リュウの道程 [c o m i c]
石森 章太郎 『リュウの道』
2020年、シリウス第5惑星へ向けて出航したフジ1号の乗組員(福島正実キャプテン、小松&筒井隊員!)は正体不明の宇宙病に罹って全員死亡する。密航者の少年・柴田リュウ1人を除いて‥‥。40年の冷凍睡眠(コールド・スリープ)から目覚めた少年リュウが降り立 った惑星は原始時代のように変り果てた26世紀の地球だった。石森章太郎のSF大作『リュウの道』(講談社 1970)のオープニングは映画『猿の惑星』(1968)を下敷きにしている。映画との相違点は主人公が宇宙飛行士ではなく密航者(16歳)であること、冒頭で地球に還って来たことが明かされること(『猿の惑星』はラストの自由の女神像で明らかになる) 、猿(エイプ)ではなくミュータントと人間の敵対関係〜共存社会を模索することである(『猿の惑星』シリーズの2作目以降のテーマに重なる)。
マリア・アンダーソンと弟のジミイは300年以上も「エデンへの旅」を続けた後に地球ヘ帰還した巨大宇宙船の生存者、たった2人の生き残りだった。有尾人との闘いに勝利し、猿人たちのボスとなってしまったリュウ。彼は科学文明の武器である光線銃(レイガン)と火炎放射銃を所持している。猿人との定住を望むマリアと、文明社会を探しに旅立とうとするリュウの対立。食肉植物に襲われた猿人母子を救えなかったことから、ここも安住の地ではないと悟ったマリアは、リュウと共に大原始林(ジャングル)横断の旅に出ることに同意する。リュウ、マリア、ジミイ、ペキ(猿人)‥‥の一行はジャングルの奥地で地下へ降りる階段を見つけ、全自動制御の地下鉄(リニア・モーター)に乗り込む。ATG(安全装置)が働いて停止した場所は植物に覆われ瓦礫と化した「廃墟の町」だった。
2足歩行の黒いロボットを修理してアイザックと名付ける。「廃墟の町」の住人はリュウの待ち望んでいた人間ではなく、姿形が醜く変異したモンスター(ミュータント)の集団だった。彼らに捕まったマリアとジミイを救出するものの、仲間の屍体を喰らうミュータント一家を目撃したマリアはショックの余り失神〜発狂してしまう。有尾人に拉致され「生け贄の儀式」で火焙りにされるマリア。その闘いでリュウたちに加勢する謎のサイボーグ老人ゴット。機械文明を憎悪するゴットと文明社会ヘの憧れを捨て切れないリュウの確執。ゴットの暮らす村での農耕生活は一見平和で理想的に思えたが、そこは20年に1度、村人たちを刈り入れる「収穫の塔」が支配する悍ましい人間飼育場だった!‥‥残された子供たちを連れて再び旅を続ける一行に新たな外敵が襲いかかる。残忍な殺人だけが目的の邪悪な6本足の黒い「トレーサー」。「風の谷」に棲息する、顔に張り付いて窒息させる飛行植物(?)。
砂漠の果ての蜃気楼のように忽然と現われた未来都市。塵1つ落ちていない清潔な人工都市はコンピュータが管理する無人の「ロボット・シティ」だった。食肉樹と人間(ロボット・シティの元住人)とのグロテスクな共生関係を描く「落人の森」。燈台を中心として城壁に囲まれた中世風の「壁の町」ヘ辿り着いた一行は異形のミュータントたちに包囲されるが、突然現われた鉄仮面騎馬兵の一団に拘束されてしまう。ミュータント族の首領コンドルに救けられたリュウは仲間を救出するために城内へ潜入する。ミュータント→町民→神の戦士(守備隊)→28人の聖徒→法王というヒエラルキーに支配された「神と悪魔の町」‥‥そこでは産まれ落ちた奇形児(ミュータント)を城外へ捨て、大人になった彼らを密かに奴隷として地下工場で使役していたのだ。強制労働に耐えていたミュータントたちが蜂起して暴動を起こすと、神の広場に鎮座していた大神像が「大魔人」みたいに暴れ出す。
