SSブログ

バイオ女になる? [g a m e]

  • 今日は朝からとてもいい天気。/ 実は私の生活は最近、とても乱れている。何と言っても昼夜が逆転しているのだ。/ 犯人は‥‥。/ そうです。わかる人にはわかる『バイオ・ハザード・ゼロ』。/ 任天堂ゲーム・キューブから、去年の暮れに出た、あれだ。/ わたしはこの「バイオ・ハザード」シリーズが大好き。/ 他のゲームには目もくれないのだが、これだけはどんなめちゃくちゃな生活になろうともクリアすることを毎回の目標としているのである。// しかし‥‥。夜中に1人(猫4匹、犬1匹を足下にはべらせているものの)ゾンビと格闘する33歳の女‥‥。/ 考えると寂しい図ではあるが、そんなことを言ってられないほど今回のバイオは燃える。/ まったく‥‥、よくできている。本当に、こんなものを創る人の頭の中はどうなっているのだろう。/ それにしても昼夜逆転している生活は、自己嫌悪に陥る。/ いくら、期限付きの不摂生だとしても !!
    石田 ゆり子『旅と小鳥と金木犀』

  • その評判は噂に聞いていたものの、苦手の「ホラー」ということで二の足を踏んでいた〈バイオハザード〉シリーズ。オリジナル版(1996)を改良した『Biohazard Director's Cut』(Capcom 1997)のリリースを機に初めてプレイしてみた。それも「オリジナル版」ではなく超高難度の「アレンジ・モード」‥‥襲い掛かって来るゾンビどもを律儀に仕留めて行くと早くも序盤で弾切れになっちゃうのだ。一体何度死んだことか!‥‥。1998年5月、米ラクーン市郊外で発生した「生物災害」(バイオハザード)──アンブレア社のBC(生物化学)兵器研究施設内のウイルス漏洩事故調査に乗り出したS.T.A.R.S.(Special Tactics And Rescue Service)部隊の消息不明という非常事態を請けて再調査に向かった後発隊6名が「洋館」に辿り着くところから物語(ゲーム)は始まる。プレイヤーはS.T.A.R.S.チームの男女2人、クリス・レッドフィールドとジル・ヴァレンタインのどちらか一方を選んでゲームをスタートさせる(当然シナリオも2本分用意されている)。体力に勝るが武器(弾丸)の少ないクリス、逆に武器には恵まれているけれど体力に劣るジル‥‥アレンジ・モードでオリジナル版にあった"HARD"(男)、"EASY"(女)の表示を消したのは、それだけ難易度が上がっていることの証左だろう。

    多勢に無勢──味方は殆どいないに夥しい敵モンスター‥‥ゾンビ(ウイルス感染した人間)、ケルベロス(ゾンビ犬)、クロウ(狂ったカラス)、ワスプ(毒蜂)、アダー(毒ヘビ)、ブラック・タイガー(毒グモ)、ヨーン(大蛇)、ネプチューン(人喰い鮫)、プラント42(巨大吸血植物)、強敵ハンター(人型両生類)、キメラ(ハエ男)、タイラント(最終生物兵器!)‥‥よくぞ、ここまで不気味な怪物たちを創造したものです。2本分のシナリオ分岐、クリア後の「隠し要素」──エンディングの結果に応じて現われる、今では定番の隠し武器「ロケットランチャー」(3時間以内にクリア)やコスチューム・チェンジ(ベスト・エンディング)、各種ウラ技(例えば2回目の洋館探索時にマグナム弾を無限に入手出来る「秘技」があるけれど、そこまで到達するのが大変!)等‥‥何回も遊べる工夫が凝らされている。しかし、この〈バイオ〉シリーズ第1作目が優れているのはシナリオ自体の面白さにあると思う。往年のゾンビ映画や〈エイリアン〉シリーズからアイディアを得たと思しき「密室ホラー劇」だが、続編が単純なストーリ展開の密室脱出アクション・ゲームの様相を呈して行くに従って、オリジナル脚本──味方のチーム内に裏切り者がいたというドンデン返し!──の秀逸さが際立つ結果になった。

