SSブログ

シンジラレネーション !? [c o m i c]



  • 「『?』はクエスチョンマーク / クエッションマークはまちがった発音ですぞ」/ と私はむかし黒板をたたいて言ったので / 健忘症ぎみの今でもこれだけは忘れないで / おります(しめきりは忘れるけど‥‥)/ で これは造語ということになりますが / 私どもは『!』マークを通常「ビックラゲイションマーク」/ あるいは「ブッタマゲイションマーク」と /よんでおります / じゃあ『!?』マークは何とよぶか / これこそ「シンジラレネイションマーク」なのです / だから作者のイメージになるべく近く / ネームを読もうとするならば /「みたこともないような美しさ!! / これは神の猫か!?」は「みたこともないような美しさ / ビックラゲイションブッタマゲイション / これは神の猫かシンジラレネイション」と / 読むことになるのです
    大島 弓子 「ユーミンおもちゃ箱」


  • 「シンジラレネーション」(1977)の主人公は言いたいことを言えない、手も足も出ない自称「みの人間」。河原昼間(高1)は橋から身投げしようとしている少女(パンツ丸見えの逆さ吊り状態!)を救う。スケ番風の女子高生・朝田夕(ゆうべ)は自殺を邪魔された腹いせに昼間に交際することを強要する。映画館(コメディ映画)、長電話、カレー店、ジェットコースター‥‥理想的な新婚家庭(夫の帰りを待つ週末の新妻)を覗き見る。異変に気づいた昼間は彼女の後を追う。山頂の崖から飛び降りて自殺?‥‥下着姿で山の中を走る少女。セーラー服を着せられた昼間(坂道の途中で疲れて眠ってしまったのだ)。「女は1度に1人の男しか愛せないが、男は1度に肋骨の数だけ女を持てる」という男性客の会話に怒った昼間は書店で大乱闘を起こす。彼は「みの」を脱ぐことが出来たのか?‥‥昼間(作者)はフィニッシュが決まらないことがシンジラレネーションだと言い訳しているけれど。

    「ローズティー・セレモニー」(1976)は憧れの恋人と一緒にローズティ(薔薇茶)を飲みたいと夢想する少女の物語。土屋静子(高2)はクラスメートの田谷高太郎にラヴレターを出すが、彼には10年来の「恋人」がいた。高太郎は学内で「テスト廃止」を訴える一方で、夜ごと酩酊して大学生の恋人(♂)と遊び呆ける自堕落な生活を送っていた。「倒錯の森で大きくなった」2人にショックを受けた静子だが、「テスト廃止」の張り紙に引用されたポール・エリュアールの詩、《ぼくの生徒の日のノートの上に / ぼくの学校机と樹木の上に / 砂の上に 雪の上に / ぼくは書く / おまえの名を》に感動して彼に協力する。しかし、高太郎は生徒総会の発言中に突然貧血で倒れてしまう‥‥。全国の高校で勃発した「制服の自由化」や「試験廃止運動」。その昔、母校の生徒会長は学内に喫茶店を作りたいと発言して周囲から失笑されていたけれど、彼の主張は30年早かった。

                        *

    17歳になって前髪を分けた上落合冬彦は英国のスーパースター、ピーターピンクコートそっくりの容姿だった。一番始めに気づいたのがピンクコート・ファンクラブの一員でもある小守待子と熱狂的なファンの1人である国子(冬彦の姉)。その姉貴の手練手管で「和製ピンクコート」に仕立てられた冬彦は一躍D高学内の人気者になる。P・Pファンクラブの自己紹介で待子に恋人がいないと知って安堵する冬彦。彼はバスの中で彼女に人目惚れしていたのだ。初デートで明かされる手作りビスケを食べた後に苺を食べるとラッカー(薬品)の匂いがするという〈ラッカー行進曲〉の秘密。P・Pの歌は悲しい。彼女の告白を無視して旅立った大学生‥‥待子は「ある日 突然 / 勇気が満タンに / なったとき」に、彼の許へ行けるかもしれないと心境を吐露する。自分とP・P、贋物と本物の狭間で苦悩する冬彦。彼は全校生徒謝恩会でピンクコートを演じることになるのだが‥‥。

