上に乗せて撮ったのだ(それでも被写体が少し暗くなってしまった)。体重が重いからなのか、塀の上の見晴しが気に入ったのか、自力で降りようとしない。撮影後にクーを抱き降ろしたのは言うまでもない。クーと同じ家で飼われていたユイちゃんが急逝した。そう言えば今年の冬はネコ小屋の中で丸くなって眠っていて、呼びかけても三毛ネコ特有の柔らかい毛並みを撫でても、全く反応しなかった。その頃から体調が思わしくなかったのだろうか。最後に撮ったユイちゃんの写真は飼主が驚くほど自然に写っている。「まぁ、あんたなら良いかな」と、自分の死期が近いことを悟ったユイちゃんが最後の1枚を撮らしてくれたのかどうかは分からないが、写真の中の彼女はカメラを正面から見つめて、何か言いたそうな、少し困ったような、はにかんだような穏やかな表情をしている。合掌。

    ♯150│ララ│ノラ猫 ── 子ネコが見つめているのは?
    答えは公園を散歩中の犬。リードに繋がれたまま立ち止まっている犬の方は全然意に介さないけれど、子ネコの方は興味津々という感じで目の前の動物を見つめている。ネコは近視眼的な人間とは異なって、対象を凝視する際に目を細めたりはしない。真ん丸のビックリ目になった時がシャッター・チャンスとなる。子供時代、外界の動くものに興味を示すのはネコもヒトも同じ。子供はクルマや電車や飛行機、子ネコは昆虫や鳥や犬‥‥。外へ出ると前後の見境なく駆け回って遊ぶ。しかし、その一方で外界は様々な刺戟と脅威と危険に満ち溢れている。だからと言って、子供を安全な家の中に閉じ込めておくことは不可能なので、「公園デビュー」しないわけには行かない。ノラや地域ネコたちは生まれた時から外界の空気に触れて免疫が出来ている。室内で産まれた飼いネコを外へ出すかどうかは、去勢や避妊手術以上に難しい判断が飼主に要求されますね。

    ♯151│ゴン│飼い猫 ── ネコ遠近法
    1回り躰が小さくなったような気もするゴンちゃん。肥りすぎてネコ専用の出入口を通れなくなってダイエットした?‥‥ということはないでしょうね。いつものようにビャービャー鳴いて近寄って躰をスリスリして来るので、安心して毛並みを撫でるとネコパンチが飛んで来ることがあるので油断出来ない。機嫌を害するとヘソを曲げて、そそくさとネコ専用の出入口の中へ入って2度と出て来ない。でも、今日は少し事情が違う。四角い出入口から1匹の子猫が出て来たのだから。もしかしてゴンちゃんの子供かしら?‥‥と思って近づくと、すぐ穴の中に逃げ込んでしまった。おっかなビックリの小心者、まだ外へ出たことが余りないのだろうか。ネコと撮っているコンパクト・デジカメはシャッター速度が1/30にまで遅くなると自動的に手ブレ・マークが液晶モニタ画面上に表示される。フラッシュを使いたくなかったので、カメラを支えている肘を地面に固定して撮った。手ブレは回避したものの、全体が青っぽく写ってしまった。

    ♯152│パト│ノラ猫 ── ネココロリンのポーズ
    S神井川緑地のベンチに坐っている老人が大声で意味の分からないことを怒鳴っていた。怖がってネコも子供たちも公園に寄りつかなくなってしまった。ある日、近所の主婦に罵詈雑言老人のことを訊ねてみたら、気の毒なことに脳腫瘍だという。そうか、病気なら仕方がないか、最近は見かけることもなくなったし‥‥と、その時は納得したのだが、この話には端倪すべからず続きがあった。後日、ベンチでネコを抱いている女性との会話の中で、その老人のことに話が及んだ。老人は病気になる前からネコを虐待していた。保健所にノラネコを始末するように直訴したものの、野犬は捕獲するが本来野生動物のネコは処分出来ないと逆に断られたらしい(もっともな話だ。もし外ネコが駆除対象になったら日本全国に棲息するネコたちが消えてしまうし、ネコ写真も撮れない!)。「野良猫に餌を与えないで下さい。○○区保健所」という看板も、老人が陳情して立てさせたという。虐待老人と大喧嘩をした女性は地域ネコの避妊手術などのボランティアをしている。「脳腫瘍になったのはネコたちの呪いではないか?」とまで言うのだ。虐待されたネコたちが強力な電磁波を老人に送って復讐する‥‥全くあり得ない話でもないような気がして。

