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ドラコニア美術館 [a r t]

  • 月光に照らされた重々しい煉瓦の建物、ギリシア風の柱廊のある神殿、石畳の広場や街角、噴水や花壇のある閑雅な庭園、あるいはまた、ソファーや鏡やシャンデリアのある古めかしい様式の部屋、──そうしたノスタルジックな情緒を誘い出す背景の前を、いつも変らぬ優雅な裸体の女たちが、石のような眼をぱっちりとひらいて、夢遊病者のような足どりで歩いているのである。あるときは、女たちは立ちどまったり、パントマイムのような無意味な身ぶりを示したりしている。無表情で、無言の女たち。その下半身には、ほとんど必ず、密生した栗色の恥毛が描き添えられている。/ ふしぎなことに、女たちはみな同じ顔をしている。眼の大きい、やや丸顔の、古典的な人形のような顔である。/ 生涯にただひとり、同じ顔をした理想の女を追求するひとのように、この画家は、彼しか出会うことのない永遠の女の原型を描きつづけたのであろうか。それとも、この無限に再生産される女の影像は、対象を持たない匿名の欲望、オナニズムを象徴しているのであろうか。
    澁澤 龍彦 『幻想の画廊から』

  • JR北浦和駅(西口)から徒歩3分、北浦和公園内の埼玉県立美術館で〈澁澤龍彦──幻想美術館〉が開催されていた(4/7 ー 5/20)。澁澤龍彦の偏愛した画家、写真家、イラストレータ、造形作家‥‥の作品を蒐集した架空の美術館──「ドラコニア美術館」という趣向である。アルチンボルド、キルヒャー、ピラネージ、サド公爵、モロー、ルドン、マン・レイ、ゾンネンシュターン、デルヴォー、スワーンベリ、瀧口修造、土方巽、中村宏、加納光於、池田満寿夫、中西夏之、金子國義、野中ユリ、合田佐和子、四谷シモン‥‥300点以上の作品・資料で澁澤龍彦の生涯をクロノジカルに回顧する。13年前の〈澁澤龍彦展〉(池袋・ロフトフォーラム)の拡大版(期待していた書斎の再現はなかったけれど)。歿後20年を記念する展示会。同美術館で観た〈アンソール展〉(1984)を思い出す。いずれの美術展も4月から5月の春に開かれた奇遇を想う。5月生まれの澁澤龍彦に相応しい気がして。

    〈幻想美術館〉は編年体で7つの展示室に分かれている。1.「澁澤龍彦の出発」 2.「1960年代の活動」 3.「もう1つの西洋美術史」 4.「シュルレアリスム再発見」 5.「日本のエロスと幻想」 6.「旅・博物誌・ノスタルジア」 7.「高丘親王の航海」。 澁澤龍彦(1928ー1987)は東京港区高輪の生まれだが、北区中里で少年期の13年間を過ごした。本名は「龍雄」‥‥名前に「龍」が入っているのは辰年生まれだから(村上龍や坂本龍一とは2回り違う)。澁澤少年の「黄金時代」は昭和20年以前だった。龍彦本人が描いたデッサン〈海ネコの王〉2点(1枚の表と裏)が鑑賞者を迎える。ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂と2重写しになった白黒ポートレイト。龍雄少年が愛読していた「コドモノクニ」に載っていた武井武雄〈おばけのアパート〉〈噴水〉、初山滋〈不思議の国のアリス〉のイラスト。『黒いユーモア選集』のシュルレアリストたち。マン・レイの撮ったジャン・コクトーとアンドレ・ブルトン(ソラリゼーション)のポートレイト、〈サド公爵の架空の肖像〉と、そのブロンズ像。ハンス・ベルメールのエロティックなエッチング。額装されたサド公爵自筆の〈獄中からの手紙〉(1792/8/25)。

