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スタート・レック! [v i s u a l]

2006年に40周年を迎えた米TVドラマ『スター・トレック』(STAR TREK)はトレッキーと呼ばれる熱狂的なファンの声援や要望に応えるかたちで、時代を24世紀に移した新シリーズ〈The Next Generation〉(TNG)を87年から制作・放映し始めた。アメリカTV史上、これ程までにバカバカしいドラマは無いと想いながらも見始めると(毎回欠かさず全177話を視ていたわけではないが)、つい最後まで魅入ってしまう。気の遠くなるような「SF冒険譚」の未だ衰えぬ人気、その長寿の秘密とは一体何なのか?‥‥。60年代にスタートした他のTVシリーズ──とっくの昔に完結したり、尻切れトンボのまま一向に再会される見込みのないまま放置された「連続TVドラマ」の数々をヴィデオや再々‥‥放送などで見返していると、この種のフォーマットがTV黎明期に既に完成されていたことに気づく。

「危機的立場・状況に陥っている孤立無援の主人公と、その特殊空間」という設定が、真に重要なのはシリーズ第1回目と最終話のみであり、その枠内で自由にストーリーを展開出来る利点を保証する。古く言えばエピソードの積み重ねで成り立つ「ピカレスク・ロマン」、いわゆる「ロード・ムーヴィ」の一形態(1時間1話完結の旅)。例えば妻殺しの冤罪で「殺人犯」として指名手配され全米を逃げ回り、同時に真犯人を自らの手で捕らえて無罪を証明しなければならないR・キンブル。あるいは地球を侵略する目的で遠い星からやって来た「人間ソックリ」の異星人の陰謀を未然に防ぎ、この怖しい事実を未だ何も気づいていない人類に知らせる使命を負ったD・ヴィンセント。名前を変え職業を替え、1つの場所に定住することなく点々と移動して警察の捜査の網から逃れる「殺人犯」と、怪事件や怪現象を追い求めて「侵略者」の実在を狂信的な伝道師のように説いて回る「狂人」──宇宙人が侵略して来たと吹聴して歩く男の姿は行く先々の人々には単に「頭のおかしい男」としてしか映らない。

TVの前の視聴者には「無実の罪」であり「真実の話」であることが予め判ってるので、安心して主人公に感情移入することが出来るのだが、後者の怖さは、もしかしたら総てが「狂人」の誇大妄想=幻覚ではないかという一抹の疑念を払拭出来ない点に凝縮される。図式化すれば2人は共に広大な全米を逃げ回る / 追い求める男であり、常に緊張を強いられ宙吊り状態に置かれている内面の投影として捉えれば、外部世界は心理的に閉じていると言えよう。真犯人を捕まえない限り主人公は「北米大陸」という巨大な檻から逃げられないし、侵略者の存在を明らかにしなければ彼の内面(悪夢?)は決して解放されない。つまりアメリカという閉じた円(密室)の中で、2人の主人公たちは自分に貼付けられた「殺人犯 / 狂人」という汚名を自ら晴らさなければならない。出口はどこにもない。負のレッテルを剥がさない限り円環は閉じたままだし、密室のドアは開かないのだ。

『逃亡者』『インベーダー』の2作に『タイム・トンネル』『プリズナー No.6』を加えてみれば閉鎖的状況は、より一層明確化するだろう。「タイムマシン」の実験中の事故で現在(1966)に還れなくなり、過去〜未来、地球〜未知の惑星(4次元?)の時空を彷徨う若き科学者2名。ある日突然、見知らぬ街に拉致され、そこから決して脱出出来ないカフカ的不条理世界に閉じ込められてしまったナンバー6(英国諜報員)。彼らの境遇は前2作と同様に内外部共に不安定で、時空という捩れたチューブ状のトンネルの中、ミニアチュールの箱庭のような架空の街の中という具体的な「装置」によって彼らの密室性や閉塞感がリアルに露呈されて行く。深夜帯に流れていた『インベーダー』(1968)を断片的に眺めていると、これらのTVシリーズが60年代の東西冷戦の「恐怖」の産物であったことが実に良く分かる(「タイム・トンネル」がアリゾナ砂漠の地下実験施設にあったという設定は、当時行なわれた「核実験」を露骨に連想させはしないだろうか?)。

