少年ヴィーナス [m u s i c]
ヴァージニア・ウルフ 『オーランドー』
The Sugarcubesの解散後にリリースされたBjorkの初ソロ・アルバム《Debut》(One Little Indian 1993)の初回盤CDには24頁の別冊「ソングブック」が付いていた。彼女のポートレイトを撮ったJean-Baptiste Mondinoのカヴァー写真(上記ブックレットにも4葉掲載)には毎回惹き着けられる。Vanessa、Amina、Bjork‥‥と3人娘を並べて見ることで、Mondinoに共通する色彩や質感を際立たせることが出来るかもしれない。「変形招き猫のポーズ」(と勝手に呼んでいる)のVanessa Paradis、海辺でグランジ・ファッションの少年たちと一緒にポーズを決めるAmina Anabi、紛いモノの模造涙を下睫に溜めて「神様、お願い!」──デウスは存在しない。でも、もし存在していたら?──と祈っているようなBjork Gudmundsdottir‥‥。
彼の手掛けたポートレイトは小さなCDジェル・ケースの中から何か特別な妖気のようなものを発散していて、知らずに手に取った後でMondinoの作品だと気づく。彼に比べると、粒子の荒いモノクロ画像を得意とするらしいAnton Corbin(U2、REM)など、鈍重な版画主義者のように思えて来る。Mondino特有の不自然に褪色したような色彩感覚は、たとえばタルコフスキーの映像美のような(白黒写真に人工着色を施したのではなく)、カラー画像を脱色させたような偽りの懐かしさを発酵させているし、指先で表面を撫でてしまいたくなる誘惑に逆らえない。Vanessaの猫背気味の背中、Aminaのカールした髪の毛、Bjorkのモヘア・セーター‥‥すべてがミルク・ティー色の世界の中で繊細な弧(カーヴ)を描き、呼吸している。
もう1つ気になるのはMondinoの「靴」に対するフェティシズム的傾向である。Vanessa、Bjork、Aminaの順にポートレイトを視て行くと、太い留め金(バックル)の付いた大きな左脚のブーツ、ブックレットの中の帆船の模型を両手に抱えて椅子に坐る、あるいは両手を交差させて「女坐り」している紐の解けたブカブカのスニーカー、そして海水と砂に塗れた靴々(ピストルを手にして虚空に狙いを定めている少年の靴紐は半ば解けている)。ファッション誌にも紹介されていた大きくガッシリした靴やブーツが当時の最新流行だとしても、偶然の一致とは想えない、この紐の解けた靴がMondinoの演出でなくて何であろうか。「モンディーノの靴」に一体どのような潜在的な意味が隠されているのかは皆目、見当も着かないのだが。
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Soul ll Soulだと少しヤバイかな?‥‥と心配していたら、Massive Attackだった。重低音重視でスクラッチ・ノイズも使った〈Human Behaviour〉。2ndシングル〈Venus As A Boy〉はプロデューサのNellee Hooperの半分は繰り返し聴いているけれど(彼は1曲当たり500回以上聴いた!)、一向に飽きる気配さえない。というのも、断続的に聴こえて来るTalvin Singhの生タブラやシタール音、それに加えてスティール・パン(サンプリング?)の軽やかな調べが、Denis BovellやDavid Rudderのアルバムにも通底する汎カリブ的な広がりを持って、恐らく意識裡の少年時代の甘美な記憶と混じり響き合い共鳴して、ノスタルジックな気分に誘うからだ。インド(タブラ、シタール、ストリングスはボンベイ録音!)と、カリブ(スティール・パン、リズムはレゲエ)の非西欧バイブリッド音楽‥‥それにしても、何と官能的なBjorkのヴォイスだろうか。
「少年としてのヴィーナス」という矛盾した言い回しを奇異に感じる人もいるかもしれないので、「かつて美少年であったことのない人」(© 倉橋由美子)のために不粋な解説を加えておく。ヴィーナス(Venus)とは「美と愛の女神」アフロディーテ(Aphrodite)の別名であり、彼女とヘルメス(Hermes)との間に産まれた子供を文字通りヘルマフロディトス(Hermaphroditus)という。美少年の誉れ高いヘルマフロディトスは《池で泳いでいる時、彼を恋するニンフのサルマキス(Salmacis)に取り憑かれ、彼女と同体になり男女両性を兼ね備えるようになった》。つまり「少年としてのヴィーナス」とはヘルマフロディトス(両性具有者)のことを指す。呉茂一『ギリシャ神話』(新潮社)の「ヘルマフロディトス(半陰陽)」の項には、たとえば《少なからず病的となったアレクサンドリア以後の猟奇的趣味の産物》とか、《妖しい美しさを示す、このような美少年趣味が弄ばれ》た、という興味深い記述もある。
まるでBjorkが美少年を弄んでいるような錯覚に陥るではないか。この「アンドロギュヌス讃歌」が彼女のボーイフレンドに捧げられていることに思いを巡らせば、もう少し突っ込んだ別の解釈も成り立つ。「男友達」はホモセクシャルなの(Hermaphroditusには「同性愛者」の意味もある)、それともバイセクシャルなの?‥‥という下世話な揣摩臆測が。一般にヘルマフロディトスと称される存在には少なくとも3種類あるように思われる。〔1〕最初から男女両性を兼ね備えているもの 〔2〕男女2人が合体→成就するのもの 〔3〕ある特殊な条件下で男性化?女性化(変身・性転換)するもの。元祖美少年Hは〔2〕、交尾している蛇を杖で打ったら女に変身したというティレシアース(Teiresias)は〔3〕に、それぞれ当て嵌まるだろう。〔1〕は、それ自体が人間を超えた存在なのかもれない。
