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岸辺のない海 [m u s i c]



  • 彼は灰色の表紙のノートに《岸辺のない海》と書き込む。《おそらく、すべての書かれる予定の作品は、書かれつつあるすべての作品を含めて、あるいは書くという意志によって存在することを夢見られたすべての作品は、決して完成されることはないだろう。いやはての海を求める航海のように、岸辺のない海の最中で、存在しない岸辺を求めるように。ぼくの小説は完成されることがないだろう。それでも、書き続けること。空虚をものともせずにだ!〔‥‥〕ぼくは街を歩く。ぼくは海岸を歩く。そう。ほっつき歩くのだ。旅立ちの情熱の欠如はとどまるという意志だ。窓の外には白い道がつづき、木立が木もれ日の斑を淡く落とす午後、夕方に近い午後、ぼくは窓辺に坐ってお茶を飲むだろう。砂糖ぬきの紅茶にラム酒を入れ、チョコレートを齧りながら》
    金井 美恵子 『岸辺のない海』


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    お色直しして毛色が変わった「ビョーキの猫ちゃん」(Sick Cat)や、燦然と輝く「クズ王国」(Kingdom Scum)が並んでいる新着CDコーナーの片隅に、TFUL 282(Thinking Fellers Union Local 282)のアルバム《I Hope It Lands》(Communion 1996)が人知れず、ひっそりと置かれている。彼らに関する情報を殆ど持ち合わせていないので、新録なのか旧作のリイシューなのか、それとも例の場つなぎ的ミニ・アルバムなのか全く見当も付かないが、曲数の多さ(17曲)に惹かれて買ってみた。ところがインナー・スリーヴには6曲分の歌詞しか記載されてない。「ヤバイ!」と舌打ちして恐る恐る聴いてみると、歌もの10+インスト7=17曲40分という(旧来のファンにはお馴染みの)曲間に断片やノイズやSE等を挿入することで「異化」効果を狙うTFUL 282スタイル全開のニュー・フル・アルバムだったのだ。

    巨大化したアヒルの化け物、もしくはネッシーみたいな恐竜が湖海から上陸してくる悪夢のようなイメージ(スリーヴ)は如何にも、このグループに相応しい。グランジ、ローファイ、スカム、モンド、ラウンジ、ポスト・ロック‥‥という最新のラベルが目敏い業界人たちの汚れた手によって「新しい波」に貼り付けられて行く中にあって、TFUL 282だけは、その掌から悉く零れ落ちて行く。兼ねてから彼らの特徴を表わす形容として 「weird」ほどピッタリする言葉はないと思って来たけれど、好きなミュージシャンたちを指折ると、Ween、Bongwater、Trumans Water、Honkies、God Is My Co-Pilot、Soulsなどのロック勢や、Tricky、Goldie、Molokoなどのトリップホップ系も含めて、みんなウィアードだったことに改めて気づく。今さら「キーワードはウィアード!」と声高に叫んでみても、誰も振り返らないけれど。

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    ウィアードなTFUL 282が希求する対象は「この世」以外の反世界‥‥端的に言って「死」と「夢」である。それらはメメント・モリ風の実存哲学的な省察ではないし、比喩的な意味で語られる「私の夢」でもない。破天荒なスター・トレック的なSFや気味悪いネクロフィリア的オカルト趣味もなくはないものの、その多くは「死後の世界」や「シュールな夢」といった形態をとる。つまり、睡眠中に見る「夢」を介在物として「死」と「眠り」がイコールで結ばれる非現実的世界(死=夢=眠り)なのである。たとえば、子供の頃に感電して生死の境界を彷徨う奇妙な臨死体験、ベッドに括り付けられて自由を奪われた今際の際の人間の「朦朧とした頭」の中に流れる混濁した意識、穢いものを洗い流す〜躰を浄める〜シャワーを浴びるイメージの奔流が、この上なく心地良い夢、愛妻の心臓に巣喰っているスズメバチを釘で突き刺したいと渇望している「妄想狂」の酸鼻を窮める告白‥‥。

