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ネメシスターズの逆襲 [m u s i c]



  • 何ヵ月間も、あたしは2度と誰も「魔法のゆび」で指差さないことに決めていたの──あたしの担任のウィンター先生が、とんでもないことになった後だったからね。/ 可哀相なウィンター先生。/ ある日、彼女はクラスで生徒たちに英語のスペルを教えていた。先生は、あたしに言った。「席を立って、キャット(kat)の綴りを言いなさい」 /「そんなの簡単よ、キャ ット(K-a-t)です」と、あたしは答えた。/「バカな子ね」と、ウィンター先生が言った。/「あたしはバカじゃないわよ! とっても賢いんだから」と、あたしは叫んだ。/「教室の角へ行って立っていなさい」と、ウィンター先生が言った。/ あたしはキレて、目の前が真っ赤になった。「魔法のゆび」 でウィンター先生を強く指差すと、アッという間に‥‥ / 何が起こったかって? / 先生の顔に髭が生えて来たのよ! 黒くて長い髭が、ちょうどネコ(kat)の髭みたいな、もっと大きな髭が。その生える速さったら! あたしたちが考える間もなく、先生の両耳の先まで伸びたのよ。
    ロアルド・ダール 『魔法のゆび』

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    《Nevermind》(1991)から始まったNirvanaとBabes In Toylandのアルバム・カヴァの応酬(パロディ合戦)も漸く最終ラウンドに突入した。今までの経緯を纏めておくと、お互いに「性器」を露出したヌード、男児と幼女、人間と人形、水中に釣り下げられた1ドル紙幣と節くれだった指・掌、能動と受動、主体と客体、海中と月面‥‥という風に、あらゆる面で《Nevermind》と《Fontanelle》(1992)は対応し、後者は前者をパロディ化することで成立していた。「ネヴァーマインドな水中男児」 を「フォンタネルな月面幼女」へ変身させたのが第2ラウンドだとすれば、Nirvanaの《In Utero》(1993)は「幼女」を成長(人形→人体)させただけでなく、「男児」 を「胎児」として子宮内に内包した妊婦像のヌード、それも血管や内臓まで透けて見える人体解剖模型像という、前2作(オリジナル→パロデ ィ)を批評的に統合・止揚した巧緻極まりないアルバム・カヴァを用意する。

    しかも女体像の両肩に天使を想わせる一対の翼を描き加えることで、男女の性差までも超えてしまった。「妊婦」で、しかも「天使」であるという2重の両性具有体(天使が一種のアンドロギュヌスであることは言うまでもない)は、それ自体が理想的で怪物的な存在であるのと裏腹に、聖母マリアの処女懐胎のごとく、大いなる矛盾体に他ならない。しかし、アンドロギュヌスという男女の究極的な統合は同時に「退行」の始まりでもある。その予感の惨たらしい現実として、Kurt Cobainの「自殺」(1994年4月)が用意されていたと考えるのは穿ちすぎだろうか。もしNirvanaとBabes In Toylandの「パロディ戦」が順調に続けられたならば「妊婦の天使像」の次に来るのは、近年のCindy Shermanの作風から考えて、サイボーグやアンドロイドになると予想していただけに、Kurt Cobainの突然の「死」はショ ックだったし、Babes In Toylandに与えた衝撃も量り知れないものがあったはず。彼女たちのニュー・アルバムを期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで待つことになる。

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    Babes In Toylandのメジャー3作目《Nemesisters》(Reprise 1995)のアルバム・カヴ ァは深刻さよりも失笑を誘う種類のものだった。Cindy Shermanの写真から一転して、オドロオドロしいヘヴィメタ御用達風イラストへ。モンスター3姉妹が挑発、威嚇する見事な裏切り行為。この予定変更(?)はKurt Cobainの「自殺」が齎したものなのか、パロディ回路は断たれてしまったのか、彼女たちの真意は?‥‥など、様々な疑問符が脳裡を飛び交う。「Nemesisters」 というタイトルはギリシア神話に登場するネメシス(Nemesis)とシスターズ(sisters)の造語になっているが、女性トリオ→3姉妹という点から見るものを石に変えてしまうゴルゴン3姉妹や、「復讐の女神たち」 エリーニュエス(Erinyes)のイメージも混在しているのかもしれない。いずれにしても怖しい容姿の怪物で、後者は《翼を持ち(あらゆるところを、海山の障害を超えて、犯罪者を追跡してゆくという意味で)、髪には無数の蛇が巻きつき、黒い衣を見に纏うて、手には炬火か鞭かを携える》(呉茂一『ギリシア神話』)という。

