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那古野の人々(すべてがVになる?) [b o o k s]

  • 僕は、僕の形をしたロケットに乗っている。
  • 彼女は保呂草の車にもたれかかり、目を瞑った。/ 出っ張った後部のバンパが、彼女の脚に当たる。/ 花火の音、そして火薬の匂い。/ みんなの歓声。/ 自分の人生。/ 過去‥‥。/ そして未来。/ 人形‥‥。/ そして人間。/ 操られている人間。/ 空から届く無数の糸。/ その糸こそ、生きている幻想。/ 自分が自分で考えているという幻想を見せる。/ 自分が自分で立っているという幻想を見せる。/ 見せてくれる。/ 見たい。/ だから、/ 人の形、/ 人間の形が、/ 怖くない。/ その呪文こそ、/ 人間が作り上げた最高のバリア。/ それが社会。/ それが歴史。/ 集まった糸。/ 縺れた糸。/ 太陽のナイフ。/ 月のナイフ。/ 金と銀。/ 白と黒。/ 明と暗。/ 生と死。/「大丈夫ですか?」保呂草の声が近くでする。/ 紅子はゆっくりと目を開ける。/ 一瞬にして宇宙から帰還する。/ 躰の存在を感じる。/ 不思議と躰が温かい。/ 気持ちが良かった。/ 血液が流れている。/ 私は、私の形をしたロケットに乗っている、と紅子は思った。
    森 博嗣 『人形式モナリザ』

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    愛知県内にある架空都市「那古野」を舞台にした2つの人気ミステリ・シリーズS&MとVには、時間軸のズレという横断〜重層的な大トリックが仕掛けられていた。紅子(V)シリーズと犀川&萌絵(S&M)との一番大きな相違点は「語り手」の導入にある。作中登場人物たちの視点が自由に移動する〈3人称小説〉のS&Mに対して、Vシリーズは保呂草潤平という語り手(私)を立て、事件解決後に主要登場人物4名の視点から「私」が再構成〜記述したという体裁を採っている。3人称小説の視点の移動は当たり前のことだが、ある種の少女マンガや〈意識の流れ〉のように注意深く読み進めて行かないと話者の主体が解り難くなる傾向もあるので、一般に読者リテラシィの低い(?)エンタテイメント系では出版社サイドから敬遠される事情もあるのかもしれない(劇画や少年マンガの回想シーンでコマ枠の四隅が丸くなったり、独白部分で吹き出しの形状が変わったりします)。

    いわゆる物語の2重構造──この1人称の語り(騙り?)が物語のリアリティを保証する一方で、「私」にとって不都合なことは敢えて書かなくても良い、時と場合によってはウソも吐く!‥‥ことが可能になった。それぞれの巻頭部分(前書き)で語り手が、このシステムに就いて毎回懇切丁寧に説明しなければならないという、まどろっこしさは付き纏うものの、刊行順に読んでいる読者にとっては周知の事実なので、つい読み飛ばしたくなるのだが、1人称が3人称を内包する一種の入れ子構造は記述者である「私」の存在も第三者として語られるために、様々なミステリ的なトリックを仕掛けることが容易に可能な、偽りの「客観性」を手に入れた。物語の構造自体に巧妙なトリックが仕掛けられているわけである。
      
    4人の主要登場人物たち──木造2階建てのアパート〈阿漕荘〉の住人、保呂草潤平(探偵?)と女装マニアの小鳥遊練無(N大医学部2年)、関西弁の大女・香具山紫子(私大2年)、そして〈桜鳴六画邸〉の離れ〈無言亭〉に居候する没落した名家の令嬢・瀬在丸紅子(自称科学者)。保呂草は表向きの私立探偵業の裏で、何やら怪しげな稼業を営んでいるらしいし、大学生2人組の会話は掛け合い漫才風、今シリーズのヒロイン紅子嬢も自室で何やら良く分からない実験・研究に没頭している。〈無言亭〉には彼女の執事で、練無の少林寺拳法の師範代でもある根来機千瑛老人と、離婚した前夫・林(愛知県警刑事)との間の1人息子「ヘっ君」(小6)が住んでいる。さらに林刑事の部下で現・恋人の祖父江七夏、保呂草がルパン3世(?)なら峰不二子といった役どころの各務亜樹良(美人ジャーナリスト)等‥‥一癖も二癖もあるキャラ(萌え?)が活躍する。主要キャラ4名の名字が総て漢字3文字姓で保呂草を除く3人の名前に「色」と「糸」が入っているのにも何か隠された意味があるらしい。

