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ムンクの娘 [a r t]



  • 宵に宵を継いで意識は流れ、夢は夢を生み、新しい詩、本、戯曲、あるいはカンヴァス、錬金術の実験、科学の発見をうながす霊感を呼び起こす。そこで語られた話題は夢、催眠術、連想、カラー写真、「モーターを駆動する空気中の電気」、魔術、呪術、遠隔操作で敵を殺す方法、悪魔を呼び出す方法、石炭からヨウ素を採取する方法、卑金属から金や銀を製造する錬金術、植物には神経があるか(ストリンドベリは果実にモルヒネを注入して近在の果樹園主を仰天させた)、光のスペクトル分析、物理学、蚕抜きに水性の絹を製造する方法、象徴が作用する仕組み、脳に対するまじないと薬品の効き目、性愛の力学などがある。かれらの試みはむこうみずなくらい大胆で、それなりの自己犠牲も伴った。度を越したことは、肉体、精神、心理にどのような負担を強いようともエネルギーを産む源と考えられていた。クリスティアニアの仲間がベルリンのサークルに仲間入りした。ダグニー・ユールは医者の娘で二十五歳、ノルウェー首相の姪にあたる。到着に先立ち、ダグニーは「関心を惹くため」黒豚亭に写真を送った。
    スー・プリドー 「神は死んだ、ベルリン」


  • 〈ムンク展〉(国立西洋美術館 2007-08)は、「生の不安──愛と死」と題された26年前の〈ムンク展〉(東京国立近代美術館 1981)の暗く沈んだ印象とも、〈冬の国──ムンクとノルウェー絵画〉(国立西洋美術館 1993)の尖った針葉樹林が屹立する冷たい世界とも異なったイメージに包まれている。代表作品を束ねた〈生命のフリーズ〉を中心に「装飾画家」という側面から光を当てたユニークな展覧会で、ムンクが手掛けた7つの装飾プロジェクト──〈生命のフリーズ〉、アクセル・ハイベルグ邸、リンデ邸、ラインハルト(ベルリン小劇場)、オスロ大学講堂、フレイア・チョコレート工場、オスロ市庁舎──を時系列順に展示。油彩・水彩・版画・素描・習作・下絵・彫刻など‥‥「オスロ市立ムンク美術館」の所蔵作品を中心に全108点で構成されている。

    「装飾画」と言うとアブストラクト風の壁画や銭湯の風景画を連想してしまうけれど、「フリーズ」(frieze)とは建築における帯状の装飾を指す用語。ムンクの「フリーズ」は独立したタブローを壁に帯状に並べることで、新たなイメージを鑑賞者に喚起させることを目論む。絵画と絵画の観照から湧き上がる清冽なイメージ、まさに行間ならぬ「額間」を読む行為に等しい。シリーズ全体で1つの作品を形成する「連作」や、空間も作品の一部と看做すインスタレーションへと繋がる展示方法である。鑑賞者に見られることで初めて完成する絵画(アート)という今日的なテーマも先取りされている。北の国からの展示作品だからというわけでもないでしょうが、真冬の会場としては館内が異常に寒すぎた(作品保護のための環境?)。もし省エネ政策の一環だとしたら、文字通り「お寒い」(freeze)限りですね。

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    エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch 1863ー1944)はノルウェーのルーテン生まれ(当時、軍医だった父親がルーテン村に駐屯するオステルダルスク狙撃兵団に同行していた)。《父は気難しい性分で、異常なほど信心深く、神経症に近い人だった。わたしはこの父から狂気を受け継いだ》とムンクも書いているように、父クリスティアンから精神疾患という狂気を、母ラウラ(5歳の時に結核で亡くなった)から病弱な体質を受け継いだと思って、生涯独身を貫き、子孫を1人も残さなかった。ムンク少年も13歳のクリスマスに生死の境を彷徨い、翌年11月には姉ソフィエを母と同じ病いで失う。妹ラウラの病状(統合失調症)、弟アンドレアスの急逝‥‥母の代わりを務めることになるカーレン叔母(母の妹)とは生涯、手紙による交流が続いた。

    ベルリン分離派展(1902)で初めて展示された〈生命のフリーズ〉の22点はムンクの代表作。血のように赤い女の髪が蹲る蒼い顔の男を覆う〈吸血鬼〉(1893ー94)。左手で頭を押さえる蒼白の男と、両手を頭の上で組み、胸をはだけて赤い下着を露出させた女を左右に対比した〈灰〉(1925ー29)。精神を病んだ妹ラウラが椅子に坐る、丸テーブルの赤い模様が脳の断面図を想わせる〈メランコリー、ラウラ〉(1899)。赤い空と青灰色のフィヨルド、左上から右下へ斜断する橋の上の人物‥‥〈叫び〉(1893)と同じ構図と色彩で描かれた〈絶望〉(1893ー94)と〈不安〉(1894)。両手を後ろで組んだ赤いドレスの女と、その左後ろで海を眺める白いドレスの金髪女を対比する〈赤と白〉(1894)。左にクリーム色のドレスの女(オーセ)、中央に脚を開いて両手を頭の後ろで組んだヌードの女、右に青白い顔の黒服女‥‥少女〜壮年〜老年期を象徴する3人の女たちが右端の男を誘惑する〈女性、スフィンクス〉(1893ー94)。