                        *

    2枚のCDーROMに4つの異なるストーリを詰め込んだ『Biohazard 2』(1998)は新たに導入した〈ザッピング方式〉が新鮮だった。主人公は新米警官のレオン・S・ケネディと女子大生のクレア・レッドフィールド(クリスの妹)で、男女2人にそれぞれ表と裏の2つのストーリが用意されている。仮に物語A(レオン表→クレア裏)、物語B(クレア表→レオン裏)とするとA・B2つの物語をそれぞれ男女2人の視点から描いた一種の「パラレル・ワールド」と言えるだろうか。ヴォリュームが増えた分だけクリア後のオマケ要素もテンコ盛りで、厳しい条件をクリアすることで入手出来る隠し武器3種(サブマシンガン、ガトリングガン、ロケットランチャー)、裏プレイをSランクでクリアすると出現するアナザー・シナリオ〈第4の生存者〉、最低でも6回クリア(表→裏→表→裏→表→裏)しないと現われない〈The 豆腐 Survivor〉なんていうクレイジーな趣向もある。この〈バイオ2〉にはハマリましたね。だって何周もプレイしないと様々な「隠し要素」が出現しない仕組みになっているのだから(特に1度死んだら、即ゲーム・オーヴァの「ノーセーヴ・クリア」は鳥肌もんです)。でも、これだけでは終らない。アナログ・コントローラ(PS)がブルブル震える新機能に対応した〈Dual Shock Ver.〉ではオリジナル版の本編2モード(ノーマル&イージー)に加えて、超高難度のUSAヴァージョン(海外版)と初心者向けのRockieモード、隠しモードに新たなアクションゲーム〈EXバトル〉を追加した計7種類のゲームをプレイすることが出来たのだ。

    『Biohazard 3』(1999)は女主人公のジル嬢がラクーン市から脱出するだけの「アクション・ホラー」で、「緊急回避」や「ライヴ・セレクション」など様々な創意工夫が採り入れられている割りには(その反面、操作方法なども複雑化した)終始彼女を執拗に附け回すストーカみたいな「追跡者」の存在が鬱陶しくてゲームにのめり込めず、本編は3回しかクリアしていない(エクストラ・ゲームの〈ザ・マーシナリーズ〉は何度も再挑戦してロケットランチャー等の最強隠し武器を購入しましたが)。番外篇の『Code : Veronica』(2000)は今は無きDream Cast(DC)専用ソフトとして製作された(後に〈完全版〉がPS2に移植)。しかしマルチプラット方式を築いて来たカプコン社が〈バイオ〉シリーズのGame Cube(GC)独占供給という、寝耳に水の方針転換を突然発表!‥‥この裏切り行為に怒った(冷めた)全国のバイオ・ファンも少なくなかったんじゃないの?‥‥記念すべき1作目のリメイク版『Biohazard』(2002)と『1』以前のS.T.A.R.S.先発隊の顛末を描いた『バイオ0』(2003)、『2』と『3』の移植版、2年後にオリジナル新作の『Biohazard4』はGCから出たものの、その一方で2003年末に古巣のPS2からオンライン・ネット対応型の『Outbreak』と続編の『FILE2』(2004)、そしてGC版リリースから1年足らずで独占供給だった『Biohazard4』の移植版を出すという迷走ぶり。

    〈バイオ〉シリーズの恐怖感覚は作為的な演出だけによるものではない。ある意味でハード(CPU)の進化が可能にしたと言っても過言ではない。3Dフルポリゴン化によって創出された疑似空間の副産物として「恐怖」という概念が産み出されたのだ。自分以外に誰もいない室内(閉ざされた時空)、主体の前後に拡がる無気味な空間、ドアを開ける瞬間の恐怖。仮令ゾンビがいてもいなくてもビビッちゃう一種の空間閉所恐怖症は3Dポリゴンの描画技術によって可能になった。それ以前の主流だった2D横スクロール型のアクションゲームでも、操作中のキャラが死ねば胸キュンする程度の軽い喪失感はあったものの、「恐怖」という感情にまでには至らなった。克明に描かれた背景〜空間が主人公(プレイヤー)の恐怖を抽出する。本当に怖いのはモンスターや妖怪、幽霊の類いではなくて、それらが今にも出て来そうな場所〜空間それ自体にあったのだ。『Biohazard』はハードウェアの進化が「ホラー」という新たなジャンルを創造した好例としてゲーム愛好者の間で長く語り継がれて行くだろう。