大神像(巨大ロボット)を操作していた「現人神」──4つ目の老ミュータント(1000歳 !?)が狂った地球の「真相」(旧世界の滅亡と新世界誕生のドラマ)をリュウに語る。次々と産まれ始めた奇形児。「そして‥‥ある日1つの隕石が‥‥宇宙から降って来た!」。隕石の衝突、それを核ミサイル攻撃と誤認して最終核戦争が勃発する。降り注ぐ流星雨、死の放射能と生命のガス。地球の長い歴史の節目に何度か繰り返されて来た「神の試練」と、思い上がった人類の自爆行為。「愚かしい人災と宇宙的大天災の嵐」 「天国と地獄の混沌世界」 。「生の使者」 と「死の使い」が地球をカオス状態にしてしまったという。臨終間際の老ミュータントはリュウが新たな「神」(指導者)になることを予言する。旧人類(ホモサピエンス)と新人類(ミュータント)が混合した新世界の実現へ向けて、その中間に位置するリュウは「神」という名の指導者になることを決心する。
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『リュウの道』(第1部)には類人猿や奇怪なモンスターに留まらず、様々な形態の異生物が登場する。リュウに襲いかかる双頭のヒョウ、猿人(新北京原人)、歩く食肉植物(ハイエナ・ツリー)、吸血コウモリ、マンモス・ネズミ、ミュータント、有尾人、巨大グモ、食肉樹、6本足の黒豹、不思議な飛行植物‥‥。第2部では捩れた時空間の裂け目から新たな外敵が現われる。人間の精神を錯乱させて死に至らしめる異次元生命体(マリアが正気に返る!)。ミュータントや山犬、大トカゲ、(毒の粉を撒く)悪魔のハエの体内に入り込んで操る寄生回虫。知識や情報をテレパシーで共有するイルカ族。「ニッポンという軍国島」からプロペラ機で亡命して来た総司令官とパイロット。19世紀の日本からタイムスリップして来た幕末侍(馬淵小平)。無菌都市で人工培養された「新人間」。リュウと種族の未来を賭けて闘うミュータント犬(タロウ)‥‥。
リュウの旅の一行に個性的な仲間が加わる。マリア&ジミイ姉弟、ペキ(猿人)、アイザック(ロボット)、ゴット(老サイボーグ)、コンドル(3つ目のミュータント)。その中でも「ムツンバイ」と呼ばれる4本腕の1つ目小僧がキモ可愛い。言葉を喋れないテレパスのミュータントは何度となくリュウたちの窮地を救う(サイボーグ001的な存在か?)。「壁の町」の鉄の門が開かれ、城内の人間と城外のミュータントたちが交流する。この共存社会は『猿の惑星』の人と猿の共存というテーマと通底している。猿もミュータントも人間とは外見(顔、肌、体型)の異なった他者。お互いの違いを認め合って相手を尊重する‥‥それは異民族・異人種のアナロジーでもある。「猿は猿を殺さない(Ape shall never kill ape.)」が「猿の惑星」の掟だった。
フジ1号の白骨化した飛行士、仲間の屍体を平気で喰らうミュータント一家、全裸になってリュウを誘惑する村の娘ベラ、脳味噌をストローで吸うための孔が穿たれた頭蓋骨、樹の枝に逆さ串刺しされた子供の死体、ケロイド状に溶けるリュウの家族(両親と妹エミ)、樹の根に絡み付いて胎児のように眠る村人、コンドルに斬られて跳ぶ兵士の首、五体がバラバラに千切れて飛ぶマリア、ゴットの銃弾を浴びて炸裂する「神の戦士」の頭部、豹柄ビキニ姿のマリアさん(サーヴィス・カット?)。劇画的手法のリアルな描写や凄惨なカット、グロテスクな生態やエロティックな肢体などは、当時の少年読者には刺戟的過ぎたかもしれない。大胆な画面構成(コマ割り)や写実的な描画、破滅SF的なストーリ、人類の死と再生のドラマ、人間とミュータントの共存というテーマは37年後に読んでも真新しい。