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    Vシリーズ第1作目の『黒猫の三角』(講談社 1999)はシリーズ1回目にだけ許される1度限りの、とんでもない「大ドンデン返し」が最後に仕掛けられている。冒頭の語り手が1人称でなく3人称になっている点を指摘するだけで殆ど「ネタバレ」状態だが、初めてVシリーズを読む読者には、そこまで気が回らないでしょう。〈桜鳴六画邸〉の今の住人で〈阿漕荘〉の大家でもある小田原静江に身辺警護を依頼された保呂草が練無&紫子コンビをアルバイトに雇って、一晩ガードすることになる。折しも当日は静江44歳の誕生日‥‥ここ那古野市では3年前の7月7日に11歳の少女が、2年前の同日に22歳の女子大生が、昨年の6月6日に33歳のOLが絞殺されるという「ゾロ目殺人事件」と呼ばれる不可解極まる連続殺人事件が起きていた。静江の許ヘ「脅迫状」めいた手紙(過去の殺人事件の新聞記事の切り抜き)が届く。そして誕生パーティの最中、衆人環視の中、2階の寝室内で依頼主の小田原夫人が殺害されてしまう。例によって室内は完全な密室状態‥‥パーティ客たちは夫人に招待された紅子、紫子&機千瑛の3人と居候の2人、小田原家の家族4人、家政婦2人、邸外警備の保呂草&練無の2人──この13人の中に連続殺人犯がいる !?

    第2作目『人形式モナリザ』(1999)の舞台は避暑地の〈人形博物館〉。「乙女文楽」の演じ手(女姓)が館内のステージ上で謎の死を遂げる。第3作目の『月は幽咽のデバイス』(2000)は〈薔薇屋敷〉(別名・月夜邸)と呼ばれる豪邸内のオーディオ・ルームで女性の死体が発見される。この屋敷に棲んでいると噂される「狼男」‥‥作中で披露される「ムーン、ファイア、アンド、ホワイト」という中学生の読者にも解ける簡単なナゾナゾ、アート・ギャラリィ〈プレジョン商会〉(PUREJON SHOUKAI)が、ある登場人物名のアナグラムになっているなど、遊び心も満載。4作目『夢・出逢い・魔性』(2000)は英・和文の3重のモジリ(駄洒落)になっているタイトル名が、その内容(TV局内で番組プロデューサが殺害される)を雄弁に物語っている。本編中に挿入される犯人の独白‥‥読者の誤読を誘う「叙述トリック」も冴え渡っている。

    第5作目の『魔剣天翔』(2000)は航空ショーでアクロバット飛行中のパイロットが射殺されるという「空中密室」殺人事件。続く6作目の『恋々蓮歩の演習』(2001)は豪華客船ヒミコ号内での男性客失踪事件‥‥。《Vシリーズの後半はハードボイルドにしたかった》と作者が語っているように、天才画家・関根朔太の幻の「自画像」をめぐる連作風のサスペンスになっている。7&9作目の『6人の超音波科学者』(2001)と『朽ちる散る落ちる』(2002)の2作も共に閉ざされた山荘(超音波研究所)を舞台にした前・後編的な作品。前者は研究所内でパーティ中に、後者は地下の密室で謎の死体が発見される。その一方で、地球に帰還した有人衛星のクルー全員が殺されていたという、前人未踏の「宇宙密室」事件も発覚した。国際テロリストやCIA情報局員も水面下で暗躍し、基本的に「安楽椅子探偵」の紅子の身にも魔の手が伸びる。

    7作目と9作目の間に插まれた『捩れ屋敷の利鈍』(2002)は〈すべてはFから始まる〉で触れた通り、S&MとVシリーズの主要キャラ(西之園萌絵と保呂草潤平)が接近遭遇する番外的な中編作で、間接的に紅子と犀川創平も登場する。「メビウスの帯」を3次元化した〈捩れ屋敷〉という巨大なキーホルダーの内部に付いている〈エンジェル・マヌーヴァ〉と呼ばれる、宝石が填め込まれた時価数億の短剣。捩れドーナツ状の密室内で発見された他殺体と消えた秘宝‥‥。そして《探偵は前代未聞の方法で殺人犯を言い当てる》。Vシリーズ最終巻の『赤緑黒白』(2002)は単純明快な表題通りに、赤井寛、田口美登里、黒田実、山本百合(白鳥こずえ)の4人が、それぞれ全身を赤・緑・黒・白色に塗られて次々に殺害されるシリアル・キラーもの。捜査線上に浮かんだ女流ミステリ作家・帆山美澪と、その秘書・室生真弓、1作目の殺人犯(拘留中)が示唆する真犯人像、ラストで明かされる天才少女・真賀田四季の連続殺人事件への関与?‥‥。幾つかの謎は謎のまま、新シリーズ〈四季〉4部作へと引き継がれて行く。

