ネコの海(kai)ちゃん [a r t]
岩合 日出子 『ママになったネコの海ちゃん』
岩合光昭写真展「ねこ」(東京・日本橋三越本店 2010)に行って来た。愛猫の写真を持参すると入場料が割引されて、会場の外壁に貼り出されるという特典がある。白い毛並みで顔に赤茶模様のある海(カイ)ちゃんと同じ色合いのネコ、岩合光昭がイスタンブールのワン湖で出逢った左右の目の色が異なるワンネコと同じオッドアイ(右目が青、左目が黄色)のネコ写真を割引き料金と一緒に提出する。引き換えに受け取ったチケットは上部がネコ(奈良・明日香村 2005)の形に切り抜かれていた。新館7階ギャラリー内に250点のネコ写真が並ぶ。ネコに負けないくらい入場者数が多い。各テーマ別に分類されたネコ写真にはキャプションと撮影場所(国内・海外)が添えられている。溜め息や歓声、感嘆、会話‥‥観賞者たちの目がキラキラと輝く。ネコ好きの人間が、これだけ大勢集まっている空間というのも珍しいのではないだろうか。
「1. 生きることは動くこと」のサブ・タイトル(こんにちは・のびる・見上げる・運動する・ジャンプ!・きめる・メークアップ・遊ぶ・集う・ミャー・確かめる・友だち・散歩する・眠い・考える・マーキング・育てる・店番をする・集中する・一緒に・冬物語・眺める・お疲れ様)は説明するまでもないが、幾つか注釈しておこう。「きめる」とは文字通り「ネコがポーズを決める」こと。撮影中に乗って来ると、牡ネコは自らポーズを取ることがあるらしい。「メークアップ」はネコが前脚で顔を洗う仕草。「眺める」は風景を眺めているネコの後ろ姿。最後の「お疲れ様」は岩合光昭が三毛ネコの柿右衛門ちゃんに目蓋をピンクの肉球で指圧してもらっている写真。ネコとヒトとの共棲を撮った「2. 暮らしの中で」。岩合夫妻が初めて飼い、ネコ写真のモデルとなった「3. 海ちゃん」は涙なくしては見ることが出来ない(目がウルウル、鼻がズルズルしてしまうのは、必ずしも花粉症のせいだけではない?)。宮城県の猫島、「4. 田代島のねこたち」はワイルドで逞しく生きている。
*
1976年11月、岩合光昭・日出子夫妻はS川区のある寺から2匹の子ネコを貰い受ける。良く似た姉妹ネコは類と海と名付けられた。海ちゃんの名前の由来は体内に回虫がいたから。最初は「奈美」と呼ばれていたけれど、回虫持ちの「回」ちゃんから「カイ」〜「海」(カイ)に転じたという。陽気で人懐っこい子ネコだった類ちゃんと気難し屋でヘソ曲がりの海ちゃん。2匹のうちの1匹は既に引き取り手が決まっていた。岩合夫妻はM蔵野市のアパートの6階で遊ぶ幼い姉妹を前にして、どちらのネコを飼うことにしようかと思い悩む。しかし、2人の気持ちは決まっていた。お寺の玄関で初めて出逢った時から。海ちゃんこそが探し求めていた「モデルのネコ」、不機嫌そうな「イメージのネコ」だということに。類ちゃんをS川区の寺に送り届けて帰宅した夫妻を玄関で出迎えた海ちゃんから蟠りが消えていた。ヒト2人とネコ1匹の家族の暮らしが始まる。
赤い首輪とリード(引き綱)を着けて散歩、雪のN公園、Z子市の実家、牛のいる牧場、多摩川の河原、三浦半島の菜の花畑‥‥岩合光昭がネコ写真を撮る契機となったのは中学生の時に見た写真集『85 CHATS』(1952)、イギリスの女流写真家イーラのネコだった。しかし、2人と1匹の蜜月は長く続かない。2人の間に子供が産まれることになったのだ。何度も悩んだ末に岩合夫妻は海ちゃんをZ子市の実家に預けることにする。日出子夫人の実家には18匹のネコたちがいて、母親が世話をしていた。意地悪く言えば、ペットとして貰い受けた子ネコを6ヵ月で手放した(見捨てた?)ことになる。家族のペットとして飼われることと、自然の中で半野生の「猫生」を全うすることと、一体どちらの方がネコとして幸せなのか?‥‥もし、人がネコ語を喋れるか、ネコが人語を話せるのならば、海ちゃんに訊いてみたくなるけれど、そもそもネコに「幸福」という概念はないのかもしれない。