    彼らの嗜好は《I Hope It Lands》においても何ら変わるところがない。〈Elgin Miller〉は偶然知ることになった知人(E・M)のミステリアスな「死」をめぐる歌。母親からの手紙の中の「Elgin Millerが死んだ」「毒入りレモネードを呷って死んだ」という記述に触発されて「私」の記憶が甦る。E・Mの運転するクルマが走って行くと話す窓際にいる父親の声、「私」は通夜の光景や荼毘に臥される遺骸、遺族たちの様子を想像したり、E・Mの彷徨える「霊魂」についても想いを巡らす。毒入りジュースを飲むに至ったE・Mの思考自体が怖しいと人々は感じるだろう。彼は消滅してしまったと考える人や、地獄の堕ちれば良いのにと願う人もいるかもしれない。止めどなく流れ出る「私」の意識は弔問客からE・M本人へと移行し、《E・Mのミステリ──自殺だったのか?‥‥もし、そうだとしても私は驚かない。8月の息吹き、湿っぽく重ったるい、老躯(aging frame)、レモネード──その響きは快い》と結ぶ。

    B級ホラー的状況が逆に笑える〈Brains〉は「シュールな夢」を想わせる歌。雨の夜、「ボク」は路上に散らばっている人間の脳味噌を発見する‥‥《躰のない脳味噌だけが路上にバラバラに散らばっていた》。すると突然スーツ姿の、面妖なニクソン顔の男が窓から跳び込んで来て「ボク」の頭を異状がないかどうかチェックした。天国の検査所で人々の脳味噌を調べている。人間の頭の中がカラッポになってしまう超常現象を象徴する恐怖のイメージの1つとして想起されるのが「岸辺のない海」(seas without shores)という詩的メタファである。しかし「ボク」は道路に散らばっている脳味噌なんか少しも怖くないし、「岸辺のない海」(the shoreless seas)をこの目で見てみたいくらいだと言い放つ。「ボク」の意見には賛同しかねるが、「岸辺のない海」という表現には驚いた。なぜなら、アルバム・リリースの1年以上前に、《その閉じた球体は「岸辺のない海」のような超自然的な、この世のものとは思えない異界から降り注ぐ一雫のメッセージ(凸面鏡の歪んだ像を映す)のようにも思えて来る》と書いていたからだ。

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    「岸辺のない海」──すべての陸地が水没してしまった地球、松本零士のSFに出て来そうな大海原だけに覆われた未知の惑星、無重力空間で球体化した無数の水滴、木の葉の表面に溜った雫が地面に落ちる瞬間(その球体に映し出されるウィアードな光景)‥‥。ある人たちにとっては怖しいと感じてしまうらしい、この魔術的なイメージこそTFUL 282そのものの隠喩だったのである。それは彼らの意識裡に潜り込み、一体化することで獲得出来る──ちょうど「自殺」に至るE・Mの心情を想像した「私」のように──ミュージシャンと熱心なファン、歌い手と聴き手、送信者と受信者、作者と読者の共有する妖霊なイメージに他ならない。先に引用したTFUL 282論〈宇宙からの訪問者〉の一節が、未来のTFUL 282の歌詞を予告した言い換えても良いだろう。

    陸地がなければ突然変異した「アヒルの怪獣」も丘に上がれない。つまり海が反世界で陸が現世、脳味噌が海で人体が陸、コップが「現実」で中身が「夢」。異界から「この世のものとは想えない」摩訶不思議な生物やモノが出現し、超常現象や奇想思念が流れ出す。怪事件に巻き込まれた市井の人々は怖がる(freighted)けれど、語り手たる「私」や「ボク」は少しも驚いたり(surprised)、恐れたり(fear)しないばかりか寧ろ、この非常事態に共感し愉しんでさえいるフシが窺われる。『トワイライト・ゾーン』に登場する超能力少年のように、すべてが主人公の想うままに創り出した捩れた小宇宙内での奇妙な出来事なのかもしれない。TFUL 282は基本的に閉じている反世界なので、その球状化した表面に様々な異形な世界を、女占い師の水晶玉のように映し出す。毒入りレモネードを飲んで死んだ老人のミステリィ、路上に散らばっている人間の脳味噌のホラー、ファッション誌の中のグラビア美女に叶わぬ恋をしてしまったトカゲ君の悲喜劇‥‥。