    全裸の男女(ムンクとトゥッラ)が「生命の木」の右と左に立つ〈メタボリズム〉(1899ー1903)は凝った造りの木の額(上部に風景、下部に骸骨と木の根が描かれている)に填められている。左に白いドレスの女(トゥッラ)、中央で黒服と赤いドレスの男女が踊り、右端の黒いドレスの女が(嫉妬の眼差しで)見つめる(その間の奥では欲情した男が女を抱きしめてキスを強要している)〈生命のダンス〉(1925ー29)は、男女の自由恋愛の遍歴と苦悩を左から右へ描く。両手を後ろに回して胸を突き出した女性が目を閉じてキスを誘う〈声 / 夏の夜〉(1893)のモデルは、ムンクの初恋の人ミリー・タウロウ(遠縁の従兄の妻)‥‥〈生命のダンス〉にも描かれていた水面に映る黄色い月の光の柱、セックスを暗示する「魔術的なシンボル」(ウルリヒ・ビショフ)が輝く。

  • 彼は彼女の腰に腕をまわして坐っていた──彼女の頭は彼のすぐそばだった──彼女の眼や口や胸がこんなにぴったり寄せられているのは何とも奇妙な感じだった── / 彼は1本1本のまつ毛を眺めた──眼球の緑がかった色あいを眺めた──それは海のようにすきとおっていた──ひとみは大きくて、半ば暗くかげっていた── / 彼は指先で彼女の口に触れた──やわらかな唇の肉は彼が触れるがままにへこんだ──そしてその唇はほほえみへと変わっていった その青灰色の大きな眼がじっと自分を見つめるのを感じているうちに──彼は赤い光を映している彼女のブローチをしげしげと眺めた──ふるえる指先で触ってみた / それから顔を彼女の胸に押し当てた──血管の中で血が激しく流れるのが感じられた──彼女の鼓動に耳をすました──彼女の膝に顔を埋めた 燃えるような2つの唇が首筋に触れるのが感じられた──凍えるような冷たさが身内をつらぬいた──凍えるような欲情が──それから彼女を力いっぱい引き寄せた 自分の方へ
    エドヴァルド・ムンク 「間奏曲」


  • 〈吸血鬼〉(1916ー18)は一番最初に展示されていた同名作品の野外拡大ヴァージョン。ムンクは同じテーマやモティーフ、構図の絵画を繰り返し何回も描いているし、タイトルにも制作年にも頓着しない。〈吸血鬼〉は〈愛と苦痛〉という題名をプシビシェウスキが「象徴派風のより煽情的なタイトルに変更したもの」である。別れた女の金髪が長く靡いて失意の男に絡み着く〈別離〉(1896?)。紅い果樹の下で密会する男女(ムンクとダグニー)に嫉妬する夫スタチュ(スタニスラウ・プシビシェウスキ)を前景に描いた〈嫉妬〉(1895)の続編とも言うべき〈赤い蔦〉(1898ー1990)──赤い不吉なアメーバに覆われたヒョステルー邸が気味悪い──は「ダグニー殺害を象徴的に記念する」。左下に紫色のフードを被った男が描かれた〈嫉妬、庭園にて〉(1916ー20)も、妻の浮気に嫉妬する夫というモティーフのヴァリエーションの1つでしょう。

    青い色調が美しい〈星月夜 1〉(1922ー24)。「魂の絵画」の第1作目で「後に表現主義の最初の傑作として知られることになる」〈病める子供〉(1925)の初期ヴァージョンがオスロ秋季展(1886)に展示された時は「物笑いの種」にされた。《ムンクの気違いじみた絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった》(スー・プリドー)という。籐椅子に坐っている瀕死の少女ソフィエの傍らで頭を下げて泣く母ラウラという構図だが、現実では娘の死の前に母親は既に病死している。母親役のモデルを務めたのはカーレン叔母で、ソフィエ役は赤毛の少女ベッツイ・ニールセン(12歳)である。19世紀末のノルウェー市民や美術批評家の多くは、ムンクの20世紀的な「魂の絵画」を全く理解出来なかった。同じ主題の絵でも鑑賞者1人1人によって感じ方が違う。《ムンクは主観性の放棄を否定した》のである。