    『シンジラレネーション』(朝日ソノラマ 1982)に収録されている「ヒーヒズヒム」を何度目かに読み返した時に異和感を覚えた。「プチコミック・大島弓子の世界 Part2」(小学館 1978)に再録されていた「ヒー・ヒズ・ヒム」と参照してシンジラレネーション‥‥左右のページが逆だったのだ。「ヒーヒズヒム」はモノクロ表紙なので1コマ目は右ページ、《ピーター・ピンクコート!! / 現代の妖精!! / 現代のスーパースター!!‥‥に / 日本の冬彦君は / 少し似て生まれてきたのでした》というキャプション入りのプチコミック版「ヒー・ヒズ・ヒム」は表紙が右で1コマ目は左ページから始まる。活字メディアと違って、「絵」主体のマンガは左右が逆だと印象が異なるし、ラスト頁が右か左(見開き)では読後感も著しく異なる(たとえば「あしたのジョー」の最終頁)。どうして今まで気づかなかったのだろうか。

    初出の週刊マーガレット(1978 no.8)が手許にないので断言は出来ないけれど、雑誌掲載時の「ヒー・ヒズ・ヒム」の表紙がカラーだったことは『シンジラレネーション』のカヴァに転用されていることで分かる。恐らく週マのカラー表紙の裏は広告だったのではないか。つまり左頁から1コマ目が始まるのが「ヒー・ヒズ・ヒム」のオリジナルで、右頁から1コマ目が始まる「ヒーヒズヒム」が編集版‥‥作者はタイトルの違いで2ヴァージョンを区別しているのではないだろうか。もしそうならば、『四月怪談・大島弓子選集8』(朝日ソノラマ 1986)や『バナナブレッドのプディング』(白泉社 1995)に収録されている同作品のタイトルが「ヒー・ヒズ・ヒム」ならオリジナル通り1コマ目が左頁から始まっているはず、逆に「ヒーヒズヒム」なら右頁から‥‥と思って確認したけれど、2篇とも「ヒー・ヒズ・ヒム」のタイトルで右頁から1コマ目が始まっていた。

    読者の勝手な思い込み・妄想だったのか(残念だなぁ)。それにしては初出「ヒー・ヒズ・ヒム」(1978)→ 新書判「ヒーヒズヒム」(1982)→ 選集 / 文庫「ヒー・ヒズ・ヒム」(1986 / 95)というタイトルの変遷は不可解である。少なくとも「選集」以前はタイトルの違いで2ヴァージョンを区別していたような気がする。左右逆ページの編集が成立するのは見開き1コマがないから。右頁から1コマ目が始まる現ヴァージョンでも特に不自然なところはないけれど、ラスト頁は身開きで終わっていた方が余韻が残る。「選集」の右ページ(P30、P42)のコマ割りが不自然なのは雑誌掲載時、左端に縦長の広告(オリジナルは左頁)が入っていたから。ちなみに『シンジラレネーション』に収録されたヴァージョンではコマ枠外が黒ベタ、プチコミック版では「スポンサー線がでた日」という書き下ろしのミニコラム(イラストと文)になっていました。

                        *

    毎日朝早く家を出て遠回りで登校する息子の様子を見て、「恋人」が出来たに違いないと喜んだ父親は密かに彼の後を尾つける。しかし、公平君(高1)の初恋の相手は同じ高校に通う同学年の男子生徒だった。バカ息子が「ゲイ・薔薇族・オカマ・男色」になってしまう前に女性の魅力に目覚めさせようと画策する父親は、親友の娘・朝丘結を(郵送出来ない貴重な古書を写本するという口実で)東京から呼び寄せて自宅に2〜3日滞在させることにするが、逆に結は学園のアイドル的存在の千住まといを追い回す女の子たちの中に混ざりたいという公平の気持ちを聞き入れて、彼の「女装」を手助けすることに‥‥。ところが、ストレート人間の千住は女装した男子だとは気づかずに公平に恋をしてしまう。一生女装したままの姿では暮らせない、いつかはバレると悟った公平は別れの言葉を「恋人」に告げる──「河童なんだ / わたしは」。公平と結の関係がプラトニック・ラヴならば、公平と千住はパスカリック・ラヴ!(「パスカル的恋愛」はキスしてもOK?)‥‥実は最後に、もう1つのプラトニック・ラヴの存在が明かされるのだが。