    感電して天使たちと一緒に歌を歌った少年の奇妙な臨死体験、身体を拘束されたままベッドの上で死んで行く昏睡状態の人間の不条理、異常な妄想に取り憑かれて愛妻を「生体解剖」する夫のスプラッタ地獄絵図、穢いものを洗い流す〜シャワーを浴びる〜イメージの迸りが清冽で心地良い夢‥‥これがTFUL 282という「岸辺のない海」に映ったウィアードな世界像の数々である。次に「TFUL 282用語集」の中から「dream」や「death」といった最重要語以外の単語を幾つか補足的に挙げておこう。「window」:現世と反世界を隔てている境界を表わす名詞。透明なのでお互いが見えるし、簡単に通過可能の「どこでもドア」と化す。「heavy」:まだ意識のある、生きている人体の属性を否定的に表わす時に使われる形容詞。「bed」:別世界へ旅立とうとしている人間の肉体を縛り付けておくための現世の拘束具の1つ。この装置のオカゲで、運が良ければ(悪ければ?)「現実」へ帰還出来る。

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    「岸辺のない海」の長い航海から帰って来て、これで溜まったまま1度も耳を通したことのないCDをゆっくり聴けるぞと気色ばんだのも束の間、TFUL 282のフロントマン(?)、Brian Hagemanのソロ・アルバム《Twin Smooth Snouts》(Starlight 1996)を見つけてしまった。これが母艦となる彼らの《I Hope It Lands》に先立ってのリリースなのか後なのか、それとも同時期なのか全く分からないが、いずれにしても当分の間、ウィアードな夢の断片の迷路から抜け出せそうもない。Mr. Hagemanという名前にピンと来た人にとってもTFUL 282というブループは謎だらけで、紅一点のAnn Eickelberg嬢を除く男性4名を未だにアイデンティファイ出来ていない。メイン・ヴォーカルやソングライティング、誰がリーダーなのかさえも全く分からない有り様だった。Brian Hagemanのソロ作がTFUL 282という「夢殿」の門を開く魔法の鍵、縺れた糸を解く魔法の指になるかもしれないという淡い期待もあったのだ。

    TFUL282の場合と同じく、Mr. Hagemanのソロ・アルバムも楽曲の体裁を辛うじて保っている「歌もの」と、その曲間に挿まれたインスト、ノイズ、エフェクト、断片などの夾雑物でサンドイッチを形成している。後者の幾つかはTFUL 282用の間奏曲として充分に通用しそうだし、もし仮に差し替えたとしても何ら遜色ないだろう。「TFUL 282の失敗作」というインナーの記述から、これらの断片類が「ボツ曲」だったのではないかという想像も容易に働く。Hageman氏は「歌もの」で無防備な姿をリスナーの前に曝け出す。TFUL 282の楽曲が一見ポップに構築された堅牢かつフレシキブルな「空中楼閣」だとすると、骨組みだけの仮設住宅といったところだろうか。その曲調も沖縄チャンプルー風、、中近東サンプリング、カントリー、「キューバの古いフォーク・ソングにインスパイアされた」ラテン曲‥‥と変化に富む。もちろん、それらの曲が健全なワールド・ミュージックの世界へ向かって開かれているわけではない。水没した地球(水球?)のワールド・ミュージック?‥‥もし人類が生存(エラ呼吸人間に進化?)していたらの話だけれど。

    《Twin Smooth Snouts》は1988〜1995年、2&4トラックのオープンリール・デッキによって自宅録音・ミックス(2トラの方がミックス用)されたものである。この主の録音物が個人的な音楽趣味の領域に留まるものなのか、このデモ・テープを叩き台として後のTFUL 282のレコーディングに生かされるのか、依然として良く分からないが、明らかになったことも幾つかあった。TFUL 282におけるBrian Hagemanの特徴的なヴォイスとギターを今後聴き誤ることは2度とないし、ウィアードな間奏曲の多くが彼の指先から紡ぎ出されていたことは疑う余地がない。TFUL 282という名の実験施設の中の1つの工房を鍵穴から覗き見したようなスリルと昂奮を味わえる。しかし、その全体像は夢の中で浮游し、たとえばメンバー間でどのように曲を創って行くのか、アレンジを施して行くのか‥‥という一番興味のある部分は「欠如の穴ボコを無数に穿たれた球体」みたいに宙吊りにされたままだ。もっとも、夢の中の印象的なワン・シーンを想わせる不思議なスリーヴ・イラスト(彼自身の手による)を眺めていると、そんな穿鑿はどうでも良くなってしまうのだった。