    ♯153│ショコラ│迷い猫 ── 空飛び猫のショコラちゃん
    〈空を駆けるショコラ〉の記事をアップするかどうか、長い間迷っていた。ある日、出窓に飛び込んで来た黒ネコ、数日間だけ室内で一緒に過ごした迷いネコ‥‥ショコラの話を読んでもらうのは読者を切ない気分にさせるだけではないのか、見苦しい自己弁護のためだけではないのかと思って、公開を躊躇っていた。玄関ドアの隙間から室内へ走り込む素速い敏捷性。ベッドの下に潜り込んで何時間もジッとしたまま隠れている忍耐強さ。浴室の中に入って来てミャーミャー鳴いて訴える健気さ。ベッドの上に駆け上がって丸くなって眠る可愛らしさ。ゴロニャンして鳴き、お腹を見せて甘え、絨緞で爪をバリバリ研ぐ‥‥。嫌がるショコラを両腕に抱いて公園まで連れて行った日のことは一生忘れないでしょう。ショコラとの出逢いと別れがなかったら、今あなたが見ているネコ写真も、読んでいるブログもなかったかもしれません。

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    各記事のトップを飾ってくれた猫ちゃん(9匹)のプロフィールを紹介する「ネコ・カタログ」の第17集です。サムネイルをクリックすると掲載したネコ写真に、右下にあるナンバー表の数字をクリックすると該当紹介文にジャンプ、#ネコ・タイトルをクリックするとトップに戻ります。ノラ猫や地域猫、飼い猫を差別しない方針で、これまでに延べ150匹以上のネコちゃんを紹介して来ましたが、こんなにも多くのネコたちが棲息していることに驚かされます。アク、ドミノ、ラッキー、チトラ、クー‥‥第17集は再、再々登場の常連ネコちゃんが多いですね。厳寒の冬の名残りなのか、三寒四温というよりも日替わりで寒かったり暖かかったりする‥‥寒暖の差が激しい4月、桜が咲き散る公園や川沿い、道端や路地、駐車場や空き地で元気に生きているネコたちに再会するのは嬉しい。殆ど野外のネコたちを撮っていますが、ショコラの写真だけは室内で撮りました。

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    迷い猫あずかってます

    遊興一匹 迷い猫あずかってます

    • 著者:金井 美恵子
    • 出版社:新潮社
    • 発売日:1996/09/02
    • メディア:文庫
    • 目次:トラ! トラ! トラ!/ 銀座の猫、家の猫 / 小さな虎さん / 猫を飼う / 遊興一匹 /「トラー」とはどんな動物か / 猫を去勢すること / 散歩も出来ない / 猫の戦略 / 猫には7軒の家がある / 猫のおかあさん / 猫と暮す──蛇騒動と侵入者 / エビに猫舌無し / ウサちゃん / 日だまりでの昼寝 / ピクニックに行こうと思う / 増殖する物体としての本 / 猫の爪...研ぎ /「猫」散見 / 反復不可能 / カーテンを替えようと、いよいよ決めるまで / 書かなかったこと


    クマのプーさん / プー横丁にたった家

    クマのプーさん / プー横丁にたった家

    • 著者:A・A・ミルン(A. A. Milne)/ 石井 桃子(訳)
    • 出版社:岩波書店
    • 発売日:1962/11/27
    • メディア:単行本
    • 目次:わたしたちが、クマのプーやミツバチとお友だちになり、さて、お話ははじまります / プーがお客にいって、動きのとれなくなるお話 / プーとコブタが、狩りに出て、もうすこしでモモンガーをつかまえるお話 / イーヨーが、しっぽをなくし、プーが、しっぽを見つけるお話 / コブタがゾゾに会うお話 / イーヨーがお誕生日に、お祝いをふたつもらうお話 / カンガとルー坊が森にやってきて、コブタがおふろにはいるお話 / ...


    ミッツ ── ヴァージニア・ウルフのマーモセット

    ミッツ ── ヴァージニア・ウルフのマーモセット

    • 著者:シークリット・ヌーネス(Sigrid Nunez)/ 杉浦 悦子(訳)
    • 出版社:水声社
    • 発売日:2008/06/10
    • メディア:単行本

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