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「ギリシア神話」の古代に遡らなくても、もっと身近なところに彼ら / 彼女たちは棲息している。たとえば「少女マンガ」の世界に登場する美少年たちの殆どは精神的なアンドロギュヌスと看做して良い。この秘密の花園に迷い込んだ門外漢には金髪碧眼の「人種」は疎か「性別」さえ分からないらしい。たとえば清水玲子の『月の子』(白水社 1992)や、ソルティ・シュガーこと佐藤史生の『ワン・ゼロ』(小学館 1986)の中に典型的なアンドロギュヌスの存在を確認出来る。前者は「人魚姫伝説」と「鮭の帰巣本能」を掛け合せた一種の近過去ファンタジーだが(これに作者のバレー趣味が加わる)、荒唐無稽な設定に「チェリノブイリ」という忌わしい異物を混入させることで、ゾッとするほどリアルな飲み物(カクテル)として眼前に生々しく提供される。
「現実」を後追いする形でカタストロフィに収斂して行く「物語」の結末は、心優しき作者の面目躍如たるものだ。反原発ものではないと自ら連載の初期段階でコメントしていたが、『竜の眠る星』(1988)を挙げるまでもなく、元々エコロジカルな資質が彼女に備わっていたことは否定出来ない。ラスト近くで「悪夢」がフラッシュバックする場面の怖しさは筆舌に尽くし難い‥‥「現実」が「悪夢」に摩り替っているのだ。それとも醒めない「悪夢」を見続けているのは読者の方なのだろうか。ムーン・チャイルド3兄弟の1人ベンジャミン君(ジミー少年)は、ある特定のシュチュエーションで女性化?少年化を繰り返す(変身後は何故かオール・ヌード!)。『ワン・ゼロ』の後半では、都祈雄と摩由璃の異母兄妹(1年違いのアストロ・ツイン)はトキ自身にマユリが吸収される形で合体?融合してしまう。
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《Debut》を「女性冒険家の旅行記」に譬えることも出来る。ブラスが響き、野鳥たちの囀る奥深い森の中を独り彷徨う〈Aeroplane〉、ダブ+グラウンド・ビートの蠢動がBjorkの妖しげなヴォイスを増幅する〈One Day〉、70歳の老ハープ奏者Corki Haleと共演したファンタスティックなカヴァー〈Like Someone In Love〉(挿入される具体音が「現実」へ送還する)、全体がメタファの船で構築されている〈The Anchor Song〉‥‥。恋人を失った傷心の旅、飛行機に乗って世界を翔け回るヒロイン、《飛行機は噴火口の周りを優雅に旋回する》。汽車(locomotives)を乗り継いで都市を巡り、舟(boat)を奪って島ヘ逃げる(ことも出来た)。しかし、この逃避行には《地図もないし羅針盤も役に立たない》。何故なら、そこはインドとカリブ海が混在し、2つの太陽が輝き、火山が噴火して花火が上がり、アンドロギュヌスが存在し、ミルク・バーのトイレの中がカラオケ・ボックスと化してしまう世界、夜になると「私の錨(My Anchor)」を降ろす場所なのだから。
AeroplaneとAnchorは対立項になっていて、それぞれ地理的な空間移動──活動・旅行と、意識下の垂直ベクトル──休息・眠り、昼と夜、外部と内部のメタファになっている。音楽的に言えば、官能的エモーショナルな浮游感と、夢幻的スタティックな下降感。Anchorが古風な帆船を連想させるように、Aeroplane(エアプレイン)という綴りは時代遅れのプロペラ機を想い起こさせはしないだろうか。Bjorkの「単独飛行」には今にも墜落しそうな何百人もの乗客で膨れ上がったジャンボ・ジェットなどではなく、1人乗りの単葉機が良く似合う。パナマレンコ(Panamarenko)の飛びそうもない「人力ヒコーキ」が魅力的なのは、見る側の想像力がガラクタ類を楽々と宙に飛ばしてしまうからである。空を飛んでいるヒコーキを想像させるものは、空を飛んでいるヒコーキそれ自体ではない。美少年たちは模型飛行機を慎重な手つきで組み立てながら、青空を翔る様を夢想してワクワクするのだ。
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棒線状に単純化された男女1組の踊るヌード・カップル、永井豪のマンガ風にデフォルメされたイヤハヤ南友なペニス君、妙にヒロイックでカリスマ的なオタマジャクシ(精子)さま──The Sugarcubesの3枚のアルバム・スリーヴは露骨な性的シンボルを見せびらかすものだったが、デビュー作の針金男の股間にブラ下がっている2本のペニスに首を捻ったものだった(2本ペニスの馬人間じゃあるまいし)。仮にBjorkがユニセックスで、その男友達がバイセックスとするなら、シューメール(超男性)とでも呼ぶべきか。ところが、彼らのリミックス・アルバム(限定2CD)には、それまでのデザインから一転して「蚊の大群」が描かれていた。これが「蠅」ならば女装趣味のハリー公(ハリエット太公妃)のように「フライ・ルー」という「角砂糖3つと蠅が適当にいれば良い」賭けゲームで遊べたのに‥‥「飛行機は雲を突き抜けて、今頭上に来た。旋回している」。
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- ビョーク・シリーズ第1弾です。ニュー・アルバム《Volta》に便乗した「ビョーク祭り」ということで^^
- CDS(Pt.2)に収録されている〈Venus As A Boy〉のリミックス・ヴァージョンはレゲエではなくグラウンド・ビート、ヴォーカルも別テイクでした。
- 『ワン・ゼロ』については別の記事で詳細する予定です。乞う御期待!