                        *

    元々コンピュータ・ゲームは女子供というよりは一部の大人の男たちの遊びだった過去がある。だから、それがTVゲームとして街のゲーセンから一般の家庭内に普及して多くの子供たち(主に男子児童)を虜にしたのは当然で、年齢の如何を問わず女性たちには今イチ浸透しなかった。ところが全国民的なファミコン・ブームから20数年、女の子の中にも生来のTVゲーム好きの女性、俗に言う「ゲーム女」たちが登場して来た。ゲーム女3人衆の1人、精神科医の香山リカ先生は『TVゲームと癒し』(岩波書店 1996)という著作があるくらいの筋金入りの「ゲームおたく」。臨床医時代に患者の治療にTVゲームを使用していたほどで、その効果は兎も角、コミュニケーション・ツールとしては、役立っていたらしい。公開番組(ETV)で《鬼武者》をプレイするリカ先生はヘッピリ腰(?)だったが、ファミコン時代からRPGにはドップリと漬っていたという。アホ教育関係者やバカ医者たちがTVゲームの青少年に与える悪影響に就いて口角泡を飛ばして中傷している短絡的でヒステリックな閉塞的な現状──TVゲームの前はアダルト・ヴィデオに暴力&エロ漫画・アニメ・映画 etc.でしたね──を是非彼女に打破して欲しいものです。

    2人目はゲームの攻略本だけで何と300冊以上も所有しているという自称「攻略本コレクター」の宮部みゆき氏。攻略本って試験のアンチョコみたいに思われていて邪道視されているけれど、実は大きな間違い。実際プレイしてみれば分かるように攻略本通りにはなかなか巧く進まないし、仮令プレイしなくても(高価なソフトを持っていなくても)攻略本だけでシュミレートする愉しみもある(笙野頼子氏が『レストレス・ドリーム』を執筆する際に人気RPGの攻略本を何冊も買ったという話は有名だ!)。攻略本を読めばゲームの当たりハズレが判っちゃう、だから攻略本のつまんないゲームは買わない、と仰る彼女も『ゼルダの伝説』のプレイ中にZトリガーの引き過ぎで腱鞘炎一歩手前までイっちゃったという程のゲーム女。ワープロの打ち過ぎでないところが彼女らしいですね。『R.P.G.』というタイトルの小説もあったし『ICO』というゲームソフトのノヴェライズも手掛けた。『Biohazard』で異常に会話が盛り上がったなんてことも某エッセイ集に書いてありましたよね。リカ&みゆき両巨頭にはTVゲーム擁護派の女戦士(アマゾネス)として今後も大いに期待しています。

    そして3人目は女優の石田ゆり子さん。清純派お嬢さまタイプの彼女が「ゲーム女」だなんて想像も出来ませんが、人は見掛けによらぬもの。『天然日和』(幻冬舎 2002)で自ら暴露してしまったように単なるTVゲーム狂というより、彼女の場合はゲーム全般ではなくアクション系、それも〈Biohazard〉しかプレイしない「ゲーム女」。〈バイオ〉シリーズを供給するハード媒体が変わる度に、〈バイオ〉をプレイするためだけにゲーム機を買い足していくという特異な「バイオ女」だったのだ。つまりPS→SS→64→DC→PS2‥‥とプラットフォームが変わる度にハードとソフトを同時購入して〈バイオ〉をプレイしないと気が済まない。エッセイ集にはGCのことまで書いていないけれど、絶対にGC買いましたよね‥‥彼女の不思議なところは自社他社を問わず〈バイオ〉以降にリリースされた夥しい「バイオもどき」には目もくれずに、只管〈バイオ〉シリーズのみに固執する点‥‥何か第三者には及びも着かない怖〜い理由でもあるんでしょうか。いつか日本で〈バイオ〉の実写版が映画化される際にはヒロイン役は彼女に演じてもらいたいですね。弟のプレイする〈バイオ〉に一緒に熱中していたミラ・ジョヴォヴィッチ嬢が、憧れの主演女優役をゲットしたように。

