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風の音を聴け [a r c h i v e s]

  • 「冷たいスープの入ったガラスの / 器の表面に / 浮いた水滴の曇り」/ の夏 / わたしは形而上学的室内で / 死につつある父を / 影の棺に収める /〈樹上の処女〉ひとり / ナナイ / 南無!/ 踏みはずし 踏みこたえ / 縄梯子で地上へ戻る / そして読書し / 紅茶をすする午後 // ‥‥「妊婦は真横を向き / 背景には一個の苔むすしゃれこうべ」/ これは絵であるのだろうか? //「二元の世界を往復する者は呪われる」// わたしは歯痛の薄明のなかで / ノートを書く /「死と結ばれないような〈性〉を信用しない」/ まして〈美〉はなおさらだ /「心の中にもし癒しようのない / 傷があるならば / 傷の分だけ / わたしは美に近づける」// わたしはぬるい湯舟につかり / 恥骨が白骨化してゆくのを / 感じながら /「流れる水の面の底の / 石のように / その存在をきわだたせる」/ エゴン・シーレの / 生涯と章句を想い出す //「人は夏の盛りに / 秋の樹木を感得する」
    吉岡 実 「水鏡」
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    〈エゴン・シーレ展〉の会場内に(故意か偶然かは兎も角)結果的にはBGMとして薄く流れていたBrian Enoの「環境音楽」が、シーレを観ることの端緒となった詩句と共に、奇妙な存在感を持って想起される。あれは幻聴だったのだろうか?‥‥知覚された3種類の無数の断片が記憶の中で攪乱されているわけで、とても正常ではいられない。同じNYという活動地域特有の「戦略」があるかもしれないから多少割り引いて聞いておく必要があるけれど、The Bー52'sのFred Schneiderをして「絵画と現代詩とロックンロールとを組み合わせたバンド」と言わしめたTalking Headsの存在を看過出来ないのは当然過ぎる帰結だった。そして、その話には「Produced by Brian Eno」というオチ(オマケ?)が付く。

    恐怖のエイリアン「人喰いアメーバ」が4人の顔面に張り付いたような(あるいは「顔面崩壊」したような)──4人の顔写真に赤い画像のCG処理が施されている!──スリーヴの4thアルバム《Remain In Light》(Sire 1980)は、先に発表されたThe Specialsのスカ、レゲエ、ダブ‥‥の枠組みを超えた、何とも形容し難い(中近東エグゾティシズム?)《More Specials》(Chrysalis 1980)に対し、「アフリカ風」と呼ぶに相応しい明確性を持つ。もっとも不可解なものについては、深刻に悩み込むより笑い転げる方が良くて、例えばマンデリシュタームの『エジプトのスタンプ』や、セヴェロ・サルドゥイの『コブラ』ちゃんといった無国籍ノヴェル(?)の好きな人なら、2枚共に満足出来るでしょう。

    メンバーが各自のパートに拘束されることなく自由に楽器を使用しているので、一聴して眼を瞠る(お耳がダンボの)ファンク・ベース奏者を名指すことは出来ないけれど、少なくともライヴ・ステージで担当することになるTina Weymouth嬢のミニスカ姿を想像するとゾクゾクして来る。David Byrneの歌唱法は嫌悪感が露骨で(まるで感情移入すること自体を嫌って、イヤイヤ歌っている?)、インタヴュー記事で受けた彼らのシャイな印象との落差が面白い。例えば、Neil Youngを大好きであると一言言わせたい意図で質問しているインタヴュワーに、素直に告白せずにミスティフィカシオンしてしまう。好きなもの・人を好きと言えないのは、ある種の人間の典型である。

    躍動するベース、鞭のように強靭なパーカッション、奇妙なループ感のあるキーボード、妖怪変化風のヴォイス、クールな男声コーラス‥‥その総てが革新的で美しい〈Born Under Punches〉。ライヴ・ヴァージョンでは優雅な前奏が付いている性急なファンク・ナンバー〈Crosseyed And Painless〉。Adrian Belewのギターが大暴れする〈The Great Curve〉。David Byrneの摩訶不思議な踊りや「デカ服」ライヴ・パフォーマンスのPVが記憶に新しい〈Once In A Lifetime〉。Mojiqueの内面で逆巻いている風塵と、彼を囲繞する外界の「風」とのシュールな交感を描いた、「The wind in my heart... / The dust in my head...」とリフレインされる〈Listening Wind〉。ボルヘス(やっぱり!)の短篇にインスピレートされたという、自分の貌を意志によって自由に変えられる男の話〈Seen And Not Seen〉‥‥もう踊り狂うしかないし、BGMなんかには流せない。疲労と覚醒の後でバーン&イーノの「現代詩」を味わっても遅くない。