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    5年振りの復活アルバム《Bob Dinners And Larry Noodles ...》(Communion 2001)は全14曲50分で、TFUL 282にしては曲数が少ない割には収録時間が長い(ラスト・ソングが10分を越える長尺曲なので帳尻は合っている?)。その理由は「歌もの」10に対して間奏曲4という構成に如実に表われている。Brian Hagemanがソロ・アルバムでTFUL 282の「失敗作」(disasters)を蔵出ししてしまったのか、曲間に挿入される短いインストやノイズや断片が少ない分だけ、ノイズ成分や実験的な要素が「歌もの」の中に還元されて、混沌としたアヴァン・ポップのイメージが色濃くなった。突然のリズム・チェンジ、目まぐるしく変化する曲調、長いインスト・パートなど‥‥決して一筋縄では括れない捩れドーナツ、メビウスの輪のような狂った反世界が渦巻いている。ロック、フォーク、ジャズ、ファンク、ヘヴィメタ、ノイズ‥‥を呑み込んだTFUL 282というウロボロスの輪。もし彼らが存在しなかったら、Deerhoofも現われなかったかもしれない。

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    • TFUL 282論〈宇宙からの訪問者〉の続編です

    • 〈Brains〉は「scatterbrain」(落ち着きのない人)という英単語から発想したホラー・ソングかもしれません^^

    • 《‥‥砂糖ぬきのコオヒイにラム酒を入れ、チョコレートを齧りながら》(中央公論社 1976)‥‥『岸辺のない海』(日本文芸社 1995)は細部に至るまで改稿されている。「お茶」ならば「紅茶」の方が相応しいし、「紅茶」と「チョコレート」の方が美味しいよね(2008/03/24)
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    I Hope It Lands

    I Hope It Lands

    • Artist: Thinking Fellers Union Local 282
    • Label: Communion
    • Date: 1996/04/08
    • Media: Audio CD
    • Songs: Poem / Lamb's Lullaby / Empty Cup / I Hope It Lands / Lizard's Dream / Cornad Adrift Toward Mars / Elgin Miller / Hudson Bottom Dance / Jagged Ambush Bug / Brains / Rampaging Fuckers Of Anything On The Crazy Shitting Planet Of The Vomit Atmosphere / Cuckoo At ...


    Twin Smooth Snouts

    Twin Smooth Snouts

    • Artist: Mr. Hageman
    • Label: Starlight Furniture Co.
    • Date: 2005/08/01
    • Media: Audio CD
    • Songs: Moring Reptile / Wine in the Litter / Toast to All of Us / Killer's Fish / Hands in Cartoon / Hamburger Pharmacy / Johnosaurus Wayne / Shave the Gum / Horse's Live / Ali and the Goatherd / Boulder / Chew It up Honey / Hail Brought Oblivion / Fail The Mean / Rosa / Mud / ...


    Bob Dinners and Larry Noodles Present Tubby Turdner's Celebrity Avalanche

    Bob Dinners And Larry Noodles Present Tubby Turdner's Celebrity Avalanche

    • Artist: Thinking Fellers Union Local 282
    • Label: Communion
    • Date: 2001/04/24
    • Media: Audio CD
    • Songs: Another Clip / Sno Cone / You Will Be Eliminated / Holy Ghost / Everything's Impossible / Birth Of A Rock Song / You In A Movie / Boob Feeler / In The Stars / El Cerrito / Dodge Van / Remindor / The Barker

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    コメント 2

    はっこう

    始めまして。
    はっこうです。
    『岸辺のない海』、時間あれば読んでみたいです。

    by はっこう (2008-03-21 12:08) 

    sknys

    はっこうさん、初コメントありがとう。
    『岸辺のない海』は学生時代に読みましたが、
    中央公論社版の単行本(1974)と文庫本(1976)は共に絶版。

    日本文芸社版(1995)は「岸辺のない海・補遺」を併録した「完本」で、
    「著者あとがき」と「解説 / 果物籠が凶器となるとき」(蓮實重彦)付き。
    読み終えるのに凄い時間がかかりますよ^^;
    by sknys (2008-03-21 23:26) 

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