    「1960年代の活動」は澁澤龍彦が交遊した友人・知人たちの作品が並ぶ。加納光於の銅板画、瀧口修造や野中ユリのデカルコマニー(青地に「黄色いファントム」が浮游する)、土方巽と暗黒舞踏の公演ポスター「バラ色ダンス」(横尾忠則)や写真(細江英公)、池田満寿夫のコラージュ〈聖澁澤龍彦の誘惑〉、1つ目セーラー服少女の鏡像修学旅行を描いた中村宏の〈望遠鏡列車〉、宇野亞喜良の薔薇少女〈プチロマネスク〉、谷川晃一〈枯れ草の夜〉‥‥。加藤郁乎の出版記念写真(80余名)に25人の名前が記されている。池田満寿夫、李礼仙、巌谷國士、澁澤龍子、四谷シモン、土方巽、澁澤龍彦、加藤郁乎、吉岡実、瀧口修造、松山俊太郎、中井英夫、唐十郎、白石かずこ、矢川澄子、川仁宏、大野一雄、内藤三津子、嵐山光三郎、谷川晃一、野中ユリ、出口裕弘、野田弘志、種村季弘、中西夏之。

    「もう1つの西洋美術史」には16世紀マニエリスムから19世紀末絵画の画家が集まっている。酒樽の胴体、水差しやコップなどで顔に見立てられたアルチンボルドの〈ウェイター〉(1574)、デューラーの木版画、パルミジャニーノやジャック・カロ、ゴヤのエッチング、ゴーティエータゴティの摩訶不思議な「人体解剖図」、ピラネージの〈牢獄〉‥‥。オディロン・ルドンの「聖アントワーヌの誘惑」、金色の色彩が美しい〈ペガサスに乗るミューズ〉(1907ー10)、パステル画の〈聖セバスティアン〉(1910頃)、ルドンと同じ題材を扱ったギュスターヴ・モローの〈救済される聖セバスティアン〉(1885頃)、マックス・クリンガーの奇妙な物語「手袋」、ジェームス・アンソール、オーブリ・ビアズレー‥‥と世紀末画家の作品が続く。

                        *

    「シュルレアリスム再発見」はマックス・エルンストに始まる。フロッタージュの『博物誌』とコラージュの『百頭女』、サルヴァドール・ダリのカラー・エッチング、マルセル・デュシャン〈9つの雄の鋳型〉(1937)、パウル・クレーのリトグラフ、イヴ・タンギーのエッチング、ルネ・マグリットの自作コラージュ風リトグラフ‥‥。オリジナル原画が少ないのは国内美術館からの調達だから仕方がない。複製品の中にあってポール・デルヴォーの油彩2点──〈夜の通り(散歩する女たちと学者)〉(1947)と〈森〉(1948)には溜飲が下がる。三日月の夜、上半身裸の女たち、蒸気機関車、駅舎‥‥デルヴォーの遠近法の彼方には何が待っているのだろうか。アンリ・ルソー風の森の中で微睡む全裸の娘、真紅の天幕、満月‥‥彼女は一体どのような夢を見ているのだろうか。ハンス・ベルメールの『人形遊び』は有名な関節人形の写真に水彩着色したシリーズ(17点)だが、〈ハンス・ベルメール写真展〉(渋谷PARCO 1984)を観ているので衝撃度は低い。

    バルテュスやレオノール・フィニのリトグラフも同様だが、マックス・ワルター・スワーンベリとゾンネンシュターンの2人には尋常ならぬ「狂気」がスパークしている。前者の〈空想のコンポジシオン〉(1964)は股間から青い球体をブラ下げている首の長いキリンのような2人の女(エメラルドグリーンのスカートの女は4本脚)が赤い背景と雪の結晶に彩られる。ランボー散文詩集『イリュミナシオン』のポスター(シルクスクリーン)は串刺しになった恋人たち(鳥人間)の恍惚が麗しい。後者の〈人生の道化ランナー、足と頭の競争〉(1957)、〈世界裁判の裁きの秤を持てるデーモン・ユスティツィンホレーノ〉(1960)はタイトル通りのクレイジーな世界が色鉛筆で描かれている。女装したセルフ・ポートレイトも撮ったピエール・モリニエのフォト・モンタージュ、黒ストッキング+ガーター姿の痴女2人の〈楽園の花〉はリトグラフなのでカンヴァスに塗り込めた「精液」は匂わない。ボナ・ド・マンディアルグの〈メキシコの新婦〉(1973)はカタツムリの群れ、肉食獣の口蓋の中の花嫁というシュールな絵だが、パステル・カラー(色鉛筆)の色調が美しい。