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    萩志生野の高校入試当日に降っていた雪。雪の中で手を差し伸べ、桜舞い散る入学式で同じような仕種をする星瀬沙羅。偶然同じクラス(1年8組!)になった2人‥‥ショートカット中性的な顔立ちの志生野と黒髪ロングストレートの美少女・沙羅。校内クラス対抗体育大会のバスケの試合で左足を捻挫した沙羅は、志生野にパスし続けていた。沙羅の不登校‥‥夏休みのサマーキャンプの帰り、沙羅の別荘に立ち寄った志生野は後悔する。独り寂しく過ごしているはずの沙羅が3人の従兄弟たち(龍彦、紀世人‥‥)と一緒にいたからだ。まだ暗いうちからセミが「かな、かな、かな」と狂い鳴く「ひぐらしの森」。相思相愛ゆえの行き違い?‥‥龍彦が志生野に2人(彼女と沙羅)の相似性と違いを分析する。2学期になって高校を退学した沙羅‥‥カナダからの手紙が龍彦経由で届く。「雪が降るたび / 雨にぬれるたび // 沙羅を想うとき / 今も胸が痛んで // ひとつずつ / 15のあの季節が / 不可思議な / 感傷をもって / よみがえる」。

    公立図書館や学校の図書室にコンピュータが導入される以前は、貸出しカード(票)に自分の姓名を書き記すシステムになっていた。図書係の少女の謎の微笑み。天川蒼生人の選ぶ本のカードに必ず記されている野々宮浅葱という名前。《あの人は / 僕と同じものを見 / 僕と同じものを求め / 僕と同じ感動を / つづけてきたのかも / しれない‥‥》。陸上部の長距離ランナーの蒼生人、生物部の浅葱。ある日突然、天川家から消えた三毛猫のチィ(そうか、「空の色ににている」は「ネコ本」だったのか!)。生物の先生の友人(画家)のアトリエで独り絵を描いている、日本人ばなれした容姿(金髪?)、耽美この上ない眼差しの鷺巣冬城──蒼生人の兄・七星の同級生で、1年前のオートバイ事故で半年休学〜留年(現3年)している──の存在。蒼生人、浅葱、冬城の妖しいトライアングル。そして、冬城が登山中に遭難?‥‥消息不明になる。忽然と消えた飼い猫チィのように‥‥。

    『空の色ににている』(集英社 1981)は「ぶ〜け」(1980. 8〜11月号)に4ヵ月短期集中連載された著者初の長編作品。前年に発表された『ひぐらしの森』を表題とした短編集も1980年に出て、この怖しく寡作(巻末リストによると77年は5作と多めだが、過去2年間は年2作のペース!)の人、内田善美さんのファンは欣喜雀躍している。耽美的な湿潤感で濡れている画像‥‥。魔女的魅力を秘めた美貌の星瀬沙羅と、間の抜けたような気もする長い長い顔の萩志生野クンとのレズビアン・ラヴ──龍彦や紀世人といった従兄弟たちの入る余地はないのかもしれない──を描いた「ひぐらしの森」に対し、『空の色ににている』の方は、一見して少女マンガ世界では珍しくもない三角関係のために、逆に異常性が強調される。何よりも、ミステリアスな鷺巣冬城の存在が怖しくも美しく、「美は恐怖そのものから絞り出せる」(グリール・マーカス)という表現がピッタリだ。もし少しでも危険だと直観したら、これ以上接近しない方が良い。

    この作品には、シェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』(講談社 1977)が効果的に引用されている。《自分の足りない何かを求めてどこまでもころがっていく》(倉橋由美子)不完全な「円」。欠落部分にピッタリ合った「欠片」と合体した瞬間に何か大事なものを失う。図書室で同じ本を借り、冬城の遺した「絵」の中に相手の貌を互いに見い出す蒼生人と浅葱は相似図形だ。完全な円(Perfect Circle)になることは不可能だが、一緒に転がり続けることは出来る。付け加えれば、その種の人間関係を常套手段である「血縁」に還元しない潔癖性が、善美クン一流の審美眼といえよう。「ひぐらしの森」の星瀬沙羅(津村沙世子のプロトタイプ?)は画集を開きながら「クレーが / お好き?」と萩志生野に訊いているけれど、〈パウル・クレー展〉で、貴方は一体どんな「音楽」を聴きましたか?