    「人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾」は1896年の夏、ムンクがハイベルグ邸に短期滞在して描いた人魚のパネルで、《月光が縞をなす海辺から人魚がオースゴールストランの浜辺に姿を現わす》というもの。〈リンデ・フリーズ〉はドイツ人の眼科医マックス・リンデ博士の4人の息子の子供部屋のために制作された横長の連作(11点)だったが、子供らしいテーマの風景画という依頼主の期待に応えられなかった。なぜなら、性愛や孤独や死という実存テーマが隠れていたから‥‥。実体験に基づく実存的な絵画しか描けないムンクに、子供たちに夢を与える絵を注文すること自体に無理があったのではないか。〈果物を収穫する少女たち〉(1904)も額面通りに受け取れない深淵が覗く。〈ラインハイト・フリーズ〉は劇団を主宰するマックス・ラインハルトの依頼で制作したテンペラ画12点で、小劇場2階のロビーに飾られた。

    「オーラ:オスロ大学講堂の壁画」は創立100周年を記念して建設された講堂の壁画で、大小11点のフリーズが制作された。海から昇る白い大陽が放射状の黄色い光線を放つ〈太陽(習作)〉(1912)。海辺で老人が幼い少年に「歴史」を語る〈歴史〉(1914)。「恵の母」「母校」という意味の〈アルマ・マテール〉(1914)は《赤子を胸に抱く頑強そうな体格の若い母親が未来を象徴する》。〈フレイア・フリーズ〉はノルウェーのチョコレート製造会社フレイアの社員食堂のための装飾画。《ムンクは「チョコレート好きの少女」たちが昼食をとりながら眺めて喜びそうなものをすべて採り入れて心の浮き立つ陽気な浜辺の情景をフリーズに描いた》。〈労働者フリーズ〉はオスロ新市庁舎のための壁画プロジェクト。〈雪の中の労働者たち〉(1909ー10)、〈疾駆する馬〉(1910ー12)、〈労働者と馬〉(1920?)‥‥というタイトル通り、「労働者」と「馬」と「雪」が主役になっている。

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    ムンクに大きな影響を与えた2人の人物にも触れておこう。ハンス・イェーガーは無政府主義のニヒリストで「クリスティアニア(現オスロ)のボヘミアン」の首領。同世代の若者を「堕落させるか自殺に追い込むのが目標」で、信奉者の1人ヨハン・セックマン・フレイシャーが書いた戯曲を貶して、彼をピストル自殺に追い遣った。ボヘミアン・グループの9戒は「1. 汝、自らの人生を記せ」‥‥「9. 汝、自らの生命を奪え」である。アウグスト・ストリンドベリはベルリンのワイン・バー「黒豚亭」の常連。ムンクと意気投合して、お互いに絵画を「共同制作」するなど親密な交際を続ける。黒豚亭では悪魔主義の占星術師スタニスラウ・プシビシェスキを中心に、夜を徹して白熱した議論が交された。ニーチェ、イプセン、マラルメ、ドストエフスキー‥‥などもムンクの創作活動に影響を与えた。

    若い頃の写真を見れば分かるように美青年のムンクは女性にモテた。人妻のミリー・タウロウ、司法長官の娘オーダ・クローグ、医者の娘でノルウェー首相の姪のダグニー・ユール、絵描き仲間のオーセ・ヌッレガール、ヴァイオリン奏者のエヴァ・ムドッチ、ワイン商の娘トゥッラ・ラーセン‥‥トゥッラはムンクを追い回して辟易させた(女ストーカー?)。彼女たちは絵のモデルになって名を残したが、終の住処であるエーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後も、家政婦兼モデル志願の若い女性たちがムンクの許を訪れた。カーレン・ボルゲン、インゲボルグ・カウリン(モスピッケン)、セリーヌ・クーヴィリエ、ヘルガ・ログスター、フロイディス・ミョルスタ、アンニ・フィエルブ、カティア・ヴァリエル、ビルギット・プレストー‥‥《娘たちは玄関の呼び鈴を鳴らし続ける》。ムンクは自分の絵を「子供たち」と呼び、売らずに手許に残して置きたがったが、「娘たち」にも恵まれていたわけである。

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    『ムンク伝』(みすず書房 2007)は英語で書かれたムンクの評伝だが、著者のスー・プリドーは美術史家で小説家。英国人でありながらノルウェーで洗礼を受け、本書にも登場する蒐集家のトマス・オルセンとヘンリエッタ夫人が大叔父・叔母という恵まれた環境で幼い頃からムンクの絵に親しんで来たという。ノルウェー語でムンクの残した膨大な日記や手紙、当時の文献や資料を読めるという強みもある。ひっこみじあん / 永久に結ばれ / クリスティアニアで過ごした少年期 / 鮮血の幟 / 信仰心の喪失 /「ぼくは画家になろうと思う」/「ブラウンソースはもうたくさん」/ 計算ずくの誘惑 / 朝飯前にちょいと一杯 / 安直な芸術と魂の芸術 / 美徳はペテン / サン=クルー宣言 / 変わり者 / 神は死んだ、ベルリン / 死の表徴 / 魔法を使う刺客 / 生命のダンス / 死と乙女 / 銃撃 / 地獄の自画像 / 狂気の醜い相貌 / 太陽、太陽 / 魂の居場所 / 頽廃芸術 / 舵をとり迎える死‥‥という全25章のタイトルからも面白さの一端が伝わって来る。読者はムンクと一緒に19世紀末から20世紀のヨーロッパを徘徊したかのような臨場感に包まれる。カラー・モノクロ図版(112頁)も豊富で愉しめる。