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逃げる / 追う男たちの舞台が現在(60年代)のアメリカだったのに対して、『スター・トレック』は未来(23世紀)の果てしない宇宙空間そのものである。如何にアメリカが広大であろうとも──「宇宙のおたずね者」や「エイリアン・ハンター」が星間を飛び回る滑稽な姿を想像するまでもなく──宇宙の比ではないし、エンタープライズ(EP)号が1つの空間・都市・社会の雛形を形成していたとしても、宇宙空間の中では米粒にも充たないチッポケな存在であることは疑う余地もない。もし地上(地下?)で「閉所恐怖」を描こうとすれば、一種の特殊状況を設定しなければないが、豪華客船の転覆、高層ビルの火災、ナチに追われて地下に潜伏、牢獄からの脱走(J・ベッケル)‥‥の延長戦上にある「宇宙密室もの」の傑作『エイリアン』(L・スコット)を挙げるまでもなく、必然的に宇宙船は動く「密室」と化す。そして、果てはあるけれど膨張し続けているという「相対性理論」を信じれば、星間航行中のクルーたちはEP号の内と外で2重に閉じ込められていることになる。

しかし『スター・トレック』は他の60年代TVシリーズの内包する密室性・閉塞感から脱却して、仮初めの永遠性・解放感を手中にした。アメリカ人の能天気なフロンティア精神?‥‥人類にとって未知なる宇宙と未来に時空を定めることによって60年代のアメリカから脱出したEP号には如何なるコートームケーな事象も許されてしまう。千差万別の異星人たち──しかし、まぁ次々と宇宙人(知的生命体?)を思いつくものだと半ば呆れ感心する──、人や物を瞬間移動出来る転送装置(ご都合主義!)、ワープ航法、光子魚雷、フェイザー銃、トリコーダー、ホログラム・デッキ‥‥。〈NHK少年ドラマ・シリーズ〉並のスタジオ・セット、安直なSFX(TNGでは多少改善されている)‥‥それら総てがチープで笑え、ちっぽけな地球〜地上での漠然とした不安、「核の恐怖」を仮令一時でも忘れさせてくれたのではないか。言うまでもないことだが、全面核戦争が勃発すれは殆どの人類は滅亡する、どこにも逃げ隠れる場所(避難所)はないという意味での地球=密室なのである。とすれば、EP号が一種の空飛ぶ核シェルター「ノアの箱舟」的な救済の象徴として当時の人々(視聴者)に見上げられていた可能性も否定出来ない。

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トレッキーという程ではないけれど、〈新シリーズ〉(TNG)を視ていて最もワクワクドキドキするのは、クリンゴン人がTV画面に現われる瞬間である。額〜前頭部に蟹の甲羅状の隆起(恐竜の脊柱からヒントを得た!)のある黒褐色の異星人──その性格は兇暴かつ獰猛で好戦的、傲慢で猜疑心が強く、最高の名誉を自らの「死」と引き換える、誇り高い異形の種族。初期設定では「人類の宿敵」だった武闘派も既に惑星連邦側と平和協定が結ばれているので、24世紀では彼らの役割も変化しつつあるのだが、生来の性格まで変わってしまったわけではない。最高の名誉が「殉死」と聞くと60年前の何処かの旧帝国軍の神風、玉砕、回天(人間魚雷)‥‥などを嫌でも思い出してしまうが、クリンゴン人は仮令戦争に負けたからといってもコロッと「転向」してココロを入れ替えたりは絶対にしない。「無条件降伏」するくらいなら、捕虜としての辱めを受けるくらいなら、躊躇なく自ら進んで名誉の「死」を選ぶだろう。従って彼らの両親、兄弟、親戚など、総ての近親者たちが既に鬼籍に入っている(寿命ではなく、その多くが戦死!)場合も少なくない。それを寂しいとは感じず、むしろ誇りに思うところがクリンゴンのクリンゴンたる所以である。