ラストの数10ページは殆ど台詞(フキダシ)のないイメージの奔流である。ちょうど映画『2001年宇宙の旅』(1968)の後半に会話が全く存在しないのと同じように。当時の少年マンガ誌上では劃期的な試みだった。「ロボット・シティ」の息詰まる戦闘アクションや、老ミュータントがリュウに幻視させた世界の滅亡と誕生のイメージも白眉でしょう。『猿の惑星』に始まり『2001年宇宙の旅』で終わる『リュウの道』は未来の少年の成長物語、人類の進化物語としても読めるかもしれない。自己中心的な密航者が他者の心情を思い遣り、理解するようになる道程。40年間の冷凍睡眠中の脳内学習で身に付けた知識(相対性理論や英会話)や技術(古式拳法や柔道)。テレパシーに感応したり、傷を一夜で完治させたり、髪の毛の色を瞬時に変えたり、他人の意識をコントロールする能力‥‥。リュウは旧人類から新人類への道を1歩踏み出す。
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『リュウの道』は週刊少年マガジン(1969年14号〜1970年52号)に連載されていたSFマンガです。『猿の惑星』に始まり『2001年宇宙の旅』で終わる‥‥と書くだけでネタバレですが。地球へ還って来た宇宙船、宇宙空間に浮游する「胎児」のイメージ。使用テクストは 「Kodansya Comics」(1970)1〜3巻と雑誌のスクラップ4冊。連載中は「巨人の星」や「あしたのジョー」の陰に隠れて目立たなかったけれど、石ノ森章太郎先生の代表作の1つではないでしょうか。ちなみに少年マガジン1970年38号の連載マンガは「アニマル・ファ ーム」石森章太郎、「あしたのジョー」 ちばてつや、「巨人の星」 川崎のぼる、「ワル」 影丸譲也、「ガキ道講座」 谷岡ヤスジ、「アシュラ」 ジョージ秋山、「親バカ天国」 秋竜山、「東京うばすて山」 辰巳ヨシヒロ、「光る風」 山上たつひこ、「泉寿白書」 南泉寿、「キッカイ君」 永井豪、「リュウの道」 石森章太郎の12本。
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- 〈ミレーヌの憂鬱〉に続く章太郎シリーズ第2弾です^^
- 映画『猿の惑星』シリーズに関しては〈猿と女とサイボーグ〉を参照して下さい
- 引用文(ネーム)の表記を引用者の判断で平仮名から漢字に変更しました
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- 著者:石森 章太郎
- 出版社:角川書店
- 発売日:2007/05/31
- メディア:コミック
- 目次:第1部 第1章 太陽系第3惑星─地球(長き眠りよりのめざめ / 見知らぬ星 / 出あい /「栄光への脱出号」/ 新北京原人 / トラブル / ジャングルへ / 地の底を走る / 廃墟の町 / 人間たち)/ イラストコレクション

- 著者:石森 章太郎
- 出版社:角川書店
- 発売日:2007/05/31
- メディア:コミック
- 目次:第1部 第1章 太陽系第3惑星─地球(人間たち・承前 / マリア / 有尾人部落 / リュウ "神")/ 第1部 第2章 魔界2千キロ(収穫の塔 / 追跡者)

- 著者:石森 章太郎
- 出版社:角川書店
- 発売日:2007/05/31
- メディア:コミック
- 目次:第1部 第2章 魔界2千キロ(追跡者・承前 / 風の谷 / 砂漠、そして‥‥ / ロボット・シティ)/ イラストコレクション

- 著者:石森 章太郎
- 出版社:角川書店
- 発売日:2007/08/31
- メディア:コミック
- 目次:第2部 第1章 あやつり・承前 / 異常の "時" / 未来を支配するもの(プロローグ)/ 未来を支配するもの / イラストコレクション
びっけサンがTVアニメ<原始少年リュウ>について記事になすった時“アニメだけに動的なTV作品と違って思索的な静かな進行だった記憶があります”と書いたのですが…アクションも多い作品でしたか。
石森章太郎では<リュウ~>と<~009>だけが単行本を揃えた作品だったのに
忘れてしまったのは悲しい(第2部なんて欠片も思い出せない!)