1977年9月、岩合夫妻に次女カオル(長女は海ちゃん!)が誕生する。海ちゃんはZ子市の実家で16年間に6回出産した後に避妊手術を施されて、1992年の冬に生涯を閉じる。一生懸命に子育てに励み、その「猫生」を全うしたというのに、『海ちゃん』(講談社 1984)や『ママになったネコの海ちゃん』(ポプラ社 1986)の読後感がスターリング・ノースの『Rascal』(1963)のように切ないのは何故だろう。ショウガ色の目、不機嫌な時に鼻の頭に縦ジワを寄せる表情、「エンジェル・マーク」と呼ばれていた肩胛骨の辺りにある茶色い水玉模様‥‥やっぱり海ちゃんは岩合夫妻のネコとして暮らしたかったのではないかと想うと目頭が熱くなる。アフリカへライオンの写真を撮りに向かう機上で地中海を見降ろした岩合光昭はエーゲ海に浮かぶ島々に棲息するネコたちの姿を思い浮かべる。地中海のネコたちを撮る旅‥‥スペインのトレベスで、海ちゃんそっくりのネコに出逢うまでの道行きは、まるでオネイロポンプが道案内するレオノール・フィニの『L'oneiropompe』(1978)を想わせなくもない。
『ママになったネコの海ちゃん』は写真集『海ちゃん』の続編ではなく、岩合日出子が書き下ろした詳細なドキュメントになっている。柿右衛門ちゃんに目蓋を肉球指圧してもらっている表紙カヴァが微笑ましい『ネコさまとぼく』(新潮社 2008)は岩合光昭の私的なネコ写真集で、フォークランド諸島、ノルウェー、スリランカ、オーストラリア、マダガスカルなど‥‥海外のネコや、地中海のネコ、日本国内のネコ、海ちゃんや柿右衛門ちゃんのことがカメラマンの目から語られる──《スペインのシエラネバダ山脈の谷間の村には、海ちゃんそっくりのネコがいました。そこは、おいしい生ハムの生産地です。そういえば海ちゃんもおいしいものが大好きでした。急な坂道を、行きつくところまで登ります。車は走らないほどに道幅は狭くなり、ネコの出没率が高くなってきます。ネコたちの顔をよく見ていると、顔も模様も海ちゃんそっくりなネコがいます。気がついたときにはネコの顔が30センチほどに迫っていて、ぼくは「海ちゃん、海ちゃん」と声をかけながらカメラのシャッターを押していました》。
*
『ニッポンの猫』(新潮社 2003)は「SINRA」誌(休刊)に連載していたシリーズを再編集した文庫版(オリジナルは横長大型本)。那覇・竹富島・座間味島(沖縄県)、枚方(大坂府)、琵琶湖・沖島(滋賀県)、尾道・因島(広島県)、天売島(北海道)、奈良(奈良県)、喜多方・奥会津(福島県)、函館(北海道)、河辺・平鹿・田沢湖(秋田県)、谷中・根津(東京都)、長崎・五島列島 、横浜(神奈川県)。『地中海の猫』(2005)は海外編。ギリシア(ミコノス島 / サントリーニ島)、イタリア(ポルト・ベネーレ / ベネツィア / ローマ)、スペイン(バルセロナ / コルドバ / アルプハラ地方)、トルコ(イスタンブール / ワン湖)、エジプト(カイロ / アスワン / ルクソール)、モロッコ(シャウエン / フェズ / マラケシュ)の6ヵ国を4年間で取材。岩合光昭は「スペインでもトルコでも「海ちゃん」を思い返していた。思い出し笑いをして薄気味悪がられたり、急に目の回りが熱くなってしまったこともあった」と「あとがき」に記している。