    「日本のエロスと幻想」の部屋では澁澤龍彦が責任編集したラディカルな雑誌「血と薔薇」(1968ー69)と、その後の青木画廊で個展を開いた作家たちの作品が紹介される。第1号の巻頭特集「男の死」に掲載された奈良原一高の写真〈サルダナパルスの死〉(龍彦自身がサルダナパルスに扮している)、伊東晴雨や佐伯俊男の「春画」、横尾龍彦の〈隠された真珠〉、金子國義の「花咲く乙女たち」シリーズ、高松潤一郎の妖しい細密画〈死出の舟〉と〈森の精〉、城景都の鉛筆画とは想えないほど繊細な〈白夜の哲学〉、ブリューゲル風の異世界を描く秋吉巒の〈天使たちの島〉、山本六三の〈砂の上のヘルマフロディトス〉と〈スフィンクス〉、四谷シモンの関節人形〈未来と過去のイヴ〉、加山又造の〈裸婦〉‥‥。

    「旅・博物誌・ノスタルジア」は1970年のヨーロッパ旅行が契機となっている。マンディアルグの『ボマルツォの怪物』(大和書房 1979)に登場する「聖なる森」、郵便配達夫シュヴァルの「理想の宮殿」、ルードヴィヒ2世の「幻想の城」ノイシュヴァンシュタイン城などの写真(川田喜久治)。パリ在住の堀内誠一からの「絵手紙」。『胡桃の中の世界』(青土社 1974)から『フローラ逍遙』(平凡社 1987)に繋がる植物画。伊東若沖の〈付喪神図〉や坂井抱一、葛飾北斎などの日本画。人面梟の男女が2人乗りしている島谷晃の〈自転車〉、化石や乾燥した植物を精密に描いた野田弘志の〈澁澤龍彦頌〉。合田佐和子の〈クリスタルの涙(ディートリヒ)〉、マン・レイが撮ったカトリーヌ・ドヌーヴ、ヘルムート・ニュートンが撮ったシャーロット・ランプリングのポートレイト。ベルナール・フォーコンのマヌカン少年の写真〈天体望遠鏡〉。小林健二の鉱石ラジオ〈PSRADIOX(悲しきラヂオ)〉は展示室の片隅にではなく、澁澤宅の「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」に置かれてこそ映える。

    最後の部屋「高丘親王の航海」は晩年を「航海」に準える。澁澤龍彦へのオマージュ〜トリビュート的な作品が際立つ。『高丘親王航海記』(文藝春秋 1987)の単行本(函)に使われたアタナシウス・キルヒャーの『シナ図説』、その自筆原稿と地図。《モダンな親王にふさわしく、プラスチックのように薄くて軽い骨だった》という一行が、時代劇に登場した蛍光ペンのように光る。愛用のメガネやパイプなどを写し撮った奈良原一高のフォトグラム。卵形のポリエステル樹脂の中に壊れたオブジェ類を封じ込めた中西夏之の〈コンパクト・オブジェ〉。四谷シモンの天使人形〈天使──澁澤龍彦に捧ぐ〉。宇宙に浮かぶ白い蓮の花、その下に右から龍雄少年、居間の飾り棚、ペットのウチャ(兎)、『高丘親王航海記』の自筆原稿(最終行)をコラージュした野中ユリの〈心月輪の澁澤龍彦〉が優しく微笑む。

                        *

    『澁澤龍彦 幻想美術館』(平凡社 2007)は同展覧会の「図録」であると同時に、美術本として一般の書店に並んでいる(美術館に行けなかった人もヴァーチャル追体験出来る)。監修者・巌谷國士による序「澁澤龍彦の美術世界」、7つの展示室の各扉(全18室)の解説文の他、巻末に「澁澤龍彦をめぐる260人」と題された人物名鑑、年譜、主要著作ギャラリー(45冊)、著作目録 / 参考文献、全展示作品リスト(310点)が付いている。北鎌倉にある澁澤邸の居間と書斎を篠山紀信が撮った〈澁澤龍彦邸の時間と空間〉は「みづゑ」の追悼・澁澤龍彦特集号(1987.12)の「シノラマ」の再録だが、〈幻想美術館〉のミニチュア的な魅力がある。展示会場に「書斎」の復元することが困難なら、〈レオノール・フィニ展〉(2005)のフィニ邸のようにヴィデオ映像を館内で上映する方法もあったのではないか?