    余り見つめたくはないけれど、ネメシスターズの3人娘に目を転じてみよう。頭の上に大きなチェリーを載せた左側のLori Barberoは、顔以外の躰の各部位がハム、ソーセージ、バナナ、チーズ、ロブスター、パイナップル、チーズ、オレンジ、オリーヴ、骨付き肉‥‥などから成るアルチンボルド化したアレゴリカルな女、下方から伸びた手(スリーヴが折り曲げられているので外からは見えない)が「フォンタネル幼女」の変奏であることを仄めかす、欲望の対象(この場合は食欲)としての女である。右側のビックリ箱から跳び出した緑色の怪物メドゥーサ(蛇女)Maureen Hermanは、客体・受動的な左の媚態女に対して、主体・攻撃的なモンスター女‥‥メジャー2作目《Painkillers》(1993)の怪人のマスクを被った少女人形の「復讐劇」を想わせる。つまり、左右の怪物たちはBabes In Toylandの2枚のアルバムを象徴しているのだ。

    中央に位置するKat Bjelland‥‥天使と悪魔の翼を有し、左右の手に洋剣と燭台を捧げ持つアンビヴァレントな人魚姫は一体何を意味しているのだろうか。彼女こそ人体模型の天使像の変わり果てた姿に他ならない。Nirvanaの《In Utero》はKat自ら扮したネメシスによってパロディ化されたのである。男女の統合であるアンドロギュヌス(両性具有者)が聖と邪、善と悪、天と地‥‥という二律背反のモンスター(合成物)に変身したと言い換えても良いだろう。それにしても妥協がないというか、手加減を知らないというか、あたかも死者を鞭打つかのような容赦ないアルバム・カヴァではないか。これでは「天使と一緒に眠っている」(Sleeps With Angels)男も浮かばれないなぁと思うのは余計な穿鑿だろうか。しかし、この怪物化したネメシス3姉妹のイラストからKurt Cobainの「死」を思い浮かべる人は殆どいないでしょう。

    天使と悪魔のネメシスには隠された下半身があった。彼女にはアンデルセンの「人魚姫」のようなファンタジーが秘められているのかもしれない。人間の娘に戻れる可能性があるという希望。虚勢は悲鳴の裏返し‥‥こんな怪物に誰がしたと恨みがましいことを悪魔憑きの少女の咆哮と天使のような猫撫で声で繰り返す。ある青年の「死」が少女を「人魚」に変えてしまった哀しい恋の物語。この魔法は解けるのだろうか。誰が解くのだろうか。一般には「復讐」と訳されることの多い「ネメシス」の正しい語義は「不当なことに対する憤り」、すなわち「義憤」のことである。そのために、エリーニュース(Erinys)の刑罰も執行者としての性格が強い。ではネメシスターズの「義憤」とは一体何か?‥‥不当に低い評価。思うように伸びないアルバム・セールス。それとも、これまでの一連のパロディに誰も気づかないことでしょうか。

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    《To Mother》(Twin / Tone 1991)はBabes In Toylandがインディーズ時代にロンドンで録音した7曲入りミニ・アルバム。メンバーはKat Bjelland(ギター&ヴォーカル)、Lori Barbero(ドラムス)、Michelle Leon(ベース)の3人で、少女時代のモノクロ写真を使ったアルバム・カヴァ(Katちゃん)が愛らしい。リズム・チェンジを繰り返す、変則パンクの〈Catatonic〉。操縦士キャットが絶叫して、アクロバット飛行しているような〈Mad Pilot〉。Lori Barberoのヴォーカル曲〈Primus〉‥‥虚飾を脱ぎ捨てて疾走する体脂肪率の少ないソリッドなパンク・ナンバー主体だが、鋪装された平坦な道を直線的に走っているわけではない。グランジがパンクから派生したことを裏付けるアルバムの1枚かもしれない。ラストに収録された静謐なインスト曲〈Quiet Room〉は《Fontanelle》に再録されることになる。


    CruntはKat Bjellandが旦那のStuart Grayと結成した3ピース・バンド。Katのサイド・プロジェクトかと思ったら大間違い!‥‥大爆発しているのは亭主の方で、彼女は静にベースを弾いていた。デビュー・アルバム《Crunt》(Trance 1994)にはKatのヴォーカルによるBabes In Toyland風の〈Unglued〉も1曲だけ愛嬌で収録されているものの、ここでの主役はStuart Grayの方で、彼女は夫を立てる良妻賢母(?)よろしく裏方に徹している。Jon Spencer Blues Explosion(JSBX)に似ているなぁと思ってインナー・スリーヴを確認したら、Russel Siminsがドラムを叩いていた!‥‥一体どういう「人脈相関図」なのかと一晩考えましたね。2組の夫婦がドラマーを軸にしてジョンスペ(JSBX)とCrunt、Boss Hog(Jon Spencer&Christina夫妻のバンド)とBabes In Toylandが美しい(2人の奥さん)相似形を形成していたのだ。Cruntのデビューが2〜3年遅かったら、もう少し注目を集めたんじゃないかという気もする。ヒップホップ的なアプローチが見え隠れする兄貴分のJSBXに較べるとヒネリが足らないけれど。