    《日本において / 人々は葦を「悪し」に通じ / 忌んで「善し」と呼ぶようになる / ではなぜ / 「人間は考える葦(よし)である」と / 呼ばないのだろうか // 家の近くの水辺に / 人の姿をすっぽりかくす / 背高い葦の大群落があった》‥‥「パスカルの群」(1978)には3種類の「本」が小道具として使われている。「その / 片手の本 / 持とう!! / 両手に荷物じゃ / まにあうように走れないよっ」と言って、遅刻しそうな千住まといから奪い取った2冊の「本」。朝丘結が写筆という名目で持参した「古書」。「いかに我河童を愛すか」というタイトルの小説が掲載された「雑誌」(月刊文芸8月号)‥‥。「本」は教室に着くや否や千住に返され、写本が完成した「古書」も結に返される。「本」と「古書」は本来の持ち主から一時的に他者の手に渡り、速やかに返却される。まるで恋人同士の実体のない「キス」交換のように。千住の書いた処女小説は公平と結が読むことで間接的に2人へ手渡される。「本」と「古書」「いかに我河童を愛すか」はプラトニック〜パスカリック・ラヴの隠喩ではないだろうか‥‥《げに / したたかな / パスカルの群》。

                        *

    『シンジラレネーション』の巻末に収録されている「エッセイ」(1981)は月刊DUOに連載された大島弓子の近況報告で、イラストと文(1頁)で構成されている。「さかさ食パン」「縦じわ・ベートーベン」「ゲジゲジ眉毛」「鼻・口なし」「モンペ」‥‥自画像のユーミン・キャラは傑作ですね。「記念に1枚書かせてね」は「永い冬休み」明けの初仕事。「"ぬりえ"からはじめなくっちゃ」で初心に帰り、「ふゆがくるなあ」で冬仕度。《突然玄関の前で猫の呼ぶ声がするので / ドアを開けたら5ヵ月くらいの黒猫がとびついてきた‥‥》という文章で始まる「うたたねの恋だった」は、後に文庫版『猫だましい』(新潮社 2002)に収録された「感想マンガ」と同じエピソードでしょう。この猫エッセイ・マンガは『グーグーだって猫である』(角川書店 2000)シリーズで花開きます。

                        *
                        *




    シンジラレネーション

    シンジラレネーション

    • 著者:大島 弓子
    • 出版社:朝日ソノラマ
    • 発売日:1982/04/28
    • メディア:新書
    • 収録作品:シンジラレネーション / ローズティー・セレモニー / ヒーヒズヒム / パスカルの群 / エッセイ


    プチコミック(Petit comic)

    プチコミック(Petit comic)

    • 特集:大島弓子の世界 PART 2
    • 出版社:小学館
    • 発売日:1978/09/01
    • メディア:雑誌
    • 目次:草冠の姫 / ローズティー・セレモニー / いたい棘いたくない棘 / タンポポ / ヒー・ヒズ・ヒム / シンジラレネーション / ユーミン / 大島弓子作品一覧 / ユーミンおもちゃ箱

    コメント(2)  トラックバック(0) 

    コメント 2

    miyuco

    いえいえどういたしまして^^;
    「ヒー・ヒズ・ヒム」
    のラストは見開きをイメージして読むことにいたします。

    カラーと扉絵を収録して当時の作品を完全に再生した
    「大島弓子パーフェクトセレクション」をどこぞの出版社が
    発売してくれることを願っています。
    でも、もう原稿が揃ってないかもしれないですね(v_v。)

    by miyuco (2008-06-27 14:36) 

    sknys

    miyucoさん、コメントありがとう。
    「ヒー・ヒズ・ヒム」の記事(画像)を見て異和感を感じました。
    「選集」が右頁で終わっているのなら「ヒーヒズヒム」ではないかと‥‥。

    ラスト2頁は枠外が黒ベタなので、見開きの方が決まっています^^
    「大島弓子選集」も「萩尾望都作品集 第2期」のように、
    雑誌掲載時のままカラー頁が再現されていると良かったのですが。

    みっきいさんの記事がなければ〈シンジラレネーション !?〉を
    書くことはなかったでしょう。
    その意味では、とても感謝しています(怪我の功名?)。
    by sknys (2008-06-27 21:39) 

    コメントを書く

    お名前:
    URL:
    コメント:
    画像認証:
    下の画像に表示されている文字を入力してください。

    トラックバック 0