憶えているのは全体に不気味だったという感想。
<続・猿の惑星>における突然変異体の人類の造形も不快だったので
登場する異形のモノ達が苦手だったことからの感触と思われます。
↑の記事を読んでいて薄っすら浮かんできたのは<廃墟の町>と<落人の森>の挿話。
特に“樹の根に絡み付いて胎児のように眠る村人”の画は鮮明に甦ってきました。
きっと殊の外に奇怪に感じたのと<火の鳥・宇宙編>で赤ン坊に乳を遣る多肉植物と被るのとが脳裏に引っ掛かっていたのでしょう。
“思索的な静かな進行だった記憶”は“ラストの数10ページは殆ど台詞(フキダシ)のないイメージの奔流”が印象づけられていたからかもしれません。
<リュウ~>は未だに著作権収入を生み出している<仮面ライダー>や
(戦隊シリーズの基となった)<秘密戦隊ゴレンジャー>なぞの娯楽色の強い作品と
ガロ誌に連載された<ファンタジーワールド・ジュン>のような文学的要素を持った作品との程好い混交で成り立っていますし結局未完のままな<~009>と比しても壮大な物語を破綻なく収束させた功績は高く評価されて然るべきでしょう。
知名度の違いで代表作と呼ばれることの少ないのは残念な気がします。
ところで今度また石森作品を採り上げるなら是非<人造人間キカイダー>を!
あの最終回は子供心に衝撃でした。
<秘密戦隊ゴレンジャー>が何の予告もなく突然ある週から
<秘密戦隊ゴレンジャーごっこ>になった時も驚いたケド(笑)
by おきざりスゥ。 (2007-11-02 05:18)
スゥ。さま、コメントありがとう。
『リュウの道』について書く予定はなかったのですが、
びっけさんの記事にコメントしてから無意識裡に脳内で準備していたのかな。
出しっ放しだった資料(新書判+スクラップ)を精読〜下書き〜清書
‥‥延べ3日間で脱稿しました。
第1部の老ミュータントが語る「真相」と第2部のラストが鮮烈なので、
思索SF的な印象が強いのかもしれません。
ミュータントたちの姿形がグロテスクで不気味なのは、
外見だけで「他者」を排斥・攻撃するなというメッセージでしょう。
人間とミュータントの共存社会を目指す未来の物語なのですから。
再読して「ムツンバイ」の可愛さに心を打たれました。
マリアはフランソワーズ・アルヌール(003)、
ゴット(老サイボーグ)は『009ノ1』の「ポップ」に登場する
M・R アイアン・ハートと同一キャラですね^^
『リュウの道』を石ノ森章太郎の代表作に挙げる人は少なくありません。
章太郎シリーズ第3弾は今のところ未定です。
押入れの中の資料(単行本やスクラップ)を捜索するのが億劫!
(T区中央図書館で「萬画大全集」を館内閲覧する奥の手もあり?)
‥‥『ロボット刑事』や『ブルーゾーン』は直ぐ出て来るのですが^^;
by sknys (2007-11-03 03:10)
こんにちは。
トラックバックありがとうございます。
こうして、あらすじを拝見しますと、アニメとは全くの別物ですね。
壮大なSF作品・・・でも、エログロは苦手なのです・・・。(^^;
私がこの作品を手にする時は、果たして来るのか!?
by びっけ (2007-11-04 22:50)
びっけさん、コメントありがとう。
「エログロ」とは異ジャンルのSF作品だと思いますが^^;
『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』にも
グロテスクな異星人たちが出て来たじゃないですか!