もっともクリンゴン人を60年前の「黄色人種」に準えるのは少々穿ち過ぎかもしれない(その特徴的な前頭部は時代劇のヅラからヒントを得た可能性も高いし、戦国時代の悪辣な落武者を連想しないでもないが)。彼らの肌の色から判断して第一に思い浮かべるのは「イエロー」ではなく「ブラック」の方であろう。もちろん黒人=クリンゴンという見立てが人類対クリンゴン、善玉対悪玉、白人対黒人という陳腐な対立図式に行儀良く収まるわけでもないし、黒人の外見、容貌、性格などをステロタイプ化しているわけでもない。米黒人作家のダリウス・ジェームズは『ニグロフォビア』の中で、NYの地下鉄車内でクダを巻くイカレた黒人2人組に、白人化した黒人のことを「アンドロイド黒んぼ!」「クリンゴン黒んぼ!」と呼ばせている。彼らにしてみれば仇敵の人類と仲良くなったクリンゴン(黒人)など、今や語るに堕ちたオチョクリの対象でしかないと言いたいのだろう。「巨大白マンコ撃ちまくり!」‥‥しかし、どちらにしろクリンゴン=黒人の前提に基づく発言であることには変わりない。

シリーズ開始当初の設定は兎も角、40年(1世紀?)にも及ぶ時間の流れや全米の「クリンゴン人気」と共に、彼らも単なる悪役(人類の仇役)から脱皮しつつあるらしい。クリンゴン=黒人という旧図式(23世紀)の変貌はステロタイプの黒人描写に対して「黒人にもアンビギュイティはある」と言い放った黒人作家の有名な批判を想起させないだろうか。EP号クルーの1人であるウォーフ中尉(クリンゴン)が旧友クリンゴンと人類(惑星連邦)サイドとの板挟みに合って煩悶する(シドニー・ポワチエ的苦悩?)話や、ついに出た美女クリンゴン(実は人間とのハーフ!)との過去の恋愛関係を縺れを恢復するエピソードなど、EP号内で人間以上に複雑怪奇化したクリンゴン同士の心理(描写)の葛藤をニヤニヤしながら眺めていると、いつの間にか「クリンゴン狂」になってしまった自分を発見して驚く。そのグロテスクな風貌や言動にも拘らず、魅力的で愛すべき存在に見えてしまうのだから。

「苦悩するダーク・ヒーロー像」という側面から光を当ててもクリンゴン人は、なかなか好い線を行っていると思う。CBSニュース(1994)に拠ると、何故かクリントン大統領の人気凋落と反比例するが如く全米でのクリンゴンの猛威は凄まじく──地球を侵略しているのは「インベーダ」ばかりではなかった?──、普段は善良なアメリカ人に成り済ましている彼らも、週末になるとクリンゴン本来の醜悪な姿に戻って親睦パーティ(仮装コスプレ?)を繰り返し開いているという。ウォーフ役の男優(M・ドーン)は「(カツラのせいで)頭が痛いし、こんな特殊メイクはもう嫌だ!」と不平不満を漏らしていたが、当分このハマリ役から脚(顔?)を洗えそうもない。最新シリーズはスキンヘッドのジャン=リュック・ピカード艦長(P・スチュワート)に代わって「スター・トレック」史上初の女性艦長が就任しているというのだから、こっちの方もクリンゴンの怪演と共に期待しようではないか。

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  • 『ニグロフォビア』(白水社 1995)の画像がなかったので、原書の表紙カヴァーを貼りました。記事中のリンクは「Wikipedia」に張っています

  • 〈スタート・レック!〉というタイトルは〈スター・トレック〉(STAR TREK)の誤植ではなく、「録画しろ!」(START REC)という意味です^^

  • 『STAR TREK The Next Generation』の国内DVD『新スター・トレック』はシーズン1〜7を各2巻(Vol.1&2)に分けて販売(¥6,300)していますが、1シーズンを丸ごと収めたUS盤($50.49)と値段が同じですね。日本語字幕や吹き替えが付いているとはいえ、暴利ではないでしょうか(価格は「シーズン1」の日米Amazon比較。国内盤はVol.1&2合計で¥14.175になります)

  • 劇場公開版は『ファースト・コンタクト』(1996)──人類がワープ航法に成功するのを待って、惑星連邦の一員に迎える──が面白かったですね

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新スター・トレック シーズン7 Vol.1

STAR TREK ── The Next Generation(Season 7: Part 1)

  • メーカー:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
  • 発売日:2006/12/22
  • メディア:DVD


スター・トレック:クリンゴン・ボックス

STAR TREK ── KLINGON Fan Collective

  • メーカー:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
  • 発売日:2006/12/22
  • メディア:DVD


ニグロフォビア

ニグロフォビア ── ライターズX

  • 著者:ダリウス・ジェームズ(Darius James)/ 山形 浩生(訳)
  • 出版社:白水社
  • 発売日:1995/01/25
  • メディア:単行本

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