                        *

    〈バイオ〉シリーズの番外篇『Biohazard - Code : Veronica』(2001)は元々DC(ドリーム・キャスト)用ソフトとして作られたものだった。しかし、これには少々入り組んだ逸話が囁かれている。PSソフト『バイオ2』をSS(セガ・サターン)に移植しようしたところ、どうやっても落ちない!‥‥困惑した開発スタッフは『バイオ2』の代わりに新たに『CV』を作ることになる。シリーズ中の「鬼っ子的ソフト」になってしまったのには出生に纏わる複雑な「家庭の事情」があったのだ。オリジナルDC版がCDーROM2枚組だったことからも分かるように質・量ともに最大最長の作品で、総じて敵キャラの攻撃力がアップ、時限イヴェントや即死攻撃&トラップなどもあって難易度は高い。PS2版はDC版に様々な改良を施したと謳っているけれど、新旧2作をプレイした「バイオ女」の石田ゆり子嬢も苦言を呈しているように、その一体どこが「完全版」なのかと首を傾げたくなる程度の変更点に留まっているらしい。

    『バイオ2』のザッピング・システム、『3』のライヴ・セレクションなど、新たな工夫を凝らして来たとはいえ、ストーリ的には単純な「脱出ゲーム」になってしまった〈バイオ〉シリーズ‥‥。『CV』も悪しき呪縛から逃れられていないが、サイド・ストーリ面で新趣向がみられた。主人公の男女は『1』と『2』でお馴染みのクリス&クレア・レッドフィールド兄妹、対する敵キャラにアルフレッド&アレクシア・アシュフォードの双子兄妹という相似形の兄妹対決になっている。舞台は南海の孤島(ロックフォート島)と南極基地‥‥主に前半にクレア、後半にクリスが活躍する。シリーズ中の最高傑作──特にアレクシアに纏わる「悲劇」が作品に仄暗い澱みと妖しい耀きを与している──に挙げる人も少なくない反面、クリア後の「隠し要素」が貧弱だった。エクストラ・ゲームは用意されているものの、「隠し武器」は定番のロケットランチャーのみ、お約束のコスチューム・チェンジ(着替え)に至っては何と一着も用意されていない!‥‥という掟破りの裏切り行為(『バイオ3』の女主人公ジル・ヴァレンタインには全部で5種類もあったのにね)。これにはマジギレした「バイオおたく」も多かったはず‥‥本編のクレア嬢が終始ブルージーンズ姿というのも甚だ色気に欠ける設定ではないでしょうか。

    恐怖を演出する要因──「密室」「孤独」という外的状況に、主人公が女子供(肉体的弱者)という内的条件が加わる。B級ホラー映画では閉鎖空間に取り残された金髪美女(何故か薄着!)というシチュエーションがベタ定番。〈バイオ〉シリーズも、その法則を踏襲していて、初代『1』と『2』が男・女2人、『3』と『CV』で女性ヒロインを操作することになる。未プレイですが『0』の主演は女性(レベッカ・チェンバーズ)、最新作の『4』は男性(レオン・S・ケネディ)。ゲーム途中に、お決まりのキャラ・チェンジがあるものの(『2』では少女シェリーを操作する場面もあった)、〈バイオ〉の中心ユーザ層と目される若い男性が「女性」になって倒錯的な恐怖を味わう。ロラン・バルトは、人は待つことで女性化すると言っているが、〈バイオ〉シリーズをプレイすることでも青年は擬似「女性化」するのである。今どきの男性ユーザはマッチョな男を大胆に操って、襲い掛かるゾンビどもをマグマム弾で殲滅したいと思わないのだろうか(弾切れ?‥‥それとも逃げるが勝ち !?)。「バイオ女になる?」のは、石田ゆり子だけではないのだ。