    『詩画集 ムンク』(美術公論社 1992)は副題に「ことばとイメージ」(原題『Words and Images of Edvard Munch』1986)とあるように、ムンクの油彩、版画、素描などに彼自身による「散文詩」を添えて再構成した詩画集である。ムンクが生前に果せなかった「版画と文章によるポートフォリオを作る計画」(粟津則雄)を編者のベンテ・トリューセン女史が実現する。その中心となるのは『鏡』シリーズの版画(25点)で、〈病める子供〉〈声〉〈接吻〉〈マドンナ〉〈吸血鬼〉〈魅惑〉〈嫉妬〉〈別離〉〈メランコリー〉〈灰〉〈叫び〉など‥‥ムンクの代表的な作品(テーマ、モティーフ)が並ぶ。壁の周りに複数のタブローを帯状に飾ることで鑑賞者に新たなイメージを喚起させる〈生命のフリーズ〉と同じように、「版画」と「散文詩」を組み合わせることで読者に化学反応を起こす「詩画集」を出版しようとしたのだ。

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    ムンク展

    ムンク展

    • アーティスト:エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)
    • 会場:国立西洋美術館
    • 会期:2007/10/06 - 2008/01/06
    • メディア:絵画


    ムンク伝

    ムンク伝

    • 著者:スー・プリドー(Sue Prideaux)/ 木下 哲夫(訳)
    • 出版社:みすず書房
    • 発売日:2007/08/10
    • メディア:単行本
    • 目次:まえがき / 題名と制作年に関する問題 / ムンクの使用した絵の具と画材 / ひっこみじあん / 永久に結ばれ / クリスティアニアで過ごした少年期 / 鮮血の幟 / 信仰心の喪失 /「ぼくは画家になろうと思う」/「ブラウンソースはもうたくさん」/ 計算ずくの誘惑 / 朝飯前にちょいと一杯 / 安直な芸術と魂の芸術 / 美徳はペテン / サン=クルー宣言 / 変わり者 / 神は死んだ、ベルリン / 死の表徴 / 魔法を使う刺客 / 生命のダンス / 死と...

    エドヴァール・ムンク

    エドヴァール・ムンク

    • 著者:ウルリヒ・ビショフ(Ulrich Bischoff)
    • 出版社:TASCHEN
    • 発売日:2002/04/30
    • メディア:単行本

    詩画集 ムンク ── ことばとイメージ

    詩画集 ムンク ── ことばとイメージ

    • 著者:エドヴァルト・ムンク(Edvard Munch)
    • 序・編:ベンテ・トリューセン(Bente Torjusen)/ 粟津 則雄(訳)
    • 出版社:美術公論社
    • 発売日:1992/11/30
    • メディア:単行本
    • 目次:序 / ことばとイメージ / 略語一覧 / 連作『鏡』作品一覧 / テキスト・註 / 訳者あとがき / 年譜 / 図版一覧 / 参考文献
    ムンク画集 ── 油彩、下絵、習作

    ムンク画集 ── 油彩、下絵、習作

    • 著者:アルネ・エッグム(Arne Eggum)/ 西野 嘉章(訳)
    • 出版社:リブロポート
    • 発売日: 1991/12/06
    • メディア:大型本

    タグ:art munch decadent
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    コメント 2

    miron

    ムンクについては良く知らなかったので、面白く拝読しました。
    ムンクが美男子で、娘たちに恵まれていたとは、驚きでした。
    冒頭の写真、ムンク的で、決まっていますね!
    by miron (2008-05-10 09:16) 

    sknys

    mironさん、コメントありがとう。
    病弱で暗い人というイメージは『ムンク伝』を読んで払拭されました。
    シニカルでアル中(アブサン!)でインテリで美男子^^

    ムンクは体験に根ざした実存的な絵しか描けなかったので、
    〈声 / 夏の夜〉のミリー・タウロウや〈マドンナ〉のダグニー・ユールなど
    ‥‥殆どの女性モデルを特定出来ます。

    妖艶な「ネコ娘」に誘惑されちゃうかも‥‥本当に猫なの?
    by sknys (2008-05-10 18:02) 

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