    最初の何部屋かは居心地が良かったのですが、後半は冗長〜間延びした散漫な感じ。内から外へ、書斎から外界ヘ‥‥澁澤龍彦の生涯を「長い旅」に見立てる監修者・巌谷國士の意向が反映されているとはいえ、展示作品(300点以上!)が多すぎる。それも年代順に並べただけ。展示スペースも広すぎた。美術館も作品を壁に羅列する時代から、インスタレーションという空間アートの場になっているのに。埼玉近代美術館の学芸員にセンスがない?‥‥もし「幻想美術館」のキュレータを任せられたら、展示作品を3分の2に取捨選択して半分のスペースに収めます。ミクロコスモスやミニアチュールを愛した龍彦へのオマージュならば、もっと密度の高い硬質な空間でなければ‥‥と思う。日本人アーティストは兎も角、海外作家の作品は国内の美術館から寄せ集めて来たという印象を否めません。書斎の再現をも含めた、もっとプライヴェートな「幻想美術館」を期待していたのですが。

                        *

    • ドラコニア・シリーズ第2弾をお届けします。〈ドラコニア少女〉は「ドラコニア画廊」という感じかな?

    • 記事下のリンク先は札幌芸術の森美術館(MOCAS)にしました。札幌在住の澁澤ファンは必見ですね^^

                        *



    澁澤龍彦 ── 幻想美術館

    澁澤龍彦 ── 幻想美術館

    • アーティスト:アルチンボルド / ピラネージ / ルドン / デルヴォー / スワーンベリ 他
    • 会場:札幌芸術の森美術館(MOCAS)
    • 会期:2007/08/10 - 09/30
    • メディア:絵画・写真・オブジェ 他

    澁澤龍彦 幻想美術館

    澁澤龍彦 幻想美術館

    • 監修・著者:巌谷 國士
    • 出版社:平凡社
    • 発売日:2007/04/12
    • メディア:大型本
    • 目次:肖像アルバム / 澁澤龍彦の美術世界 / 幻想美術館 7つの展示室(澁澤龍彦の出発 / 1960年代の活動 / もうひとつの西洋美術史 / シュルレアリスム再発見 / 日本のエロスと幻想 / 旅・博物誌・ノスタルジア / 高丘親王の航海)/ 名鑑 澁澤龍彦をめぐる260人

    幻想の画廊から

    幻想の画廊から

    • 著者:澁澤 龍彦
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:2001/12/04
    • メディア:文庫本
    • 目次:空間恐怖と魔術 / 女の王国 / イメージの解剖学 / 卵・仮面・スフィンクス / 夢みる少女 / 混沌から生成へ / マグリットの冷たい夢 / 神の香具師ゾンネンシュターン / サルバドール・ダリの両極性 / 光り輝くルネサンスの幻影 /『百頭の女』 と 『スナーク狩り』/ ピカ...

    タグ:art dragonia
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    コメント 8

    mistletoe

    お久しぶりです。
    sknysさんのこの記事待っておりましたです。

    >小林健二の鉱石ラジオ〈PSRADIOX(悲しきラヂオ)〉は展示室の片隅にではなく、澁澤宅の「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」に置かれてこそ映える

    同感です。私はもう本当に悲しいを通り越して怒りに近いものを
    感じました。
    後半の澁澤ゆかりの日本人アーティストの方々の作品。
    素晴らしいだけに学芸員に物申したい。
    未だに残念でなりません。
    by mistletoe (2007-07-11 12:46) 

    sknys

    mistletoeさん、コメントありがとう。
    好きな作家だけに絞って書いた方が楽だったかな?
    多数の画家による展覧会の網羅的な記事は結構ハードでした^^;

    各鑑賞者が展示作品を自由に取捨選択して
    自分だけの「ドラコニア美術館」を再構成する
    ‥‥今は、そんな空想に駆られます。

    他のブログ記事を幾つか覗いてみましたが、
    展示方法について疑問を持った人はいなかった。
    皆さん無頓着というか‥‥澁澤宅の居間や書斎の美意識の片鱗が
    少しでも感じられる美術展だと良かったんですが。
    by sknys (2007-07-11 20:24) 