- 〈Venus As A Boy〉の最初の部分は「his sweet jazz, a sense of humour...」と歌っていますね。カレはジャズ・ミュージシャン?‥‥「he's venus as a boy」が「his penis has a boil」と聴こえるソラミミストもいましたが(2007/05/03)
venus as a boy / sknynx / 082
- Artist: Bjork
- Label: One Little Indian
- Date: 1993/07/10
- Media: Audio CD
- Songs: Human Behaviour / Crying / Venus As A Boy / There's More To Life Than This / Like Someone In Love / Big Time Sensuality / One Day / Aeroplane / Come To Me / Violently Happy / The Anchor Song
- Artist: Bjork
- Label: One Little Indian
- Date: 1993/08/23
- Media: Audio CD(Pt.1の画像を使用しています)
- Songs: Venus As A Boy (7" Dream Mix) / Stigdu Mig / Anchor Song (Black Dog Mix) / I Remember You
- 著者:ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)/ 杉山 洋子(訳)
- 出版社:筑摩書房
- 発売日:1998/10/22
- メディア:文庫
- 目次:オーランドー 伝記 / 隠し絵のロマンス ── 伝記的に(杉山 洋子)/ 訳者あとがき・15年後に / 解説 女王陛下の両性具有(小谷 真理)
2007-05-01 00:48
コメント(4)
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私好みの記事ですね(笑)
ジャケットの涙のようなメイクではなく、インナーの写真に言及している所がsknysさんらしいですね(忘れてたので見直しました)。
ビョークの音楽ってスリル(というか不均衡)を好む部分とひたすら内側へと進む部分がアルバム単位で分かれているような気がしていたのですが(特に近年の作品の内向化傾向など)、そういう意味では「デビュー」はそういった部分が未分化で、逆にそこがこのアルバムの良さかなと。
新作は久々にポップなビョークが聴けるらしいですね・・・楽しみ、楽しみ。
by yubeshi (2007-05-02 00:07)
yubeshiさん、コメントありがとう。
Mondinoって「靴紐フェチ」だったのね。
帆船を両手で抱えているBjorkが印象深い
(彼女が少年なら模型飛行機を手に持っているはず!)。
靴の紐が解けている理由は、ゆべしさんが解明して下さい^^
Bjorkの両極アルバム──最も攻撃的な《Homogenic》と
内省的な《Vespertine》、外と内の振幅がデビュー作で萌芽している。
彼女のアルバム制作に参加したミュージシャンは精魂尽き果てて
消耗しちゃうみたいですね。
吸血ビョーク?‥‥3年振りの新作は期待大です。
by sknys (2007-05-02 03:18)
こんにちは♪
ご訪問ありがとうございました。
私もBjörk好きです。The Sugarcubes時代から....
とくにBjörkはデビュー当時が好きですね。
旦那のMatthew Barneyも好きです。
ヴァージニア・ウルフはまだ一冊も読んだ事無いのですよ。
機会があればぜひ読んでみようと思います。
by mistletoe (2007-05-07 14:04)
mistletoさん、コメントありがとう。
The Sugarcubes時代のBjorkはパンク / ニュー・ウェイヴでしたが、
デウス、デウスとか、チワワワワとか、今でも何かの拍子に口ずさんじゃう。
清純な乙女たちはジャケットに赤面しちゃうかもしれませんが^^;
ヴァージニア・ウルフは代表作の『燈台へ』や『ダロウェイ夫人』より、
『オーランドー』や『短篇集』の方が読み易いと思います。
彼女の美しい詩的文体や、メタファの面白さを味わいたければ原文で‥‥^^
by sknys (2007-05-07 22:34)