                        *

    • 〈バイオ女になる?〉の閲覧数が1000pvを越えました。読者の皆さん、ありがとう。1000pvを記念してBIO HAZARD DC(Arrange Mode)の「ノー・ダメージ」攻略ヴィデオを貼りました。目からウロコの「神業」ですね(2007/06/19)

    • 『天然日和』の続編『旅と小鳥と金木犀』(幻冬舎 2005)の中の文章を引用しました。石ゆり‥‥やっぱりGC +『バイオ0』買いましたね!(2006/03/12)

    • 記事中の『Bio...』リンクをAmazonからCAPCOMヘ変更しました(2006/03/19)

    • サイドバーの「英タイトル」をクリックすると過去の画像(アルバム・本)&ログが 見れるように工夫しました

                        *



    バイオハザード ディレクターズカット デュアルショックVer.

    BIOHAZARD DIRECTER'S CUT DUAL SHOCK Ver.

    • メーカー:CAPCOM
    • 発売日:1998/08/06
    • メディア:CD-ROM (PS)


    テレビゲームと癒し

    テレビゲームと癒し

    • 著者:香山 リカ
    • 出版社 :岩波書店
    • 発売日:1996/10/07
    • メディア:単行本(ソフトカヴァ)
    • メディア:単行本
    • 目次:テレビゲームと私 / ゲーム批判の系譜 / 精神医学とテレビゲーム / 私の臨床体験から / テレビゲーム療法・試論


    天然日和

    天然日和

    • 著者:石田 ゆり子
    • 出版社:幻冬舎
    • 発売日:2002/08/20
    • メディア:単行本
    • 目次:春 / 言葉のちから / 想像力 / 視覚 / 夏 / 所有するということ /「許す」ということ / 触覚 / 秋 / 恋愛 / びびのこと / 味覚 / 冬 / 聴覚 / 嗅覚 / 家族のこと

    コメント(2)  トラックバック(1) 

    コメント 2

    miyuco

    攻略本を心から愛する「ゲーム女」のはしくれでございます。RPG専門です。
    なぜならアクションが絡むと息子たちにバカにされて腹がたつので^^;
    子供が小学生の頃の保護者会で「ゲーム脳」について書かれた新聞記事のコピーを配られてウンザリでした。簡単に何かに原因を押しつければそれでいいのかよ、と思いましたね。(コワイのでその場で反論はしませんでしたが)
    by miyuco (2006-03-02 13:19) 

    sknys

    ・miyucoさん、コメント&nice! ありがとう。
    RPGは『FF』のシステムが理解出来ずに挫折!‥‥専ら短時間で遊べる
    アクション、レース、対戦格闘、パズル系のゲーマーです。
    「攻略本」って読み物として、それ自体で面白いですよね。
    寝る前にベッドの中で今日のプレイを反省したり、
    明日の展開をシュミレート(予行練習)したり‥‥
    miyucoさんも立派な「ゲーム女」です。
    「バイオ女」にも挑戦してみて下さい。

    「ゲーム脳」?‥‥全く同感です。それじゃTV脳に映画脳、マンガ脳、
    小説脳 etc.もあるのかよ!‥‥ってツッコミ入れたくなっちゃう。
    ゲーム排斥論者は現実世界とフィクションが
    対立概念として存在すると信じて疑わないけれど、
    本もマンガも映画もTVもコンピュータ(インターネット)も、
    既に「現実」の一部になっている、
    現実自体がヴァーチャル化している、ということが全然解っていない。
    この辺の事情は、京極夏彦『ルー=ガルー』に詳しく描かれています。
    by sknys (2006-03-02 20:50) 

    コメントを書く

    お名前:
    URL:
    コメント:
    画像認証:
    下の画像に表示されている文字を入力してください。

    トラックバック 1