    モバサム41

    最も好きな澁澤作品って、実は「言葉の標本箱」(中でも、「天使から怪物まで」)なんですよ。
    そんな私からすると、澁澤関連のアイテムも断片化・無意味化(もちろん完全な無意味化なんてありえませんが…)して並べてしまうのもありかな、という気はします。
    ま、この展示会は見てないんであんまり無責任なことは言えませんが。

    あと、「冗長」「間延び」「散漫」ってのは、澁澤の大切な要素の一つですよ、これは皮肉でもなんでもなく。
    by モバサム41 (2007-07-12 00:23) 

    mistletoe

    こんにちは。再び訪問です。
    ↑の方のコメントも確かに・・・と思うのです。
    でも今回の展示は澁澤の云う断片化・無意味化とは
    違う・・・何と申したら良いやら・・・
    大事な要素なんて何も無いっていう感じでしょうか?
    作品自体も画家や作者が澁澤関連という物が多く
    作品として関連している物が少ない。
    だったら数を減らせば良いのに。無理に数を集める。
    その上あの展示。
    ↑の方のおっしゃるような澁澤の要素、
    「冗長」「間延び」「散漫」・・・頭の片隅にも無かったでしょう。
    それを無意識にこなしてくれたら理想でしたが。
    by mistletoe (2007-07-12 14:03) 

    sknys

    モバサム41さん、コメントありがとう。
    偏愛する作家の文章を断片的に引用した
    「澁澤龍彦 コレクション」(全3巻)のことですね。
    この発刊を記念して、都内の書店で初のサイン会を開いたんですよ^^

    《その小説は閉じた球体ないしは硬い宝石から、多孔質、
    とは言わないまでも、外から入りやすい開かれたオブジェの性質を
    帯びてきた》(倉橋由美子)

    後半の「冗長」「間延び」「散漫」は意図されたものなのか?
    ‥‥文字通りの「穿った」見方ですが。
    札幌の後、横須賀美術館で開催されるので、機会があれば足を運んで下さい。
    by sknys (2007-07-12 23:17) 

    sknys

    mistletoeさんへ。
    ロラン・バルト的な「断片・断章化」は旧来の起承転結や
    クロノジカルな物語性を排しているわけですが、〈幻想美術館〉は
    「旅〜航海」というアナロジーで、澁澤龍彦の生涯を回顧しています。

    従って「作品」関連よりも「龍彦」の友人・知人との交友関係が
    クローズアップされる。
    その一方でラファエル前派など、切り捨てられた作品もあった。

    どれくらい展示数を減らせば良いのか?
    ‥‥mistletoeさんへのコメントでは3分の1、
    記事では3分の2としましたが、なかなか難しいところです^^;
    by sknys (2007-07-13 00:21) 

    mistletoe

    国内の作家やアーティストは関連でも良いかも。
    でもこれはきちんと”作品”がありましたね。
    (何故この人がいない?と思う方々もいっぱいいましたが)
    そして・・・海外の作家、アーティストは澁澤自信との
    直接的な交流は無い・・・^^;
    そうなると”関連”?って?とかえって疑問を持ちます。
    ロラン・バルト的なイメージは私には感じられませんでした。

    理屈では無いのかも知れませんね。
    アートや作家に対する気持ちって主観的な事で
    個々に感じ方が違うのですよね。
    私は作品が一部死んでいた印象は変わりません~~
    by mistletoe (2007-07-13 11:13) 

    sknys

    ZOCALO(埼玉県立近代美術館ニュース)に次のような記述がありました。
    《少年時代から晩年までを辿りながら、澁澤龍彦が紹介した美術作品や、
    彼の回りに集まった芸術家を中心にした美術展です》(澁澤龍彦のいた場所)

    『幻想の画廊から』『幻想の彼方ヘ』『幻想の肖像』
    ‥‥は海外作家の作品だけを紹介している。
    龍彦の生涯を回顧するという欲張った企画が
    〈幻想美術館〉をメタボリックに肥大させてしまったのではないか。

    国内・国外で分ける展示方法もあったかな?
    オマージュ〜トリビュート作品だけでも独立して展示して欲しかった。
    サイドに澁澤邸のヴィデオを期間限定で貼りました。
    NHK日曜美術館「幻想の王国──澁澤龍彦の世界」の映像のようです。
    by sknys (2007-07-14 01:50) 

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