    《テーマではなく、作品の構造、プロットの仕組み、趣向という部分が意図的に似せてある》と『100人の森博嗣』(メディアファクトリー 2003)の「自作小説のあとがき」で自ら語っているように、S&MとVシリーズ(各10巻)は、それぞれ1対1に対応している。つまり1作目は人物入れ替りトリック、3作目は大仕掛けなメイントリック、5&6作目は4文字熟語とシトシト / レンレンの繰り返しタイトル、8作目は番外編、10作目は真賀田四季さま再登場!‥‥という風に。参考までにVシリーズの英語タイトルの方も挙げておく。〈Delta in the Darkness〉〈Shape of Things Human〉〈The Sound Walks When the Moon Talks〉〈You May Die in My Show〉〈Cockpit on Knife Edge〉〈The Sea of Deceits〉〈Six Supersonic Scientists〉〈The Riddle in Torsional Nest〉〈Rot off and Drop away〉〈Red Green Black and White〉──ちなみに7作目のタイトルは70'sのプログレ・ロック・グループ、Genesisの曲の歌詞から採ったそうです。森博嗣はプログレ好きだったのか!‥‥瀬在丸紅子さんも《「ブリティッシュ・ロックよ。それ以外は、私には音楽じゃないの」》と『黒猫の三角』の中で発言していましたね。

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    〈那古野の人々〉は 〈すべてはFから始まる〉の続編です。S&MとVシリーズを前・後編の2回に分けて分載しました。〈四季〉シリーズ4部作も完結し、謎だらけのG(ギリシャ文字)シリーズも、Θ(シータ)、τ(ター)、ε(イプシロン)、λ(ラムダ)、η(イータ)‥‥と、既に5巻刊行されていますが、今回の執筆に当たりS&Mの『すべてがFになる』(1996)と『有限と微小のパン』(1998)、Vシリーズの『黒猫の三角』を文庫本で、『捩れ屋敷の利鈍』を新書判で再読しました。文庫版は誤植などを含めて著者本人が校正し直しているので、(版組も2段から1段に変わり、活字も大きくなって)読み易くなっているようです。しかも「解説」も付いて値段も安い(ちなみに『F』の「解説」は瀬名秀明氏)。S&Mの文庫本装丁はオリジナルのノベルス版の下手な焼き焦がしみたいで見た目も地味だったけれど、Vシリーズの表紙はポップ&カラフルで洒落ていますね。これなら自腹を切っても良いかな?‥‥両シリーズだけで20冊、今回は資料集めが大変でしたから。

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    • オリジナル単行本にリンクすることしていますが、Vシリーズはポップ&カラフルな文庫本にリンクしました(発売日の日付けが本文とリンク先で異なります)^^;

    • コミックス版『黒猫の三角』(角川書店 2002)を 〈猫にふたたび〉で紹介しました。併せてお読み下さい^^

    • 文庫版『赤緑黒白』の解説「保呂草潤平、かく語りき」の中で、菅聡子が同じようなことを書いています(O茶の水女子大のセンセイなので「インターテクスチュアリティ」という小難しい文学批評用語を使っていますが)。《すでに第1シリーズ、また本シリーズに続く作品群をノベルスの形等で読了された読者は、森博嗣の作品世界を覆う大きなしかけに気づいているだろう。森による各シリーズは、いわばひとつのインターテクスチュアリティ(相互参照)の網の中にあり、最新作までカバーしている読者は、それぞれの結節点に出合うたびに、「あっと驚くタメゴロー」状態(失敬。紫子さんギャグということでご寛恕ねがいたい)に置かれる》と。

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    人形式モナリザ ── Shape of Things Human

    人形式モナリザ ── Shape of Things Human

    • 著者:森 博嗣
    • 出版社:講談社
    • 発売日: 2002/11/15
    • メディア:文庫(講談社文庫)
    • 目次:プロローグ 大よろこびする優しい雷鳴、夜の支配者 / 浪費、曙光、そして過度に細心な幽霊 / 魔法、あるいは不気味な笑劇、奇蹟の大漁、喧騒、そして愛 / さてここで死者たちの空無さを当てにする者 / 肉体培養、あるには──お望みなら死を / 沈黙にさそわれ、扉はあとずさりしながらひらく / その微笑にはひかえめな優雅さがあるだろう / エピロ...