『きょうも、いいネコに出会えた』(2006)は隔月刊誌「猫びより」に連載されている日本全国のネコたちを撮る旅「岩合光昭の猫」を纏めた写真集。金沢(石川県)、田代島・網地島(宮城県)、備前(岡山県)、佐渡(新潟県)、川越(埼玉県)、小樽・積丹半島(北海道)、名古屋(愛知県)、 四国・松山(愛媛県)、 鎌倉(神奈川県)、弘前(青森県)、新潟(新潟県)‥‥岩船郡・関川村で「猫ちぐら」を購入。「岩合光昭への100の質問」を併録。「今までで一番印象に残っているネコ」の海ちゃん、「理想のネコ」の柿右衛門ちゃん、岩合家のニャン吉(山梨県・小淵沢)も登場する。『旅行けばネコ』(2008)は続編。静岡(静岡県)、瀬戸内 / 安芸(広島県)、高知(高知県)、三河(愛知県)、鞆の浦(広島県)、木曽路(長野県)、讃岐路(香川県)、白川村・郡上八幡(岐阜県)、境港(鳥取県)、遠野(岩手県)を収録。境港の「水木しげるロード」で、ネコが苦手な「ねこ娘」さんと出会う。「岩合光昭のスーパーネコ写真術」を併録。
*
岩合光昭の「ネコ写真」は周囲の風景に馴染んでいる。屋内で撮られたペット風の写真は殆どない。徹底したアウトドア指向‥‥世界的な動物写真家に「家のペット」を撮って欲しいという要望も少なくないだろう。しかし、カメラマンは日本国内・海外の町や村、屋根や塀の上、商店街や漁港、神社や寺院、広場や道端‥‥で出合った外ネコたちを飼いネコ・ノラネコの分け隔てなく撮り続ける。風景の中に溶け込んでいるネコたちは望遠レンズ(一眼レフ)で撮っているのかな(広角から標準レンズと、200から300ミリの望遠レンズを付けた2台のカメラを携行しているという)。3倍ズームのコンパクト・デジカメではネコに近づいて撮らざるを得ない。警戒心の強いネコには、その時点で逃げられてしまう。接近しても逃げないネコや、逆に近寄って来る人懐っこいネコが被写体となることが多い。ブログ(スニンクス)のネコ写真が近距離で撮られている理由の1つがここにある。人馴れしているネコたちは表情が穏やかで優しい目をしている。岩合さんとの共通点は、野外のネコたちを飼いネコ・ノラネコの分け隔てなく、ネコ目線で撮っていることでしょうか。
ネコ写真を撮っていて思う。今、目の前にいる小動物は世界で1匹だけの固有のネコだが、その背後に無数のネコたち‥‥過去に出合ったネコや、まだ遭遇していない未知のネコたちの総体とでも言うべき「ネコ」がいるのではないかと。「集団的無意識のネコ」に見られているのではないかという思い。たとえば、甘ったるい猫撫で声で手招きしても、過去にネコを虐めたことのある人間には近寄って来ない。1つのサボテンが傷つけられると、警戒情報が伝わって周囲のサボテンに緊張が走るように、ネコたち同士も見えないネットワークで繋がっているのかもしれない。ネコを撮る時は、あらゆる邪念を捨て去って(岩合光昭は「自分の気配を消す」という)接しないと、下心を見透かされて見下されてしまう。ネコは近づいて来る人間たちを注意深く観察して、敵か味方かどうかを厳しく精査している。花屋さんの女主人はデングリ返しを繰り返す飼いネコを眺めながら、「ネコは人を見るのよねぇ」と感慨深げに言い、ある飼主は指を甘噛みしている三毛ネコに、「やっぱりネコ好きの人は分かるのね」と感心する。良いネコ写真が撮れるかどうかは、おネコさま次第ですね。