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    Babes In Toylandはネメシスターズヘ、少女は怪物へ変身した。ネメシス3姉妹の逆襲というわけなのか、パンキッシュな疾走感を押さえた分だけボトムが重く、サウンドも暗鬱になったのはSteve Albiniが録音した《In Utero》に相通じるところがある。同じグランジ仲間(ライヴァル?)として意識しているのは、Nirvanaのアルバム・カヴァだけではないという証左である。スローダウンすることで相対的に1曲当たりの演奏時間も長くなる。Katの猫撫で声と獣の咆哮が交錯する〈Sweet '69〉〈Memory〉〈S. F. W〉。中近東っぽい旋律がエグゾチックな〈22〉。グランジ風の倦怠感と閉塞感に覆われる〈Ariel〉。XTCの変名アルバムみたいに、Nemesistersという新人女性トリオのデビュー・アルバム( 「Babes In Toyland」 というタイトルと誤認した人もいるかもしれない)として聴く愉しみ方もある。

    天使と悪魔が共存するKat Bjelland(ギター)のヴォーカルではなく、Lori Barbero(ドラム)が3曲、Maureen Herman(ベース)も1曲で歌っている。恐らく本編(11曲)の「付録」という趣向なのかもしれないラスト3曲のカヴァ・ソングも意表を衝く選曲で、お下劣で悪趣味なオカルト・コミック誌のようなアルバム・カヴァとは別の意味で笑える。Katがアウト・オヴ・キーで歌うEric Carmenの〈All By Myself〉は美しくも狂おしい(アルバムの白眉でしょう)。Loriがアカペラで歌うBillie Holidayの〈Deep Song〉は真面目くさって素っ気ない。そして「ネメシスターズの逆襲」は、それまでの重苦しくダークな世界が、まるで「悪夢」だったかのような高揚感と幸福感に包まれるSister Sledgeの大ヒット曲〈We Are Family〉で幕を下ろす‥‥それは同時にBabes In Toylandの終幕の始まりでもあったのだが。

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    • 〈ネメシスターズの逆襲〉は〈フォンタネルの復讐〉の続編です^^

    • 『魔法のゆび』(評論社 2005)にある「ちがいます。c-a-tです」という部分は原文にはありません。「cat」ではなく「kat」表記なのは、1人称の視点で書かれているからでしょう。『The Magic Finger』からの引用文は拙訳です^^;
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    Nemesisters

    Nemesisters

    • Artist: Babes In Toyland
    • Label: Warner Bros.
    • Date: 1995/05/09
    • Media: Audio CD
    • Songs: Hello / Oh Yeah! / Drivin' / Sweet '69 / Surd / 22 / Ariel / Killer on the Road / Middle Man / Memory / S.F.W. / All by Myself / Deep Song / We Are Family


    To Mother

    To Mother

    • Artist: Babes In Toyland
    • Label: Twin/Tone
    • Date: 1991/07/01
    • Media: Audio CD
    • Songs: Catatonic / Mad Pilot / Primus / Laugh My Head Off / Spit To See The Shine / Ripe / Quiet Room


    Crunt

    Crunt

    • Artist: Crunt
    • Label: Trance Syndicate
    • Date: 1994/02/14
    • Media: Audio CD
    • Songs: Theme from Crunt / Swine / Black Heart / Unglued / Changing My Mind / Snap Out of It! / Sexy / Punishment / Spa / Elephant


  • For months I had been telling myself that I would never put the Magic Finger upon anyone again ー not after what happened to my teacher, old Mrs. Winter. / Poor old Mrs. Winter. / One day we were in class, and she was teaching us spelling. "Stand up," she said to me, "and spell kat." / "That's an easy one," I said. "K - a - t." / "You are a stupid little girl!" Mrs. Winter said. / "I am not a stupid little girl!" I cried. "I am a very nice little girl!" / "Go and stand in the corner," Mrs. Winter said. / Then I got cross, and I saw red, and I put the Magic Finger on Mrs. Winter good and strong, and almost at once ... / Guess what? / Whiskers began growing out of her face! They were long black whiskers, just like the ones you see on a kat, only much bigger. And how fast they grew! Before we had time to think, they were out to her ears.
    Roald Dahl 『The Magic Finger』



  • なんか月かまえから、わたしは、もう2度と〈魔法のゆび〉を使ってはいけないと心に決めていました。──だって、ウィンター先生が、あんなことになってしまったあとなんですもの。/ かわいそうなウィンター先生。/ あの日、先生は、わたしたちに書きとりを教えていました。/「あなた、起立して」と、先生は、わたしに言いました。「キャットのつづりを言ってごらんなさい」/「そんなのわけないわ」と、わたしは言いました。「k−a−tです」/「ちがいます。c−a−tです。だめな子ねえ、あなたは」/「わたし、だめな子じゃないわ。わたしは、とってもいい子よ!」/「いいから、そこへ行って立っていなさい」と、ウィンター先生は、教室のすみを指さしました。/ わたしは、カッとなりました。そして、目のまえがパーッと赤くなり、わたしはウィンター先生に〈魔法のゆび〉を使ってしまいました。すると、たちまち‥‥ / どうなったと思う? / 先生の顔に、ひげが生えはじめたの! ピンととんがってて、細長くて、黒くて、ちょうどネコのひげみたい。その生え方の速いこと。見る見るうちに、先生の耳の先まで伸びちゃった!
    ロアルド・ダール 『魔法のゆび』


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