    黒猫の三角 ── Delta in the Darkness

    黒猫の三角 ── Delta in the Darkness

    • 著者:森 博嗣
    • 出版社:講談社
    • 発売日:2002/07/15
    • メディア:文庫(講談社文庫)
    • 目次:プロローグ 何かが終わった / 何も起こらない / 誰も気づいていない / 見れば信じる / 寝れば遠のく / 不思議再び / 退屈再び / 何が本当か / 本当が良いのか / エピローグ 何かが始まる / 解説・皇 名月


    赤緑黒白 ── Red Green Black and White

    赤緑黒白 ── Red Green Black and White

    • 著者:森 博嗣
    • 出版社:講談社
    • 発売日:2005/11/15
    • メディア:文庫(講談社文庫)
    • 目次:赤 / 緑 / 黒 / 白 / より赤く / エピローグ


    100人の森博嗣 ── 100 MORI Hiroshies

    100人の森博嗣 ── 100 MORI Hiroshies

    • 著者:森 博嗣
    • 出版社:メディアファクトリー
    • 発売日:2003/03/30
    • メディア:単行本
    • 目次:まえがき / 森語り──自作小説のあとがき / 森読書──書評や本に関するエッセイ / 森人脈──作品解説から / 森好み──趣味に関するエッセイ / 森思考──考え方、スタンスに関するエッセイ / 特別収録──デビューまえの手紙、高校生のインタヴューに答えて

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    コメント 4

    yubeshi

    やっとVシリーズ読み終わりましたよ。
    犯人のキャラクターやシュールな世界観ではS&Mシリーズの方に及ばないと思いましたが、登場人物の面白さは間違いなくこっちですね(七夏刑事のファンです・・・笑)。
    「黒猫の三角」以外では「恋恋練歩の演習」が良かったかな。関根画伯系(とエンジェルマヌーヴァ系)のネタが気に入りました。
    「6人の超音波科学者」の元歌は「Foxtrot(超名作)」に収録されている「Supper's Ready」という23分の大作からの引用です。聴きながら読むと面白さ倍増!?

    ちなみに、このまま「四季」シリーズに突入しようとも思ったのですが、さすがに22冊一気に読んでちょっとバテたので、しばらく他の本を読んでからにします。
    by yubeshi (2007-06-22 18:07) 

    sknys

    yubeshiさん、初コメントありがとう。
    凄いハイ・ペースですね。
    Vシリーズは殺人事件〜トリック解明〜犯人探しという
    ミステリの本道から外れていますが、登場人物のキャラ立っています。

    七夏と紅子の新旧ライヴァル対決、保呂草と各務の騙し合い、
    練無&紫子の漫才コンビ‥‥。
    最終巻の『赤緑黒白』でアクロバティックに1回転ワープして
    S&Mに着地!‥‥四季4部作に繋がって行く。

    《Foxtrot》はピーガブ在籍時代のアルバムかな?
    YouTubeに3分割UPされているではないか(試聴しなくちゃ)!
    『四季 春』は1人称サイコ・ストーリなので、ジックリ読んで下さい^^;
    by sknys (2007-06-22 23:38) 

    yubeshi

    大納言金時殿、再コメント失礼つかまつります。
    書き忘れたのですが、新しく「Xシリーズ」っていうのが出ているんですね。
    私も「四季」シリーズ読み終わったら挑戦しようと思っていますが、もう読まれましたか?

    「Foxtrot」はお察しの通り、ピーガブ在籍時代のピーガブ的傑作です。多分、ジェネシスはピーガブだと言ってた犀川助教授も気に入っているのでしょう。

    あと「すべF」を再読したのですが、S&Mシリーズの記事にコメントした内容が間違いだらけだと気づいたので、速やかに削除しておきますm(__)m
    by yubeshi (2007-06-24 22:01) 

    sknys

    今読んでいる『ηなのに夢のよう』のカヴァ(裏表紙見返し)に
    次作以降の予定として『イナイ×イナイ』が載っています。
    「Gシリーズ」が完結していないので油断していました^^;
    これが「Xシリーズ」第1作目ですね。

    作者・森博嗣に「Xシリーズ」を語ってもらいましょう。
    《これまでのシリーズとはまた少し違って、少々レトロなものを書きたいと思います。ノスタルジィでしょうか。もちろん、新しさあってのレトロですが。Gシリーズの途中に、このシリーズをスタートさせるのも、当初から計画していたことです。》

    http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/myst_index.html

    『すべF』はメタリックな緊張感が張り巡らされていますね。
    「間違いだらけ」って、年代のこと?‥‥90年代前半のイメージでしょうか。
    上記のHP「浮遊工作室」にS&MやVシリーズの自作紹介がありますよ^^
    by sknys (2007-06-24 23:52) 

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