*
- 引用文の語句(平仮名)を引用者の判断で漢字に変換しました
kai and me / sknynx / 258
- 著者:岩合 光昭
- 出版社:クレヴィス
- 発売日:2010/03/03
- メディア:単行本(ソフトカバー)
- 目次:1.生きることは動くこと(こんにちは・のびる・見上げる・運動する・ジャンプ!・きめる・メークアップ・遊ぶ・集う・ミャー・確かめる・友だち・散歩する・眠い・考える・マーキング・育てる・店番をする・集中する・一緒に・冬物語・眺める・お疲れ様)/ 2.暮らしの中で / 3.海ちゃん / 4.田代島のねこたち
- 著者:岩合 光昭 / 岩合 日出子
- 出版社:新潮社
- 発売日:1996/11/01
- メディア:文庫
- 目次:はじまりに prologue / いたずらざかり growth / 冒険で広がる世界 adolescence / プロポーズの群れ maturity / 真面目な子育て motherhood / 愛のある暮らし tranquillity / おしまいに epilogue // 猫の足音・田村 隆一
- 著者:岩合 日出子 / 岩合 光昭
- 出版社:ポプラ社
- 発売日:2009/04/05
- メディア:文庫
- 目次:はじめに / おねえちゃんは、ネコなんです / イメージのネコ / 類と海 / 広がる海の世界 / 海のゆううつ / おあずかりの海ちゃん / きずな / あとがき // 解説・安野 モヨコ
- 著者:岩合 光昭
- 出版社:新潮社
- 発売日:2003/08-01
- メディア:文庫
- 目次:那覇・竹富島・座間味島(沖縄県)/ 枚方(大坂府)/ 琵琶湖・沖島(滋賀県)/ 尾道・因島(広島県)/ 天売島(北海道)/ 奈良(奈良県)/ 喜多方・奥会津(福島県)/ 函館(北海道)/ 河辺・平鹿・田沢湖(秋田県)/ 谷中・根津(東京都)/ 長崎・五島列島...
- 著者:岩合 光昭
- 出版社:新潮社
- 発売日:2005/02/01
- メディア:文庫
- 目次:ギリシア(ミコノス島 サントリーニ島)/ イタリア(ポルト・ベネーレ ベネツィアローマ)/ スペイン(バルセロナ コルドバ アルプハラ地方)/ トルコ(イスタンブール ワン湖)/ エジプト(カイロ アスワン ルクソール)/ モロッコ(シャウエン フェズ マラ...
- 著者:岩合 光昭
- 出版社:新潮社
- 発売日:2006/04/01
- メディア:文庫
- 目次:金沢(石川県)/ 田代島・網地島(宮城県)/ 備前(岡山県)/ 佐渡(新潟県)/ 川越(埼玉県)/ 小樽・積丹半島(北海道)/ 名古屋(愛知県)/ 四国・松山(愛媛県)/ 鎌倉(神奈川県)/ 弘前(青森県)/ 新潟(新潟県)/ 岩合光昭への100の質問
- 著者:岩合 光昭
- 出版社:新潮社
- 発売日:2008/12/01
- メディア:文庫
- 目次:静岡(静岡県)/ 瀬戸内 / 安芸(広島県)/ 高知(高知県)/ 三河(愛知県)/ 鞆の浦(広島県)/ 木曽路(長野県)/ 讃岐路(香川県)/ 白川村・群上八幡(岐阜県)/ 境港(鳥取県)/ 遠野(岩手県)/ 岩合光昭のスーパーネコ写真術 // 解説・日高 敏隆
2010-03-21 20:41
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0