3つ目星では2つ目の人間の方が突然変異体(ミュータント)、
『猿の惑星』では言葉を喋る人間が「奇形」でした。
「正常」と「奇形」は相対的な概念なんですよ。
正気に返ったマリアはミュータントたちを受け入れます。
「ムツンバイ」をキモ可愛いと思うかどうかが分岐点
‥‥「リュウの岐路」ですね^^
by sknys (2007-11-04 23:46)
>「エログロ」とは異ジャンルのSF作品だと思いますが^^;
スゥ。が不気味の不快の奇怪のと書いちゃったのも誤解へ誘っちゃったかも~^^;
でも“ミュータントたちの姿形がグロテスクで不気味なのは外見だけで「他者」を排斥・攻撃するなというメッセージ”であるからには要は意図的に奇怪な造形にしているわけで視覚的な受取り方が間違っているとは思いません。
そして以前貴記事<ヴェルーカ・サルト>にもコメントしたように生まれついての容貌は肌や瞳の色と同じで当人の与り知らぬところで決定されるのに“白妖精達は美しい容姿で悪鬼共は醜貌怪異”というような善悪の心が外見に反映する世界設定には拭えぬ違和感が常に付き纏ってしまうスゥ。としては外見に限らず文化その他の異なる他者との相互理解に成り立った共存というテーマには大いに共感するものです。
実際スゥ。が“石森章太郎では<リュウ~>と<~009>だけが単行本を揃えた作品だった”のは評価したからに決まってるわけで。
ただスゥ。ちょっと常人よりソノ手に過敏すぎるんです。
S・Wやスタトレは流石に大丈夫ですがホラー系スプラッタ系は全部ダメ。怖くて。
ソノ手の映画なんて奢られたってゼッタイ行きません!
点けっ放しのTVから予告もなく突然はじまるホラー映画のCMが増える夏はビクビク!!
そんな意気地なしスゥ。の戯言なぞに耳を貸さず機会があれば一読なすって下さい。>びっけサン。名作ですよ(あらかた忘れちゃったけど…^^;)
あ。ムツンバイは可愛いよ!?(←思い出した!)
by おきざりスゥ。 (2007-11-05 17:52)
びっけさんが、ドン引きですゥ〜〜〜〜(号泣)。
ちょっとミュータント族に肩入れしちゃいました^^
でも彼らに責任はない。
「スタトレ」のクリンゴンはグロテスクの極みですが、
惑星連邦は敵対関係にあったクリンゴン帝国と和平協定を結びます。
『火の鳥』にも白と黒のナメクジが生存を争うエピソードがありましたね。
サイボーグ戦士(半機械人間)も健常人から見れば「奇形体」なわけです。
石森作品には『ミュータント サブ』というESP少年のシリーズもあった。
作者が愛情を込めて「ムツンバイ」を描いていると分かった時に
目頭が熱くなりました。
「小僧!‥‥おまえ‥‥か !?」
「ウン ヤット キコエタネ‥‥リュウ」
『エクソシスト』や『エイリアン』はグロテスクで気味悪いけれど、
B級ホラー、スプラッタ・ホラーになるとバカバカしくて逆に笑っちゃう。
Q・タランティーノの『キル・ビル』もダメ?
‥‥ファンタジー界の妖精・妖怪・モンスターは大丈夫ですよね^^
by sknys (2007-11-05 21:23)
いえいえ、ドン引きというほどではありませんから・・・。(^^;
私のほうこそ、あまり言葉の真意がわかってないまま「エログロ」なる言葉を軽率に使ってしまいました。
ちょっとだけ引いたのは
>樹の枝に逆さ串刺し~
>コンドルに斬られて跳ぶ~
>~がバラバラに千切れて飛ぶマリア
>ゴットの銃弾を浴びて炸裂する「神の戦士」の~
あたり・・・。
体が損壊する描写は苦手なもので・・・。
グロテスクな異星人は、わりと好きです。(笑)
昆虫系も、まぁ大丈夫。
‘ムツンバイ’も、すごく気になってきました!
by びっけ (2007-11-07 23:31)
「エログロナンセンス」と続けると、また別の意味合いになりますね^^;
びっけさんが「引いた」ところは悉く、
今日の小中学生には刺戟的過ぎるかも?‥‥と危惧した箇所です。
当時の少年マガジンは大学生が愛読するなど読者層が高く、
内容・表現もトンガっていた
(「アシュラ」の残酷描写が非難されて連載中止に追い込まれた!)。
手塚〜石森両氏には、擡頭して来た「劇画」ヘの対抗心もあったと思う。
「ムツンバイ」は水木妖怪の「目玉親父」や「ねこ娘」より可愛いですよ^^
by sknys (2007-11-08 00:52)