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    10年以上前に書いた手書き原稿を加筆・改稿してUPするアーカイヴス・シリーズの第1弾です。この頃ハマっていたのは10枚(400字詰め原稿用紙)の原稿を5枚に「圧縮」する文章技法。デジタルな圧縮ではなく、読者が読むことで自己解凍するアナログ文体。その1つは「省略法」──文字通り行間を読ませる富岡多惠子のエッセイや、16頁で物語(起・承・転・結)を完結させる「少女マンガ」の影響が見え隠れする(文体的には倉橋由美子の影響大でしょう)。もう1つは固有名詞やメタファの多用によるヴァージニア・ウルフ直伝の「詩的文体」。異種メディアをミシンと蝙蝠傘のようにデペイズマンすることで生成される異化効果を狙っている‥‥と書くと大層高尚ですが、まぁ、学生時代の「若気の至り」ということで、大目に見てやって下さい(笑)。「歴史的遺物」なので改稿は最少限に留めたいのですが、初回は枚数足らず(オリジナルは5枚)で、3枚ほど新たに加筆しました。圧縮率が下がった分だけ、平易になったと思います。

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    • 『空の色ににている』の画像がAmazon.co.jpにない。『ひぐらしの森』に至っては「ブツ」がなくてリンク張れません!

    • 次回は回文シリーズ第4弾を予定しています。ちょっとメルヘンチック?‥‥エロ回文は封印しました。ナゾナゾ回文もあるよ

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    Remain In Light

    Remain In Light

    • Artist: Talking Heads
    • Label: Rhino / Wea
    • Date: 2006/10/08
    • Media: CD+DVD
    • Songs: Born Under Punches (The Heat Goes On) / Crosseyed And Painless / The Great Curve / Once In A Lifetime / Houses In Motion / Seen And Not Seen / Listening Wind / The Overload


    空の色ににている

    空の色ににている

    • 著者:内田 善美
    • 出版社:集英社(ぶ〜けコミックス 11)
    • 発売日:1981/05/20
    • メディア:新書
    • 目次: はるから夏へ / 夏から秋へ / 秋から冬へ / ‥‥そして空へ


    ぼくを探しに

    ぼくを探しに

    • 著者:シェル・シルヴァスタイン (Shel Silverstein) / 倉橋 由美子(訳)
    • 出版社:講談社
    • 発売日:1977/04/24
    • メディア:単行本

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    コメント 4

    モバサム41

    ゆる~いコメントしておくと(笑)
    トーキング・ヘッズは評判の割には、実際聞いてみるとヘタレで…なかなかのめり込めない部分があったんですが、これってデビッド・バーンの戦略(?)だったの?
    ミシンと蝙蝠傘については、うちのブログにもイジドール・デュカスちゃん登場してます。
    by モバサム41 (2006-05-28 21:00) 

    内田善美、僕も大好きです。
    『空の色ににている』を久しぶりに読み返したくなりました。
    内田善美のマンガのような優れた作品が絶版というのは、とても悲しいことだと思います。(月並みな感想ですみません。)
    by (2006-05-29 02:10) 

    sknys

    モバサムさん、コメントありがとう。
    鼻持ちならない(投げ遺りな?)歌唱法は
    「デビッド・バーンの戦略」というより、
    80年当時のNWグループ全般の意志統一という感じです。

    パンク→NW、怒り→嫌悪感‥‥The Bー52'sのF・シュナイダーも、
    TelevisionのT・ヴァーレイン(エコバニのI・マカラックは
    J・モリソン直系の自己陶酔型ですが)、
    スティングも、A・パートリッジも初期はトンガっていました。
    未だに怒りまくっているのはU2のボノくらいでしょうか?

    《Remain In Light》はイーノ&バーンが(良い意味で)暴走した
    革新的なアルバム。
    イーノの手作りループで、リズム隊の出番は少ない?
    ‥‥他メンバーとの確執を生み、その後イーノが離れることで沈静化した。

    最近のバーンは穏やかですね。イーノも昨年、実に28年振りの
    ヴォーカル・アルバムを発表‥‥良く似ている2人だと思います。
    『マルドロールの歌』(角川文庫)が見つからない!
    by sknys (2006-05-29 20:34) 

    sknys

    lapisさん、コメントありがとう。
    少女マンガでは善美クンの絵が一番好きかな。
    「内田善美、僕も大好きです」というコメントを読んで、
    嬉しくなっちゃった!

    今回読み直して、猫が「猫」として描かれていることに驚きました。
    主要登場人物の「死」ではなく、「消滅」という特異なテーマは
    『星の時計のLiddell』に引き継がれて行きます。

    『空の色』がAmazonに1冊(¥8000)ありましたが、今は在庫切れ!
    ‥‥画像がなくてGoogleのイメージ・サーチで見つけて来ました(笑)。
    絶版なのは作者が、絵が縮小されてしまう文庫版化を
    頑なに拒否しているせいかもしれませんね。
    by sknys (2006-05-29 20:51) 

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